西方浄土

若生さんの作品はみな素晴らしくて、素人のわたしが批評などなしうるものではない。ただ、感想を述べるだけである。西方浄土という作品は、どうやって作られたのだろうか。ほかの作品も、いろいろな工夫があるのだろうが、西方浄土は写真なのだろうか。いや、そんなことより内容が問題だ。たぶん、夕闇迫る武蔵野台地に、もう衰え始めた夕焼けの下に、不二の山が見える、という構図だろう。山も、夕焼けも美しいが、その先に浄土がある(であろう)という絵は、宗教的感慨をもたらす。

一件のコメントがあります

  1. 若生 のり子    2010年 6月 5日

    成畑さん

    過分なご賛辞、ご感想ありがとうございました。
    現実に存在した夕方の西の空を撮ったノンフィクションの写真ですが、些かのカラーマネッジはしました。
    彼岸と此岸、親鸞や道元の「道」を考えながら西方に思いを巡らせました。
    宗教という教団には興味はありませんが、彼らが説いた精神の深淵を心に刻みながら日が沈む西方に心を通わせました。

    「刹那」の切り取りですが、また同時に「永遠」の切り取りでもあります。

コメント

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