アラブ世界で親米勢力が退潮 -チュニジア、エジプト、レバノンで大変動-
- 2011年 1月 30日
- 時代をみる
- アラブ伊藤力司反米革命
北アフリカのチュニジアで民衆の反政府デモにより23年間続いたベンアリ独裁政権が倒されたインパクトは、北アフリカから中東に広がるアラブ世界を揺さぶっている。アルジェリア、イエメン、ヨルダンなどに飛び火した市民の抗議運動はついにアラブの大国エジプトに及び、30年間独裁体制を維持してきたムバラク親米政権は窮地に立たされている。折しもパレスチナ和平交渉の内幕が暴露され、イスラエルに譲歩を重ねた親米アッバス・パレスチナ自治政府議長に批判が集中。またレバノンでは反米のヒズボラの主導で親米ハリリ内閣が倒され、イランをバックとするヒズボラが推したミカティ氏が首相に指名されるという政変が起きた。新年早々、アラブ世界では親米勢力の退潮が進んでいる。
▼インターネットが威力
日本のメディアでも大きく報じられたように、チュニジアの「ジャスミン革命」はあっけなく独裁政権を打倒した。昨年12月17日、失業中の青年が中部シディブジド県の県庁前で、政府に抗議して焼身自殺をした事件が革命のきっかけとなった。大学を卒業したがコネがなくて就職できなかったモハメド・ブアジジさん(26)が、街頭で野菜を無許可販売していたのを見とがめた女性警察官に平手打ちされ、抗議のために県庁を訪れたが誰も耳を貸さなかったため正門前で自らに火を放ったのだという。このニュースは若者たちに普及している短文投稿サイト「ツイッター」や交流サイト「フェースブック」などインターネットのウェブサイトを通じてあっという間に全国に広がった。
これを知った若者たちは、すぐにサイトを通じて抗議デモを呼びかけた。就職難と食料価格の高騰、大統領一族の利権体質、言論抑圧に抗議する民衆があちこちでデモに参加。デモのニュースはサイトを通じて写真入りで流され、これがまた次の抗議集会とデモを呼んだ。ベンアリ政権は過酷な弾圧を続けた責任者の内相更迭、内閣改造、3年後の次期大統領選挙へのベンアリ氏の不出馬などの宥和策を打ち出した。しかし民衆側は警官隊との衝突で合計数十人の死者を出しながら年を越えて抗議行動を続けたため、ついにベンアリ大統領は1月14日サウジアラビアに亡命。1987年クーデターで「建国の父」ブルギバ大統領を追放して政権を握った軍人出身のベンアリ氏が亡命を決断したのは、最終的にチュニジア軍部に見放されたためだったようだ。
チュニジアはジャスミンの名産地ということで、各国メディアは早速「ジャスミン革命」と命名、1か月前には予想もされなかったベンアリ政権の崩壊を大々的に報道したが、周辺アラブ諸国の若者たちはインターネットでいち早く「革命」に接していた。長期独裁政権にうんざりしている周辺アラブ諸国の若者たちは、チュニジアの若者の勝利に沸いた。アルジェリアの首都アルジェでは「ブーテフ出て行け」と叫んで警官隊と衝突したデモ隊はアルジェリア国旗とともにチュニジア国旗を掲げていた。1999年以来ブーテフリカ大統領が政権の座にあるアルジェリアでは2002年、元アフガン義勇兵だったイスラム過激派を恐れて街頭デモを禁じる法律を制定したのだった。隣国の革命は直ちにアルジェリアに伝播し、禁制のデモが起きたのだ。
1990年の南北イエメン統一以来、サレハ大統領の独裁体制が20年以上続いているイエメンでも、首都サヌアで学生たちの反政府デモが続いた。国内にアルカイダ系のイスラム過激派の拠点を抱えているサレハ政権は、過激派退治の名目で米国やサウジアラビアの財政支援を支えに長期独裁体制を維持してきた。反政府デモなど考えられない国柄だったイエメンで「サレハ退陣」を要求するデモが起きたことは画期的なことだ。また王制のヨルダンでも、物価高騰をもたらした経済政策の失敗を理由にリファイ首相の退陣を要求するイスラム勢力のデモが続いた。アブドラ国王の退位を求めるところまでは行っていないが、国王が指名する首相を国民の直接選挙で選ぶべきだとの要求が出ている。
▼エジプトに飛び火
「ジャスミン革命」の火は1月25日、ついにエジプトに飛び火した。首都カイロ、第2の都市アレクサンドリアをはじめスエズ運河のたもとのスエズ市など、全国で数万人がムバラク大統領の退陣を要求して街頭デモを展開した。これを制圧しようとする機動隊とデモ隊がもみ合うシーンがテレビを通じ、インターネットを通じて内外に速報された。その効果もあって、26日にはさらに多くのデモ隊が街頭に繰り出し全国で警官隊と衝突した。警察は2日間で700人以上のデモ隊を拘束したと伝えられているが、これだけ大規模な暴動はエジプトでは1977年の食料暴動以来だという。2日間でデモ隊、警官隊の双方にかなりの数の死傷者が出ているもようだ。
ホスニ・ムバラク氏(82)は1981年、イスラエルとの和平に踏み切ったサダト前大統領が暗殺されて以来30年近く、エジプト大統領のポストを独占してきた。アラブ世界は過去数十年、パレスチナ紛争に加えてアフガン戦争、湾岸戦争、イラク戦争と続いた戦乱を通じて派生したイスラム過激派を抱えてきた。ムバラク政権を始めとするアラブ諸国の長期独裁政権の特徴は、イスラム過激派を撲滅しようとする米国と欧州に支えられてきたことだ。アラブ民衆は過激派のテロリズムを支持する訳ではないが、イスラエルに虐げられているパレスチナ同胞を目の前にして、イスラエルを支える米欧に強い反発を感じている。だから米欧に支えられている独裁政権に対して反抗したい気分は持ち続けている。その気分が「ジャスミン革命」で連鎖的に爆発しているわけだ。
▼アッバス議長がイスラエルに譲歩
こうした雰囲気の中でカタールの衛星放送アルジャジーラが、米国の仲介するイスラエル・パレスチナ和平交渉の内幕をすっぱ抜いた。その内幕はアッバス議長以下のパレスチナ自治政府が、ガザを支配する反アッバス派のイスラム主義組織ハマスを敵視するあまり、イスラエルに次から次へと譲歩している姿である。例えばパレスチナ難民の帰還問題である。イスラエルによって国を追われたパレスチナ難民は全世界に500万人と言われる。和平の条件のひとつは、帰還する難民の数をどこまで認めるかだが、アッバス議長は一万人でいいと発言したというのだ。
さらに自治政府側は、イスラエルを「ユダヤ国家」と規定することに同意したという。現在のイスラエル国内には約130万人のアラブ系市民(イスラエル建国当時外国に避難しなかった人々)が存在するが、彼らはユダヤ国家の市民になることはできない。とすれば彼らは和平が実現すればイスラエルから追放され、あらためて難民化することになる。イスラエル側はその場合新生パレスチナ国家に送り出すつもりというが、ただでさえユダヤ人入植者に浸食されているパレスチナ“領土”に130万人を収容する余裕があるのか。
自治政府は2008年の交渉で、イスラエルに対し自治区ガザとエジプトの境界地帯を再占領するよう要請したという。エジプトからガザへの物資補給を遮断し、ガザを支配するイスラム主義のハマスを弱体化させる狙いだったとみられる。自治政府は公式にはガザ境界の封鎖解除を訴える一方、水面下ではハマス対策で「封鎖強化」を求めていたことが明らかになったわけだ。アッバス議長らは、建前上ハマスをパレスチナ陣営の一員としているが、実際はイスラエル国家の存在を承認しないハマスに対して、激しい敵意を燃やしていることが浮き彫りになった。
またオバマ政権は発足当初、ベテランのミッチェル特使を和平交渉仲介特使に任命したことでパレスチナ側に好感を持たれたが、その後はイスラエルへの圧力を放棄したことで失望が広がっている。その理由は、ヨルダン川西岸へのユダヤ人入植凍結期限(2010年9月末)を延長させられなかったこと、東エルサレムへの入植を禁止できなかったことなどだ。その一方でオバマ政権は、親米的なアッバス議長が2010年の任期切れを機に引退の意向を漏らしたのを引きとめ、議長が引退するなら米国の自治政府への援助をカットすると脅して、続投させたという。これらアルジャジーラのすっぱ抜き報道は、アラブ民衆にアッバス議長らパレスチナ自治政府とオバマ政権への不信感を強めさせるだろう。
▼ヒズボラの勝利
イスラエルの北隣レバノンで、反米・反イスラエル・親イラン・親シリアのシーア派政治勢力ヒズボラが親欧米のハリリ内閣を瓦解させ、自派の推薦する人物を首相にすることに成功した。サード・ハリリ前首相は、2005年に起きた実父のラフィク・ハリリ元首相の暗殺事件に関する国際特別法廷(オランダ・ハーグ)に協力してきたが、同法廷は暗殺容疑者としてヒズボラのメンバーを訴追すると見られていた。ヒズボラはこの国際法廷設置が欧米諸国によるヒズボラを貶めるための陰謀だとして、ハリリ前首相にレバノン政府が一切の協力を拒否することを要求していた。しかし前首相はこの要求を拒否する意向を示して両者の関係がこじれ、ヒズボラは1月12日ハリリ内閣から自派閣僚を全員引き揚げて、内閣を崩壊させた。
問題は後継首相だが、ヒズボラは手まわし良く実業家のナジブ・ミカティ元首相を口説いて立候補させた。同時に議会内各派に根回しして多数派の同意を取り付けたことをスレイマン大統領に報告、大統領はミカティ氏を首相に指名、組閣を要請した。ハリリ支持派は当然ながらこれに反発して、北部トリポリや首都ベイルートで抗議デモを繰り広げ、警官隊と衝突する騒ぎも起きた。いずれにせよ、レバノンを舞台とする欧米対イラン・シリアの暗闘は今回後者の勝利に帰したわけだ。(1月28日記す)
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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