政治(家)の矮小化、見るに耐えず―安倍・習近平会談を嘆く
- 2014年 11月 12日
- 時代をみる
- 日中首脳会談田畑光永
暴論珍説メモ(133)
実現するのか、しないのか、長いこと憶測が飛び交っていた日中首脳会談が11月10日、折から北京で開かれていたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議の場を借りてようやく実現した。確かに隣国同士の首脳が2年も3年も顔を合わせられないのは異常だから、実演したことはよしとしなければならないが、そのあまりの空虚さに思わず顔を背けたくなった。
今回の会談は直前に両国の高級官僚(日本側・谷内国家安全保障局長、中國側・楊潔篪国務委員)が長時間の折衝を経て、4項目の「合意文書」なるものをまとめ、しかもそれを公表しておくという異例の手順で行われた。
首脳同士が会談して、その結果を合意文書にまとめるというなら自然だが、会談前に合意文書を公表しておくとはどういう意味か。おそらくそれがないと、首脳同士が会っても、お互い何をどう話したらいいかが分からず、場合によっては話があらぬ方へ飛んで、喧嘩別れにもなりかねないので、あらかじめ枠組みを決め、それを事前に世間様に周知させて、そこから出られないようにしたということであろう。
と言うと、日中関係はよほど難しい問題を抱えているように聞こえるかもしれないが、事実は逆である。話はばかばかしいほどに単純なのである。だから厄介なのだ。この2年ほどをふり返ってみよう。
2年前の9月、日本の野田内閣が尖閣諸島の国有化(地主からの買い上げ)を決めたことが今回の対立の発端である。中國側がこれに激怒して、各種交流事業をストップさせたばかりか、反日デモの乱暴狼藉を黙認した。しかし、これはどう見ても、中國側の怒りすぎというか、的外れの反日キャンペーンであった。なぜなら、当時から明らかだったように、野田内閣はあの島々を購入して、なにか現状変更をしようとしたわけではなくて、石原都知事の東京都が買った場合にはそれこそ何をするか分からないので、その予防措置として国有化したにすぎないからである。
ところが中國の首脳部は当時、総書記交代の第18回共産党大会の開催(10月)を間近に控えて、おそらく首脳間、派閥間の対立、葛藤が渦巻いていたはずで、そこへこの話が飛び込んだものだから、誰もが対日軟弱と思われるのを恐れて、強硬一点張りに固まってしまったというのが真相であろう。
そこで中國側も党大会の後、事態収拾に乗り出す。13年1月、訪中した公明党の山口代表に習近平がわざわざ会ったことがそのシグナルであった。与党とはいえ、一少数政党の党首に総書記が会うのは異例である。日中関係改善に一歩踏み出したものと考えられる。
そこで日本側、つまり安倍首相が内閣も交代したことであるし、日中双方の顔が立つような適当な次の一手を打っていれば、事態は変ったであろう。しかし、安倍首相は相手の収まりつつある火に油を注ぐような擧に出た。国会における「侵略の定義はいろいろある」発言、靖国神社春の例大祭に安倍内閣の閣僚が何人も参拝したことについて「安倍内閣の閣僚は外国の圧力に屈しない」発言などなど。こちらから関係改善の目をつぶし続け、最後は昨年末の自らの靖国参拝であった。
勿論、中国側も軍部を中心に反日キャンペーを続けたし、尖閣諸島周辺に公船を派遣し続けて領土主張を強め、さらには防空識別圏の設定、海上における自衛艦へのレーダー照射など、対立をいや増す行動をとってきた。
この経過で明らかなように、対立は激しいけれど、それは両国間に重大な利害対立があるというわけではない。領土問題も靖国も、昨日、今日始まった話ではない。だからそれを上手にコントロールしつつ、関係を深めることもできるのに、逆に古い対立を改めてかきたてるようなことを双方が繰り返して今日に至っているのである。
そこで政治家の資質が問題となる。こういう場面では、ともに大局的な立場から対立を緩和する方策を考えるのが首脳会談というものであるはずなのに、安倍、習両氏とも体面が悪いから首脳会談はおこなうが、その場では一歩も相手には譲らないぞという、大局とは反対の立場だから、事務方に土俵を作ってもらい、組手まで決めてもらわなければ、相撲が取れなかったのである。
会談は25分で終った。通訳やらなんやらもろもろを考えると、正味は10分あるかないかだったろう。2人とも胸襟を開いて、相手と語り合おうという度量がなかったことはこの短い会談時間が物語っている。
双方とも小人物であることは、これではっきりしたが、テレビで見る限り、今回は特に習近平の態度がひどかった。会談場所には安倍が先に入って、それから習が出て来たようだったが、そうだとすれば客を迎える主人の態度として非礼の極みである。
周恩来、鄧小平といった人たちは常に相手より先に会談場所にいて、客人を迎えた。中国外交部のそのあたりのプロトコールは揺るぎがなかった。また顔を合わせて、安倍が用意してきた挨拶を述べ、それを通訳が訳している最中、まだ訳し終わらないうちに習は安倍から目をそらせてカメラの方を向いてしまった。こんな態度も公人として恥ずべきである。
日本に友好的と受け取られる態度は国内的に見せられないからだと、日本のメディアは解説していたが、本当にそんな理由でああいう態度をとったとすれば、とてもあの大国を指導する能力はないと言わざるをえない。
日本も中国も、政治家の資質の劣化がいちじるしい。こういう人たちが外交をすれば、なにが起こるか分かったものではない。こうなれば、国民は政府抜きで仲よくやっていくよりほかにやりようはない。
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