SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】329 殉教者サバハ・オスマン
- 2019年 8月 2日
- 評論・紹介・意見
- サハラモロッコ平田伊都子西サハラ
2019年7月28日、MEE(中東の目)が配信した、歯ぐきを見せガガっと笑うサバハさんの写真を見て、ビックリ! 7月22日にAPS(アルジェリア国営通信)が公表したサバハさんの写真は、少女の初々しさを漂わせていたのに、、 とりあえず、新しい笑うサバハさんの写真を掲載します。
モロッコ占領地・西サハラでモロッコ治安部隊に轢き殺された、殉教者サバハ・オスマン
そして、MEE(中東の目)の記事も紹介します。 モロッコ占領治安部隊車両に轢き殺されたサバハさんの悲劇は、西サハラ占領地を象徴するものとして、国際社会に広まってきました。
(1)MEEが伝えた西サハラ女性轢き殺しの真実:
2019年7月28日、MEEのアマンドラ・トマス・ジョンソンが、「7月19日、西サハラ人のサッカーファンたちが、アルジェリアがCAN で優勝したのを受け、ラユーン市の中心街スマラ通りに飛び出した。モロッコ占領地・西サハラの市民たちは、ワン・トゥー・スリー・アルジェリア万歳とアルジェリア国旗を振りながら歓声を上げた。モロッコ占領警察は、通りにバリケードを築き封鎖した。しかし、数人のファンが西サハラの旗を振り民族自決権をシュプレヒコールし始めると、状況はガラッと変わった。ムハンマド・ムロウドという現地の平和活動家が、デモの人々に石を投げ挑発したのは警察だと、証言している。デモの人々も石で応酬し、衝突は真夜中から早朝まで続き、モロッコ治安部隊が催涙ガスやゴム弾や抱水を発射した」と、伝えている。ムハンマド・ムロウドは、「殺された英語教師のサバハ(24)は友人で、彼女は2台の軍用車両に轢き殺され、以前から占領警察に目を付けられていた」と、語っている。さらにムハンマド・ムロウドはMEEに、「モロッコ占領警察と治安部隊の祝賀デモ襲撃で、200人以上が重傷を負った。モロッコ占領当局は6軒の家を襲い、4人の少年を含む十数人の西サハラ住民を逮捕した、、住人は恐怖に怯え、通りに出るのを止めひっそり隠れて過ごし、携帯の電源も切っている」と、モロッコ占領下の悲惨な日常生活を訴えた。
MEE・Middle East Eye(ミドル・イースト・アイ・中東の目)は、イギリスのロンドンに拠点を置き、2014年4月からオンラインニュース事業を開始している。中東で起こる事件をカバーし、「対象はこの地域の運命に関心を寄せるあらゆる人々」と、明記している。サウジアラビアやアラブ首長国連邦のドバイなどは、MEEをカタールが資金援助するカタール寄りの情報組織と見なし、カタールにMEEの排除を要求している。
(2)7月30日、モロッコ国王即位20周年記念日:
2019年7月30日、モロッコ国王モハンマドⅥ世殿下は、即位20周年を迎えられた。
モロッコ国王モハンマドⅥ世殿下は1963年8月21日に生まれ、モロッコ国王に即位したのは、7月30日ではなく1999年7月23日、前モロッコ国王ハッサン二世が死んだ日だ。
2002年3月にラーラ・サルマ王妃と結婚。2003年5月8日、長男ムーレイ・ハサン皇太子が、2007年2月28日には長女ラーラ・ハディージャ王女が誕生した。最近、ラーラ・サルマ王妃は離婚したため、ラーラ・サルマ王女になった。ドバイ首長国のモハンマド・ビン・ラシード・アルマクトゥーム首長6番目のお嫁さんハヤ王女(45)は、ロンドンに逃げて亡命を申請中で7月30日から裁判が始まる。ハヤ王女はヨルダン王の妹で乗馬の達人。 「私の家系には馬に対する愛情が流れている、、」と、詩を詠うモハンマド首長に見初められ2004年にお嫁さんになった。その時、「馬が取り持つ縁ネ、、言っちゃなんだけど、売れ残ったハヤ王女にやっと春が来た!」と、ヨルダン王室と繋がりがあるビシャラット夫人が喜んでいたのを思い出す。
そのロンドンでは、7月29日にボリス・ジョンソン新首相(55)が、ガールフレンドキャリー・シモンズさん(31)と首相官邸に入居した話で持ち切りだとか、、
楽しいタブロイド版情報です。
(3)夏期大学:
今年の夏も、SADR(サハラウィ・アラブ・民主共和国)主催でアルジェリアが資金援助する<ポリサリオ夏期大学>が、アルジェリアのリゾート地ブメルデスで7月28日から8月7日まで、開校されている。約400人のがアルジェリア・ティンドゥフ難民キャンプから、そして、モロッコ占領地・西サハラからは約50人が参加している。その他、アルジェリアの政党や民間団体の代表などが一同に会し、専門家たちの講演を聞きながら、最近の国際情勢などを勉強する。戒厳令下のモロッコ占領地を抜け出すのは困難極まりないが、西サハラ住民は夫々秘策を凝らして、参加する。老若男女を問わず、西サハラ人民は勉強家だ。
今年のテーマは、<アルジェリア人民と西サハラ人民の変わらぬ連帯>とされていて、政情が安定しないアルジェリアに気を使っていたが、アルジェリアのサッカーCAN アフリカ大陸カップ優勝が重苦しい雰囲気を吹っ飛ばした。そして、元気づいた夏期大学は、モロッコ占領地・西サハラでの西サハラ住民に対する虐待を強く国際社会に糾弾することになった。西サハラ国連代表シディ・オマル博士は、国連安保理に何通も書簡を送った。
ボツワナに拠点を置いて活動しているSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)の外交官マライニン・ラハルは、「モロッコ占領当局の見せしめ報復は、常に残酷極まりない。負傷者を多数出し、虐待と恐怖を巻き起こし、何日も、何週間も、時には数か月も続く、、」と、自らの体験を思い出しながら、MEEのインタビューを受けていた。そのマライニンは、2000年にアルジェリアにある西サハラ難民キャンプへ脱出してきた。彼は1972年に、モロッコ占領地・西サハラの首都、ラユーンで生まれ、19才の時に西サハラ独立運動細胞で活動を始めると、モロッコ占領警察から追われるようになる。1999年にはモロッコ占領地とモロッコ本土の警察が合同捜索を始めたとの噂が流れた。もう、モロッコと名の付く所には居場所がないと悟った。2000年8月、28才のマライニーンと20才の弟と31才の従兄の3人は、モロッコ占領地・西サハラを脱出した。徒歩で<砂の壁>地雷防御壁を越え、それから、50度を超える日中は眠り、モーリタニアの砂漠を3晩歩いた所で、鉄鉱石運搬列車を見つけ便乗し、モーリタニアの西サハラ難民政府事務所に辿り着いた。そこからアルジェリアにある西サハラ難民キャンプまで、トヨタのランドクルーザーで送ってもらった。マライニンのような脱出経験を持つ人は数多い。
モロッコ占領地・西サハラを、徒歩で脱出してきたマライニン・ラハル(現在、西サハラ外交官)
夏になったら、モロッコと西サハラの交渉第3ラウンドが、国連事務総長個人特使の主催で、開催される予定でした。 ところが、その個人特使が5月22日に体調不良の理由で、突然、職務を放り投げたのです。 今や、「個人特使が体調不良の所為ではなく、政治的圧力がかって両当事者交渉を止めさせられたのだ」と、誰もが認識しています。 ワリド・サレクSADR西サハラ外務大臣は、「国連は約束した<西サハラ人民投票>を早急に呼びかけるべきだ。西サハラ人民のフラストレーションは、頂点に達している」と、7月30日、強い警告を国際社会に発しました。 国連事務総長殿、<西サハラ人民投票>を早くお願いしま~す!
Youtubeに2018年7月にアップした「人民投票」(Referendum)をご案内します。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2019年8月1日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8865:190802〕
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