本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(100)
- 2015年 9月 25日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
天皇陛下と政治
歴史を尋ねると、「天皇陛下」と「政治」については、きわめて複雑、かつ、微妙な問題が存在するようである。具体的には、現在でも、「第二次世界大戦」の時の「天皇陛下の責任」が、いろいろと議論されている状況だが、実際には、「軍部の暴走」により、「当時の天皇陛下は、ほとんど、影響力を失っていた可能性」も存在するようである。また、「明治維新」の前を振り返ると、実際には、「600年以上も、武士の時代が続いた」という状況も理解でき、このことは、「天皇陛下が、この間、ほとんど、政治的な役割に参加していなかった状況」を表しているものと考えている。
具体的には、「1221年」に起きた「承久の乱」により、「天皇陛下が、ほとんど、政治的な力を失った可能性」のことだが、この時に起きたことは、「北条政子」が「後鳥羽上皇などを戦いで打ち破り、権力を奪取した」ということだった。そして、その後は、ご存じのとおりに、「鎌倉幕府」、「室町幕府」、あるいは、「江戸幕府」というように、「武士が日本を支配する時代」が続いたのだが、問題は、「明治維新」の時に、再び、「天皇の勅命」という「錦の御旗」が掲げられたことである。
つまり、「討幕のために、再び、天皇陛下のお名前が使われた可能性」であり、この後は、「天皇大権」という「絶対的な権力」が付与されることとなったのである。別の言葉では、「西洋の列強に追いつくために、天皇陛下が求心力となった時代」でもあったようだが、問題は、やはり、「1931年からの満州事変」であり、実際には、「軍部の暴走」が、この前後から始まったようにも思われるのである。
そして、この点を、「昔の軍部、今の官僚」という言葉に当てはめると、問題は、「2001年の9・11事件」が指摘できるようである。つまり、今回は、「60年周期」ではなく、「70年周期」が働いているようにも感じているが、この理由としては、今回の「金融大戦争」が、「目に見えない戦争」であり、また、「世界的な広がり」を持っていることも指摘できるようである。
その結果として、現在でも、依然として、世界的な「超低金利状態」が実施されているが、今回は、いよいよ、この点に、大きな問題が起き始めたようである。つまり、世界的な「金融コントロール」が効かなくなり始め、さまざまな「市場の混乱」が発生しているようにも思われるが、今回の「根本的な問題」は、第二次世界大戦の時、「天皇陛下」が「神様」となったように、「お金」が「神様」になった点にあるものと考えている。(2015.8.26)
-------------------------------------------
戦後レジームからの脱却
安倍首相が提唱する「戦後レジーム(体制)からの脱却」については、今まで、ほとんど意図することが理解できなかったが、今回の「首相談話」、あるいは、「明治維新以降の歴史」を考えると、朧(おぼろ)けながら、内容が見えてきたようにも感じている。具体的には、「明治維新」の時に、「長州藩」が、「賊軍」から「官軍」へと転換し、その後、「薩長同盟」を経て、「大政奉還」にまで行き着いた状況であり、また、その後、「大日本帝国憲法」により、「天皇陛下が大権を握っていた状態」のことである。
別の言葉では、「明治維新」以降の「日本」は、「富国強兵」や「殖産興業」を旗印にして、歴史的にも括目すべき「急成長」を遂げたのだが、この原動力の一因となったのが、「天皇陛下への忠誠心」でもあったようだ。つまり、「天皇陛下の為なら、命も惜しまない」という「考え」が、徐々に浸透し、また、「日清戦争」や「日露戦争」、あるいは、「第一次世界大戦」などの勝利により、「軍部の力」が急速に拡大したようにも思われるのである。
しかし、問題は、「1931年からの満州事変」であり、この前後から、「軍部の暴走」が始まったようにも感じているが、その後は、ご存じのとおりに、「1937年からの支那事変」や「1941年からの大東亜戦争」により、「軍部が支配する構造」が出来上がったようである。そして、この時、「天皇大権」は、ほとんど形骸化し、実際には、「天皇陛下でも、戦争を止めることができない状況」が発生したようにも思われるのである。
別の言葉では、「天皇陛下も、ある種の犠牲者だったのではないか?」ということだが、この点については、「明治維新」の時から、「天皇陛下の政治利用」が始まった可能性も存在するようである。そして、戦争の末期には、「天皇陛下のため」という言葉が乱用され、結局は、「多くの日本人が、落とさなくてもよい命を犠牲にした状況」となったようだが、この時に、「軍部による強制力」も、大きな力を発揮したようにも感じられるのである。
このように、「明治維新」から「戦後」までの歴史をたどると、結局は、「薩長土肥」を中心にした「政府」が、「絶対的な権力を基にして、思い通りの政治を実行した」ようにも感じているが、現在の安倍首相が望んでいることは、「このような状態が復活すること」とも考えられるようである。つまり、「積極的平和主義」というスローガンを掲げ、「世界の警察」の役割を、「アメリカ」とともに果たそうとしているようだが、この点については、「時代錯誤」の考え方であり、また、「軍事力」を支える「金融力」については、ほとんど、考慮されていないようにも感じている。(2015.8.26)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5690:150925〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。