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	<title>ちきゅう座 &#187; 評論・紹介・意見</title>
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		<title>映画評論&#8211; 新藤兼人監督「一枚のハガキ」</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Feb 2012 15:00:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>souma</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[「一枚のハガキ」]]></category>
		<category><![CDATA[加藤義郎]]></category>
		<category><![CDATA[新藤兼人]]></category>
		<category><![CDATA[藤井建男]]></category>

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		<description><![CDATA[たけちゃんの映画時評　一枚のハガキ(近代映画協議会)／戦争の愚かさと生きる希望
藤井建男 （画家）                  

　映画を作った新藤兼人監督は「この映画は私の遺言だ」という。映画は昨年(2011年)の8月6日一般に公開された。しかし上映期間は短く私も映画館に足を運べず見逃した1人である。映画を観た人の評価は高く「今年最高の評価を得るだろう」「日本の映画史に刻まれるべき」「新藤兼人監督の最高傑作」という讃辞にあふれた。そして映画は2011年日本アカデミー賞の優秀監督賞、ブルーリボン監督賞、キネマ旬報1011年度日本映画ベストテン１位と主だった映画賞を受賞した。現在日本各地で自主上映が行われ私も横浜市内の上映運動の会場に足を運んだ。戦争末期に徴集された兵士100人のうち94人が戦死、6人が生きて帰ってきた。その生死を分けたのは上官が彼らの任務を決めるために引いた“クジ”だった。映画は「生きて帰ってきた六人」の1人新藤監督の実体験を元に作られた。
　戦争末期、中年兵として徴集された松山啓太（豊川悦司）は仲間の兵士森川定造（六平道政）から「生きて帰ったら、たしかに読んだ」と伝えてくれと一枚のハガキを託された。ハガキには「今日は村祭りですがあなたがいらっしゃらないので風情もありません」と書かれていた。
　戦争が終わり、啓太が帰ってみると妻は啓太の父と恋仲になって出奔していた。家はもぬけの殻。何のためにかえってきたのか。啓太はブラジルに渡ろうと整理し始めた荷物の中から定造に託されたハガキが出てきた。
　定造はフィリッピンに向かう途中沈められ戦死する。戦死は骨片一つ入っていない白木の箱で届けられた。夫を亡くした妻友子（大竹しのぶ）は悲しみに浸る間もなく舅姑に「自分たちは年老いて働けないので、このまま一緒に暮らしてほしい」と手を合わせて頼まれる。身寄りのない友子は長男が死んだら次男が後継ぎになる村の習わしにしたがって戦死した定造を振り返る間もなく次男三平（大地泰仁）と結婚する。その三平も戦死する。後を追うように舅、姑が相次いで他界し1人残された友子は定造家族が残した古い家屋に寒々と暮らしていた。そんなある日、ハガキを持った啓太が訪ねてくる。





　▲「なんであんたは死ななかったんだ」と叫ぶ友子。



　水は川から運びランプで明りを取る暮らし。囲炉裏を挟んで啓太が友子にハガキを渡し、定造が“クジ”で選ばれ戦死したことを告げる。クジ運だけで自分だけが生き残ったことへの罪悪感を感じる啓太と、家族も女としての幸せな人生も全てを失ってしまった友子。二人の間に浮かび上がる戦争の愚かさと傷の深さが次第に浮かび上がる。生きてゆくためにはそれを乗り越えなければならないのだ。
　戦争のおろかさ、命を弄ぶ様を描いているが戦闘のシーンはない。その代わり定造の家の前で繰り広げられた定造、三平の二度にわたる出征、二度にわたる白木の箱の死亡通知が届けられる光景で、戦争の残酷さを見る者に突き付ける。村の団長が友子に言いよるが、妾は嫌だとつれない友子。そこに突然現れた啓太。啓太と団長泉屋吉五郎（大杉漣）の西部劇さながらの激しい殴り合い。新藤監督は愛も語れず死ぬより、目の前の女のために命を投げ出して殴り合うことの方がよほど人間的だと言っているようだ。
　映画を生み出した新藤兼人監督。市民の自主上映が次々と計画されていると聞く。「遠くに飛ぶ弓矢にはためがある」の言葉がある。「原爆の子」(1952）「足摺岬」(1964）「鬼婆」 (1964）「桜隊散る」(1988）「午後の遺言状」(1995）と名作を生み出してきた新藤監督。常に時代と向き合い、人間を愛し、未来に希望を持って生きて99年、新藤兼人監督の“ため”の大きさを強く感じさせる「一枚のハガキ」である。
(2012.2.9)
「ノー・ウォー美術家の集い横浜web」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/take-cinema.htm　より転載
――――――――――――
新藤兼人監督の映画　　「一枚のハガキ」を観て
加藤義郎 （美術家）                                                                           
　太平洋戦争末期、日本の敗戦が誰の目にも明らかになっても、赤紙が｢おめでとう」と配達されれば逃げ出すわけには行かず、♪勝ってくるぞと勇ましく、死を覚悟で出征しなければならなかった。西日本のどこかの山村の農家の長男は嫁に、「帰ったら子を生み育てような」と言って出征し、戦死する。嫁(友子)に義父母は、次男と結婚して家を守ってくれと頼み、友子に否応は無い。話の筋と解説は■たけちゃんの映画時評に詳しいが、そこに書かれなかった点を私は書いてみようと思う。
　次男にも赤紙が来る。出征を前にした彼は友子との性愛を求め、明日は戦線に送られると決まった前夜には部隊長の計らいで、自転車を2時間こいで妻の下に駆けつけ、最期の性交を惜しみ励む。その次男も兄同様、白木の箱に遺骨の代わりに「英霊」の紙一枚となって帰ってくる。友子の義父母は「働き手がなくなると食って行けない｣と、彼女を家に引き止めるが、義父は薪割りの最中にあっけなく死ぬ。義母は友子に床下の貯金60円を出して見せ、万一の時に使えと言ったその夜、首吊り自殺する。二人の息子を戦死させ、夫も死に、孫もいず、生きていても嫁に苦労をかけるだけ、生き甲斐がなくなったら…。
　ここまでは不幸ばかりの友子という女に、先夫の戦友が彼女が書き送ったハガキと伝言を持って訪ねて来た。この戦友(裕福な漁師の一人息子)にも事情があり(たけちゃんの映画時評)、女にハガキと伝言をしたらブラジルへ行くつもりだった。しかし女は夫の死を泣き、無事に生還した戦友に恨み言をぶつけ、その激情が治まると非礼を詫び、「せめて飯でも食べていって」、「風呂に入って｣と勧め、翌日には｢ブラジルに連れてって ! 」と言い出す。ここも映画の山場だが、女が過去を捨て去ろうと2人の夫の白木の箱に火を着け、それが家を全焼する火事となるところが本当のクライマックス。
　家の焼け跡を見た男はブラジル行きをやめ、この女と結婚して、ここに麦を植えようと決心する。蒔いた麦は芽を出しどんどん伸びて豊かに実る。その麦畑の向こうには、男と女が休憩しながら仲良く茶を飲んでいる。あの戦争が無かったなら、最初の夫と2、3人の子どもがここにいたのかも知れない。この平和が永遠に続くといいな、と思わせて終わる。
(2012.2.10)
「ノー・ウォー美術家の集い横浜web」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/toukouran6.htm　より転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0771:120211〕

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		<title>インド、イランの決済不履行を理由にイランへの米輸出停止に動く。欧米による金融取引制裁が影響</title>
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		<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 08:05:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>souma</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[イラン]]></category>
		<category><![CDATA[浅川　修史]]></category>

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		<description><![CDATA[　イランを代表するごちそうといえば、チェロケバブである。サフランで黄色く色づけしたチェロ（お米＝長粒米）を羊、鶏肉の焼肉（ケバブ）とともに食べる。とても美味である。日本人なら、これに冷たいビールがあれば最高と思うところだが、ユダヤ教徒、アルメニア教徒を除いて、アルコールが禁止されているイランでは、コーラとともに胃に流し込む。最初はなれなかったが、１週間もするとコーラなしには食事ができなくなり、アルコールの存在が頭から消えた。人間には適応力がある。
　イランなどイスラム圏での食肉の嗜好は、①羊　②鶏肉　③牛肉という順番である。牛肉はそれほど好まれない。羊、鶏肉のケバブは肉の切り身を焼いたものと、ミンチにしたものと二種類ある。
　中産階級のイラン人の食事は、朝と昼はナン（小麦粉からつくったパン）、紅茶、ヨーグルト、ジャム、たまご料理など。夕食は毎日食べられるわけではないが、チェロケバブがごちそうである。インドと異なり、香辛料の利いた料理はない。
　イランは北部カスピ海沿岸のギーラン地方で稲作を行っている。乾燥地帯が多いイランで、ギーラン地方は例外的に湿潤な気候である。
　小川や茅葺屋根の家もあり、その風景はどこか日本の昔の農村を想起させる。ギーラン地方はお米と茶の主要な産地になっている。だが、イランは国内で消費する米の半分を輸入に頼っている。輸入先はタイ、インド、バングラディシュなどである。
　ところが、イランの米輸入がピンチに立たされている。米国の金融取引制裁の効果が出てきて、ドルを調達することがしだいに困難な情勢となり、代金の決済に支障が出ている。
　2月8日の中東・エネルギー・フォーラムによると、「インドの米取扱い業者は、2012年2月7日、イランが昨年10月と11月に購入した20万トンのコメ代金の支払不履行を起こしたことから、インドからイランへの信用取引でのお米が供給停止に向かう見込みであることを明らかにした」という。
　中東・エネルギー・フォーラムは、「イランがお米の輸入代金の支払いを不履行にしたことは、米欧による制裁が確実に影響を及ぼしつつある証左といえそうだ」と分析する。
　すでに食料の価格高騰が庶民の生活に影響を及ぼしている。
イラン市民襲う経済制裁、生活困窮で「核問題よりパン」　 ロイター報道
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE81K2CF20120206
　金融制裁の影響は食料だけではない。イランは世界4位の産油国ながら、国内の石油製品精製能力が限られており、ガソリンの多くを輸入に頼る。ガソリン不足が懸念されることから、イラン政府はガソリンへの補助金の削減や消費に上限を設けることを実施している。
　緊張が続く米国とイラン。軍事攻撃があるかないか、に目を奪われがちだが、米国による経済制裁が今後さらに浸透して、庶民生活を苦しめることも忘れてはならないだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0770:120208〕

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		<title>本間宗究「ちきゅうブッタ斬り」（17）</title>
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		<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 01:03:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>inukoroおやじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[マネー]]></category>
		<category><![CDATA[国債]]></category>
		<category><![CDATA[本間宗究]]></category>
		<category><![CDATA[金融]]></category>

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		<description><![CDATA[ドイツのマイナス金利 
　　年末年始の薄商いの状況において、ドイツの一年国債が、マイナスの金利にまで低下した。具体的には、「１％の金利が付く１年国債の価格が、１０１．７まで上昇した」ということだが、このことが意味することは、「１万１７０ユーロを、この債券に投資すると、１年後には、金利を含めても、１万１００ユーロでしか返ってこない」ということである。つまり、「１年後には、損が確定するような国債に、誰かが投資している」ということだが、このことは、「投資の理論」からは、考えられないような出来事とも言えるのである。
　　そのために、「なぜ、このような事が起きたのか？」を考えながら、「今後、どのような展開が想定されるのか？」を見る必要性があるのだが、基本的には、「国債の価格操作に行き詰まりが出た」ということであり、また、「金融のコントロールに、限界点が訪れた」ということだと考えている。つまり、「過去数年間は、コンピューターによる高速取引などで、世界の金融市場がコントロールされていた」ということは、世界的に認識され始めているのだが、今回は、このような「価格操作」と「貴金属などの売り叩き」が、これ以上、難しくなってきたことが考えられるのである。
　　そして、今後は、今までの反動が出ることにより、世界の金融市場は、大きく変動することが予想されるのだが、この時の注目点としては、「政治の機能不全であり、また、先進国の選挙」でもあるようだ。具体的には、「アメリカの大統領選挙」であり、「日本の解散、総選挙の動向」のことだが、現在の状況としては、「野田首相の暴走」が行き詰まりを見せ始めたことにより、「日本の政治も、風雲、急を告げ始めた」という状況になっているようだ。
　　しかも、この時に、「消費税率が上げられないとすると、日本国債の価格が暴落する」というような意見が、政府の高官からも出始めているために、実際には、もはや、「待ったなしの状況」にもなっていることが想定されるのである。そのために、今後は、「国債価格が暴落すると、どのような状況が訪れるのか？」を考えながら、本当の意味での「金融大激震」に備える必要性があるのだが、過去の経験則から言えることは、「増税には、二種類が存在する」ということを理解しながら、これからは、「目に見えない税金」である「インフレ税」が、我々に圧し掛かってくるということを考える必要性があるようだ。つまり、全ての借金を棒引きにする方法として、どのような政府も、この方法を採用するということが予想されるのだが、このことが、「ドイツ国債のマイナス金利」がもたらす、大きな反動とも言えるようである。（１月４日）
————————————————————————————————————————————————————
究極の税金
　　現在の国会では、「消費税率の引き上げ」が中心の議題になっている。そして、「消費税率を上げれば、国家財政問題が解決する」というような錯覚を抱いている人も、数多く見受けられるようだが、実際には、「国家の借金は、このままでは増え続ける」ということが確実視されているのである。つまり、「消費税率を引き上げても、問題は、まったく解決できない」ということであり、また、「単なる時間稼ぎにすぎない」ということである。そして、間もなく、「税金には、二種類が存在する」ということが、広く知れ渡るものと考えているが、それは、「目に見える税金」と「目に見えない税金」のことである。
　　具体的には、「消費税」や「所得税」などは、「目に見える税金」であり、「国民が、実際に支払う種類」のものだが、実は、この他に、「目に見えない税金」が存在するのである。つまり、「インフレ税」と呼ばれるものであり、実際には、「国民が知らないところで、資産が国家に没収される」というものである。そして、この税金は、過去の歴史において、頻繁に課されているのだが、現在の日本では、まったく忘れ去られているようである。
　　より詳しく申し上げると、「国家財政が行き詰まり、国債の発行ができなくなった時に、どのような事が起きるのか？」ということである。具体的には、「１９９１年のソ連崩壊」の時には、「長期国債が売れなくなり、その後に、短期国債も売れなくなった」という事件の後に、「中央銀行が大量に紙幣を増刷した」という変化が起きたのである。そして、このような状況下では、誰も紙幣を信用しなくなり、「紙幣を受け取ると、すぐに、市場で実物資産に交換する」という、いわゆる「換物運動」に繋がったのだが、世界の歴史を見ると、このような事態は、過去に頻繁に起きているのである。
　　また、最後の局面では、「ハイパーインフレ」という「スパイラル的な価格の上昇」が起き、「レストランに入った時と出た時とで、価格が違った」というような物価の上昇にも見舞われたのである。つまり、「国家や紙幣に対する信用が崩壊する」ということは、一方で、「実物商品しか信用できない」と考えることを意味しているのだが、「デフレ」という言葉に惑わされた人々は、いまだに、この点が理解できないようだ。
そのために、今回も、間もなく、「究極の税金」である「インフレ税」が国民に課され、「気が付いたら、自分の資産は、ほとんど無くなっていた」という状況が訪れることになりそうだが、問題は、「いつ、日本人がこのことに気付き、慌てて、自分の資産を移動させ始めるのか？」ということである。（１月２６日）
————————————————————————————————————————————————————
いつまでもあると思うな、親と金
　　日本の諺に、「いつまでもあると思うな、親と金」という言葉がある。そして、「実際に親を亡くした時に、初めて、親の有難さを実感した」という経験は、多くの人が味わったことでもあるようだが、残念ながら、「お金」に関しては、「日本人全体が、いまだに、大きな錯覚を抱いている」とも感じられるのである。つまり、「１９７１年以降の約４０年間に、日本人がどれほど裕福になったのか？」を考えていないために、ほとんどの人が「現代のお金」に過度の信頼感を寄せすぎており、結果として、「お金の本質が見えなくなっている」ということである。
　　具体的には、「１９７１年のニクソンショック」以降、膨大な「お金」が創られ、世界中の人々が、知らないうちに、「お金の魔力」に洗脳されてしまったのである。そして、「お金さえあれば、自分の生活は安泰だ」とか、あるいは、「お金があれば、人々の心まで買える」という大きな誤解を抱いたようだが、実は、このことが、「大きな幻想」であり、また、「４０年間の膿」とも言えるのである。つまり、本来、「お金」というものは、「人々の信用や錯覚」にすぎず、過去の歴史においては、「ほぼ瞬間的に、価値が消滅する」ということが起きているのである。
　　そのために、現時点で必要な事は、「何が、本来、自分の生活に必要な物なのか？」を考えながら、「過去４０年間に、我々の生活が、どのように変化したのか？」を理解することだと考えている。具体的には、「現在、必需品と考えられている商品は、本当に、生活に必要なのか？」ということだが、どうも、現代人は、あまりにも余計なものを抱え込みすぎたようである。そして、現在の生活水準が維持できなくなる恐怖心に怯え始め、より一層、お金に執着心を持ったようだが、このような心理状態こそが、実は、現在の金融混乱を引き起こした根本的な原因とも言えるのである。
　　つまり、「マネーの大膨張」により、「国家債務」のみならず、「さまざまな借金」が、「資産の裏側」で膨らんだのだが、現在では、世界中の人々が、その「ツケ」を払わされ始めているのである。そして、間もなく、「世界的な借金爆弾の破裂」により、世界中の人々がパニック状態に陥ることも想定されるのだが、この時に大切な事は、「慌てず、騒がず、冷静に対応する」ということである。あるいは、「人々の絆を大切にして、お互いに助け合う」ということでもあるが、この時には、「日本人全体が、親心を持ち始め、他人を慈しむ」というような「思いやりの心」のことだが、実際に、「３・１１の大震災」以降、日本各地で芽生え始めているようである。（１月２６日）
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0769:120208〕
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		<title>佐倉市の国民健康保険～現状は？改革案は～</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 01:21:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>inukoroおやじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[佐倉市]]></category>
		<category><![CDATA[国民健康保険]]></category>
		<category><![CDATA[財政]]></category>
		<category><![CDATA[醍醐聡]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちが住む街の国民健康保険は？
 　2月4日、佐倉向日葵会の主催で「佐倉市の国民健康保険～現状は？改革案は？～」と題して講演をした。同じ向日葵会が昨年11月20日に市民フェスタ2011にエントリーされた企画として「佐倉市の財政」について講演をさせてもらったが、その時、時間不足で話せなかった国民健康保険について続きの話をという趣旨で企画された講演会である。
　国民健康保険、特に市町村が運営主体になっている市町村国保の財政危機について、このところ連日、全国紙で記事が出ている。それだけにやりがいのあるテーマだし、私の目下の研究テーマでもあったので、なおさら準備も張り合いがあった。
　この1週間ほどの寒波のせいもあって、参加者は50名少しだった。主催者代表のＵさんは気にされていたが、地元で開いた、深刻ではあるが地味なテーマにこれだけの方が足を運んでいただいたことを嬉しく思っている。市会議員も3人聴きに来ていただいたが、そのうちのＴ議員は初対面の方で有難かった。
　この場を借りて、企画の準備、大量の資料の印刷、当日の会場設営などに尽力いただいた佐倉向日葵会のＵさんはじめ、会員の方々に厚くお礼を申し上げる。
　当日使った資料
 　以下は、当日、使ったパワーポイントのスライド原稿（4コマ版を配布）、別紙資料（3枚）である。
パワーポイント原稿「佐倉市の国民健康保険～現状は？改革案は？～」（ブログにアップロードするにあたって容量制限のため4つに分割）
　 No.1
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_koensiryo_no1.pdf
 No.2
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_koensiryo_no2.pdf
 No.3
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_koensiryo_no3.pdf
 No.4
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_koensiryo_no4.pdf
別紙資料
  表１医療保険制度間の財政調整（西沢和彦『税と社会保障の抜本改革』2010年、198ページより転載）
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_t1.pdf
　表２ 国民健康保険の加入状況・保険料とその収納状況（佐倉市と類似規模の県内7市の比較表）
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_t2.pdf
　表３ 7市の国民健康保険特別会計の財政状況
　　http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokuho_t3.pdf
　　（注）県内7市とは、佐倉市、野田市、成田市、習志野市、流山市、八千代市、浦安市
　講演の中で強調したことは
１．わが国では医療保険が5つの制度（①組合健保、②協会けんぽ、③共済組合、④市町村国保、⑤後期高齢者医療制度）に分かれているが、上記の表１からわかるように、①～③の毎年度の支出額の4割強は市町村国保と後期高齢者医療制度への支援金と介護保険への納付交付金に充てられている。逆からいうと、市町村国保の収入のうち保険料が占める割合は約30％（佐倉市の場合、約28％）で、残りを国・都道府県からの支出金（約40％）、他の医療保険からの支援金（約30％）が占める構造になっている。
２．市町村国保がこのような財源構造になったのは、①被保険者の過半が退職者、被用者医療保険への加入条件を満たせない短期雇用労働者が占めていることから、平均所得が低く、所得割の保険料部分が低い水準にならざるを得ないこと。②その反面、被保険者の平均年齢が相対的に高いことから、疾病率が高く、保険給付費が他の医療保険と比べて多くなる、ためである。
　
３．それでも現在の市町村国保の保険料は被保険者の負担力との対比で高すぎ、低所得層にとって「払えない」水準になっている。に会福祉推進千葉県協議会の調査によると（上記表２、3）、保険料（税）を半年～1年滞納したため、有効期間が半年の短期保険証に切り替えられた世帯と1年以上保険料（税）を滞納したため、保険証の返却を求められ、窓口でいったん全額を自己負担しなければならない資格証明書に切り替えられた世帯が加入世帯数に占める割合（2010年度：ただし、日々変動がある）は八千代市で12.0％（3,582世帯）、野田市で10.7％（2,946世帯）に達し、佐倉市でも8.1％（2,303世帯）に上っている。
４．このうち、資格証に切り替えられた世帯の所得階層を見ると、八千代市（1,402世帯）ではその85.2％が未申告世帯＋年間所得200万円以下の世帯となっている。佐倉市でも、資格証世帯（541世帯）の84.1％が未申告世帯＋年間所得200万円以下の世帯となっている。
　こうした状態を放置すると、窓口で医療費の全額を負担できる目途がない世帯で、受診抑制 → 健康悪化 → 失職 という貧困のスパイラルが待ち受けている。これは、とりもなおさず、国民皆保険のほころび、更には瓦解へとつながる危機と言わなければならない。
５．以上のような実態を見ると、今日の市町村国保はもはや社会「保険」という呼称からは程遠い実態になっており、社会「福祉」として医療制度を捉え、財政のあり方を再構築する必要に迫られている。
６．その場合、組合健保や共済組合は、①自らの被用者保険への加入資格を制限していることから、その医療保険に加入できない非正規雇用の労働者が市町村国保に加入することを余儀なくされていること、②組合健保や共済組合への加入者の大半は退職後、市町村国保に移動すること、を考えれば、市町村国保を国民皆保険の最後のよりどころとして維持するよう、これらの医療保険に市町村国保の財政支援を求めることにそれなりの根拠はある。しかし、自己の医療保険の年々の支出額の4割もが他の医療保険への支援金に充てられているという現実はこうした根拠を以てしても負担の限度を超えていると言わざるを得ない。現に、こうした過度な負担を返上することを理由の一つに挙げて組合健保を解散する動きが出ていることは黙過できない。
　私の意見・提言
 ７．私が当面、佐倉市独自の財政対応として提言するのは、
　①類似規模の他市の保険料（税）の計算体系と比べて、応能分（所得割・資産割）の比重が低い（応能分53.3％：応益分46.7％）のを改め、資産割をあらたに創設することも含め、応能分の比重を他市並み（浦安市75.3％対24.7％；習志野市67.8％対32.2％；流山市63.0％対37.0％）に引き上げること、それによって保険税を低所得層にも「払える水準」に近付けること。
　②2010年度の国保特別会計で決算剰余金8,735万円を処分して積み立てた国保内の基金積立金4,367万円の一部（私の試算では約1,850万円）を取り崩して、当面、保険税の滞納を精算できる目途がないと考えられる資格証世帯541世帯の保険税滞納分を補てんし、これらの世帯に保険証を戻すこと。
　（注）「基金積立金を取り崩して低所得層の滞納分の補てん」と書いたが、こうした表現が正しいかどうか、次の点を確認したうえでないと断定できない。なぜなら、1年以上の滞納者で資力に欠けるとみなされる世帯の保険税の現年分と滞納分も次年度の歳入予算の保険税収入に計上しているのかどうか？　次年度の歳出予算において資格証世帯（高校生以下の分を除く）に係る保険給付費は計上を見合わせるといった措置が取られているのかどうか？　を確かめる必要があるからである。もし、1年以上の滞納者で資力に欠けるとみなされる世帯の保険税の現年分も滞納分も次年度の歳入予算の保険税収入には計上せず、次年度の歳出予算において、資格証世帯（高校生以下の分を除く）に係る保険給付費も計上しているのであれば、資格証世帯に保険証を戻すにあたって新たな財源措置を講じる必要はない。担当課に問い合わせればわかることなので、早い時期に確認したい。
８．しかし、今日の市町村国保の財政の危機的状況に照らして国は市町村国保を都道府県単位に再編する「国保の広域化」を推進しようとしている。それによって国保の財政調整を都道府県レベルに集約し、国保財政の均霑化を図ろうとしているのである。
　しかし、
　①都道府県内でも都道府県間でも財政力に大きな開きがある現状の下で国保の財政運営を本当に都道府県単位に集約できるのか？
　②国保の財政を都道府県単位に集約しただけで、国保の財政が安定化する保障はどこにもなく、国からの財政支援が欠かせない実態は変化しないと考えられる。むしろ、滞納者への対応や資格証・短期証の交付事務など日常的な窓口事務は住民と近い存在の市町村にとどまらざるを得ない。そうなると、広域化する財政運営と市町村単位の窓口事務が隔離され、両者の連携・意思の疎通が弱くなって、そうでなくても民間委託で滞納者との距離が疎遠になりがちな行政にますます拍車がかからないか懸念される。
９．結局、市町村国保の財政問題を辿っていくと、国全体の社会保障財政のあり方、特に財源問題に行きつくことになった。そのため、講演の後半３分の１程は目下の「社会保障と税の一体改革」に及ぶことになった。この点で、家計の負担力に逆進的な消費税の増税に社会保障の財源を求めることに同意しない私は、今回の講演では、①所得税の累進性の回復、②特別会計に存在する活用可能な剰余金の運用、③医薬品製造業に異例の高利益をもたらしている、国際比較で際立って高い薬価を引き下げて医療保険内部で増税に頼らない財源を確保する、という構想を説明した。
　ただ、①②③とも時間が押し詰まった中での説明だったのと本題のテーマから大きくはみ出るテーマにどこまで踏み込むのか、迷いがあったこと、私の構想自体にまだまだ具体的な裏付けが不足していることから、説得力のある説明ができたとは思っていない。この点は目下、手掛けているさなかのテーマなので、今回の講演を機にもっと自分の提言を固める作業を加速させなければと思っている。
講演の後の討論では
　この機会に盛りだくさんのことを話そうとしたため、講演は予定の時間を大幅に超えてしまい、主催者代表のＵさんをやきもきさせたことと思う。講演のあと、椅子を円形に並べ変えて自由討論になった。そこでは、
　①薬価を下げて財源を生み出すことと診療報酬の見直しはどう関係するのか？　
　②成田市や浦安市では国保特別会計の赤字補てんに必要限度以上に財政調整基金を取り崩しているが、これ保険給付を充実させるとか、保険料の滞納者を救済するとかいった積極的な財政運営を意味すると考えてよいか？　佐倉市の国保では平成２０年度までの数年間、一般会計から１億円を超える赤字補てんの繰入をしていたとのことだが、その後、こうした繰入が必要なくなったのはなぜか？
　③国保はなぜ特別会計なのか、一般会計と一緒にしてはいけないのか？
　④各市町村に在住している外国人は国保に加入できるのか？　彼らの医療費負担はどうなっているのか？
など、さまざまな意見・質問が出た。
　一口では答えられない質問が多く、④などは私の現在の知見では答えられなかったが、②の後段についていうと、佐倉市では平成２２年度の決算では一般会計からの赤字補てん繰入はないものの、出納整理期間に国保内財政調整基金を2,081万円取り崩して療養費に充てている（健康保健課からの聞き取り）ことを紹介した。出納整理期間中に取り崩したいきさつを確かめる必要があるが、国保特別会計内の基金とはいえ、経常外収入といえる基金の取り崩しで財源を補充するのは単年度ごとの収支均衡の点からいえば、一般会計からの法定外繰入れに似た性格のものといえる。
　ただ、上記②の前段の質問・意見にあるように、基金をため込むだけが財政運営の成果と言えるわけではない。先に述べたように、その一部を活用して保険証の返還を余儀なくされた低所得層の世帯を医療保険の安心網に復帰できるようにするのは意義深い財政政策だと私は考えている。
初出：「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0768:120207〕

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		<title>「アメリカ・コンプレックスからの脱却の失敗。消費という誘惑！」</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Feb 2012 07:18:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>souma</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ・コンプレックス]]></category>
		<category><![CDATA[大木　保]]></category>

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		<description><![CDATA[（ 国民意識のターニングポイント・敗戦 -東京オリンピック -金融バブル ）
&#8212;
このまえ、「オールウェイズ・三丁目の夕日64」という映画を観ました。
作家・茶川竜之介（名前どおりの物書き）と夫婦になったヒロミが出産し、
集団就職で鈴木オートに住み込む六子が善良を絵に描いたような青年医師と結婚するという
ほのぼのとした昭和三十九年（1964年）頃のハッピィエンドの人情映画でした。
この年は、戦後の繁栄をつっ走る都のシンボル・東京タワーに、東京オリンピックと新幹線がそろって、
ときの国民をついぞなかったような高揚感に染めていった。　それは
ずうっと捨ておかれたままの地方の人たちも、あるいは都会のなかで切り捨てられた人たちでさえもが、
繁栄への羨望と同時に、　ある種の勝ち誇った感覚を
日の丸ナショナリズムのかたちで共有しようとしたほどの興奮を呼びおこしたことがこの映画にもあらわれている。
それはいったい、誰にむかっての勝利感なのかというと、　昭和二十年の
おもいもよらなかった&#60; 神州日本の敗戦 &#62; によって受けた屈辱感からの脱却の契機と感じた人たちが、
戦勝国とその国民にむけられた“ 日本復活 ” のバンザイコールにほかならなかった。
文字どおり、復活という意味において、
この東京オリンピックという “祭典” は、
国民大衆の意識のなかに、無邪気な日本ナショナリズムの再起と、個々の自己喪失感からの回復という
両面の意識作用が同時に起こったという意味において、
敗戦以来の最大のターニングポイントだったといえよう。
戦中戦後と、知識層の転向の後ろめたさと無縁ではあったとはいえ、
神州日本のために、戦争の狂気をくぐらされてきた生活者たる国民大衆にも、
ぬぐいきれない敗戦コンプレックスがおのおのの胸にかかえられたまま、
アメリカコンプレックスの裏返しとしてアメリカナイズに勤しむという屈折の日々のなかで、
東京オリンピックという「単純にして明解な」世界的認知をえたことで、
ひとびとの共同意識のうえに、傷んだ自尊像がようやく回復したとみることができよう。
いや、ほんとうのところは話は逆で、
都会の繁栄や余暇と無縁なだけに、敗戦コンプレックスが余計に身に沁みていた地方の大人たちほど、
自己喪失感からの回復のためには、無理やりにでも「日本復活」の共同意識を必要としたのだという方が正しいだろう。
東京オリンピックはそのための格好の「祭典という名のたたかい」の契機であったのである。
- だが、これ以後の日本が、国家として、
先進資本主義世界の一員として経済的にトータルな繁栄の道を上りつづけるにつれ、
東京タワーの下の市民たちの世代をまたいで、やがて息つく間もないほどの超消費社会の波がおしよせてくる。
知ってのとおり、貧しい者でも容赦しないという意味では、異常ともいえる心的な強迫性をもたらす、
一億総買い物症候群たる消費社会の形成にむかってあきることなくつきすすんでゆくことになる。・・
この現代の国民的な一種の精神の危機が、だれも自覚しないうちに、なぜ形成されたのか？
それは、最終的な夢の買い物としての「家」に、とうとう国民大衆がいきついたことと符合する。
とうとうついに、“ 次に買うべきモノが見えない ” 時代を迎えてしまったときからである。
あとにのこされた消費とは、
どんな形をとろうとも、病理的な消費行動をあらわすものでしかなくなっている。
すなわち、『超消費社会の固有の病理 』が発現される契機がおとずれたということである。
アメリカ発・プラグマティズムのどんづまりである 《 モノ社会の虚無の時代 》
 が、
いよいよ本格化してきたのであった。・・
カウンセリング的に言いなおせば、
“ 憧憬という美化の妄想イメージさえも、そのリアリティを維持できなくなった鬱の時代 ”
のはじまりを意味している。
この頃には、中村うさぎさんのような、意味を喪失した買い物を止められないという病理のひとたちが、
病理を露出することによって、あやうい時代を告発するように登場してくる。
- しかし、さすがにしたたかな国際金融資本と米国政権は物を買わなくなった日本に目をつけてくる。
電通的広告が通用しなくなって破綻したあとの消費社会をフォローするかのように、
国際金融資本が投じてきた金融自由化という最終ツールの登場によって、
またしても日本中が「ひと相場」にさそわれて手ひどい目にあうことになる。
バブルとバブル崩壊である。・・
東京オリンピックの宴のあとに、
鈴木オートの家族や町内の連中たちが、はたしてどのような生き方をしていったのかはおよそ想像がつく。
なぜならそこはだれもが通ってきた道でもあるからだ。
タバコ屋はなくなり、雑貨屋もなくなり、電気屋も、駄菓子屋も消えてゆき、
辛うじて車の整備屋はほそぼそとつづいているかもしれないという時代をむかえる。
よりスマートで小ぎれいな見知らぬ町にそっくり変わったときに、
あの町の連中は、どうなったでしょうか？
他方の地方の情況はどうかといえば、旧態依然の土建行政さえもその恩恵はなくなり、
なつかしの政治屋道路と立派すぎた町会館だけが日本中に遺物のようにのこされているだけだ。
映画 「悪人」の孤立きわまった若者たちが、
東京オリンピックの当時の世代から何を背負ってきているのだろうか？
日本ナショナリズムはまだわずかに胸中にあるものなのか？
親たちの自尊回復が、いつのまに消費社会のなかで切り裂かれてしまったのか？
- いままだこの国では、あきもせず、米国流のプラグマティズム思考に毒されつづけた結果が、
人間の 《 個の存在の普遍性 》 からどんどん離れてゆき、
個性という美名に商品化された微々たる &#60; 個の差異化（あるいは差別化）の再編成
 &#62; という
詐術の世界におよがされて、自己崩壊をうけいれてゆくものたちであふれかえっている。・・・
こうした現代の情況において、
映画 「大阪ハムレット」の世界への契機は見いだされるのか？
それはまったくおなじ人情世界の光景のようではあっても、前者のオールウェイズとちがって、
時代的タブーを解体する意志において、 また
すべての人との &#60; 関係性&#62;の普遍的な受容の意志において、
そしてなにより、「個の尊厳と自由」を表現しつづける意志において、
すぐれて革命的であるといえよう。・・・
・・（ブログ・心理カウンセラーがゆく！http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.）
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0767:120204〕
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		<title>「自転車楽国」ニッポンのすすめ　－乗用車よりも自転車を優先させる時代－</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Feb 2012 10:23:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>inukoroおやじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[安原和雄]]></category>
		<category><![CDATA[自転車]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://chikyuza.net/n/?p=19139</guid>
		<description><![CDATA[最近、歩道を歩いていて、携帯電話で話しながら暴走する自転車に危険を感じることが少なくない。それを批判する声も高まっている。ただ携帯電話、自転車そのものに非があるわけではない。利用する人間の姿勢に責任があるわけで、打開策はどうあるべきだろうか。
　＜「自転車楽国」ニッポン＞のすすめを提案したい。日本国全体の交通のあり方として自転車乗りを楽しむという含意である。そのためには自転車の専用道を拡充し、歩道は歩行者の専用道として位置づける。道路での移動手段はもはや乗用車中心の時代ではない。自転車と歩くことを重視するときである。（２０１２年２月４日掲載）
▽自動車文明の反省に立って
　私（安原）は10年ほど前（2001年）に「自動車文明を反省するとき」と題して次のような趣旨の一文を書いた。
阪神・淡路大震災（1995年1月17日未明発生）は、地震国における自動車文明が意外に脆いことをはからずも印象づけた。安全なはずの高速道路が崩落したこと、かつてないほどの交通混雑によって消火・救援活動に大きな支障が生じたこと、歩くことこそ交通の基本であること ― などを否応なく学習するにはあまりにも大きな犠牲を払った。この際自動車文明を根本から反省してみるときではないか。その具体策は何か。
まず一人ひとりのライフスタイルを変えてみようではないか。
とにかくできるだけ歩いてみることである。歩くことは省エネ・無公害型の基本的交通手段であり、これは自転車も同じである。 どちらも健康によい。年老いてぼけないためにも二本足で歩くよう心掛けることが肝要である。車に乗り慣れて足を弱くし、急速に老いていく人たちがいかに多いことか。
　歩くことは視野を広げてくれる。走る車の車窓からの視野は限られ、素通りしていくが、歩いていると、路傍の小さな動植物にも目が届く。歩いていれば、頭脳が活発になり、眠ることもできない。会議をだらだらと無為に続けないためには、座らないで立って行うのも一法といわれるのはここからきている。その昔のまた昔、二本足で歩くことによって猿から人間へと進化した。歩く努力をしないことは人間であることを止めることにつながる。
　フランスの名言に「才子は馬車に乗り、天才は歩く」（木村尚三郎ほか著『続・名言の内側』日本経済新聞社）というのがある。十八世紀のパリでの話で、新交通機関として登場した馬車に乗ることがステイタス・シンボルとなり、田舎出の才子たちは、争って馬車に乗り、カッコよく振る舞った。しかし天才（見識のある人）は悠然と歩くことを好んだというのである。
それに便利であることは本当に豊かなのかを考え直してみることも必要である。車は文明の利器である。しかしその便利さを追求するあまり、身の回りを眺めてみると、怠惰、不健康、環境破壊を自ら招いていることが案外多いことにも気づく。「走る文明」から「歩く文化」への転換をすすめたい。（安原和雄「知足の経済学・再論」（上）＝足利工業大学刊『東洋文化』第20号、平成13年）
　上述の文中に「歩くことは省エネ・無公害型の基本的交通手段であり、これは自転車も同じである。どちらも健康によい」とある。つまりクルマ依存の文明病を克服して、歩くことと並んで自転車利用のすすめを説いたのである。
▽ 新聞投書にみる自転車への期待
　以上のような自転車利用のすすめを説いてから10年後の今、自転車への期待はどうなっているか。以下のように「3.11原発惨事と大震災」以降の新聞投書から見る限り、期待する声が広がっている。なお投書者の氏名はいずれも省略。
＊大切な自転車、東北で頑張れ（小学生　浜松市　10歳）＝朝日新聞（2011年３月29日付）
　東北で大きな地震があった。何ができるかなとテレビを見ながら考えていたら、お母さんが「浜松市が自転車を回収して被災地に贈るそうよ」と教えてくれた。
　私の黄色い自転車は、もう私には小さくて少しぼろぼろ。でも数え切れないくらいの思い出がつまっている。買ってもらった時のうれしさ、車にぶつかって傷ができたこと、近くの公園で乗り回したこと、全部私の宝物だ。
　私は、自転車を東北の子どもに使ってもらうことを決意した。東北の友達も喜ぶだろうし、その方が自転車もうれしいと思う。
　だから自転車にこう伝えたんだ。今まで楽しかったよ。ありがとう。そしてさようなら。東北の子にたくさん使ってもらって、思い出いっぱい作ってね。自転車も、「うん、がんばるよ」って言っているみたいだった。がんばれ東北。がんばれ私の黄色い自転車。
＊「自転車社会」に転換しよう（農業　出雲市　88歳）＝毎日新聞（同年９月15日付）
　日本の高度経済成長は「消費は美徳なり」の風潮を生んだ。人々はその中に埋没してしまった。
　ぜいたくで便利な生活を一度味わってしまうと、なかなか抜け出せず、そのうちこのような生活がずっと続くような感覚になってしまう。しかしそれは大きな誤りだ。今こそ、私たち一人ひとりが子や孫たちのために生活の在り方を真剣に考えてみなければならない。自らの生活を見つめ直してみよう。
　例えば、業務以外の自家用車は必要だろうか。多量のエネルギーを消費し、公共交通機関の赤字や廃止を招いていないだろうか。本来、人に備わった脚力を衰えさせてはいないだろうか。環境だけでなく、健康にも影響を及ぼすと思えば、車社会から自転車重視の社会に転換すべきだろう。
＊自転車も安全な街づくりを（主婦　東京都北区　42歳）＝毎日新聞（同年11月20日付）
　自転車は、活用度の高さから震災後は多くの人に見直されたのではないかと思われる便利な乗り物だ。歩道からも車道からも邪魔者扱いするのではなく、車と共存し、安心して自転車を走らせることができる街づくりの構想を本格化させてほしい。ほかを削ってでも多額の費用をかけて取り組むべきではないか。
　経済優先の車社会を突っ走ってきた日本だが、そろそろ、「人を中心とした」「人に優しい」国づくりで世界にアピールできる国になってほしい。人間をまず第一に考える安心な街づくりという形で子供たちにこの国の力を見せてあげたい。そして、走るときのマナーは当然と受け止めることができる心が育ってくれたらと思う。
▽ 歩行中に「自転車の危険」を感じる人が９割も
　さて朝日新聞（2012年1月28日付）は「歩行中に自転車の危険感じる？」というテーマで特集を組んでいる。これは今や自転車も自動車同様に危険な乗り物に転じたことを意味するのだろうか。
　朝日特集は次のような「危険な自転車」に関するデータを紹介している。
＊歩行中に自転車の危険感じる？＝「よくある」31％、「ときどきある」58％、「あまりない」10％、「ない」１％
＊どんな行為がとくに危険？＝「速度の出しすぎ」1952人、「無灯火」1368人、「携帯電話で話しながら」1275人、「携帯電話をいじりながら」1163人、「歩道走行」1129人（上位５番まで）
＊この１年で歩行中に自転車にひかれそうになった（ひかれた）ことは？＝「ある」29％、「ない」71％
＊自転車に乗る人で、この１年で自動車、バイク、人などにぶつかりそうになった（ぶつかった）ことは？＝「ある」40％、「ない」60％
　このデータの中で特に注目したいのは、一つは歩行中に自転車の危険を感じる人が９割もいること。もう一つは自転車の危険な行為として携帯電話をいじったり、話したりしながら走行することを挙げている人が圧倒的多数を占めていること、である。
▽ 「自転車楽国」ニッポンをつくるための条件は
　地上での人の移動手段としては鉄道、バス、乗用車、路面電車、自転車、徒歩などがある。これまでは乗用車が主役であったが、その時代は終わりつつある。その代わりに脚光を浴びつつあるのが自転車である。　
　ところがその自転車が最近、上述の朝日新聞特集からも分かるように特に都市では危険視されるようになった。私（安原）自身も東京郊外の自宅近辺を歩行中にすれ違う自転車の危険を感じる一人である。たしかに携帯電話で話しながらの走行が目立つ。私は歩行中に携帯電話を身につけてはいるが、使うことはない。自転車に乗って携帯電話を使う姿を見ると、違和感を感じる。「ここにもケータイの奴隷がいるな」と想うのだ。奴隷は、自覚に欠けており、想像力も自己反省も不足している。
さてどうするか。自転車の活用を軸に据えた新たな構想は考えられないだろうか。ここで＜「自転車楽国（らくこく）」ニッポン＞をつくっていくことを提案したい。わざわざ「楽国」と呼ぶには理由がある。「自転車大国」も一案だが、経済大国、軍事大国への連想からイメージに新鮮さがないし、時代感覚からみてずれてはいないか。
　ここは歴史に学んで「楽市楽座」（注）の「楽」を借用してみる。この「楽」は現代に翻訳すれば、新時代の新政策という意味と同時に自転車に乗ることを楽しむという含意もある。
　（注）楽市楽座＝戦国時代から近世初期に戦国大名が城下町を繁栄させるために実行した商業政策。それまでの座商人（特権を有した商工業者）の特権廃止などで、新興商人の自由営業を許した。
　「自転車楽国」ニッポンをつくるための必要条件として四つ挙げたい。
　第一は自転車の利点を多くの人が理解すること。自転車は排ガスを出さないため自然環境保全貢献型であること、脚力を使うため乗る人の健康にもプラスであること、など利点は少なくない。
　第二は国道も含めて自動車道に自転車道を併設すること。もはや自動車依存時代は終わりつつある。国道だからといって、自動車だけが我が物顔に占拠する時代ではない。自動車依存症の人には少し肩身の狭い思いをしていただく。
　第三は自転車道の拡充と同時に歩道は「歩く人の専用道」として取り戻すこと。今後は高齢者が一段と増えることを考えれば、杖をつきながらでも、「安心して歩ける」歩道の確保は急務といえる。
　第四は朝日新聞特集の「ゆとりやお互いを思いやる気持ちなど、目に見えない部分が文化として根づくことが大事」という視点を重視し、実践すること。これは交通問題に限らない。ゆとり、思いやり、優しさ、慈悲の心は、「3.11の原発惨事と大震災」以降の日本再生のためにも不可欠である。
初出：安原和雄のブログ「仏教経済塾」（12年2月4日掲載）より許可を得て転載
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0766:120204〕
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		<title>自著紹介　高橋洋児『過剰論―経済学批判―』</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Feb 2012 01:29:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>m_sawamura</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[高橋洋児]]></category>

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		<description><![CDATA[  同書が１月下旬に言視舎（旧・彩流社企画）から刊行された。当「ちきゅう座」サイトのAさんから書評または自評のお勧めをいただいた。人さまに依頼するのは手間がかかる。「自著を語る」のは手前味噌か言い訳になりがちで気が進まぬ。自ら手短な内容紹介をすることにした。
  本書の一番のキーワードは「生産力過剰」である。
①資本制システムの原理と仕組みが必然的にもたらす生産力過剰、すなわち市場規模に比して生産力が構造的に上回っていることが現代世界経済の根本問題をなしている。②かつては恐慌と世界戦争が大規模な浪費や破壊を行なうことで過剰処理メカニズムとして機能したが、そのメカニズムはもはや失われた。さりとて、個人消費も過剰処理役としては力不足である。③近年では、中国をはじめとする新興国の生産力発展が過剰の増幅要因となっている。
④生産力が過剰状態にあるため生産部門が余剰マネーの有利な運用先ではなくなったことが、ニクソン・ショック（1971年のドル・金交換停止）やその後の金融自由化などとも相まってカネ余り（金融肥大化）をもたらした。この余剰マネーが自己増殖を求めてあれこれの投機に狂奔し、その挙げ句に例えばリーマン・ショックのような金融危機を引き起こした。
⑤実物経済にも及んだ世界同時不況の主因は「金融の暴走」などではない。もともと生産力過剰という病根を抱えていたところへ金融危機が起きたために、消費者や企業、投資家たちの心理が不安や警戒心や悲観的予測などで一挙に冷え込み、病根が表面化しただけのこと。水位が下がって岩礁が露出したために航行に支障をきたすようになった。⑥過剰部分は人間生活にとって必要不可欠ではない部分であり、消費者から容易に見限られる。⑦金融規制は解決策にならない。生産力過剰の処理策（生産設備の廃棄など）を講じなければ、また同じようなことが起きるだろう。――「骨」だけを示せばこのようになる。 主眼はよりよい人間生活を目指すことにあるから、勢い、論点は狭い経済学の範囲を越えて多方面に及ぶ。いくつか挙げれば――。
  人間心理は経済全般に、とりわけ景気変動に大きな役割を果たす。消費行動はその時どきの人間存在の姿を映し出す。脱原発、再生可能エネルギーへの転換は可能か。地球温暖化は防止できるか。新しい国づくりのためには教育改造が大課題となる。資本制システムの変革は可能か。経済のこれからを考えるうえで重要なのは強い政府である。リアルな現状分析・世界認識に基づく戦略の大切さ、その欠落が日本の根本欠陥をなす。思索の時間を持とう。独裁者の問題は民衆自身の問題である。高齢者よりも若年層優先のポリシーを。などなど。項目のみ列挙するとバラバラのようだが、ひとまず系統的な位置関係にある。
  ＊＊＊＊
　一例として「強い政府」について見ておくと、これは「大きな政府」とは区別される。いわゆる「小さな政府」を目指す際にも、政治指導者のリーダーシップをはじめとする「強い政府（政権）」が必要である。本書では、国有企業の私有化・民営化（プライヴァタイゼーション）を強力に推進したサッチャー政権を代表例として取り上げている。
　とはいえ、「強い政府」は必ずしも「良い政府」ではない。ブッシュ（子）政権も、ある　　　意味では強かったが「良い政府」だったのか。「良さ」の基準は何よりも当該国民にとってどうか、ということだが、他国に戦争を仕掛けたような場合は視野をもっと広げる必要がある。「強い」と「良い」の組み合わせは形式上４つある。①強くかつ良い。②強いが良くない。③弱いが良い。④弱くかつ良くない。日本の歴代政権はどれか。
  現在、ヨーロッパではギリシャに端を発する債務危機が起きている。国の借金である国債の発行額は歳入面では税収に大きく左右される。税収は、税制の在り方にも左右されるが何よりも一国の生産活動のパフォーマンスに左右される。生産力過剰は、歳入面に限っても法人税や個人所得税などの税収減に結びつくから、国債増発の一大要因となる。
  これはしかし経済に限定した場合の話で、実際には政治上のファクターも考慮する必要がある。本書では「財政赤字は民主政治の必要経費」(p.47)という観点を打ち出している。国の赤字は家計の赤字とは違って国民（有権者）に身近なことではない。国債は国の借金、と言われてもピンとこない。
  民主政治のもとでは有権者が神様である。有権者の機嫌を損ねては政権を維持することもできないので、有権者の個別利害に直結する財政支出の削減や増税などには手をつけにくい。こうして、民主政治が財政赤字をどんどん膨らませる一因となる。民主政治とはいったい何だろうか。
  ギリシャの場合、歴代政権は、先に挙げた４つの組み合わせのうちいずれだったのだろうか。本書では「国民性」の重要性にもしばしば言及している。商品経済ないし市場経済への適応力・商才という点で中国人とロシア人は違っている、等々。債務危機下でもデモやストライキに明け暮れるギリシャ人の国民性をどう見ればよいのか。債務危機はギリシャだけの問題ではなくＥＵ全体の問題である。
  ひるがえって、本書では「緊縮財政は有権者自身に回ってきたツケ」(p.290)という言い方もしている。緊縮財政に踏み切ったイギリスのキャメロン政権が念頭にあった。首相自ら国益のために「商人」としてアジア・アフリカ諸国詣でも精力的に行なうなど、強い政権であることは確かだが、良い政権でもあり得るかどうか。これは少し時間をおいて当該国民が判断すべきことである。
  緊縮財政というポリシーはとりにくい。増税や公務員給与の削減などとバランスをとるかたちで社会保障費の確保を約束するという折衷路線が精いっぱいかもしれない。これではしかし「財政再建」には結びつかない。それでも、消費増税を目指すのなら、郵政民営化のために衆議院解散・総選挙に打って出た小泉政権と同様、強い政権を必要とする。しかし小泉政権は良い政権だったのか。（内容紹介は以上。）蛇足：はたして野田政権は強くかつ良い政権たり得るだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0765:120204〕
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		<title>書評　デニ・ベルトレ、藤野邦夫訳『レヴィ＝ストロース伝』（講談社、２０１２）</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 00:29:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>inukoroおやじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[『レヴィ＝ストロース伝』]]></category>
		<category><![CDATA[宇波彰]]></category>
		<category><![CDATA[書評]]></category>

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		<description><![CDATA[　レヴィ＝ストロースという名前は、構造主義と一体化している。20世紀後半の思想史は、構造主義の展開と不可分であり、それを考えるためにはレヴィ＝ストロースの思想を知らなければならない。本書は、伝記ではあるが、レヴィ＝ストロースの生活の伝記である部分よりも、彼の仕事をていねいに追跡した部分の方が多く、評伝であり、読み方によっては分厚い「レヴィ＝ストロース入門」になる。著者はレヴィ＝ストロースの論文・著作・インタビューなどをひとつひとつ検討し、レヴィ＝ストロース自身に会って、事実関係の間違いを正したという。それは非常な労力と時間を必要とした作業であったと想像される。
　しかし、その結果として、本書はレヴィ＝ストロースの思想を知るための準備としても、また20世紀のフランス思想史の一面を伝えるものとしても、きわめて重要な著作であると見ることができる。もちろん、レヴィ＝ストロースに考察の焦点が合わされているから、そのほかの登場人物の姿が小さくなることは当然である。しかし、そのような姿で見えている人物たちの姿もまた興味あるものである。たとえば、ボーヴォワールはレヴィ＝ストロースの仕事を積極的に評価する友人として描かれているが、彼の赤ん坊に対しては「嫌なものを見る眼」で一瞥するだけである。これは、ボーヴォワールが、知性はあるが感性に欠けた女性とみられかねないシーンである。またレヴィ＝ストロースは、ジャック・ラカンの運転するシトトーエンの高級車に乗って別荘を探しに行ったり、ラカンのセミネールにも一度だけ出席するが、そのセミネールは「神秘主義的セレモニー」になっているとして、それ以後はラカンと距離を置くようになる。
　私が本書を読みながら感じていたのは、レヴィ＝ストロースとアメリカの距離である。彼はブラジルをフィールドワークの場とし、そのあともアメリカインディアンの神話を主な材料にして研究を進めたが、アメリカに対しては、ある種のへだたりのようなものがあるように感じられる。レヴィ＝ストロースは、ハーヴァード大学などからの好条件の教授就任の要請をためらいなく断っている。本書の著者は、レヴィ＝ストロースが「ヨーロッパ人、そしてフランス人」であることを強調し、フランスの大学で教えることにこだわっていたと説いている。
　レヴィ＝ストロースが、戦後のアメリカで、アドルノやホルクハイマーなど、ドイツ系ユダヤ人知識人と交流がなかったこと、1930年代にニューギニアや、バリ島でフィールドワークを行い、その成果を『ナヴェン』や、マーガレット・ミードとの共著『バリ島人の性格』などで公にしていたグレゴリー・ベイトソンとの接触がなかったことも、私には謎である。（ラカンは、ベイトソンを読んではいないが、少なくとも関心を持っていて、アメリカ人の女性によるベイトソンについての講演を聴きに行ったりしている。）
　この翻訳には、レヴィ＝ストロースの活動の年譜が添えられてあり、またきわめて親切な訳注が付けられているので有り難い。(2012年1月29日）
初出：宇波 彰現代哲学研究所http://uicp.blog123.fc2.com/より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0764:120202〕

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		<title>自著を語る：『最高裁裁判官国民審査の実証的研究──「もう一つの参政権」の復権をめざして』（五月書房、2012年）</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 09:28:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>m_sawamura</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[西川伸一]]></category>

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		<description><![CDATA[  通常国会がはじまり、民主党政権は混迷の度を深めるばかりである。消費増税法案を通すために、会期末の6月には解散総選挙は避けられないという予想も、現実味を帯びてきている。総選挙の重要性はいうまでもない。だが、それと同時に実施される最高裁裁判官の国民審査も、憲法に保障された貴重な国民の権利行使である。
　国民審査の形骸化を指摘して、その制度の廃止を唱える意見は長くそして幅広く存在してきた。これに対して、本書は国民審査制度の誕生から今日に至るまでの歴史を振り返った上で、それを「もう一つの参政権」として実質化することを主張したものである。
　直近の2009年の国民審査を前に、「一人一票実現国民会議」が投票価値の平等に反対の裁判官に×印をつけようと、全国紙を中心に大量の意見広告を出した。その結果、「一票の不平等を容認」と名指しされた二人の裁判官には、審査対象となった他の７人の裁判官より顕著に多い×が付けられた。争点を明確にすれば、有権者は明確に反応する、言い換えれば、国民審査には恐るべき潜在力が秘められているのではないか。
　そもそも国民審査は世界的に珍しい制度である。なぜこの制度が日本国憲法に規定されたのか。当然そこには、GHQの民主化政策が大きくかかわっている。司法部を国民により近い存在にする一方、その独走を抑えるために、司法部をコントロールする手段を国民に担保する。こうしたねらいで、GHQはこの制度を採用したのである。アメリカの一部の州で実施されていた裁判官の州民審査が制度設計の参照にされた。
　周知のとおり、国民審査はやめさせた方がよいと思う裁判官に×印をつけ、やめさせなくてもよいと思う裁判官には何も書かない、という投票方式をとっている。審査対象の裁判官氏名は投票用紙にあらかじめ印刷されている。これを記号式投票という。投票用紙に意中の候補者氏名を自書する日本の投票方式（自書式）からすれば、国民審査の投票方式は例外的である。
　この投票方式を決めるにあたって、当初は総選挙と同じ投票用紙を用いて、総選挙と国民審査の欄を設けてそれぞれ氏名を自書させる自書式が想定されていた。つまり、罷免を可とする裁判官がいない場合は何も書かずに投票することになる。ところが、罷免を可とする裁判官が何人もいた場合、有権者はその氏名をすべて覚えておかなければならず、有権者に過剰な負担をかける。そこで記号式が採られることになった。また、誤記を避けるため総選挙とは別の投票用紙が用いられることになった。
　要するに、記号式にもかかわらず罷免を可としない場合はなにも書かないというのは、自書式1票制から記号式２票制へ変更されたことに由来するのである。
　これまで国民審査は全部で21回施行されてきた。このうち最も個性的な回次は第9回（1972年）である。審査対象となった下田武三判事と岸盛一判事に対する組織的罷免要求運動が、盛り上がりをみせた。元駐米大使の下田は、その在職中や最高裁判事に就任してからの奔放な発言が問題視された。また、岸は最高裁事務総長時代に、青年法律家協会に属する裁判官をそこから退会させる工作に深く関わっていた。社会党、共産党、総評などが組織を挙げて、これら両裁判官に×印をつけようと運動した。
　その結果、下田の×票率は15.17％に達した。これは審査を受けてきた150人を超える最高裁裁判官の中で最も高い罷免要求率である。岸も14.59％で下田に次ぐ歴代２位の数値である。
　国民審査に対して、各政党とりわけ革新政党はいかなる方針で臨んできたのか。方針が最も一貫しているのは共産党である。第１回(1949年)から第17回（1996年）まで審査対象裁判官全員への×印投票を党の方針としてきた。ところが、第18回（2000年）を前にして方針を転換し、それ以降は党としての投票方針は示さないことになった。
　一方、社会党・社民党は全員に×印を求めるときもあれば、一部の裁判官だけに×印をよびかけることもあり、一定していない。細川政権以降与党だった時期は罷免要求方針自体を示さなくなった。いままた罷免要求路線に戻っているがまったく形式的である。
　その社会党の強力な支持基盤であった総評は、きわめて戦闘的な罷免要求運動を展開していた。それは以下の機関誌『總評新聞』の記事からも明らかである。     出所：『總評新聞』1972年11月24日付。
　1969年に保守派の石田和外が最高裁長官に就任して以降、最高裁はそれまでのリベラルな判例を次々に覆していった。公務員の争議行為についても制約が強められた。官公労組合を傘下に擁する総評はこうした動きを「司法反動」として、強く批判したのである。国民審査はそれを表明する絶好の機会だった。しかも、総評は労働基本権にかかわる裁判を多数抱えていた。
　ところで、「本土」復帰なった沖縄県の有権者が国民審査に投票するのは、第9回からである。そして沖縄県の有権者は「本土」の有権者とは異なる投票行動を示してきた。それを一言で表せば、高い全般的罷免要求率（投票総数に占める各裁判官に投じられた×票の合計の比率）と低い投票率である。沖縄県における総選挙投票率は全国平均から大きくはずれることはない。しかし、国民投票のそれはいずれの回次でも平均を著しく下回っている。すなわち、沖縄県の有権者は投票所で意識して国民投票を棄権しているのである。それが高い全般的罷免要求率となる構造的原因をなしている。
　さらに、1995年の沖縄米兵少女暴行事件の翌年の第17回国民審査では、県内６町村で全般的罷免要求率が5割を超えた。沖縄本島北部の国頭村（くにがみそん）では、なんと86.95％であった。同村の投票率は58.76％であったから、同村の有権者全体の過半数が審査対象裁判官全員に×票を投じたことになる。国民審査の２か月前には、米軍用地をめぐる代理署名訴訟で最高裁は沖縄県敗訴の判決を言い渡している。その怒りがこれだけの×票となって現れたのである。
　また本書は国民審査公報についても分析している。国民審査公報とは、総選挙時に選挙公報とともに発行・配布されるものである。審査対象裁判官が自ら経歴、最高裁での裁判歴などを書いている。有権者が審査対象裁判官について知る唯一の公的媒体である。かつては字数制限があったり、顔写真が掲載されていなかったりと、国民への周知手段の体をなしていなかった。第19回（2003年）から字数制限が撤廃され、顔写真が載るように改正された。その前後で記載内容にどのような変化が生じたか、個性的な記述にはどのようなものがあるかなどを紹介した。
　最後に、国民審査は今後どのようにすべきなのか。憲法改正により廃止するという主張も繰り返しなされている。しかし、私は国民と最高裁を架橋する制度として、これを存置すべきだと考える。最高裁が国民と乖離してしまうことを抑止する制度的保障としてその意義は小さくない。「もう一つの参政権」ととらえ直して活性化を目指すべきではないのか。とはいえ、現行の投票方式は国民審査の形骸化を促進しこそすれ、それを充実させるものにはなるまい。1970年代に野党が主張したように、○×式投票方式に改めることを提案したい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0763 :120131〕
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		<title>イランとアメリカに怨念の歴史　－ペルシャ湾緊張の原因－</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 00:05:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>inukoroおやじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[イスラム]]></category>
		<category><![CDATA[イラン]]></category>
		<category><![CDATA[伊藤力司]]></category>

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		<description><![CDATA[欧州共同体（EU）外相理事会は1月23日、米国の対イラン制裁に呼応して加盟27カ国が7月1日からイラン産原油の輸入をやめることを決定した。イラン側はこの決定を非難し、対抗措置として石油輸送の大動脈、ペルシャ湾のホルムズ海峡の封鎖をあらためて警告した。英紙ガーディアンは「7月1日を期限にした“時限爆弾”がセットされた」と報じたが、対立する双方とも本心は戦争をしたくないはずだ。あと半年の間に、国際社会はこの時限装置を外す知恵が働かせるだろうか。
日本のマスコミに接していると「世界の憎まれっ子」であるイランというイメージが定着し、そのイランを皆で制裁するのは当然といった先入観念が刷り込まれがちだ。それは日本のマスコミが基本的には欧米の報道に追随しているからだ。ここで立場を変えてイランの側から状況を眺めてみよう。事態はそれほど単純でないことがわかる。
アメリカがイランを仇敵視している理由は大きく分けて２つある。１つは、アメリカをサタン（大悪魔）として糾弾した1979年のイラン革命が、親米のパーレビ国王体制を打倒したことだ。おまけに同年11月革命派の学生たちが「スパイの巣窟」と名付けたテヘランのアメリカ大使館を占拠、米外交官ら61人を人質にして444日間も幽閉したことが、アメリカの威信を深く傷つけ、アメリカ人から強い恨みを買った。
2つ目はアメリカの同盟国であるイスラエルがイランを恐れていることだ。アメリカ政界で最も有力な圧力団体と言われるユダヤ・イスラエル・ロビーは豊富な政治献金を民主、共和両党に貢ぐなど、どちらの党の政権であってもアメリカがイスラエルを擁護する基本方針を強制している。特に今年は米大統領選挙年で、再選をねらうオバマ大統領、予備選を通じて選ばれる共和党大統領候補とも、強硬な反イスラエル姿勢を続けるイランを糾弾し続けなければならない。
ではなぜイラン革命を実行した人々はアメリカをサタンと見なしたのか。それは第2次世界大戦後のイランがアメリカに裏切られた歴史を繰り返してきたからである。パーレビ王朝を興した初代イラン国王レザー・シャー（在位１925-41）は、イラン民族を「純血なアーリア人種」と考え、アーリア人種の興隆を叫んだナチス・ドイツと親密な関係を築いた。
こうした関係下で第２次大戦が始まると、ドイツの軍事顧問多数がイラン国内に駐留してイラン石油の確保に動き出した。イランの石油生産を独占していた英国と、イランに隣接するソ連の産油国アゼルバイジャン共和国にとって、ドイツの脅威は眼前のものになった。英国とソ連の連合軍はイランに進駐して親ドイツのレザー・シャーを退位させ、まだ若い２代目のモハンマド・レザー皇太子を即位させた。
第２次大戦が終わってもソ連軍はイラン北部に駐留し続け、イラン北部の油田の利権を要求した。時の米トルーマン政権の介入もあってソ連軍が撤退したことから、アメリカはイランの独立を保障する国としてイラン人から好意的に評価された。大戦後のイランでは民主的な選挙を通じて選ばれた民族主義者のモサデグ首相による内閣が1951年5月、イラン石油の生産・流通・販売を独占していた英アングロ・イラニアン石油会社の全権益を国有化した。英国は怒り狂い、世界の石油市場を支配していた国際石油資本の圧力を通じて、第3国にイラン原油の買い付けを事実上差し止めた。
ここでモサデグ首相はイランと英国の紛争の調停役をアメリカに要請した。民主義国家あるいは自由主義陣営のリーダーとしてのアメリカに対する期待を抱いていたからだ。ところがアメリカはその期待を180度裏切る。1953年8月アメリカの諜報機関CIAが、モサデグ政権への復讐に燃える英国の諜報機関MI６と組んで、モハンマド・レザー・パーレビ国王の近衛部隊にクーデターを起こさせ、モサデグ政権を転覆させたのだ。以後イラン石油利権は、アメリカ石油会社を先頭とする国際石油資本に再び牛耳られることになる。
クーデターを機にアメリカの国家的バックアップを受けるようになったパーレビ国王は1963年、土地改革、婦人参政権、森林の国有化などの白色革命（上からの革命）を開始した。これを機に米国式資本主義とハリウッド映画などアメリカ文化が大っぴらに導入され、イスラムの伝統は次々に破壊された。人前に出る時はへジャブやチャドルで髪や身体を包むことをしつけられてきたイラン女性たちは、肌を露出するアメリカのファッションに度肝を抜かれた。さらにそれを真似する娘たちに男たちは怒り狂った。土地改革でイスラム教団の土地は取り上げられ、聖職者（イスラム法学者）たちは白色革命を呪った。
こうした底流の下で、1960年代からイランの国教であるイスラム教シーア派の聖職者たちの王制に対する挑戦が始まる。「イスラム協会」を名乗る聖職者グループの指導者として、聖都コムの大アヤトラ（法学者の最高位階）ホメイニ師の名前が全国的に知られるようになる。このころから普及するようになったカセット・テープに吹き込まれたホメイニ師の説教は、国王と国王の背後にいるアメリカをイランの文化・伝統を破壊する悪魔と呼んだ。同師は特に貧しい大衆への同情を明らかにし、彼らを「被抑圧者」と呼び、その貧困をもたらしている白色革命を「帝国主義と結託する裏切り者による搾取」と非難した。
「イスラム協会」の運動は1963年6月に、イラン全土で反王制の民衆暴動を巻き起こした。暴動はバザール商人、職人、学生、労働者などほとんどの階層が参加して3日間荒れ狂った。体制側による武器を使っての制圧の結果、5000人もの死者（反体制側の推定）を出してようやく鎮圧された。これを見た国王は1964年11月ホメイニ師をトルコに国外追放、同師は翌年イラクに渡り1978年イラン政府の圧力でフランスに追放されるまで、イラクからカセット・テープを「密輸」して、「国王がイラン人とイランの独立をアメリカに売り、イランをアメリカの植民地にした」とアジり続けた。
こうした過程を経て1978年の後半には、カセットでホメイニ師の肉声を聞いたイラン市民の反米・王制打倒を叫ぶデモや集会が各地で頻繁に開かれ、警官隊の発砲で流血の惨事が相次ぐようになる。癌を病んでいたパーレビ国王は反政府運動の高まりに抗しきれず、1979年1月にイランを出国、同年2月11日にホメイニ師がパリから凱旋してイスラム革命は成った。反政府運動は聖職者だけでなく、左翼からリベラル派、バザール商人まで各派の混成部隊が一丸となって展開したものだった。当然革命後に生まれた政権は混成だったが、最終的にはホメイニ師の威信がものを言い「ヴェラヤティ・ファギ」（イスラム法学者による統治）体制に落ち着いた。
隣国イラクでスンニー派主体のバース党による独裁体制を敷いていたサダム・フセイン大統領は、革命直後のシーア派神権国家体制を打倒すべく1980年9月イランに侵攻した。これを見た時のカーター米政権を始め欧州諸国、周辺のアラブ諸国はこぞってイラク支援に回った。それから13年後に米軍がサダム・フセイン打倒のためイラクに侵攻するなぞ、到底予想もできなかった状況である。イラン側には政権交代に伴う混乱もあり、中東有数の軍事大国とみなされていたイラクの勝利を予測する声が圧倒的だった。しかしパーレビ国王が米国の援助で整えたイラン正規軍でなく、イスラム革命を護る志願兵から成るイラン革命防衛隊が奮戦してイラク正規軍の侵攻をくい止め、8年間戦い続けたのである。この戦争は結局引き分けの形で1988年に停戦協定が調印されて終わる。
この戦争を通じてイラン市民の間に、サダム・フセインに味方するアメリカに対する反感がさらに募った。カーター政権は、自国の大使館員多数が長期間幽閉されている事態を解決できなかったことで、1980年の大統領選挙で再選を果たせなかった。当選したレーガン大統領の就任式を前にようやく大使館員たちは解放された。ところがこのレーガン政権下で、米国が対イラク戦争で武器補充を必要としているイランに秘密裏に米国製兵器を売却し、その代金をプールしてニカラグアの右翼ゲリラ支援の費用に充てていたという「イラン・コントラ事件」が明るみに出た。イラン人に対米不信感を増幅させるスキャンダルであった。
ホメイニ師からすれば、2000年前にあったユダヤ王国の故地に新しいユダヤ人国家を樹立しようというシオニズム運動から生まれたイスラエルという国は、2000年にわたってユダヤ人を迫害し続けたキリスト教徒の贖罪意識、とりわけナチス・ドイツの行ったユダヤ人の大量虐殺に対する罪の意識に支えられて維持されている不法国家である。ましてイスラム教徒の土地を占領して国土を拡張しているイスラエルを許すことはできない。国土を奪われたパレスチナ人はアラブ人であってイラン人のようなアーリア人ではないが、イランはアラブ諸国以上にイスラエル国家を否定し、パレスチナ人民の闘争を支援する義務があると、ホメイニ師は教え続けた。
そのイスラエルは核拡散防止条約（NPT）に加盟せず、国際原子力機関（IAEA）の査察も受けないまま核兵器を既に所有している。米欧キリスト教諸国はいわば「横紙破り」のイスラエルを制裁するどころか、NPTに加盟してIAEAの査察を受けながら核の平和利用を進めようとしているイランを制裁しているのだ。これこそ「二重基準（Double　Standard）」あるいは「片手落ち」ではないか。イランの言い分を代弁すればこういうことになる。2500年前、古代オリエント世界に覇を唱えたトルコ帝国（アケメネス朝）の末裔であることを誇りとするイランは、その大国意識からして軍事力で優る米欧に対してもしたたかである。
初出：「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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