国家とは何か―(ホッブズ、ジョン・ロック、ヘーゲル)
- 2023年 8月 28日
- スタディルーム
- 合澤 清
前口上
ひょんなことからトマス・ホッブスのことが、特に彼の主著『リヴァイアサン』が、気になり始めた。そのきっかけとなったのは、まずヘーゲル『法哲学』の第三部「人倫Die Sittlichkeit」を構成している有名な三要素(「家族」「市民社会」「国家」)について考えていたからである。この中で触れられている「個人」ないし「個人の自由意志」は、ホッブズの「万人の万人に対する闘い」における「人」〈自然人)とどう関連付けるべきか。こういうことを漠然と考えていた。
第二の引き金となったのは、ここ数年の恒例で、暑さしのぎで読むことにしているシェイクスピアの喜劇の中の「問題劇」といわれるものについて、シェイクスピアはこれらの中で、この混迷する時代状況の何を語ろうとしていたのか。この興味深いテーマを追いかけたいとの思いから、この時代(16‐17世紀)のイギリス社会、特にクロムウェルとF.ベーコンやホッブズ、ジョン・ロックのことが気にかかり始めたのである。
第三番目は、いうまでもなく、最近のAI技術の恐るべき進化(あるいは文化的には、退化かもしれないが)に刺激されて、ホッブズの言う「人工的動物」が連鎖的に思い浮かんだ次第だ。
もちろん、私ごとき素人が本格的にホッブズや『リヴァイアサン』などを論ずることは到底適わないことである。そこでここでは、手元に見つかる僅かな資料(参考文献)と、近くの図書館(市営の小さな図書館で、これという蔵書も少ない)で、散見しうる限りの資料に頼りながら、ともかくも自分の考えをまとめ、ヘーゲルの国家論と対質させながら、問題提起してみたい。
(1)ホッブズと16,7世紀イギリスの時代状況のスケッチ
手元のいくつかの歴史書などを参照しながら、この複雑な時代のイギリスの状態を整理し、位置づけてみたい。最初に定石通りに、トマス・ホッブズの年譜を略述する。
トマス・ホッブズ(1588-1679)の生きた時代は、中世末期というべきか、あるいは近代初期というべきか、いずれにせよ時代の大きな転換期にあたっていたことは間違いないだろう。(ゴチック体にしたところは、この小論に関係がある個所)。
彼は1588年に国教会牧師の父とヨーマンの娘の母の二男として、イングランドのマームズベリー近郊のウェストポートで生誕。91歳まで長生きをして、1679年に亡くなっている。
彼がその生涯に遭遇した主な事件をピックアップして列挙してみると…。
彼の28歳の時(1616)に、シェイクスピアとセルバンテスが死去している。
1618年には、宗教的対立に端を発した「30年戦争」が勃発。
1621年、イギリス下院は国王ジェームズ一世の専横に対して議会の権利を主張し、両者の対立が表面化。
1629年、チャールズ一世が議会を解散、1640年まで無議会時代となる。
1633年、ガリレオ裁判(地動説放棄)。1637年、デカルト『方法叙説』発表。
1640年、イギリスで短期議会が開催さる。スコットランド軍がイングランドに侵入。ホッブズはパリに亡命。この間にクロムウェルが支配者の地位につく。ホッブズは1642年、パリで『市民論』を出版。
1642年、ピューリタン革命勃発。
1647年、ホッブズ、イギリス国教会の洗礼を受ける。
1649年、チャールズ一世処刑。イギリスは一時的に共和政体となる。1650年、『法学要綱』出版。1651年、『リヴァイアサン』出版。イギリスへ密かに帰国する。
1653年、クロムウェルが護国卿になる。近代最初の成文憲法である統治章典を制定。
1658年、クロムウェル死去。
1660年、王政復古。チャールズ二世王位につく。
1665年、ペスト流行。1666年、ロンドンで大火。1668年、『ビヒモス』を書く(ただし、出版は82年)。
1679年、ホッブズ死去
年譜の中では「ピューリタン革命」という、従来呼びならわされた言い方を使ったのであるが、最近の研究ではこういう規定は否定的に捉えられているようである。例えば、『イギリス革命と変容する〈宗教〉 異端論争の政治文化史』那須敬著(岩波書店2019)を覗くとこうなる(ここではそのごく一部のみ引用・紹介しかできないことをお断りしたい)。
≫「ピューリタン革命」とは、短期・長期議会招集(1640)から、議会派・国王派に分れた三度の内戦(第一次:1642-46、第二次:1648、第三次:1650-51)、国王処刑(1649)、共和国樹立(1649)とクロムウェルの護国卿体制(1653-59)、そして王政復古(1660)に至る20年間の出来事に対して、19世紀後半から20世紀前半の歴史学が与えた名称であり、一つの解釈であった。但しそれ以前には、この事件は「反乱rebellion」の名で呼ばれることが普通であった。「革命」は、1688-89年の名誉革命の方を指す言葉だったのである。サミュエル・ガードナーに続く20世紀の歴史家たちは、チャールズ一世の専制に対する議会主権主義の、あるいは抑圧的な国教会体制に対する自律的なプロテスタント信仰者たちの党争として、17世紀半ばの出来事を再評価した。かつての不幸な「反乱」は、誇るべき「革命」となったのである。≪
≫…もとより「ピューリタン」は、明確な社会的カテゴリーや特定の神学体系ではない。16世紀後半から17世紀前半にかけて、この言葉は祈祷書や祭服、主教制などを悪しきローマ・カトリックの残滓として批判したり、一般民衆の不信仰を糾弾したりする一部の熱心な聖職者たちの独善を揶揄するラベルであり、蔑称であった。しかし歴史家たちは、プロテスタント宗教改革の理念型としてピューリタニズムを肯定的に定義し、革命前の国教会の様々な「不完全」さと対比させた。すなわち、国教会が国王の政治的な(不純な)動機によるトップダウン式の改革の産物であったこと、「カトリック的」な礼拝様式を残したこと、個人の信仰の自由を認めなかったこと、と言った諸問題である。こうして否定的に定義された「アングリカニズム」と、これに対峙する「ピューリタニズム」の二項対立を、課税や行政をめぐる国王と議会の対立に重ねあわせることによって、後者の勝利を歴史の必然として説明したのが、「ピューリタン革命」論であった。≪
この議論はこれでやめる。しかし、歴史を振り返って見て、産業革命を控えたこの時代のイギリスはやはり非常に混乱しているように思う。思想史的に見れば、一方に依然として「王権神授説」的な発想、つまりあらゆる職業や身分・地位などは、あらかじめ神によって与えられ、運命的に定められたものという根強い考え方が残っているが、他方、ルネサンスの影響により、人間は自然と同じ存在であり、いわばある種の「機械」にすぎないという考え方が、特にインテリゲンチャの中には強く浸透してきていたのである。
これらの二つの考え方(「王権神授説」と近代的・機械論的自然・社会観)の対立を根本に据えてこの時代を眺めることが、時代の思想史的理解にとって欠かせない要因であるように思う。
血液循環理論の確立者として有名なウィリアム・ハーヴェイ(W.Harvey)は、心臓が一種のポンプにすぎないとの機械論的解釈をとったことで知られているが、この解釈は当然ながら、ハーヴェイの親友だったホッブズに影響を与えたと考えられている。(「自然についての見解はガリレオの機械論的見方」が英、仏の思想界に大いに影響しているといわれる)。
永井道雄(「恐怖・不信・平和への道―政治科学の先駆者」『ホッブズ リヴァイアサン』中央公論社「世界の名著」23)によれば、こうだ。
≫…デカルトは動物を機械とみなした。ホッブズに至っては、後年、人間と社会のいずれをも機械として理解し、しかもこれを操作する理論に到達した。(p.18)≪
≫ホッブズは“人間”を自然の一部とみる。生命は四肢の運動であり、運動は内部の中心から発する。一歩を進めて人間自身を、心臓(つまり、ぜんまい)、神経(線)、関節(歯車)をもつ人工的人間と考えることはできないか。そしてこの原理に基づいて国家という人工の人間を創造することはできないか。これが『リヴァイアサン』の意図である。(p.30)≪
(2)『リヴァイアサン』によって惹起された諸問題
リヴァイアサンとは、旧約聖書の「ヨブ記」に出てくる水に棲む生き物の王者で、「ワニ」といわれる。それに対して陸を支配するのがビヒモスである。
≫自然状態にある人間は「万人が万人に対する戦争の状態」に生きる反社会的動物である。…自然状態にあるかぎり、人間は死ぬほかはない。しかし生きることは人間の権利である。…人間は生きるために社会を作らざるを得ない。自然状態にある人間を死から救うものは「死の恐怖」である。「死の恐怖」を転換の契機として、人間は自然理性によって生きる。自然権の放棄を決意し、契約によって、個人あるいは合議体に権利を譲り渡す。その時初めて権力が設定され、人間は団体の一員となる。権力は地に並ぶものがない地上の神であり、それのみが生存権を保障する。(p.12)≪(同上書)
ホッブズの時代のイギリスは、産業革命前夜の混沌状態にある。ホッブズによれば、人間の自然的な本性が「弱肉強食」というものであるならば、相互不信から互いに殺しあって滅亡する以外に逃れるすべはないことになる。生き残るためには「社会契約」を結び、「力」によってそれを調停する以外にない。全ての人間が「自然権」を放棄し、それを第三者に「譲渡」する、この第三者たる、絶対的主権者が「国家」(=リヴァイアサン)である。
ホッブズで面白いのは「リヴァイアサン」という「人造物」=国家が、独り歩きして、制御不能になる可能性を秘めている点にある。最近のAI技術の飛躍的な前進がもたらさざるを得ない、ある種の「畏怖」を連想させる。
国家=人工的な物体、自然法(natural law)が個人意志を超えた一般意志として登場することまでの脈絡はなんとなく「判る」のだが、社会契約によってつくられる「人造物」=国家(一般意志)がリヴァイアサンということになれば、それは、再び人間界を超越した、疎外態=神になってしまう。あるいは絶対的な独裁支配を生むことになる。
実際にホッブズでは解決困難な事態が出来してきたのではないかと思う。ホッブズのイメージでは「専制君主制」がそれにあたるからである。確かに、「王権神授説」的な、神から賜った権力ではなく、あくまで諸個人の社会契約により、合理的に成立したものといいうるであろうが、それで平和と秩序を回復するとすれば、それは「鉄の檻」に閉じ込められた平和と秩序でしかないだろうからだ(王権神授と内容的には変わらない)。
ジョン・ロックが登場するのはホッブズの死後、1688年の名誉革命の時代である。彼の政治理論(『政府論』)は、ホッブズ(及び、フィルマーの父権論)への批判からなっている。
ロックもホッブズ同様に、人間(個人)の自然権から入っていくのであるが、彼はホッブズとは逆に、平和と秩序の世界であった自然状態が、様々に侵害されることがある、この自然権侵害防止のためには社会契約による国家の創設が必要であると説く。ロックにあっての社会契約は、それ故、個人の自然権は「放棄=譲渡」されるのではなく、あくまで「信託=譲渡」されるという点に大きな違いがある。
≫こうしてロックは、人間の自由及び生命・財産に対する天賦の自然権を、絶対的主権者という否定的媒介なしに、そのまま社会の基本原理として確立した。そして彼は、国家の任務が個人の自然権の保障にあるからには、およそ専制的支配は排除さるべく、契約によって規定された国家権力はさらに立法権と行政権との分離によってその過大化を防がねばならぬと説き、ここに市民的民主主義と自由主義の政治理論を創始した。彼に理論は、単に名誉革命を正当化するに役立ったのみならず、やがてアメリカ・フランスに伝えられて、その地における市民革命の政治理論を形成することになったのである。(遅塚忠躬「近代社会の成立」)≪
(3)シェイクスピアの「問題劇」はこの時代のバロメーターか?
ここでは問題を振ることしかできない。しかし非常に興味深い問題だと思う。
既に専門の研究者による研究書も出版されているようであるが、無精者ゆえ、まだ全く手に取っていない。また、最近の研究では、シェイクスピアは少なくとも7人はいたのではないかともいわれているようだ(有名なのは、フランシス・ベーコン説である)が、不勉強にしてこちらもまだ全く読んでいない。
序ながら、ベーコンという人物は、なかなかの「食わせ者」であったように思う。大変な才能の持ち主だったようだが、また信頼を裏切ることをなんとも思わぬ「野心家」=俗物根性丸出し(例えば、「世に友情は貧しく、特に同輩間ではごくまれである」と断言するほど)で、晩年は大法官の身でありながら収賄の廉で断罪される。しかも、60歳の時の「祈祷文」で、「天賦の才能を自分に最も適さないことで誤り費やしてしまった」と自己批判しているほどだ。シェイクスピアの一人にふさわしいと私は思いたいが…。
ふつうシェイクスピアの演劇と言えば三つのジャンルが考えられる。喜劇、史劇、悲劇である。
「問題劇」といわれるのは、そういうジャンル分けからはみ出した領域の問題である。位相が異なるとでもいうべきなのか?
このことが気にかかり始めたのは、手元の全集版をはじめから読み進めていたときだ。
喜劇のジャンルに分類されているのに、どうも素直に喜劇とは受け取れそうにない深刻な筋立てに何度か出くわした。「これを喜劇と呼ぶには何とも息苦しいのではないか」という気持ち、疑問が生じた。「本当にこれが喜劇なのだろうか」「喜劇ではなくて、悲劇と呼ぶべきではないのか」と。
確かにストーリーは途中で反転し、最終的には大団円の「ハッピイ・エンド」を迎えることにはなっている。だから「喜劇」なのだと、考えられないことはない。
あるいは、いかなる喜劇といえども、その内部になにがしかの悲劇性を孕んでいるものであり、また逆に、いかなる悲劇といえども、ひとかけらの喜劇性をも内在させていないものはありえない。つまり、喜劇性と悲劇性とは対概念である、と考えることもできる。
しかし、それではこのジャンル分けはそもそもなんだったのだろうか。
もちろん、彼が書いたすべての喜劇に対して、こういう感情を抱いたのではなく、ある種の作品に限って、読み進むうちに何とも胸が締め付けられるような深刻さを感じ始めたのはなぜだろうか?
よく耳にすることだが、喜劇作品がその時代への批判を強く打ち出している時は、時代が健全である証拠であり、時代状況がだんだん衰えるにつれて、作品の勢いは弱まり、せいぜい皮肉や風刺レベルに流れ、いよいよ時代が危機的な状況になれば(だからこそさまざまな弾圧が高じられるようになるのであるが)作品は権力への迎合、礼賛という仕方で忖度するようになる、と言われる。そういう意味で、喜劇は時代のバロメーターであるということもできる。
もう少し、一々の「問題劇」にあたって意見を述べたいとも思うが、どうも最初に設定した主題から離れすぎることと、いつもながら「小論」とうたいながら冗漫な議論になる恐れもあり、この問題は後日へと留保したいと思う。
(4)ヘーゲル「国家観」と対質すれば、どうだろうか?
上述したことから判るように、それぞれの論者のイメージする国家論が、その時代状況と深く結びつき、いわば特有の時代状況との「合作」としてあるということである。
この小論の最後として、ヘーゲルの国家観を取り上げてみたいが、言うまでもなく彼の時代はフランス大革命の時代である。(あえてここで「論」と「観」を使い分けたのは、金子武蔵の著書『ヘーゲルの国家観』を意識してのことである)。
ホッブズを読んでいてわかりずらいのは、どうして「機械」であるはずの個人の権利を「自然権」とするのか、という点である。「国家」が、社会契約によるせよ人工的につくられた「機械装置」であるということは、一応了解しうるが、「人間=機械」とした場合に、そこに「自然権」を認めることは何とも不整合に思える。
しかしともあれ、ホッブズやロックによって礎を築かれた近代国家論が、諸個人による統治者(国家権力)への自己の自然権(所有権)の移譲から成立していることはいえる。
「国家権力」の巨大化が、社会や個人にとって桎梏と感じられるようになったときに、先に遅塚忠躬を引用して述べたように、三権の分立が問題になり、市民革命が遂行されることになった。個体主義による契約社会の到来である。
しかし、このことは反面から見れば、例えば、家族関係や結婚などの「情愛」での結びつきを否定し、無味乾燥で冷酷な契約関係(打算)に変えてしまうことを意味する。
ヘーゲルはそのような市民社会(ブルジョア社会)を「欲求Bedürfnisの体系」と呼ぶ。注意しなければならないのは、この Bedürfnis(欲求)という概念が、動物などの自然的で本能に基づいた「欲望Begierde」とはっきり区別されながら使われている点である。つまり、個人(人間)の有する「自然」という本性が、ここではすでに「市民社会」という歴史的に固有な段階の内に捉え返されているのである(ホッブズやロックの「自然」ないし「自然権」にはこういう概念規定はない)。因みに、カントは「結婚観」において、契約論を肯定している。
このことを議論の前提に置きながら、ヘーゲルの「国家観」を検討するなら、「国家」が「一般意志」を代表していることには異存はない。しかし、「一般意志」が個人の有する個別意志(ホッブズはそれを放棄=譲渡し、ロックは信託=譲渡したのが国家であるが)をはるかに超越し、虐げることになるとき、ホッブズでは支配者(権力者)の善意か良識に任せる以外に何ら打つ手はないのであるが、ロックでは三権分立に基づく民意の抗議による政権交代の可能性も視野に入りうるだろうことは想定しうる。
しかし、今日のわれわれの置かれている社会状況を瞥見すればすぐ判るように(沖縄基地裁判の結果や、福島沖海中への汚染水放出など)、「形式的」に分立されている三権は、まさに「支配者の出先機関」にほかならないこと、このことは改めてマルクスの言を俟つまでもなく、国家(政府)が支配者たるブルジョアジーの「御用機関」(私物化されたもの)であるということから当然推論しうることである。「民主主義の欺瞞」!
ヘーゲルの「国家観」は、この問題を鋭く剔抉する。彼は「一般意志」の絶対化が、個別意志(個人)の頭蓋骨をあたかも「キャベツKohlをたたき割るように」砕いていく様をフランス大革命の最中の「恐怖政治」に見るのである。ここには人間的な「情愛」は皆無だ。
当時の時代状況の中で、ヘーゲルは「職業団体」による監視などの条件付きで「民主性」を讃えている。そして、よく言われるヘーゲルの「立憲君主制」論については、『歴史哲学講義』の中で、「便宜上」の賛意を表明しているに過ぎない点にも止目すべきであろう。
そろそろこの小論を締めくくるべき時である。
彼は市民社会(ブルジョア社会)によって形成された「国家」を「悟性国家」と呼び、その性格はわれわれにとって「外的、強制的なもの」であるという。この辺の詳細な検討は『法哲学』に基づいて他日続きを書きたいと考えている。ここではこれ以上論稿を長くすることを慎み、以下の廣松渉の手になる一文をもって終わりたい。
≫彼は市民社会(悟性国家)が労働の場での矛盾に因って、一方の極における富の過剰蓄積と他方の極における貧困化の進捗、労働大衆の被救恤民化をもたらすこと、そこで、この悟性国家は福祉行政や植民政策などを採るがこれによっても矛盾を解決できないこと、さらには同胞団体制度(先に述べた「職業団体」のこと〉によっても市民社会の内在的矛盾を克服できないこと、このような具体的な内容を指摘しつつ、市民社会そのものを止揚して人倫的共同体たる理性国家を確立することが必要な要件である所以を説く。(『ヘーゲル』廣松渉編 平凡社)≪
廣松さんは別の個所で、「理性国家とは、国家がないということと同じである。つまり共産主義社会をヘーゲルはイメージしていたと考えられる」とも書いている。
*AI問題には全く触れることができなかったことをお詫びしたい。
2023年8月27日記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1273:230828〕
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