大地震・原発・日本列島・反動的な動き―「大地動乱の時代」にどう対処すべきか
- 2011年 6月 7日
- 評論・紹介・意見
- 大地動乱の時代日本列島は地震の巣
書評:『大地動乱の時代』(石橋克彦著 岩波新書)
長いこと品切れの憂き目に遭っていた本書が、最近重版されたと聞く。大変結構なことだと思う。
今日、我々日本で生活している者にとってこの本ぐらい深刻な問題を投げかけている本はないように思うからだ。もちろん福島で現実に起きた「原発震災」の故である。この本が書かれたのは、1994年だ。関係者にお聞きした話では、当初この本はさっぱり話題にならなかったとか。また、編集担当者は、題名の付け方が悪いせいだと非難されたこともあったようだ。ところがである。翌1995年1月17日、あの「阪神・淡路大震災」が起きた。とたんにこの本をめぐる環境(評価)も一変した。題名が大変よい、地震に対する先見の明を備えている、云々。
この本のすごさ、真骨頂は、当然のことながら、地震学者である著者が、「世界に冠たる」地震大国である日本列島の地震のメカニズムを素人にもわかりやすく説明している点にある。まずイントロの部分でかなりのページを割いて、大地震の記録を歴史的に(奈良・平安の時期に及ぶまで)さかのぼり、特に江戸期以後の地震に関しては、それらの大地震に遭遇した人々の記録(当時の人のメモや日記までも)を丁寧に探査しながら、きわめて興味深く、生き生きと、その時代に生きる人々の大震災突発時のうろたえぶり、町や村における震災被害の様子等をエピソードを交えて活写している。この本のシフトは関東(特に東京周辺部)が中心ではあるが、もちろんプレート論の考察範囲としては、日本列島から朝鮮半島、中国大陸にまで及んでいるのは申すまでもない。そして、一番物騒で、将来確実に起こりそうな危険の要因は、日本列島を挟んでいくつかのプレートがたがいに交差、ないし入り組んだ形で絡み合っていること、この部分にプレート間のひずみが生じ、そこに蓄えられる巨大なエネルギーが、ある時期に、何らかの引き金によって爆発的に発現する、そこに巨大地震が起きうる可能性が高い点である。このことは現代の科学のレベルでは如何ともしようがないようだ。しかもこのような巨大地震が起こりうる可能性を、地震学者たちは、90%ぐらいの確率で予測しているという。
以下、少し長くなるがこの書からの引用を掲げておきたい、
「我が国は地球上で最も地震が密集する場所の一つである。先進経済大国で国の輪郭が見えないほど地震に覆い尽くされているところは他にない。これは日本列島が4つのプレートが関係する収束境界帯の真っただ中に位置しているからである。東北日本が「オホーツク海プレート」、日本海の海底と西南日本が「アムールプレート」に属するというのはまだ学説の段階で、北米プレートとユーラシアプレートとする説もある。…いずれにしても両ブロックは、ほぼ東西方向に年間1センチ程度の割合で収束していると考えられる。このプレート運動は日本海沿岸~西南日本の大地震を考えるのに重要で、…「東海地震」の長期予測のためにも無視できない。
日本列島の構造発達と変動の基本になっているのは、「太平洋プレート」の沈み込みである。…太平洋プレートの長い沈み込み帯のほぼ中間に日本列島があり、沖合には深さ8000~9800メートルに達する千島海溝、日本海溝、伊豆・小笠原海溝が連なる。これらの海溝では、約4000万年も昔から西北西向きの沈み込みが続いており、そのために海溝全体の大きな水平移動も含むような幾多の変動を経ながら、日本列島が今日の姿になった。グローバルなプレート運動モデルでは、東北日本に対する太平洋プレートの沈み込み速度は年間約8センチだが、VLBIの観測によれば、1985~91年にハワイと茨城県鹿島の間が年間6.3センチの割合で縮まっている。」(pp.114-116)
注意すべきは、我が国の原発が、そのような真に危険極まりない地盤の上に建設されているということである。
先ごろ浜岡原発の危険が指摘され、操業が一時的に停止された。しかし、浜岡の地域(静岡)と大地溝帯(フォッサマグナ)という巨大な断層でつながっているのは、新潟県の糸魚川方面であり、その方面に柏崎・刈羽原発があることを忘れてはならない。しかも、2004年10月23日に起きた新潟県中越地震(M6.8)は内陸直下型地震であった。
以上を第一の警告と考えれば、著者が発する第二の警告は、近年になって再び「大地動乱の時代」に入ったように思えるということであろう。70年ぐらいを一つの周期として、1923年9月1日のいわゆる「関東大震災」以来70余年間続いた「大地の平和の時代」が今や過ぎ去り、地下に蓄えられたエネルギーが再び活発に振動し始めているというのがその指摘である。この本の出版された翌年に当たる、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災、また前述した2004年10月23日の新潟県中越地震、更に今年3月11日の東北地方を襲ったM9の激震・・・。これらがそのことを不気味に語っているように思える。
再び、長い引用で恐縮であるが、ぜひこの著者の以下の警告に真剣に耳を傾けていただきたい。
「首都圏の地盤の悪さは、地震活動の激しさと同じように世界有数である。国際都市として東京が比較したがるニューヨークでは、約5億年前にできたコチコチの岩石がセントラルパークに露出しており、マンハッタンの超高層ビル群はそういう堅固な岩盤の上に建てられている。それに対して、東京を含む関東平野の半分近くの地盤は、約2万年前以降に海や川に堆積した砂や泥で、まだズブズブといってよい。東京圏の超高層ビルのほとんどは地下の古い地層を支えにしているが、それすら2,30万年前に堆積した「東京礫層」や。俗に「土丹」と呼ばれる数10~100万年前の軟岩で、ニューヨークとは比較にならないほど若くて柔らかい。
そもそも海底だったところに関東平野ができたのは、200万年くらい前から続いている「関東造盆地運動」という大規模な地殻変動(中央部の沈降、南縁・東縁の隆起)と、沈降を上回る堆積のおかげである。この造盆地運動はフィリピン海・太平洋両プレートの沈み込みに起因し、大量の堆積物は、伊豆内弧の衝突による関東・丹沢山地の隆起や、風上に位置する火山フロント沿いの火山(那須・赤城・榛名・浅間・八ヶ岳・富士・箱根など)の活動で供給された。従って、日本最大の関東平野が存在すること、その直下と周辺で大地震と火山噴火が起こること、地盤が悪いことは、三位一体で決して切り離せないのである。これは首都圏の一番基本的な自然条件である。」(p.202-203)
「そもそも工学技術は、物を作ろうとする意欲や必要性を原動力として、その時点での限られた人知で無限の大自然に挑むものである。従って、技術の適用範囲が広がるにつれて未知の自然が姿を現し、人知の限界が露呈するのは宿命的なことで、それを克服することを繰り返しながら技術は進歩する。問題なのは、現代日本社会が、このような技術の限界をわきまえず、大自然に対する畏怖を喪失して、経済至上主義で節度のない大規模開発を推し進めていることであろう。いずれにしても、「関東大震災にも耐えられる」という言葉の蔭で耐震技術はまだ多くの問題を抱えている。超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、決して大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民を否応なく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである。」(pp.206-207)
実はこの著書の面白さ(第三の警告とも考えられるのであるが)は、もう一つある。東京都知事の石原慎太郎の発言に見られるような「天譴論」(天が罰した)という考え方と絡んでくるのであるが、このような大地震による国家的大打撃の間隙をぬって、様々な「国家主義的」なたくらみが実行に移されてくる。「大正デモクラシー」の圧殺、「治安維持法」の成立、そしてついに1931年の「満州事変」突入、その後の「太平洋戦争」へと暗い時代が続くことになる。今日を振り返ってみる。同様なことが既に端緒についているとも考えられる。「共謀罪」を狙ったネット規制法案、教育現場における「日の丸君が代」の強制と最高裁合憲判決、消費税値上げの動き、「国家戦略室」による原発建設推進の動き、などなど。大震災がその時代の政治動向と直結しているのである。しかし、このことについてはここでは指摘するだけにとどめ、あらためて論じる機会を持ちたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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