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	<title>ちきゅう座</title>
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	<description>メディアネット世界の眼　見る・聞く・話す</description>
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		<title>2010/9/23沖縄フォーラムＩＮ東京　【普天間は問いかける】</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Sep 2010 08:07:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>akiyoshi</dc:creator>
				<category><![CDATA[催し物案内]]></category>

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		<description><![CDATA[押しつけられた「常識」（抑止力はやはり必要だ・海兵隊がいないとだめ・米軍がいな
くなるなんて考えられない…）に絡め取られている私たち。日米安保なしではアジア・
世界で生きていけないという「本土」の思い込み――沖縄から民主主義を問う。今こそ
発想の転換を！
日時　2010年９月23日（秋分の日）
開場 9：30　 開会 9：45　（昼休み45分）　終了 16：30
会場　明治大学・リバティホール（明大駿河台校舎リバティタワー１F）
（ＪＲ・丸の内線御茶ノ水駅／千代田線新御茶ノ水駅／半蔵門線・都営三田線・新宿線
神保町駅下車）
参加費　1000円（学生500円）◆予約は不要です。
【発言者】
新崎盛暉さん（沖縄大学名誉教授　沖縄現代史）沖縄現代史この1年
前泊博盛さん（琉球新報社　論説委員長）基地依存経済の呪縛を解く
屋良朝博さん（沖縄タイムス社論説兼編集委員）抑止力―海兵隊は何をしているのか
浦島悦子さん（フリーライター　名護市在住）名護で何が起こってきたのか
長谷川均さん（国士館大学教授　地理学・環境学）沖縄の環境、辺野古・大浦湾の海
＊沖縄からの問いかけ、報告を受けて
桂　敬一さん（元東京大学教授　ジャーナリズム論）
※その他、多彩な企画を検討中
主催：沖縄フォーラムＩＮ東京　実行委員会
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		<title>2010/9/11「日曜クラブ」の懇談会（講演会）:「恐慌ドラマの行き先は？今、恐れるべきことは何か」</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Sep 2010 08:01:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>akiyoshi</dc:creator>
				<category><![CDATA[催し物案内]]></category>

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		<description><![CDATA[話題のエコノミスト　浜　矩子氏が「日曜クラブ」に登場！！
「リーマン恐慌」「ＥＵ財政不安」に加えて、最近は「円高・株安」です。絶好
の時機に鋭い分析と舌鋒で知られる浜矩子氏を「日曜クラブ」の懇談会（講演会）
に迎えます。カレントな話題と世界金融の見通しをじっくりとお聴きください。
■日時　２０１０年９月１１日（土）午後２時～４時
■会場　文化女子大学D館　ＪＲ新宿駅から甲州街道沿い１５分
■演題　「恐慌ドラマの行き先は？今、恐れるべきことは何か」
■講師　浜　矩子氏（同志社大学大学院ビジネス研究科教授）
■司会　半澤健市氏（「日曜クラブ」世話人）
■会費　１５００円
◆浜　矩子（はま・のりこ）氏の略歴
１９７５年一橋大学経済学部卒業、三菱総合研究所入社。同社
ロンドン駐在員事務所長、本社経済調査部長などを経て０２年
から同志社大学大学院ビジネス研究科教授。著書に『グローバル
恐慌―金融暴走時代の果てに』（岩波新書・０９年）、『ユニクロ型
デフレと国家破産』（文春新書・１０年）など多数。内外のマスメディア
でも大活躍されています。
・問い合わせ：「日曜クラブ」東京都品川区６－１５－３
電話　０３－３４７４－０００３
・「日曜クラブ」は１９５２年に創立された自由な個人の集まりです。
年８回程度の懇談会（講演会）、会報発行、懇親会が主な行事です。
会場の地図は日曜クラブのホームページでご確認下さい。
http://members2.jcom.home.ne.jp/nichiyo/contents/kaisai-annai.html
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		<title>長崎の原子野で被爆者の辛苦を綴った詩人・福田須磨子～被爆65年目の長崎・広島を訪ねて（１）～</title>
		<link>http://chikyuza.net/n/archives/2960</link>
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		<pubDate>Fri, 10 Sep 2010 00:09:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>藤原 晶彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[原爆]]></category>
		<category><![CDATA[福田須磨子]]></category>
		<category><![CDATA[醍醐　聡]]></category>
		<category><![CDATA[長崎]]></category>

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		<description><![CDATA[これまでに私はこのブログで原爆に関する次のような記事を書いた。
①正田篠枝：原爆歌集「さんげ」に触れて（2007年3月28日）
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_c69b.html
②被爆少女の手記にまで及んだGHQによる原爆記録の検閲（2007年4月5日）
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_8c34.html
③雑感　NHK「思い出のメロディ」を視て（2007年8月12日）
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_e386.html
　その後も、GHQによる原爆報道や原爆に関する著作物への検閲について、細々とではあるが資料を調べたり、手に入れた資料に目を通したりしてきた。そんな中、今年の7月にインターネットを検索しているうちに、長崎県立図書館で「平成22年度長崎ゆかりの文学展＜第2回企画展＞」と銘打って、「原爆文学展」が開催されていること、またそれと併せて石田雅子『雅子斃れず』の原稿なども展示されていることを知った。「原爆文学展」では林京子、山田かん、福田須磨子らの直筆原稿や書簡等が展示されているとのこと。『雅子斃れず』というのは上のブログ記事②で「被爆少女の手記」と書いた石田雅子の原爆体験記のことである。これはまたとない機会と思い、9月5日までとなっていたので、別の仕事が終わる9月早々に出かけることにした。しかし、せっかく長崎まで行くなら、この機会に広島にもと思い立ち、結局9月1日から3泊4日の日程で長崎、広島に出かけ、原爆の史跡と碑めぐりをすることにした。ただし、現地へ行ってみると、各地の資料室（長崎県立図書館、広島平和記念資料館内の原爆資料室、広島市立中央図書館）に被爆地ならこその資料がそろっていることがわかり、時間的にはこれらの資料室で調べ物をする時間が一番多くなった。以下、4日間の長崎、広島巡りを通じて特に印象に残ったことを主題別に数回に分けて書き留めておきたい。一回目は長崎の原爆詩人・福田須磨子を取り上げる。
長崎県立図書館で
　出かける前に私が長崎ではここだけはと考えていたのは、県立図書館で『雅子斃れず』の直筆原稿等の展示物を確かめることと前記のブログ記事③で触れた永井隆の旧居「如子堂」、永井隆記念館を訪ねることだった。しかし、下調べのつもりで古書店から買った水田九八二郎『ヒロシマ・ナガサキへの旅』中公文庫、1993年、を読むうちに、長崎の原爆文学では福田須磨子に関心が湧いてきた。それまで私は彼女のことはまったく無知だったが、上記の「原爆文学展」にも彼女の展示物が入っていたことから、どんな人物なのか気になったのだ。
　9月1日、10時15分に長崎空港に着き、11時半ごろJR長崎駅前のバスターミナルで下車、ホテルに荷物を預け、駅前の百貨店の2階のレストランで昼食を済ませて、市電で長崎県立図書館に向かった。図書館は長崎歴史文化博物館の裏手の丘の位置にあった。県立というにしてはいささかこじんまりした建物だったが、「原爆文学展」は4階の「郷土資料」階にあった。入室して手前が展示室、その奥が閲覧室になっていた。

展示室に入ると福田須磨子のコーナーには猫を抱いてほほ笑んだ写真入りの略歴が掲示されていた。彼女の生い立ちの説明に代えて、それを転記しておくことにする。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　〔福田須磨子の略歴〕
  ＊大正11年3月23日　長崎市生まれ
  ＊昭和49年4月2日　 没（52歳）
　○略歴
　　　　高等女学校卒業後、小学校の代用教員となり、のち師範学校勤務。昭和20年　　
　　　　被爆、家族は爆死する。
　昭和30年（33歳）
　　＊朝日新聞「ひととき」欄に、被爆者の苦しみをつづった詩「ひとりごと」が掲　　　　　　　　　
　　　載される
　　＊被爆による紅斑症の症状があらわれ、入退院を繰り返す
　　＊「長崎をつづる会」に入会
　昭和31年（34歳）
　　＊処女歌集「ひとりごと」がガリ版刷りでつづる会より発行される
　昭和33年（36歳）
　　＊第二詩集「原子野」が刊行される
　　＊原水爆禁止運動に積極的にヵかわり、鋭い告発をする
　昭和35年（38歳）
　　＊全国的反安保闘争に参加、被爆者代表の一人として病をおして上京
　昭和38年（41歳）
　　＊第三詩集「烙印」発行
　昭和42年（45歳）
　　＊「われなお生きてあり」が完成。2年後に第9回田村俊子賞受賞
　昭和44年（47歳）
　　＊「長崎の証言」創刊号にエッセイを書く。以後もエッセイや記録を寄せる。
　その他、福田須磨子の展示コーナーには「原子野」の直筆原稿（下書き）、「人間として2」、「人並みのしあわせ」の直筆原稿（下書き）、「母を恋うる歌」（『原子野』に収められた詩）や、原田操宛書簡（昭和48年6月7日消印）、自作のどんぐり人形も展示されていた。両親と長姉、そして家財を一瞬の被爆で失い、自らも被爆の後遺症を患って入退院を繰り返し、貧苦と人間不信に苦しみ抜いた彼女の生涯を知るにつけ、猫を抱いてほほ笑む彼女の写真がことのほか印象的だった。
　展示室を一通り回った後、奥の閲覧室で原爆関係の地元資料を調べ、地元でしか入手できそうにない資料（『西浦上国民学校被爆追悼記』、長崎歌人会編『原爆歌集ながさき』、高嶋ミヤ子『一動員学徒の原爆体験――長崎の原子爆弾被爆体験の記録――』）を複写して、１５時40分頃、県立図書館を後にした。ホテルに戻って目を通した『原爆歌集ながさき』から4首。
　　　黒焦げの女が壁にへばりつき悪獣めきし血を滴らす
　　　総懺悔などと美辞もつ過去がありて原爆死すら言へざりき　日本
　　　　（注）アメリカ占領軍の指示により、被爆者慰霊碑に「原爆」という文字を入れる　
　　　　　　　ことが許されなかった当時の状況を詠んだ歌と思われる。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　小山誉美（短歌長崎）
　　　爛れたる皮膚にうごめくうじ虫をつまみて捨てる割箸もちて
　　　タイヤなきリヤカー曳きて暗闇に重傷（いたで）の兄を乗せて避難す
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　阿鼻叫喚　木下隆雄
爆心地北部を歩く
　ところで長崎で回ってみたいと思っていた原爆の遺跡は爆心地公園に集っていたが、それは明日に残して、この日は県立図書館を出て市電で長崎駅前を通過して大橋まで乗り、下車後、爆心地より北方の旧山里国民学校（現・山里小学校）、永井隆の旧居・如子堂、そのそばの永井隆記念館、浦上天主堂を巡り、17時15分頃に平和公園に着いた。炎天下、持参の御茶ではのどの渇きが止まらず、山里小学校近くの自販機でオレンジジュースを買って飲みながら歩いた。平和公園内では長崎の鐘、平和の泉、平和祈念像といった定番コースを回り、平和祈念堂横の被爆者の店に入ったのは17時45分頃だった。土産物を買い地方発送するつもりだったが18時閉店と聞いて、店の人に明日出直すと告げると、「まだいいですよ」という返事だったので、長崎ちゃんぽんと手焼きのカステラを買い発送を頼む。店を出て斜め前にある原爆死没者追悼記念堂に寄り、慰霊の碑文に見入る。
　帰路は松山町から市電に乗車、ホテルに着いてチェック・イン。部屋で汗を流して長崎駅すぐ横のアミュ・プラザ長崎の5階の広東・台湾料理店「上皇上」へ。長崎ちゃんぽん他の夕食にした。ちゃんぽんはさすがに美味しく、猛暑で乾いたのどを潤すビールも格別だった。
福田須磨子の詩碑を訪ねる
　翌9月2日、9時半頃、ホテルを出て市電で松山駅まで。爆心地公園に入って原爆落下中心地に建てられた標柱、その東側に移設された浦上天主堂遺壁、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑などを回り、40分ほど長崎原爆資料館を見て回った。出口のショップで横手一彦編著『長崎・そのときの被爆少女～65年目の「雅子斃れず」』を買う。資料館を出て、向かいの道路脇にある原爆句碑、長崎原爆青年乙女の会の碑、鎮魂「あの夏の日」の像（退職女性教職員長崎県連絡協議会建立）などを巡った後、福田須磨子の詩碑に着いたのは11時40分だった。
　下の写真にあるとおり、碑は屏風のように三面から成っている。碑のデザインは長崎の詩人・山田かんの作で、切れ上がった両端は核の脅威を示し、中央に置かれた円筒形の碑の中には須磨子の詩集が納められているという（長崎平和研究所編『新版ガイドブックながさき』、2009年、新日本出版社、27ページ）。

　また、円柱には聖フランシスコ病院長・秋月辰一郎の撰文が刻まれ、碑の正面には詩集『原子野』に納められた「生命を愛しむ」が刻まれている。

　この詩碑は福田須磨子が他界した翌年の1975年に建立され、翌76年の命日（4月2日）からこの詩碑の前に被爆者らが集い、故人を偲ぶ会が開かれている。
　ところで福田須磨子を語る時は、県立図書館の展示コーナーに掲示された略歴にも記された、1955年8月の朝日新聞「ひととき」欄に掲載された彼女の詩「ひとりごと」について触れておく必要がある。後に彼女の詩集『原子野』（1958年刊）の冒頭に同名の題で収められた詩である。
　　　何も彼も　いやになりました
　　　原子野に屹立する巨大な平和像
　　　それはいい　それはいいけれど
　　　そのお金で　何とかならなかったのかしら
　　　“石の像は食えぬし腹の足しにならぬ”
　　　さもしいといって下さいますな、
　　　原爆後十年をぎりぎりに生きる
　　　被災者の偽らざる心境です。
　ここでいう「巨大な平和像」とは総額3,000万円をかけて平和公園の正面に建立された「平和祈念像」のことである。別途台座の制作に要した2,000万円は長崎市の予算から捻出されたが、像が完成した1955年当時、被爆者に対する法律的援護は皆無で、被爆の治療費も1957年に「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」が施行されるまではすべて被爆者が自己負担しなければならなかった。上の「ひとりごと」は被爆者援護を置き去りにして原爆の遺跡でもない像の建立に巨費を投じた行政に対する被爆者の疑問をありていに語ったもので、新聞に掲載されるや須磨子のもとに共感の便りが多数寄せられた。
被爆地の平和祈念像は観光長崎の名所なのか
　須磨子の投稿詩は平和祈念像の建立に対する素朴な疑問を表したものだったが、この像の建立のいきさつは実に俗っぽいものだった。『西日本新聞』は2002年8月7日から３回シリーズで掲載した「ナガサキの断層～被爆５７年目の夏に～」下の中で長崎市が平和祈念像の建立を思い立ったいきさつを次のように記している。
　「しかし、犠牲者への冥福は当然としても、そのことだけで像が建立されたわけではない。観光長崎の新名所をつくりたい市当局と、像制作で永遠に自分の名を残したい〔北村〕西望の『過剰な自意識』が一体となって出来上がったものだった。
　そもそも祈念像の基本的な理念はどんなものだったのか。五〇年、長崎市の関係者を前に西望は、ぜひ自分につくらせてほしいと次のように熱弁をふるう。
　『奈良時代に朝廷の下に全国を統一して日本を仏教国家にするために奈良の大仏がつくられた。同じように平和運動を進めるためにも奈良の大仏にならってできるだけ大きな男神像をつくるべきだ。女神ではダメ、絶対男神だ。大きさは力である』。平和祈念像の下敷きは、奈良の大仏だった。そして像の内面的意味よりも外観（大きいこと）が絶対的価値だったのである。・・・・・
　完成から間もなく半世紀。像は期待通り長崎観光の名所として連日賑（にぎ）わっている。だが、その賑わいは写真撮影に格好の『背景としての賑わい』でしかない。・・・・・
　広島の原爆ドームが市民の日常風景の中に溶け込み、怒りの象徴になっているのに比して、廃墟（はいきょ）の浦上天主堂を取り壊した長崎には目に見える『語り部』が存在しない。それに代わるものとして、長崎市は平和祈念像をつくり、母子像をつくった。しかし、所詮（しょせん）は“虚像”でしかない。それでも制作者に平和への燃えるような渇望があればまだ救われる。だが・・・。」
　この記事の末尾に書かれた浦上天主堂の取り壊しについては当時の長崎市長・田川務の動静に加え、山口愛次郎司教、さらにはアメリカの思惑も絡んで平和祈念像の建立以上に深刻な問題が底流にあった。これについては帰宅後に知った、高瀬毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』2009年、平凡社；横手一彦『長崎旧浦上天主堂1945～58：失われた被爆遺産』2010年、岩波書店、などを読んだ上で自分なりの所感を書き留めたいと思う。
　話を福田須磨子の詩碑を訪ねた9月2日に戻そう。碑に刻まれた詩と撰文に見入り、詩碑に向かってしばし手を合わせた後、碑を囲む石垣に腰をおろし、ホテルから持参したお茶を飲んで一息ついた。前を流れる下の川から来る風と炎天を遮る木陰に恵まれ、ささやかながら穏やかなひと時を過ごした。
　（追記）帰宅して、福田須磨子の関係資料を調べてみると、長崎県立図書館に『福田須磨子氏旧蔵資料』一式が所蔵されていることがわかった。須磨子の姉が同図書館に寄贈したものである。初歩的な準備不足が発覚した感があるが、改めて同図書館に出かける必要がありそうだ。
初出：「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion128:100910〕
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		<title>日本金融市場の栄光と挫折―実務家が見た自由化と国際化</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 23:33:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>akiyoshi</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[半澤健市]]></category>
		<category><![CDATA[戦後日本金融史]]></category>
		<category><![CDATA[書評]]></category>

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		<description><![CDATA[書評　河村健吉著『影の銀行―もう一つの戦後金融史』（中公新書）
《金融実務家による戦後金融史》
著者は６７年から９９年まで三井信託銀行（現中央三井信託銀行）に勤務して、主に企業年金業務に関わった。『企業年金危機』など年金関連の著書も多い。私（半澤）も同業者だったので非常に興味深く読んだ。本書は金融実務家による戦後金融史の力作である。新書版２６０頁の小冊子ながら半世紀にわたる証券市場の変貌を活写している。
タイトルの「影の銀行」は０７年に紹介された新語である。金融当局の規制を受けない金融機関のことで、ヘッジファンド、ノンバンクなどがその典型だ。それらのプレーヤーは、どのように、なにゆえに、金融市場に登場したのか。そして、どのように、金融市場の巨大化と混乱を招いたのか。彼らは、金融史の文脈に、どのように位置づけられるのか。これが本書の問題意識である。著作の主な舞台は日本の金融市場だが、時に視点は「シティ」（ロンドン金融街）から「ウォール街」に及び、世界的な金融巨人の活動に至る。
《半世紀間の金融市場の変化》
著者は過去５０年間を考察する。この半世紀は、７３年の「オイルショック」を分岐点とする９０年までの「成長期」と、バブル崩壊以降の２０年におよぶ「停滞期」から成る。オイルショックまでは、「資本不足の時代」であった。資金需要は無限大で預金さえ集めれば銀行は儲かった。著者の語る預金集め競争のエピソードを読んで同じ苦労をした私は微苦笑した。
舞台が動き出したのはオイルショック以後である。
７１年の米ドルの金兌換停止からドラマは始まった。日銀のドル買いから過剰流動性が発生した。外貨準備高は１年で３・５倍になった。資本不足は解消し、壮大なカネ余りが出現した。土地・株・商品への投機が発生し物価騰貴が起こった。そこへ石油危機が突発したのである。貿易収支の悪化、インフレ、不況が一気にきた。７４年の経済成長は戦後初のマイナスとなる。
不況対策として国債の大量発行が始まった。その残高は８３年に１００兆円を超えた。国債大量発行は、流通市場の成立をもたらすと共に金利の自由化を促した。国際通貨市場はすでに変動相場制に移行している。日本金融市場の開放を求める米国は、「円ドル委員会」を拠点に開放への圧力を強める。８５年のプラザ合意に同調した日銀は金融緩和、信用膨張によって政府の内需拡大に協力した。８０年代後半のバブル発生の起点である。バブル時期の株式、不動産投機に、金融機関はどのように関わったか。「特金（とっきん）」、「ファンド・トラスト（ファントラ）」、「住専」、「サラ金」などのノンバンクが日本版「影の銀行」としてバブルの生成と崩壊の主役となった。日本版「影の銀行」認識は著者の新説だと思う。現場感覚を駆使しての「影の銀行」の喜劇的な登場と悲劇的な退場が詳説される。
《バブル崩壊と「影の銀行」の存在》
バブル崩壊後、日本の金融機関は不良債権の償却に追われ、メガバンクへの大合同劇が進行した。不良債権処理の実態、バブルが銀行経営に与えた打撃、低金利政策による預金者から債務者への所得移転、国際収支構造における巨大企業、国際収支における巨額な投資利益、など息を飲む叙述が展開する。
「影の銀行」shadow banking systemは、「従来型の銀行」traditional banking systemに対するものである。米国の実例による説明がなされる。その結論は、アメリカの金融機関は「従来型の銀行」、「機関投資家」、「影の銀行」の三層構造に変貌した、とするものだ。
０８年時点で米国の全金融機関の総資産は約６０兆ドル（６千兆円）だが、うち従来型「商業銀行」の資産は４分の１の１５兆ドル（１５００兆円）に過ぎない。「銀行」以外のカテゴリーは「保険・年金・投信」、「ＧＳＥ（連邦政府支援機関＝具体的には「ファニー・メイ」など）・資産担保証券・金融会社」、「証券」である。
日本の「影の銀行」は、米国に比べて構成比が低く商業銀行の比率が圧倒的に高い。
「影の銀行」の巨大化は、金融投機を加速させ金融の不安定要因となる。金融投機の崩壊は経済活動と国民生活に深刻な影響を与える。マネー膨張の根源にあるのは、極端な信用創造であった。「レバレッジ（梃子）」というも、金融工学の技法を駆使するというも、事柄の本質は変わらない。結局は実物経済を離れて膨張したマネーの暴走である。
著者は最後に「影の銀行」に対する規制の必要を述べる。現在検討されている規制の主な内容は、「金融機関の規制強化」、「通貨取引税の創設」、「肥大化した金融の適正化」であるという。
《問題の大きさにたじろぐ》
内容濃密な本書を駆け足で紹介した。私の感想を書いておく。
第一に、半世紀間の金融市場の変貌の大きさを痛感した。
私も金融マンのはしくれとして金融市場変化のイメージはもっていた。しかし著者の視野の広い分析によって大いに蒙を啓かれた。金融市場の急速な巨大化にはあらためてあ然とする。「影の銀行」の出現と失敗は、「２９年大恐慌」に学んだ「証券と銀行」の業務分離の放棄（９９年の「グラム・リーチ・ブライリー法」）と、それを合法的に悪用した「強欲な者たち」の合作であった。今後、新しい規制ができても新しい「強欲な者たち」が、新しい「影の銀行」を創造するだろうと思う。なお、本書を飾る７２個の見やすい図表が極めて有用であった。山田信也という図版制作担当者の見事な成果である。
第二に、日本における「不良債権処理」や「公的資金運用」への監視や責任追及の不徹底さである。私は０８年７月９日の本欄に「公的年金運用の問題点は何か」として「年金積立金管理運用独立行政法人」（ＧＰＩＦ）の運用成果を紹介した。事実を述べたつもりだったが、本書著者のもつ問題意識はなかった。恥ずかしいことである。そのとき私は「株式が健全な投資の重要な対象であることを疑ったことは一度もない」と書いたが、本書の分析を読んでその確信が揺らいだことを白状する。
特に著者は公的年金運用に関して次の５点を指摘する
①目標利回りを設定していないこと
②運用責任の追及システムが存在しないこと
③運用機関などへの運用報酬が２８８億円も支払われていること
④０８年度に政府の株価買い支えに協力した可能性があること
⑤そもそも積立方式自体の是非が論じられていないこと
いずれも「由々しき問題」であり、きわめて適切な指摘である。
第三に、本書の記述が精緻かつ論理的であるだけに理解が難しいことである。
必ずしも著者の責任ではない。年金問題は全国民的なテーマだが、仕組自体が難解なのである。記帳の失敗については我々の記憶に新しい。システム改善には、拠出者と受給者の理解が要る。それには「教育」を含む、気が遠くなるような作業とコストが必要であろう。
我々は「お上」を信じて経済成長のみを求めて邁進してきた。国民的課題への当事者参加の具体策はどうすべきか。本書はそんな課題まで考えさせてくれる。
本書は客観的な記述に徹して成功している。
しかし、これだけ材料をもつ著者に、「怒り」や「批判」を爆発させた書物を書いて欲しい気がする。著者のそうした心情は本書にも垣間見えるので私はそういうのである。
■河村健吉著『影の銀行―もう一つの戦後日本金融史』、中公文庫、中央公論新社・１０年８月刊、８６０円＋税
初出：「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/

〔opinion127:100910〕
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		<title>現代美術を観る一つのヒント</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 12:53:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>若生 のり子</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[若生のり子]]></category>

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		<description><![CDATA[　ノーウォー展の私の作品に関連してＹさんから絵を観るのは難しいとのご感想をいただきましたので、ちょうど良い機会ですので、この際現代美術を鑑賞する一つの手がかりを書いてみます。解り易ところでまずＹさんとのやり取りから始めます。
～～～～～～～～～～～～～～～～～
◆こんばんは、Yです。10ｍの迫力拝見しました。
一緒に写っている人が何とも小さく見えること。すごい迫力ですね。
がしかし、絵心の無い私には、残念ながら気の利いたコメントは出て来そうにありません。やっぱり、「絵」は難しい！！絵を観て感じたことは、下方にある隆起した部分は「山」に見えます。「山」といえば、日本の象徴である「富士山」、つまり日本から様々な場所へ様々な「線」、否、「平和の波」が拡がっている。様々な色使いは、世界中に生きている「人」や「自然」、が入り乱れて暮らす世界。そんな風に見えました。製作者のワコウさんには、「分かってないなー」と叱られそうですが、「ＮＯ ＷＡＲ」のタイトルから勝手にそう解釈してしまいました。もっと、もっと「絵」の事を勉強しないといけませんね。ホント「絵」は難しい。
　◆ワコウ
Yさんのご感想には大変感心しました。大変知的な方ですね。
ありがとうございました。
絵を観ることは難しいことではありませんが、その感動や思いを的確な言葉にするのは、長年美術をやっている私でさえもなかなかできません。
それは、言葉を超えた、または、言葉で限定されないジャンル・感覚の世界だからだとしか言いようがありません。
それを表す適切な言葉が見つからないのです。いや無いのだと思います。
発生当初殆どの言葉は、政（まつりごと）をするため・すなわち支配する共通概念を認識させるための便宜から生まれているからでしょうか？
ところで、絵の観方に付いては、間違いもなければ正解もありません。そういう狭量な判断をするという考え方を超越した世界を目指しています。
このインスタレーションに関して言えば、生成時の地球と現在のカオスとそれに震撼した私の内面の抉りだしなどを感じ取っていただければありがたいと思っています。
天空からの声と大地の呼応、それに共振した私の感覚
赤やオレンジの声高のパッション（血や爆発）と緑やブルーの安直でないヒーリングなどを。
ですが、まったく違っている感想でも有り難いのです。
かえってその方が、美術家にとっては思わぬ可能性の展開が起こるかもしれないからです。
実際私の場合、描いているときは、そういう観念を取っ払った、「無の勢い」で臨んでいます。
あくまでも言葉は後付けです。
予定調和的に頭で考えた観念を絵にするのならイメージの枯渇、広がりのない窮屈な既成概念を超えないつまらないモノになるでしょう。
感想は、美術や美術史に精通していて、頭で考えて出てくることだけでもないように思います。そういう意味で、あながち「ノー・ウォー」に関連つけて考えるだけのことでもありません。
また、言葉が出ないことも広い意味で言葉の内と解釈できます。
例えば、「グググウーッ」と感じた。
　　　　　　「ゲー」と感じた。
でも大いにありです。（笑）
頭で考えた理路整然とした言葉や批評家がいうような難解でご大層な言葉を並べるより、その方がかえって伝わってくることがありますから。
もっと心を自由にして、美術を観て戴けると嬉しいです。
何事からも解き放たれた自由でピュアーな心が一番大事です。
（なかなか人間そのようにはなれませんね、規制の構造もとに生きてきていますから、知らず知らずの内にそれに仕組まれて侵されていますから、それに気づかないですね）
～～～～～～～～～～～～～～～～～
　Ｙさんも仰っていますように「現代美術は難解だ、わけがわからない」 という言葉をよく耳にします。 そのように思わせる悪いいち役を担っているのが評論家で、余計に解りづらくしていると思います。 
＜何事からも解き放たれた自由でピュアーな心が一番大事です。＞
と前述しましたが。
とはいっても、『何事にも依らない自由な人間』になるのはなかなか至難の業です。
「言うは易し」です。
それは、人間は、生まれて此の方その地場の規制の構造のもとに生きてきていますから、何かしら知らず知らずの内にその体制に侵され仕組まれ続けています。普段の生活をしていてそれに気付くのは、並大抵のことではありません。
日常の一切の流れを精神的に断ち切って、心の奥を切開し、真摯に自己に問いかける自己相対化できる力量が必要とされます。
そうして自己革命をしなければ、獲得できない大変なことだと思います。
ここに、美術を見る一つのヒントを申します。
先ず、「美術はこうこうこういうものだ」とか、「美術はこのように鑑賞するのだ」と一般に言われている観方を全てやめることです。
観るその人の感性や好悪から入っていってかまわないのです。
そして次が大事なことですが、
“なぜ嫌いなのか”
“なぜ好きなのか”
“なぜ苦手なのか”
“なぜ関心がないのか”　
をその人自身に自ら問いかけるのです。
そこからおのずと様々な問題が浮上してきます。
そこでは当然その人物の自己相対化が始まりますし。
その美術の表出していることの深度や自己との感性の違いなども解ります。
このことだけでも、もう立派にその美術と主体的に関わっていることになりますし、深く鑑賞している証左になります。
それから少し深めるとすると、その美術家の生きた（ている）時代背景を勉強することです。本質的な美術は、何らかの意味でその時代と拮抗しているものだからです。
特に現代美術は、呑気で陳腐な自然の模倣（対象物を写して描く）を出発点とはせず、世界に対して如何にその美術家が格闘し、表出（表現）するかを問題としています。
その例として次の二人の美術家の作品を掲載します。（以前私のブログでも取り上げましたので詳細はブログへ。カテゴリーから直ぐ検索できます）
クリスト（2007/10参照)

 
ヴォルフガング・ライプ（2007、10/25~11/15参照)　

 
これらの美術家は、世界的に認められて超有名ですから日本でも展示されたことがあります。
ライプは、竹橋の近代美術館の所蔵作品にあります。常設展示もされています。
 若生のり子のブログのアドレスは：　http://blog.goo.ne.jp/nw0515　です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion126:100909〕
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		<title>『原子炉時限爆弾』の目次紹介です</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 10:34:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>相馬 千春</dc:creator>
				<category><![CDATA[交流の広場]]></category>
		<category><![CDATA[たんぽぽ舎]]></category>

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		<description><![CDATA[たんぽぽ舎です。【TMM:No957】
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　転送歓迎です
広瀬隆氏の新著『原子炉時限爆弾－大地震におびえる日本列島』の
目次の抜粋を紹介します。
発行所：ダイヤモンド社、Ｂ６サイズ、308頁、定価：1500円＋税
　　　　※たんぽぽ舎でも扱っています。送料：１冊160円
★序　章　原発震災が日本を襲う
　　　　　原発産業がもたらすだろう暗黒時代
　　　　　事故の確率は二万年に一回!?
　　　　　現実に起こった『チャイナ・シンドローム』の悪夢  ほか
★第１章  浜岡原発を揺るがす東海大地震
　　      いよいよ迫る東海大地震と、予期される浜岡の原発震災
          周期的に起こる二つの巨大地震
          沈み続ける静岡県御前崎  ほか
★第２章  地震と地球の基礎知識
          地球は生きている
          プレート運動とは何か
          ヴェーゲナーの大陸移動説  ほか
★第３章  地震列島になぜ原発が林立したか
          大陸移動説とプレートテクニクスを認めなかった日本
          阪神大震災で信頼を失った原発耐震指針
          現在の原発の耐震性はどのように決められているか  ほか
★第４章  原子力発電の断末魔
          放射能の基礎知識
          永遠に消えない放射性物質
          高レベル放射性廃棄物の地層処分  ほか
★電力会社へのあとがき－畢竟、日本に住むすべての人に対して
───────────────────────────────
◆９月30日(木)原子力大事故をくり返すな・臨界ヒバク事故11周年
　　　　　    東京圏行動
　　　　　　　主催：９・３０臨界事故11周年東京圏行動実行委員会
              連絡先：たんぽぽ舎内
　　　　　   10:00～11:00　追悼と抗議
　　　　　          経済産業省別館前(原子力安全・保安院前)
             18:00～21:00　講演　槌田敦さん、大泉夫妻
                    会場：明大リバティータワー９Ｆ(1096室)
　◎賛同個人、団体募集中、
　  お問い合わせは、たんぽぽ舎内９・３０実行委員会まで
──────────────────────────────
 たんぽぽ舎のホームページと電子メールアドレス変更のお知らせ
　ホームページアドレスは次のように変更となっております。
            　http://www.tanpoposya.net/  
　メールアドレスは、次のように変更となっております。
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 今後ともよろしくお願い致します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
　たんぽぽ舎では、急ぎの催し物・学習会、重要な情報や大きな
問題への見解などを敏速に多くの人たちへお知らせしたいと考え
ています。
　環境問題と原子力の問題（究極の目標は核の廃止）を追求する
たんぽぽ舎の最新の活動案内・情報・見解等をお送り致しますの
で、ごらんいただくと幸いです。
　この「お知らせメール」送付不用の方は、ご面倒をおかけしま
すが、ご返信願います。
　次回からリストよりはずさせていただきます。
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　　たんぽぽ舎　　　　　　たんぽぽ舎は、月曜～土曜－
　　　　　　　　　　　　　13:00～20:00のオープンです。
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		<title>AAF学校〈アーティストの労働と権利を考える〉</title>
		<link>http://chikyuza.net/n/archives/2931</link>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 03:49:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>若生 のり子</dc:creator>
				<category><![CDATA[催し物案内]]></category>
		<category><![CDATA[藤井光　]]></category>

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		<description><![CDATA[　2003年アヴィニヨン・フェスティバル（仏）がストライキで中止されたことは記憶に新しい。このとき大きな争点となったのは、アンテルミタン―自営でもなく、有期／無期の給与所得者でもない、断続的 intermittentに雇用される労働者―に関する制度の変更だった。その多くがアンテルミタンである 舞台芸術に携わる芸術労働者（アーティストや技術者な ど）がその制度変更に反対し、ストライキやテレビの生放送をジャックするといった大規模な労働運動を 巻き起こしたのである。この運動を期にパ リでは、従来の労働組合とは異なる形で、個人の権利意識や自らを守る智恵やスキルを共有するための芸術労働者の連帯が生まれ、活動拠点「CIP」 も創設された。
　今回のAAF学校では、旧来の雇用形態にとらわれない多様化する 働き方やライフスタイルを選択した芸術労働者たち（アーティストやアートプロデューサー、 アートNPO、技術者など）が、個人の権利意識 を自覚し、自らを守るスキルを共有するための方法、また組合にとどまらない連帯や運動の可能性などについて考察する。
対談：吉澤弥生 × 藤井光　
【日時】2010年9月13日(月) 18:30～20:30
【場所】アサヒ・アートスクエア
【参加費】2000円（学割：1500円）
【申し込み】氏名・連絡先(e-mail/電話)を明記の上
aafs@arts-npo.orgまで
【主催】アサヒ・アート・フェスティバル実行委員会
【詳細】http://arts-npo.org/aafschool2010.html
吉澤弥生（よしざわ やよい）
大阪大学大学院GCOE特任研究員／NPO法人地域文化に関す る情報とプロジェクト[recip]代表理事、1972年生まれ。
]]></description>
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		</item>
		<item>
		<title>『アワーストライキ』</title>
		<link>http://chikyuza.net/n/archives/2928</link>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 03:30:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>若生 のり子</dc:creator>
				<category><![CDATA[催し物案内]]></category>
		<category><![CDATA[藤井光]]></category>

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		<description><![CDATA[1.　『アワーストライキ』にご参加ください
 芸術の労働問題。このアポリアを私たちの切実な問題として脱構築するアクション＋映像制作にご参加ください。
アーティストやアートプロデューサー、 アートNPO、技術者など断続的に雇用されるクリエイティヴ・レイバー（芸術労働者）が、アサヒビール本社の地下駐車場に数十基のテントを張り、芸術と労働に関する新しい概念／声をあげていきます。
 墨田区役所前広場にも、無数のテントが張られ、美術、音楽、映画、アニメ、文学、デザイン、ダンス、演劇、建築関係者が座り込みのアクションを行います。自営でもなく、有期／無期の給与所得者でもなく、産休や労災、失業保障もない芸術労働者たちの生活実態を知る家族やパートナーも参加します。芸術労働者たちのかげがえのない一回性の生が、芸術の条件である事を知る学生やこの社会で多数者となった有期雇用者たちもいます。
 当日のアクション／映像制作に参加できないが、このプロジェクトに関心ある方は、下記のサイトから、芸術と労働に関するご意見を投稿して下さい。真撃な無数無限の批評言語が、芸術と労働の新しい関係性を創出していくと私は信じています。藤井光（美術家・映像ディレクター）
http://silentlinkage.com/archives/180
【日時】2010年9月25日（土）10時／15時／20時集合（全3回）
【場所】アサヒ・アートスクエア前広場（浅草駅、徒歩5分）
【持ち物】プラカード、作品、楽器、PCモニター、拡声器、絵コンテ、寝袋、助成金申請書、マンガ、パフォーマンス、食料、請求書、コンパクトチェアなど必要と思われるものを持参ください（広場撮影使用条件として、手で持ち運び出来る範囲のものとなっています）。テントはこちらで用意いたします。
【協力】Survivart／アサヒ・アートスクエア
【問い合わせ】contact(at)hikarufujii.com
]]></description>
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		</item>
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		<title>ある感想から　（一）～（五）</title>
		<link>http://chikyuza.net/n/archives/2764</link>
		<comments>http://chikyuza.net/n/archives/2764#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 02:32:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>藤原 晶彦</dc:creator>
				<category><![CDATA[評論・紹介・意見]]></category>
		<category><![CDATA[三上　治]]></category>

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		<description><![CDATA[ある感想（五）　　9月9日　
　この本の書評めいたものを書くつもりではじめたのですが、逸脱してしまいます。「誰が日本を支配しているのか」という問題意識は離れていないというところで勘弁を願ってもう少し自分の思っているところを展開してみます。今日の新聞には「青年将校化した検察官」という鈴木宗男の言葉が一面に出ています。これは最高裁での上告を棄却された記者会見での発言ですが、これは唐突に聞こえるかも知れません。青年将校とは昭和維新を掲げて5・15事件や2・26事件を起こした青年であり、これを現在の特捜部の検事を結びつけるには想像力がいるからです。日本の近代の権力（政治権力）の歴史的性格をイメージしえれば納得の行くところがあります。日本の近代の歴史は明治維新にはじまりますが、ここでは官僚が大きな力をもってきました。これは明治維新が市民革命ではなく、下級武士というべき武家官僚による藩―国家の再編としてあったことが大きく影響しています。（政治的共同体―藩）を母体にし、その存続が自己目的であった下級武士団がその形態を国家に変え、自らを近代（国家）官僚に変身して行ったのが明治維新以降の歩みです。
　大正から昭和の時代は官僚主導の近代国家内部の主導権の争いが激化しました。天皇の官僚は世代交代の時期にありましたし、官僚によって育成された日本の社会と政党が基盤を獲得したからでした。日本の近代国家の枠組みは天皇制的なものの支配力が強かったのですが、それでも議会を舞台にする官僚と政党の角逐も強くなり、社会の階級的矛盾から出てくる動きも大きくなります。近代国家内部での再編成をめざしたのが昭和維新ですが、これは官僚の再編成でもありました。これは世界史的な危機の中で、古い官僚体制の革新（天皇の君側の奸の排除）、議会（政党）に対する主導権の掌握、社会の革命的運動への
対抗等が意図されていました。この青年将校たち運動は挫折しますが革新官僚と手を組んだ軍官僚のもとに戦争体制が構築されました。そしてこの戦争体制の構築の中で形成されたものは形を変えて戦後の日本の推力となります。高度成長にいたる時期までの日本国家のヘゲモニーをなしたのです。戦後の日本の官僚は天皇と組んだアメリカを有力な基盤としてきました。これは隠れた力でもあるし、コントロールを隠し背後でというアメリカの方法もあって見えにくいのですが、これが力でもあったのです。官僚は国家から生まれ、国家を自己目的にしなければ存続しえないものですが、彼らの基盤強化のために検察の果たしてきた役割は大きいのです。『誰が日本を支配するのか！？』の一冊画「検察と正義」になっていますからこれを読めばこの辺のことは分かります。僕はこの起源に大逆事件を考えています。大逆事件の謎に迫まってみたいですね。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion125:100909〕
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;
ある感想（四） 9月6日
この本のことを少し引用してみます。「先ほど触れた。マルクスが『資本論』で示した三大階級、地主、資本家、労働者の話に戻りましょう。彼は資本の論理さえ解明すれば世の中はすべて分かるんだというモデルを設定しました。其れは意味があります。お金の問題、つまり経済の問題を抜きにして人間は生きていけませんよね。その論点を明白にするために、経済以外の要素を切り捨てる必要があると考えたのでしよう。そのために官僚という階級を見落としたとも言えます」（誰が日本を支配するのか！？）。これは佐藤優の発言がマルクスが経済過程の分析をちるときは、共同幻想などの国家領域は意識的に捨てたということです。それを無視したということではありません。同じことを吉本は『共同幻想論』で述べています。共同幻想の領域を析出するには経済過程は捨てられると。これは、僕らが社会の総体（国家と社会）を本質的に把握しようとするとこうした方法的自覚が必要ということです。本質的な把握というのは抽象力によるのですが、それはこうした自覚を必要とするということです。
僕が官僚という存在の把握の重要性に気がつく契機はいろいろあるのですが、その一つに日本の国家権力の把握をやろうとしたことがあります。明治維新の分析もそうでした。従来のマルクス主義的な国家権力の把握は社会階級の分析から出発します。例の明治維新をブルジョワ革命か絶対主義革命かとみる労農派マルクス主義と講座派マルクス主義の見解はその典型です。これは資本主義の発展段階から規定しようとしたのですが、国家権力の側からの規定がないことに気がつきます。明治維新の段階でブルジョワジーは階級としては存在していなかったし、豪商や豪農などがいてもさしたる役割を果たしたとは言えません。明維維新の中心的役割を果たしたのは封建諸侯の家臣団であった下級武士でした。彼らの役割を念頭において明治維新をとらえるとどうなるのかという意識において明治維新をとらえてみようとすると、ブルジョワ革命説も絶対主義的革命説もどこかズレていると思いました。これは例の三二テーゼと呼ばれる天皇制権力の分析にも関係していくのですが、僕は明治維新を共同幻想の構成転換という視点で把握し直そうとしたのですが、日本の国家権力の歴史的構成という考えの必要を感じました。日本の国家は天皇という権威（宗教的力）と政治権力（官僚的統治権力）の二重性という独特の形態をとるのですが、律令官僚―封建官僚―近代官僚という国家統治を基盤にする存在をイメージするように成りました。国家権力を基盤にする日本の近代の展開を、マルクス主義的近代史とは別に描けるように思えました。現在を把握するために歴史の流れをつかもうとするのですが、歴史の流れの発見は現代の発見につながります。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion119 :100906〕
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ある感想（三）　　　　　　　　　　　　　　　　　9月４日
官僚のことが問題にされるようになったのは比較的新しい現象といえます。日本経済の高度成長の時代は日本の官僚（官僚制度）は絶賛されていました。日本的経営として日本の経営者が評価されていたのとおなじでしよう。官僚ということが問題にされるのは高度成長後の「失われた10年」（第二の敗戦期）からということになるのでしようか。世界的には冷戦構造の崩壊ということがあります。僕自身の思索というか、思考の歩みでは権力の析出ということから接近していったように思います。マルクス主義の社会対象化の方法（唯物史観や史的唯物論）では国家などの把握は経済社会分析（例の下部構造）から副次的に（上部構造）として導かれても、その本質的把握には至らないと考えてきました。こういう方法を避け、マルクスの初期の国家についての認識に依拠しながら展開されたのが吉本隆明の共同幻想論でした。国家の本質は共同の幻想であり、これは経済過程（社会過程）を排除して把握できるし、それとはある構造を介して関係づけられるとするものでした。吉本はこれで『共同幻想論』を書いているのですが、これは起源論の段階にあり、現代のところまで引き寄せたらどうなるかが僕の問題意識であり、ここで官僚ということが対象になってきたのです。
国家の本質は共同幻想であり、それは世界史的には「宗教―法―国家」という構造的な流れにありますが、この流れの過程はそれぞれの国家で錯綜的に現れてきます。ヨーロッパの中でもイギリス、フランス、ドイツは構造的には異なる展開をしてきましたし、日本では近代以前の側面と影響が強く国家（国家権力の構成）では特徴があります。国家の宗教的要素と法的要素の関係、政治的要素（ナショナリズムなどは政治的要素）との関係は錯綜しており、複雑です。これは明治維新以降の近代史みれば明瞭ですし、天皇制のことを見てもいえます。
経済社会過程から政治過程を導きそこから革命戦略や綱領を策定するのがマルクス主義の方法で、そこで二段階革命あるいは一段階革命という戦略が出てきます。これは資本主義の発展段階に規定されるものとしてあり、日本の近代史の段階分析が出てきます。ここから明治維新や天皇制の規定も出てきます。これはロシア革命の後にコミンテルンで出てきた革命戦略論が日本も移入されたものですが、僕はこういう考えに興味を失っていますし、それが有効であるとも思っていません。国家の構成を本質的に、また構造的に析出し、その革命の構想を導けないのです。官僚ということが視野の対象になかった理由です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion117:100904〕
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ある感想から（二） 9月2日
僕らはかつて何を対象にして闘っているのか、何を目指して闘っているのかということで苦しんだ経験があります。1969年段階の中央権力闘争ということでも、沖縄闘争でもいいのですが、このことで苦しみもがいた経験があります。ある意味でこのことは現在も継続していることです。当時は僕らの現実感覚（表出感覚）にはある種の確かを実感していたにしても、それがどのような指示（指示表出）を確証しえていたかというと、あやふやではなかったかと思います。現実感覚といのは現実意識でもいいし、政治行動を支えていたものです。これに対して指示表出というのは対象を指す言葉であります。僕らは政治行動をする場合にこの二つを必要とするのですが、そこに矛盾というかアンバランスなものを感じていたように思います。
ここで僕が指示表出という言葉を使ったのはいきなり綱領とか革命戦略という言葉を使いたくなかったからです。綱領と革命戦略というのは基本的には何を対象に、どのような過程を持って社会を変えるかという言葉です。指示表出は言葉の基本的な概念ですが、これは革命と社会変革を指す言葉でもあります。
綱領とか革命戦略、革命戦術という言葉があり、また理念から現状分析までの幅があります。社会の総体を対象的に析出しようとすれば、構造的に幅が必要であるし、抽象度の違う概念を必要であるとするからです。また、歴史としては段階的な把握を必要とすることです。
革命戦略から戦術に至るまで、最大限綱領から最小限綱領に至るまで社会を変えて対象と過程を指示表出として見ればいいわけですが、この場合の見方（思相）として僕はマルクスの立場とマルクス主義の立場を区別しました。マルクスの立場は社会を対象的に把握する領域ごとに投げ出されるようにあり、マルクス主義は総合化して把握するようにあります。社会を総合的に把握するにはマルクス主義の方がいいように見えるのですが、その方法（枠組み）に歪みがあり、対象的な把握としては問題がるのだと思います。
革命戦略（戦術）や綱領ということが知識人の間に浸透したのは昭和初期からですが、コミンテルンの影響下で出てきており、マルクス主義の枠組みにありました。労農派マルクス主義、講座派マルクス主義、旧左翼、新左翼といろいろありましたが、これらを総体として左翼といえば、これはマルクス主義という枠組みにあります。この革命戦略や綱領という事が、指示表出の言葉として社会とその変革の過程を対象的に捉えているか、どうか疑問です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion112:100902〕
 
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ある感想から（一） 9月1日
佐藤優×魚住昭を責任編集とする刺激的な本が同時に3冊出ています。『誰が日本を支配するのか？！』（マガジンハウス）です。
この本の1冊に『政治とメディア』があります。この中で佐藤優は冒頭の対談「日本の政治はどこへ行くのか」で面白い問題提起をしています。官僚を階級として析出しているのです。官僚はヘーゲル的には国家の肉体という事ですし機関です。国家の本質は共同幻想でその肉体、あるいは機関が官僚といういいかたでも間違いはありません。この指摘の中で佐藤は官僚を社会から収奪し、再分配もするものとしていますが、ここで重要な点は彼が社会の三大階級（地主、資本家。労働者）とは出自の違うものとして規定している点です。官僚は国家を母体にし、基盤にしているわけで、社会を基盤にする階級とは違うとしているところです。これは社会的階級にすべてを還元し、そこから国家を、従って官僚をも捉える唯物史観と違っています。
マルクスは初期の国家論では共同幻想としての国家を析出し、後期は経済過程を中心に社会を分析しています。中期にはフランスの政治闘争を中心に政治分析を行っています。この三つの領域はレーニンによってマルクス主義の三つの源泉として総合化されているが、簡単に総合化できるものではあり得ません。僕にはそう思います。社会総体の対象化として構造的に深められるべき領域としてあると言うべきだと思います。このことはマルクスの思想を唯物史観のように総合化し定式化すれば、マルクスの思想を歪めるし、社会的現実を分析する場合に歪められた分析しかできないと考えてきました。マルクスの思想を総合的に受け継ぐことと、総合化され定式化されたマルクス主義を受け継ぐことは別のことだということでもあります。僕らが社会の総体を対象化しようとするときマルクスの思想は生きたものとして機能するが、マルク主義はそうではない事を意味します。（マルクス主義者による社会の対象化として優れた仕事があることと方法の問題は同じではありません）。
佐藤がこの本の中で提起している官僚＝階級論はマルクスの思想の総合的継承という線から出てきたもので、マルク主義の国家分析から導かれたものではないように思います。（これは僕の理解です）。要するに社会経済の動向分析から国家権力の規定や分析をしてはいません。社会的階級に還元する方法での国家（政治権力）ではない分析をしているのです。なかなか斬新でいいものだと思います。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion112:100902〕
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		<title>連載・やさしい仏教経済学－(13)日本における仏教経済研究の特質</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 02:31:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>藤原 晶彦</dc:creator>
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		<category><![CDATA[安原和雄]]></category>

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		<description><![CDATA[日本における仏教経済研究の特質－連載・やさしい仏教経済学(13)
　海外での仏教経済学の近況とその実像を紹介してきたが、ここで日本における仏教経済（学）研究の特質に視点を移したい。日本での研究はすでに40年余の歴史を刻んでいる。駒澤大学仏教経済研究所がその有力な拠点として貢献している。
　ただ一口に仏教経済学といっても、提唱者によって多様な姿、理論、思想となっており、決定版が出来上がっているとは言いにくい。目指すものは、既存の現代経済学に取って代わる新しい経済思想としての仏教経済学をどのように構築していくかである。このことは間違いないとしても、そこに至る道筋は多様であるにちがいない。ここではまず先達が遺してくれた研究業績の一端を紹介したい。（２０１０年９月９日掲載）
▽研究・提唱にみる四つの流れとその特質
　駒澤大学仏教経済研究所（所長・吉津宜英仏教学部教授）の創立（1966年＝昭和41年４月）当時から深くかかわってきた難波田春夫氏（1906～1991年。早稲田大学教授、関東学園大学学長などを歴任）の論文「経済学と仏教の立場」（同仏教経済研究所編『仏教経済研究』創刊号、1968年７月）、さらに同研究所初代所長だった笠森傳繁氏（1970年没、元駒澤大学経済学部教授）の論文「仏教経済の特質」（1968年同研究所で発表）をはじめ、日本での研究業績は少なくない。
　これまで日本の研究者たちが分析・提唱し、さらに模索しつつある仏教経済あるいは仏教経済学（思想）は大まかにいって、次のような四つの流れと特質に整理できる。
（一）寺院（教団）の経営（経済）としての仏教経済
（二）認識論としての仏教経済（学）
（三）実践論としての仏教経済（学）
（四）既存の現代経済学に代わる新しい仏教経済思想（学）
　以上のうち（一）の寺院の経営あるいは経済は、ここでは一応除外して考えたい。寺院特有の経済あるいは出家僧呂の日常的な経済生活、特に禅寺での質素を旨とするそれは、それなりに今日において、大きな意味を持っていることは否定できない。しかしここでは狭い組織あるいは地域に限定された経済行為よりももっと広い社会、国あるいは地球規模の経済を考察の対象として取り上げてみたいからである。
▽ 認識論としての仏教経済（学）― 「空（くう）の思想」に立って
　まず（二）の「認識論としての仏教経済（学）」とはどういう性質のものなのか。その代表的存在として、難波田春夫氏の業績を挙げたい。
　その特色は、仏教の「空（くう）の思想」に基づく経済認識論といっていいだろう。同氏は次のように指摘している。
　「仏教的立場は、すべての経済学の説明について、これを空の原理によって、もっと深い根拠を与え、より深い意味を持たせる」と。
　ここに出てくる「空の原理」（注）の見方に立てば、事物はすべて相互依存関係として実在するのであり、独自に単独で存在するものはあり得ないことになる。一個人を考えてみると、たしかにその個人は単独で存在しているわけではなく、他の人々、動植物、自然、地球、さらに太陽などのお陰で存在している。これは「Aは非Aに依（よ）り、非AはAをまってのみ、実在する」という相互依存の論理でもある。
（注）「空の原理」とは、「空の思想＝空観」あるいは「縁起観」ともいわれ、次の二本柱からなっている。
・諸行無常＝万物流転（すべてはつねに変化し、移り変わること）
・諸法無我＝相対依存（独自に存在しているものはなく、すべては他との相互依存関係にあること）
上述の難波田氏の説明では二本柱の一つ、諸法無我観（＝相互依存関係）が土台になっている。後述の「実践論としての仏教経済（学）」の「変転諦観の経済」では、もう一つの諸行無常観に立って説いている。
　ところが「AはAであって、非Aではない」という独自性を強調し、相互依存関係を否定する論理がはびこってきたのが近代であり、その近代から相互依存関係を重視する新しい時代へ移行しつつある歴史的転換期がまさに現代にほかならない、と難波田氏は説く。
　独自性を強調する近代は次の二つの過ちを犯した。
・AはAであり、非Aではない。ということは俺は俺であるという認識につながる。さらに何をしようと、当人の勝手だということになり、放縦な自由社会礼賛論にならざるをえない。これでは煩悩からの解脱ではなく、逆に煩悩の気ままな解放、自由化ともいえるだろう。
・俺は俺として気ままに生きるためには、先立つものとしてカネが必要になる。各人の自由競争はカネ儲けの能力の競争となり、否応なしに経済至上主義の路線上をひた走る。ここではカネという本来、手段であるものが目的に転じ、ひたすら経済の論理に従って欲望の充足を「もっともっと」と追い求めていく。
以上の過ちの結果が、資源・エネルギーの浪費であり、廃棄物の大量発生、空気や水の汚染による環境破壊にほかならない。難波田氏はこれを適切にも「近代の敗北」と名づけている。
＜安原の感想＞ 「近代の敗北」に無関心な「自由社会礼賛論」
　難波田氏が批判して止まない「放縦な自由社会礼賛論」の具体例が、1980年前後から始まった新自由主義（＝自由市場原理主義）の横行で、環境汚染・破壊、格差、貧困、暴力、人権無視などを拡大させた。我が国では特に小泉純一郎政権時代（2001年４月発足）にその横暴振りは顕著になったが、2008年の世界金融危機、世界大不況とともに破綻（はたん）した。
　たしかに破綻したとはいえ、消滅したわけではない。ここに要注目である。市場原理主義者たちの残党がその復活、再生を画策し続けている。難波田氏流の「近代の敗北」に無関心で、念頭にあるのは私利、我欲の追求のみであり、資源・エネルギーの浪費にも環境破壊にも無関心といえる。しかもそのことに気づこうともしない時代遅れの群像といえようか。
▽ 実践論としての仏教経済（学） ― 「仏教経済の道」を追求
　次に（三）の「実践論としての仏教経済（学）」の主張者として駒澤大学仏教経済研究所の初代所長だった笠森傳繁氏を取り上げたい。同氏によると、仏教と経済の結びつきあるいは一体化を考えつつ、仏教経済の特質として次の四つを挙げることができる。これは日常の仏教的経済生活のあり方、つまり「仏教経済の道」の追求であり、仏教経済の実践にほかならない。
＊物心一如の経済
＊自利利他一体の経済
＊変転諦観の経済
＊精進報恩の経済
　まず「物心一如の経済」とは、仏教語の「身心不二」とか「身心一如」に通じるもので、物と心とが一体になって財物の生産、消費を行うという意である。
　米（こめ）作りの例でいえば、自分または他人の食物として身体を養うことだけを目的にして単に物質としての米を作るのではなく、真心のこもった米作りとなる。いいかえれば、単に儲けんがために作るのではなく、国民の命をつなぐものであり、人のためにも、後世のためにもと真心をこめて作る。
　一方、消費する場合、なるべく安く買って具合良く用いればいいということではなく、米作りには多くの人の労力やこころが加わっており、さかのぼれば大自然の力、例えば日光、空気、水などの働きが加わっており、いわば天地の恵みが包含されていることを考えて消費することを意味する。こうして米は精神のこもった物心一如の財となる。
　二番目の「自利利他一体の経済」とは何か。
　二宮尊徳（1787～1856年、江戸後期の農政家。節倹、陰徳を説いた）の思想に「譲るに損なく、奪うに得なし」がある。湯舟に入って、湯を向こうに押せばすぐに手前に帰ってくるし、手前にかき込めば向こうへ逃げていくことを例に挙げて、「譲ること、貪らぬこと、他を利することによっておのずから自分も益する」と説明している。
　いいかえれば、自分という我を立てないで、他の利益を先に考えれば、おのずから自分の利益にもつながっていくという考え方である。これは西洋流の「ギブ・アンド・テーク＝give and take」の交換思想ではなく、東洋的な「ギブ・アンド・ギブン＝give and given」（与えよ、されば与えられん）という思想にほかならない。こういう自利利他一体の精神こそが仏教経済の眼目とされている。
　三番目の「変転諦観の経済」は、諸行無常観（人間も含め、すべての事物はつねに変化していくという仏教の見方）の経済面への表れを指している。
　景気循環、構造変化さらに恐慌、インフレなどさまざまな経済変動は仏教でいう諸行無常の具体的な表れであり、これを人為では完全に防ぐことはむずかしい。そういう経済変動を諸行無常、変転流動の自然の姿として悟っておくこと、つまり諦観（ていかん）していれば、経済変動に柔軟に対応できて、その影響をやわらげることもできる。また普段の覚悟ができていれば、嘆き悲しむことも、恐れあわてることもしなくて済む。
　そういう諦観に達していなければ、「泣きっ面に蜂」ということにもなりかねない。あのバブル経済崩壊にあわてふためいた経済界の姿はまさにその見本のような具体例といえよう。ここでの仏教用語としての諦観は通俗的な意味でのあきらめではなく、本質を見通し、達観するという意であることに注意したい。従って変転諦観の経済とは、消極的かつ受け身の姿勢ではなく、むしろ積極的かつ主体的な思考と態度で経済変動に対処していくことを指しているといえよう。
　さて四番目の「精進報恩の経済」とは、どう理解したらいいのだろうか。
　仏教が目指すものは涅槃（ねはん・煩悩を滅して苦がなくなった究極の悟りの境地）であり、安心立命である。経済生活の目指すべき理想もこれと変わらない。その理想に到達すべく自分の仕事に精進する。そういう精進が可能となるのも天地、社会そして他の多くの人々の恩恵によるものと感得する。
　その恩に報いるようにさらに精進を重ねていく。恩という感覚は多くの現代文明人には無縁になってきているが、恩に感謝することがすなわち仏心を行ずることである。精進報恩の経済とは、いいかえれば仏心を日常的に実践していくことにほかならない。
＜安原の感想＞ 感謝の生活を続けること
　笠森氏は以上の四つの視点を踏まえて、仏教経済の特質を平たく次のように表現している。これはまさしく経済分野での実践としての仏教経済論であるにちがいない。
　「清い心をもととして（仏心）、一日一日を惜しみつつ（「諸行無常」観）、もちつもたれつ助け合い（「諸法無我」観）、よく働いて（生産・交易）、よく分かち（分配）、活かして物をよく用い（消費）、感謝の生活を続けるを仏教経済の道という」と。
「（四）既存の現代経済学に代わる新しい仏教経済思想（学）」は次回から順次紹介したい
初出：安原和雄のブログ「仏教経済塾」（10年9月9日掲載）より許可を得て転載
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