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スラッファ『商品による商品の生産』から何を学ぶか──塩沢由典教授との往復書簡(その1)〈片桐幸雄〉



〈かたぎりさちお〉

かなり長い間、スラッファ『商品による商品の生産』を読んできたが、その読書ノートを『スラッファの謎を楽しむ』としてまとめた(社会評論社、2007年9月)。

私はスラッファ理論に関しては全くの門外漢であるが、それを差し引いても『商品による商品の生産』は難解な本であった。いまだに理解したとは言い難い。しかし何度か読み返しているうちに、「わからない部分は謎として、それを考えることを楽しめばいい」と思うに至った。私が「謎」としたものは、本当は、あるいは専門家から見れば、「謎」でもなんでもないことかもしれない。それでも自分なりに謎解きを楽しんだ。『スラッファの謎を楽しむ』はその報告書のようなものである。

テキスト(教科書)を読んで何かを学ぶということは、本来はテキスト(教科書)を媒介として自分の考えを獲得していくことだと私は思う。しかし近年は「主流派(新古典派)経済学の圧倒的地位の確立」を背景に「経済学の教科書化」が進んでいるという。「経済学の教科書化」とは「本に書かれたことを再現することをもって学習の成果とする」ということを意味する。「自分の考えを獲得する」などということはまったく問題にならない。

『商品による商品の生産』は難解な本であるが、その中から謎を探し出し、それを自分で考えることは、『商品による商品の生産』で示されたスラッファの理論が、その目的も方法も新古典派経済学の対極にあるものだけに、「経済学の教科書化」を克服するための実に有効な方法ではないかと思う。そう考えて、自分が『商品による商品の生産』の謎をどう楽しんだかを報告することにした。これを参考にして『商品による商品の生産』を読もうという読者が一人でも増えれば、「報告者」としてはこれにまさる喜びはない。

そんな風に考えていたら、塩沢由典教授から丁重なメールを頂戴した。このメールには『商品による商品の生産』から何を学ぶかということに対する大きなヒントがあるように思われる。教授の了解を得て、教授と交わしたメールの一部を抜粋して、参考に供したい。


[塩沢教授から(1)]

片桐幸雄さま

先日、 『スラッファの謎を楽しむ』をお送りいただきました。早速読ませてもらい、とてもよい本に出来上がっているとおもいました。

「謎を楽しむ」というテーマ設定がすばらしいですね。Fast Foodの時代にSlow Foodというテーマを考えだした人たちと同質の「時代への屹立」を感じます。

『商品による商品の生産』を読むことの意義、とくに7ページには感銘しました。

いただいた翌日、たまたま東京の小さな研究会に呼ばれていたので、新幹線の車中で読み、研究会でも紹介しておきました。

経済学は、最近は、若い人たちの敗北主義がひどく、新古典派でいいじゃないかというあきらめが広がっています。この本は、わたしたち経済学者にとっても、少なくとも新古典派では満足できないものにとって、非常な励みになるとおもいます。

私ことですが、わたしは今年3月で大阪市立大学を定年退職し、4月から京都大学経営管理大学院で関西経済経営論(関西アーバン銀行)寄附講座の担当教授(客員)を勤めています。関西経済についてしっかりした経済学/経済論をつくり上げることは、道州制を意義あるものにするにも絶対必要なものであり、よい立場を与えられたと思っています。

スラッファそのものについては、その後なにも書いていませんが、2005年3月に前職の創造都市研究科の研究科長を降りてからの2年間で、リカード貿易論に取組みました。その結果、わたしとしては運良く20年ぶりの進歩がえられ、おおいに喜んでいます。

スラッファは、地代論と技術選択までは触れましたが、国際貿易については一切触れていませんね。リカードの理論との関係でいうと、これも大きな沈黙ということになりますが、わたしの推測では、たぶん手が出なかったのだと思っています。

リカードの貿易論は、生産には労働のみが投入されるという設定になっており、学界では資本を資源と同一視する形で導入したHechscher-Ohlinの理論に遅れを取っていますが、貿易論としては、前者が技術格差、後者が資源の存在比率を貿易の原因とすると考えているように、思想的・原理的に対立するものがあります。
今回のわたしの結果は、中間財・資本財を貿易し、投入するという設定のもとでリカードの理論がほぼ再構築されることを示したものです。

抜き刷りをお送りしてもよいのですが、もしWEBページを見られているのでしたら、
http://www.jstage.jst.go.jp/article/eier/3/2/3_141/_article
を見ていただければ幸いです。無料で閲覧、複写することができます。

不思議なことに、最近のSamuelsonは、中間財貿易の効果が貿易において強調する論文をいくつか書いていて、その効果を示すのにSraffa効果、Sraffaポイントといった表現を用いています。

ながながと自分のことを書いてしまいましたが、今後も経済学にしっかりした道をお示しください。最後になりますが、ご著書の出版をお祝いするとともに、重ねてご著書のご恵贈に感謝します。

塩沢由典


[塩沢教授へ(1)]

塩沢由典 先生

メールを頂戴いたしました。有難うございました。

4年前(2003年)、まだ高松にいた頃、白順社の江村さんから、『商品による商品の生産』に関する私の原稿を出版するという提案があり、その際、先生に「解題」を依頼したいという考えを聞きました。

当時、原稿のあまりの未熟さもあり、出版する決断ができず、結果的に先生の「解題」を頂戴することはありませんでした。今回、社会評論社から拙著を出版することになったとき、このことがズット気がかりでした。拙著は『商品による商品の生産』を読むのに苦労している(あるいは、していた)読者の手助けになればという思いから、これをひどく難渋して読んだ人間として書いた「報告書」にすぎず、専門的研究者を対象としたものではありません。そういうものに先生の「解題」を頂くということは、あまりにも過分のことのように思われ、遠慮したしだいです。こうした経緯にもかかわらず、先生から懇切なメールを頂戴したことは感謝に堪えません。

なお、拙著では『商品による商品の生産』自体に対する疑問と並んで、僭越であることを憚らず、先行する研究者のスラッファ研究にも若干の疑問を呈しています。先生が「スラッファが『商品による商品の生産』第8節で賃金をすべて剰余から分配されるものとしたことはミス・リーディングである」(『市場の秩序学』)とされたことに対するものもその一つです。スラッファによるこの賃金の処理は単純にミス・リーディングとは言えないのではないかという疑問が今もあります(これについては拙著、97-107頁を参照していただければ幸いです)。これは、門外漢故の愚かな疑問かもしれません。そうであるとすれば、笑ってご放念下さい。

リカードの貿易論に関する先生の論文はWEBで取り寄せたいと存じます。ご教示を感謝します。

片桐幸雄


[塩沢教授から(2)]

片桐幸雄さま

下手な解題より、「謎を楽しむ」の方が、ずっと正解です。これは片桐さんのアイデアですか、社会評論社の編集者ですか。いずれにしてもすばらしい考えです。こういうプリゼンテーションは、わたしには思いもよりませんでした。

なお、拙著では『商品による商品の生産』自体に対する疑問と並んで、僭越であることを憚らず、先行する研究者のスラッファ研究にも若干の疑問を呈しています。先生が「スラッファが『商品による商品の生産』第8節で賃金をすべて剰余から分配されるものとしたことはミス・リーディングである」(『市場の秩序学』)とされたことに対するものもその一つです。スラッファ によるこの賃金の処理は単純にミス・リーディングとは言えないのではないかという疑問が今もあります(これについては拙著、97-107 頁を参照していただければ幸いです)。これは、門外漢故の愚かな疑問かもしれません。そうであるとすれば、笑ってご放念下さい。

もちろん、このあたりは興味ぶかく読ませてもらいました。わたしが「ミス・リーディングである」といっているのは、賃金を二分割しないで、すべて剰余とすると、片桐さんも書かれているように、基礎財の概念と範囲が変わってしまうということに尽きます。そうなると、基礎財がいくつもの無関係な集合に分かれてしまうことも起こりますし、標準商品も同然変わってきます。どういう定義を取るかによりますが、多くの場合、基礎財が存在すらしないということになります。つまり、基礎財とか、標準商品とかの概念が成立しなくなります。

賃金を2分割としても、必要賃金をどうみ、そこから何を購入していると見るかによって、標準商品の構成は当然変わります。しかし、これは比率だけの問題です。標準商品は定義できて、賃金財バスケット(必要賃金からの購入財のバスケット)が確定すれば、標準商品も一義的に定義されます。こうした点をすべて抜かして、あとで標準商品などの議論をするのは「ミス・リーディングである」といわざるを得ません。

これ以外の点で、片桐さんが、賃金を2分割する問題、労働価値と労働価格、価値の実体としての労働といった問題については、片桐さんの説明にほぼ賛成です。

『商品による商品の生産』の翻訳として日本におけるスラッファ研究に先鞭をつけられた菱山泉先生は、スラッファに対する思いれがつよすぎて、標準商品で不変の価値尺度が見つかったとか、分配問題が解決されたとなどというときがありますが、わたしはきわめて疑問に思っています。スラッファの本の意義は、やはり、その固有の内容よりも、ああいう体系を提示したことによって、当時の限界理論とは異なる経済の見方を提示したことにあると思っています。その意義は一般均衡理論が出てきても変わらないし、一般均衡理論に対する批判の基礎にもなると考えます。ただ、そこまでつなげて考える人が少ないのは事実です。

むかしスラッファを研究した人の多くが現在は、ほとんど沈黙しているのは残念ですが、スラッファから考え始めるということが重要であって、あとはやはりスラッファを超えて、展開を図らなければならないとおもいます。『商品による商品の生産』の中に閉じこもっては、限界が大きすぎます。

スラッファ自身を教科書化しても仕方ないわけで、片桐さんが最初に強調していられるように、スラッファを読みながらいろいろ考えるなかで、「自分の考えを獲得する」することが必要でしょう。マルクスもケインズも、そういうものではなく、なにか聖典をよむかのように読む癖ができてしまいましたが、そろそろそこから脱却しなければならないと思われます。

ご本の中で高須賀義博先生の話がでてきたりして、非常に懐かしいところがいろいろあります。関根友彦先生と散々議論したことなども、思い起こします。ただ、ああいう議論は、わたしは「説得的定義」の問題であって、分析ではないと思っています。このあたりは、今はもう売っていない『近代経済学の反省』(1983)の第6節「マルクスの搾取論」に延々と書きました。ただ、なかなか入手できないものですし、読んでくださいということではありません。ただ、20年以上たっても、なかなか議論がそういう理解にまで進まず、なんとなく議論されなくなってきているのは問題だと思っています。

前のメールで触れたリカードに貿易論に関しての私の論文のことですが、多数国・多数財で考えようとすると、少なくとも行列は使わなければなりませんし、実線形代数にかなりの程度依存せざるをえないので、あまり読みやすいとはいえません。わたしの言いたかったのは、ただ、スラッファのなにも書かなかったところにも、リカード・スラッファの考えは生かせるし、そこまでいかないと一般均衡論の批判も本当の力は持ち得ないのではと思っています。『謎を楽しむ』から始めて、読者には現在の経済学にまでおもいをはせてほしいと願っています。
塩沢由典

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study080:071219〕

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