貧しくても希望がありさえすれば、無差別殺傷事件は起こらない ――八ヶ岳山麓から(496)――
- 2024年 11月 29日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」中国の凶悪事件無差別殺傷事件阿部治平
信濃毎日新聞(信毎、11月24日)は社説で「締め付けで再発は防げぬーー中国の凶悪事件」として中国で続く無差別殺傷事件に関する論説を掲げた。社説はこういう。
「(連続無差別殺傷事件は)景気低迷で生活苦や閉塞感が強まり、不満の矛先を向けたとの見方が広がっている。習近平指導部は統制の強化で封じ込める姿勢だが底流にある社会のひずみを直視しなければ、根本的な解決には遠いだろう」
6月に江蘇省蘇州市で日本人母子が襲撃され、広東省深圳市では9月登校途中の日本人児童が刺殺される事件があって、日本人をねらったものか否かが注目された。11月に入って、広東省珠海市で男が体育施設で車を暴走させ、35人が死亡、43人が負傷した。その後、江蘇省無錫の専門学校で男が25人を殺傷し、湖南省常徳市では小学校前の人ごみに車が突っ込んで児童が負傷した。
中国当局は、日本人の死傷事件には加害者の加害動機を発表せず、中国外交部は通り魔的事件のたびに、偶発的な単一の事件であると繰り返し強調している。かろうじて珠海市の事件について加害者の離婚後の財産分与への不満が動機だとした。
信毎社説は「締め付けで再発は防げぬ」という。これは日本のメディアの共通の認識のようだが、上からの強い圧力は習近平政権によって始まったものではない。わたしは江沢民時代の末期から胡錦涛時代を中国で過ごしたのだが、その前半は、親しい者の集まりで指導者や閣僚の悪口を言ったり、政策批判をすることができた。また、中国共産党が民主化、市場化をどこまで進めるべきかなどは、雑誌やSNS上で公然たる論争があった。
後半になると、このサロンの自由とでもいうべき空間は狭くなったように感じた。大学の講義でマルクスの古典を引用して、中国でも資本による労働の搾取は存在するとか、国有大企業も独占資本であって特別剰余価値を生んでいるなどと言えば、大学から追われるようになった。
習近平以前も信仰の統制は厳しかった。「基督教(プロテスタント)」も「天主教(カトリック)」の信者はかなりの勢いで増加していたが、国家公認の教会しか許されず、民間が建てた教会は打ち壊され、聖書の講読会は地下教会といわれ犯罪として敵視された。イスラム教や仏教への圧迫については本ブログで何回か述べたことがあるから繰り返さない。
胡錦涛の時代も格差や不公平はあった。権力者は金持になり、金持はもっと金持になるのはいまと同じだった。わたしのいた北京では、毎週金曜日の夕方には「夜総会(キャバレー・クラブ)」の前にはずらりと黒い乗用車が並んだ。人々はそれを横目でにらみながら、半分不満、半分あきらめの気持で通り過ぎた。
だが、凶悪事件は目立たなかった。農村では土地取り上げに抗議する農民のデモが万単位で生まれていたが、低賃金、劣悪な労働環境におかれた農民工(出稼ぎ)も仕事探しにはさほど困らなかった。貧しいとはいえ生活が上向く希望があったのである。
いま、不動産不況による経済の低迷が失業者の増加をもたらしており、若者(16~24歳)の失業率は17%余りに達している。失業者の増加は、主にコロナ流行期の都市封鎖による400万といわれる中小零細企業の倒産によるものだ。3億近い農民工の就業先は主に中小零細企業だが、農民工は統計の対象になっていない。しかも、中国の統計は、関係機関や地方政府が行政成績をよく見せるために改竄されている。だから社会全体の失業の実態は公表された数値よりはずっと深刻である。
さらに、その裏に賃金の未払いがある。香港NGOによると、中国では過去1カ月間に数百件の労働者の抗議行動が発生し、多くが賃金未払いが原因という(共同)。上海市では11月21日、工場の労働者数百人が会社のリストラ計画に抗議し、道路を一時封鎖する騒動があった。警察と小競り合いになり、一部が身柄を拘束された(RFA)。
中国の富の格差はフィリピンやインドネシアよりも大きいといわれる。ある統計によれば中国の資産870万ドルの超富裕層は約460万人で、その合計は中国全体の67%を占める。また、平均資産16万5000ドルの富裕層は9900万人で全資産の26%。1億余の富裕層が富の93%を占め、残りの下層13億人の平均資産は3300ドル(約48万円)で全資産の7%を占めるに過ぎない(https://www.travelvoice.jp/)。
しかし、社会的不公平や貧困だけで人は無差別殺人に走るだろうか。広東省珠海市事件を受け、習近平国家主席は事件翌日の12日に「各地方と関係部門は教訓をくみ取り、社会矛盾を解消し、過激な事件の発生を防ぎ、国民の生命・安全と社会の安定を全力で保障しなければならない」という「重要指示」を出した。異例のことである。
広東省党委書記黄坤明はただちに「治安上の潜在的な危険を取り除く」ために家庭内や近隣のトラブル、各種訴訟を調査し、困窮する人々への支援を強化する方針を打ち出した(毎日2024/11/15)。公安部は、「八失人員」「三低三少」を対象に調査しているという。「八失」は、投資の失敗、失業、人生の失敗、男女関係の失敗など八項目、「三低」とは、収入が低い、地位が低い、対人関係が少ないことだとしている。
こうなると居民委員会(都市末端の行政機関)はただちに住民から該当人物を探し出して監視を始める。それらしい人がいないようなら、誰かを「八失」「三低」のいずれかに当てはめるまでだ。
以前から将来への希望がなく、不満を抱えた青年は存在していた。たとえば、大学卒業に見合う仕事がなく、故郷にも帰れず、低賃金の非正規労働で生計を立てながら農民工と同じ安アパートの一室に数人でルーム・シェアをしている「蟻族」、資本家に搾取される労働奴隷となることを拒否し、住宅や車を買わない、恋愛も結婚もしない、したがって子供を作らない、消費は最低水準の生活というのが「寝そべり族」である。
そして学生の不満表明には、コロナ後の「白紙運動」があり、「夜騎(夜間サイクリング行動)」があり、いずれも学生が逮捕されている。だから、いま中共指導部は、若者の多くの不満と閉塞感がいつ大規模な暴動になるか怯えている。
若者だけではない。年配者も先が見えなかったら自暴自棄になる。先に述べたなかに過酷な重労働と賃金の未払いを恨んで人を刺したのがいた。定年退職者には賃金未払のほか、もう少し先の年金の問題がある。中国では年金は地方政府の負担である。ところが、いまや不動産不況で地方政府の財源は枯渇している。年金を払い続けることができるかどうかは不確定である。
権力を使って人々への監視を強化すれば、しばらくは沈静し、やけくその殺人も個別事件だといういいわけで済ませられるかもしれない。だが最高権力者の「いつ大規模騒動が起きるか」といった「怯え」は払拭できない。信毎社説は、「社会のひずみを直視しなければ、根本的な解決には遠いだろう」というが、「根本的な解決」とは何を意味するのだろうか。まさか一党支配の廃止ではないだろう?
わたしの経験からすれば、それは極めて貧弱な中国の社会保障制度の拡充だとおもう。日本の社会保障制度が完全だとは思わないが、中国からの留学生が医療や出産の際にこれを体験すると、例外なく「日本は社会主義だ!」と驚いたことを忘れることはできない。
中共の一党独裁下でも、失業者には失業手当を、中小零細企業には補助金を、年配者には年金を、病人には医療保障を、生活困窮者には生活保護を保証することは可能であろう。これがないために、中国の「老百姓(庶民)」は、裸で市場経済の荒野に放り出されているも同然なのである。
これがあれば人々は、社会格差や不公平さへの不満があろうとも、前途への希望を持てるのである。明日は何とかなりそうだとなれば、社会の一定の安定は得られる。貧しくても、人を殺すほど自暴自棄にはなるまいとわたしは思うのだが。 (2024・11・27)
初出:「リベラル21」2024.11.29より許可を得て転載
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