お年寄りたちの蜂起 ーメキシコ2012年12月1日ー
- 2013年 7月 20日
- 交流の広場
- メキシコ山端伸英
すでに半年過ぎたが、現在のメキシコ大統領エンリケ・ペニャ・ニエトが大統領に就任した日、それに反対する市民行動は、確実な危機感と意志に貫かれていた。機動警察隊はゴム弾を用意し何人かが大ケガをし、死者も出た。しかし、その日の朝から非常に目を引いたのはかなり多くの孤独な相貌を浮かべた老人たちの姿だ。彼らは火炎瓶を用意し、杖状の棒、ヘルメットなど思い思いの武装と姿で青年たちの群れと一緒に動き、最後まで踏ん張り戦い果てるまで戦い抜いた。
エンリケ・ペニャ・ニエトはメキシコ州知事の時、サン・サルバドル・アテンコという首都圏に近い農村地域の先住民運動を州の機動警察隊で暴力的に押しつぶし、取材にあたっていたチリ人ジャーナリストたちに暴行を行ったうえ国外追放している。彼の大統領就任時に朝日新聞の記者は「イケメン大統領」とか書いていたがその平和ボケはXXXXXに値しよう。また広範囲な都市化計画のもとに近代化を図ってもいたが、同時に幹線道路予定地を彼自身の選挙や家族のために住宅会社に売却するなどの汚職も働いている。テレビ女優と結婚したが、前妻の死亡事件には未だ疑惑が残されている。
しかし、何よりも彼がアトラコムルコの出身で、旧来から与党PRIの政治集団アトラコムルコ・グループ(「探偵小説としてのメキシコ」雑誌「情況」2000年6月号参照)の影響と資金援助のもとにいることが、政治階級の歴史的固定化と革命党アミギズモ(コンパドラスゴ、政治における近親者および政治的仲間主義)の継承を印象付け、12年間続いた右翼政権以上に左派の市民階級に危機感を与えた。そして、それはやはり今回の選挙でも、貧民に対する贈り物戦術や、選挙時だけのやさしさと癒し系コマーシャルや広報作戦、および投票の権力的操作などの不正によって勝ち取られた政権であるという憤りが、旧与党の復活には伴っていた。遠くてよくわからないけど自民党の復活に際しても日本市民は街頭で激しく戦ったに違いない。
[メキシコの街頭戦の模様を伝える写真は保存しているので希望なさればお送りできます。死刑廃止論へのプレリュードというのをぼちぼち書いていますが、先月の6月14日にサカテカスという町の運転の荒いバスの中で前のご夫人と一緒に転倒し肋骨に小さな骨折と打撲をしその時のレントゲンで大動脈瘤を発見しました。まだ骨折の痛みが激しいのですが大動脈瘤への対処を考えております。昨年は日本企業にいて血圧が連日150以上になるという無理をしました。あの社員たちは全部リストラして構わない帝国主義者たちだと本社に申しております。そのプレリュードに、日本のお年寄りを思う心から小さなコメントを試みました。誤字が多かったので「訂正」をかねて、ここに再録させてください。]
70. 現在時点で、「死刑廃止」の動きが弱いのは、日本社会に「凶悪犯罪」の継続的発生という現象が生じていることも背景にあるだろう。
同時に、原発問題の拡大と告訴の遅れや審議の遅れに象徴的に見られるように、政財官体制の利害および責任の混乱と司法側の歴史的事象に対する力量上の限界、および市民側からのリーダーシップの圧倒的な不足が複雑に絡んでいる。
実 際、現在の日本は「保守」「右翼」「革新」「左翼」とかなんとかの存在する余地がないほど反動化している。世界に向けて「平和」に本当に「賭けている」勢 力など存在していたら教えてほしい。「平等社会」に本当に「賭けている」運動があったら教えてほしい。亀井静香が本気なら「死刑廃止」のためのリーダー シップを取ったのだろうか。「日本社会」というスモッグのもとで「ぽちぽち」やってますというのが実態だろうと世間の狭い僕は思う。それでもいい。だけど、そう いう動きと政治とが隔離していたら、それも「凶悪犯罪」を生み続けている「日本社会」の問題だと思う。
サンダル履きのままでいい、リーダーシップ をとってください。山本太郎よりも真っ裸の恥ずかしくてもいいリーダーシップをとってください。日大闘争の闇に消えていった、たぶん今やハゲ頭の兄弟たち よ、いいじゃないか、50人ぐらいで筵をたてて路上に仁王立ちをしろよ、どうせ、恥ずかしいことだ、だけど同じことじゃない、過去の人生と。その惨めさに反発する エリートのヤフーが出てきて、どうせ裏切るリーダーシップをとり始めても、そこから何かが始まる可能性もあるではないか。
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