初詣雑感――セルビア常民の幸を日本常民の神々に祈る――
- 2021年 1月 9日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
今年の初参りは、神社境内の三蜜を避けて、正月5日と6日にした。静にして吉(良、善)かりき。
例年ならば、1月1日零時頃、代田八幡前の参道ならぬ普通道路で善男善女の一人として行列をし、参拝を待つ時間を楽しむ。深夜運転の小田急で参宮橋駅で下車し、代田八幡前の人数の何百倍になる密集隊列をつくって拝殿に到るをじっと待つ。参拝。明治神宮の楽しみは、おみくじである。明治天皇御製と昭憲皇太后御歌が出て来る。そのおみくじは、読書用の栞として用いている。
御製と言えば、昭和天皇が大東亜戦争回避の最後のチャンスに二度読み上げた「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」(明治37年)が有名であるが、昭憲皇太后にも「よもの海みなはらから」の御歌がある。「ほどほどにたすけあひつつよもの海みなはらからとしる世なりけり」(明治32年)がそれだ。いつかは双歌共におみくじで引き当てたいものだ。
例年、上野東照宮には1日か2日の午後に行く。まず附設の牡丹苑(有料)に入る。紅、白、黄の大形のはなやかな花々を冷気の中で観つつ、苑のスピーカーから流される筝曲の調べに耳を傾ける。気分が良い。テレビの正月番組、民放は言うまでもなく、NHKでさえ元日早朝6時台に雅楽と能楽を放映しているが、純邦楽はそれだけ。晩刻7時、8時、9時台のいわゆるゴールデンタイムは、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートとニューイヤーオペラコンサートで独占されている。NHKの偏向を云々するならば、これは一番の偏向。流石に歌舞伎の新春生中継は残っているが、三曲関係は消え去ってしまった。それ故に上野東照宮の筝の音がスピーカーではなく、誰か演奏家による実の音色であったなら百倍も素敵であったろう。その際、入苑料が高くなってもよいのでは。
牡丹苑を出ると、拝殿前の待列に立つ。その行列の長さは、明治神宮の千分の一、代田八幡の三分の一ほどだ。毎年毎年、この実際を経験すると、説明しがたい謎に気付く。テレビの時代劇では、大岡越前守、遠山の金さん、暴れんぼう将軍吉宗、鬼の平三と言った具合に江戸(徳川)時代の人物が主役だ。それなのに、その江戸を日本の中心都市として建設した家康をまつる東照宮に初詣する人数がこんなに少ないのは何故か、と言う謎だ。
私=岩田は、独立社会主義者、Independent Socialistであって、別に神社信仰が厚いわけではない。初詣と言う習俗が好きなだけだ。その中に入ると、遠い長い倭族の生活史の流れに流されて今ここにいるとうすらうすら感じる。とは言っても、賽銭を投げ入れて、参拝するのだから、何かを神々に願う。1990年代旧ユーゴスラヴィア多民族戦争以来、国際共同体なる名称を独占する北米西欧市民社会の軍隊たるNATO軍によって78日間連続空爆され――これはかのハーバーマスによって哲学的に支援された――次いでNATO軍事力にバックされた北米西欧市民社会の政治力・外交力におどかされ続けて来たセルビア常民社会に大和の神々の加護あれかし、と祈る。代田八幡は応神天皇が祭神。神宮は明治大帝。東照宮は東照神君。これら諸祭神は、日本や極東では、プラスだけでなく、マイナスの働きをも刻印したにちがいない。されど、遠雲のかなたバルカン半島には公正中立な働きをしてくれるだろうと言う私=岩田の想念に発する祈りである。
令和3年正月7日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10455:210109〕
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