テント日誌3月14日…3・11は過去の歴史ではない
- 2017年 3月 16日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
3・11は過去の歴史ではない 3月11日(土)
郵政前の霞ヶ関三丁目交差点で機動隊が可動式のバリケードを置いて警備していた。街宣車が1台現れて叫ぶが音が割れていて言葉は聞き取れない。ここを通せと言っているようだ。しばらくすると引き返していった。
久々にMさんが遠方から座り込みに来てくれた。今日は3.11で人が少ないのでありがたい。Kさんと3人で暖かい日差しを浴びながらまったりと座り込む。
いつものように外務省から若いお巡りさんがやってきた。「今日は何時までですか?」と聞くので「いつも通りですよ」と笑顔で答えた。Mさんが「また原発事故が起きたら若いお巡りさんが行かされるのでしょ?」と聞くとお巡りさんは仕事ですからとにこやかに答えた。その笑顔が3.11は過ぎた昔ではないとあらためて胸に刻み込んでくれた。もしもいたとしたら孫くらいの若いお巡りさん。
東電前に行くテントの人たちが何人も座り込んでくれた。椅子はたちまち満席、しばらく会っていない人にも会えた。小学生の男の子が4人歩いてきてひとりが「経済産業省」と呟いた。Oさんが声をかけると立ち止まって話に聞き入る。原発・福島・経産省などなど30分以上真剣に聞いていた。(詳しい話はOさんから)
今日はJKS47の祈祷の日。次々と人がやってきて土曜日とは思えない盛況。14時47分から1分間の黙祷、目を閉じていると・・・・・2011年のあの日から毎日が3.11だった気もする。誰が忘れるというのだ。
読経・朗読・歌、そして呪詛? 初めてみるパワフルな集会だった。嬉しい悲鳴なのだが普段と違ってあまりに人が多かったので疲れたけれど。
3.11は過去の歴史ではない。正しく過去の歴史にするのは私たちだ。だがそれはまだまだ先のことだ。(O・O)
死者について考える 3月11日(土)
東日本大震災から6年目を迎えた今日はいいろいろの事があった。政府主催の追悼式典をはじめ、それぞれの団体が催しをやった。テントひろばは東電本店前の抗議行動をし、多くの人が集まり、怒りの声をあげた。官邸前抗議行動は3月10日(金)の予定を一日繰り下げて今日行われた。経産省前では呪殺祈祷僧侶団による月例祈祷会があった。政府の式典での安倍首相の式辞には原発事故という言葉がなく、これについて福島内堀知事は「過去形ではなく現在進行形の災害だ。原発事故、原子力災害という重い言葉、大切な言葉は欠かすことができない」と指摘した(朝日新聞)と伝えている。違和感の表明であるが、僕は豊洲市場問題での石原元都知事の発言を連想した。石原は移転を政治的に処理したし、その実際は百条委員会での多くの証言通りだと思う。肝心なことは石原には土壌汚染問題の重要性についての認識がなかったのである。彼の思想には環境や安全性についての認識が欠如していた。だから、この事案は適当(政治的)に処理しておけばよかったのだ。多分、彼には尖閣諸島の問題の何分の一か程度にしか、関心はなかったのだろう。ここに石原の政治責任があるのだと思う。これと同じように、安倍は原発事故や原発震災のことをまともに受け止めてはいないのではないか。この事態から目をそらすことはできないから、意識的に避けている、ということなのかもしれない。原発事故を受け止めることができない、そこに安倍の政治思想の問題があるが、その安倍の政治的支配力は公明党も含めて与党の面々から原子力事故に触れない環境を作っている。それを隠れ蓑にして官僚たちは原発再稼働―原発保持に狂奔している。安倍の式辞が露呈させたものは彼の原発問題の認識の欠落であり、これが政府や官僚の原発政策の根底を浮かび上がらせている。
今日はいろいろの催しがあったが僕は経産省前の月例祈祷会に参加した。この会は13回目というように重ねられてきて、段々とおもしろくなってきている。本当に月例祈祷会が楽しみである。よくはまる、ということがいわれるが、そんな状態である。この祈祷会は死者の鎮魂を死者による裁きの代行として行うものである。死者の声を代弁することで現状への批判を行うのであるが、その鋭い声にはいつも共感ができる。とりわけ、戦死者の戦没者の声によって戦争への道を急ぐ政府や体制を批判する声はそうである。「若き自衛隊員を死にやってならない」「若き自衛隊員に人を殺させてはならない」という発言は僕には深く突き刺さる。僕らの現下の戦争反対の意思はここに集約される。そう思う。
僕は月例祈祷会に参加しながら、「3・11」の死者の事を思った。そして同時に死者のことについて考えた。「3・11」の衝動はその映像とともに甦り、僕を2011年の3月11日に誘う。あの震災がもたらした理不尽な死について考え続けてきたがいまだに適切な言葉を持てない。被災にあった近親者や関係者の嘆きや思いにこころ引き寄せられる。僕らは彼らの嘆きや深い思いに共感することで死者のことに思いいたすことができても、死者のことを十二分に考え得たとは思えない。そういう面のあることは疑いえない。ただ、これが、死について、死者について考えることを僕に強いて来た、いうなら契機になってきたことは確かであると思う。
僕らは死を直接経験できないように、死については考えられないところがある。どれだけ考えつめてもある段階で引き返してこざるをえないのだ。死は分からないそれが救いだというようになることがある。だが、死者のことはこれとは幾分かちがっている。死の事はよくわからないところがあっても、死者のことは
歴然たる現実としてある。僕らは他者の死を通して、死のことを考える契機を与えられると言ってもいいが、他者の死がもたらす悲しみや言いようのない思いは存在する。僕らが他者の死を通して受け取るものは悲しみやその理不尽さに対する怒りであっても死が僕らにもたらす波紋は確実にある。その波紋は悲しみや愛惜の念であっても、関係の異変としてやってくるものだ。突然のごとく、
不在に転じた他者の存在がもたらすもの、それは直接性の喪失のようなものとして僕らにやってくる。父親や母親がたとえどのようであれ存在しているだけでいいという意識が損なわれるようなものである。生が突然に絶たれることからくるのは、共存、あるいは共生していた他者の存在が不在に転ずることだが、そこでの関係の異変にことはあるのだ。現在では僕らが死者について深く考えられない、それを持続的に考えにくくなっているのは、現在の関係、その歴史性や文化性に寄るのだと言える。それは感覚的、あるいは直接的な関係が希薄になって、間接的な関係が大きくなっているからだ。
僕らは死に出会うたびに、死者に転じた他者との関係の断絶を悲しみ、それをいろいろと心的に納得させながら、その存続を願う。他者の存在を自己の内に存続させたいのである。僕らは様々の契機で死者のことを自己のうちに存続させている。それは夢を見ることであったり、何かを契機に突然思い出すことであったり、自然と対話していたりする。それは僕の現在が他者との関係の内に生成されてきたからであり、それが僕らの生の実体を構成しているものだからだ、ただ、この他者との関係はなかなか意識されないし、自覚されにくい事である。僕らが過去という遺産の中で生きていることはなかなか意識されないことだ。他者の死を通して、僕らはそれに気がつくのである。そこで、僕らは死者との共存や会共生を願う。子どもを亡くした母親は嘆きの内にその共存や共生をやっているのだ。
これは死者との対話にほかならないだろう。僕らが想像力を通じて死者の声を聞くことに他ならない。夢ならずとも、無意識に、意識的にそれをやっているのであるが、それは僕らの生を構成しているのであり、生という実体の生成であるのだ。僕らは己の生が過去、あるいは歴史によって生成されてきたものであることを知っている。それがなかなか意識され、自覚されにくいものであったにしても。現在の生の空虚さがるとすれば、過去や歴史が己の中で生きていないからだ。それから脱するのは死者の声を聞きことであり、そこで対話をすることである。死者と言っても様々であり、多様ではあるが、死者の声を聞くという行為の重要さは変わらない。僕らが歴史ということを大事なこととして考えるのは同じことだ。歴史とは死者の声を聞くことであり、死者との対話だからだ。大震災の死者の声を聞く、多分、被災の近親者や関係者には及ばずともそれを考えた一日だった。(三上治)
予算消化の電光看板は要らない 3月13日(月)
3月になり日照時間が10時間を越すようになった。12日は10.3時間、今日は曇り空が続き0.5時間だった。座り込み準備を進めるが珍しくメンバーの到着が遅れている。こんな日もあるだろうと思う中、Yさんがやってきた。二人だけの座り込みが続いたが、Tさんがスピーカーを抱えて「もんじゅ・西村裁判」の判決に向かう。後で敗訴と聞かされた。東電前で必死にビラを撒く西村さんの姿が目に浮かぶ。今回の敗訴で諦める人ではない、Tさんも新たな追及を確信していた。
テント跡地で行われているDS工事の内容が分かってきた。一昨日、3.11東電抗議集会を終えテントのぼりを戻すために角地まで来ると二人の工事担当者が。何を設置するのか尋ねると「看板の台座工事だけで(内容は)分からない」と話す。傍らの作業ボードをデジカメで撮って調べると「サイネージ本体用台座コンクリート打設完了」、施工㈱クラウドポイントと手書きされていた。ネットによるとサイネージとはデジタルの屋外大型看板だという。経産省PRボードか、霞が関一帯の案内ボードか、看板台座は大小2基に分かれている。予算消化の電光看板は要らない。
国会通りはサウジアラビアと日本の国旗がセットで掲出されている。サルマン国王一行のハデな金満来日が報じられているが国内は大きな格差を生じさせているという。首脳会談は「日・サウジ・ビジョン2030」と称して、脱原油を目指した海水の淡水化や太陽光発電などの事業協力を盛り込むという。原発再稼働と再生可能エネルギー政策の併用は両立しない。民進党蓮舫代表は当初の原発「2030年ゼロ」表明を断念せず、堂々と脱原発で目指せ!中途半端な政策は誰も支持しない。
30回目の座り込みとなった。3時半に交代、ここまでの座り込み参加者9名。(I・M)
毎日の座り込みを支えているもの 3月14日(火)
座り込み始めの時は、小雨が降っていましたが数時間で雨はあがったものの、少々冷え込む。警察官がやって来て「こんにちは」と声をかけて来たので、思わずこちらも「こんにちは」と返したが、あっという間に警察官は通過車の中へ、会話はこれだけ何か変な感じ。ヤクルト販売のおばちゃんが、お話しをしてくれましたが、外務省角の桜が早くも一部咲いたような事を、言っていました。
この日も座り込みの常連Sさん(最年長です)、テント強制撤去後一日も欠かさずの座り込みとの事、只々感服するのみ。このSさんに、いつも温かいスープを持って来て下さるKさんにも只々感謝です。この様な人達が毎日の座り込みを、支えている事を実感した一日でした。(Y・R)
・・・・・・・・
院内ヒアリング集会「使用済み核燃料と原発コスト」
2017年3月15日 経産省前テントひろば
院内学習会「原発コストと使用済み核燃料」
日時:3月28日(火) 14時半~16時半(14時半から通行証配布)
経産省参加要請:15時~16時:使用済み核燃料
16時~17時:原発コスト
場所:参議院議員会館 B102会議室(地下1階、定員36名)
主催:経産省前テントひろば(電話070-6473-1947、メールtentohiroba@gmail.com)
主題: 1 使用済み核燃料と核燃料サイクル
2 原発コストと電力システム改革
紹介:参議院議員 福島みずほ事務所
テント撤去後も「経産省前テントひろば」は脱原発を訴える為に、毎日座り込みを続け、毎金曜夕刻には本館前で抗議行動をし、反原発美術館テントを展示してきました。
さらに、私たちは、次のように、経産省・資源エネルギー庁との院内ヒアリング交渉を断続的に続けてきました。
2016年 6月 3日(金) 電力自由化
10月21日(金) 原発コスト
11月25日(金) 原発コストと使用済み核燃料
12月16日(金) 原発コスト
12月20日(火) 使用済み核燃料
経産省は、長年「3E+S]の大嘘をつきつづけながら、電力システム改革貫徹と称して、福島第一原発事故の対策費用を21.5兆円に倍増と発表し、未だに東京電力の法的処理をせずに、これらの費用を消費者にあるいは「国民」に押付ける施策を推進し続けています。
一方、早くから当然視されていたもんじゅ廃炉を決定して「核燃料サイクル」なる虚構が全く砂上の楼閣であることが明らかになったにも拘らず、経産省は「高速炉開発方針」なる新たな核燃料問題引き延ばし作戦を立てて閣議決定しました。
私たちは、これらの全く間違った経産省の原発推進施策に異議申立をするために、経産省(資源エネルギー庁)の担当者にでてきてもらってヒアリングの申し入れをします。是非ご参加
3月17日(金)5時~6時経産省前抗議行動 テントひろば主催
3月18日(土) 「原発のない福島県民大集会
会場:開成山陸上競技場(郡山市)13時・10分開会
主催:原発のない福島を県民大集会実行委
3月19日(日) 「安倍内閣の暴走を止めよう、国会議員会館前行動
場所:議員会館前 13時30分~ 主催」総がかり行動実行委
3月20日(祝) さよなら原発全国集会 代々木公園
主催:さよなら原発一千万人署名 11時ブース トーク:13時30分
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。