世界のノンフィクション秀作を読む(74) 木原武一(著述家)の『ぼくたちのマルクス』(筑摩書房)――「マルクス症候群」が止んだ今こそ彼の思想に注目を、と提言(下)
- 2024年 6月 12日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」マルクス木原武一横田 喬
🔷「資本論」の世界
マルクスには革命家、経済学者、哲学者など幾つかの顔があり、その思想全体を作り上げている。核となるのは経済学で、その主著『資本論』だ。欧州の大学に経済学部が新設されたのは十九世紀末。彼が大学生当時の十九世紀前半には、経済学部は存在しなかった。
大学で法律学と哲学と歴史を学んだマルクスが経済学に関心を持ち始めるのは大学卒業後。『ライン新聞』の編集に携わり、森林の盗伐問題を知る。木材の盗伐より枯れ枝の収集を重く罰することの不合理を衝く記事などを書くうち、経済問題への関心を深めていく。
26歳でパリに移った頃から本格的に経済学の研究を開始。ロンドンに移住後は毎日のように大英博物館の図書室に日参。経済学の専門書や各種の統計資料、報告書などを調べ、膨大なノートを取った。その研究成果を1859年に『経済学批判』として発表。さらに研究を重ね、67年に『資本論』第一巻を出版。彼の構想では全体は三巻から成る予定だった。
83年に世を去るまでマルクスは執筆と整理を続けたが、遂に未完に終わる。彼の死後、第二巻と第三巻は盟友エンゲルスの手によって原稿が整理・編集され、出版された。この大著は世界中に読者を獲得。日本では戦前戦後を通じ、四百万部は売れたとされる。
マルクスを経済学の研究に向かわせたのは唯物史観への絶対的な信念だった。彼は『経済学批判』の序言で大要こう述べる。「人間の物質的生活を決めるのは社会の経済的システムであり、この現実の土台の上に法律的、政治的上部構造が聳え立ち、人々の意識もこの土台に対応する」「人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する。そして、経済システムという下部構造の変化によって、巨大な上部構造は覆る」。即ち、経済が社会と人間の全てを決める根本の要因であり、経済のシステムが変われば、社会も人間も変わる、とした。
マルクスは資本主義経済は如何にして崩壊するかという点に狙いを定め、資本主義経済を分析した。アダム・スミスやリカードなどマルクス以前の経済学者と決定的に異なるのはこの点にある。古典学派は資本主義経済を永久不滅のものと考えたが、マルクスは歴史の中の一つの過渡的なシステムと捉え、古典学派を批判する形で『資本論』を書いたのだ。
現代の日本を見渡せば、人々の最大の関心事は金儲けにある。これは正しく、経済が最優先されている社会に他ならない。「日本はマルクスの唯物論が実現されている国だ」と言って、差支えない。人々はそれと特に気づかず、唯物論を友として生きているのである。
『資本論』全三巻の内容について。第一巻は「資本の生産」、第二巻は「資本の流通」、第三巻は「資本の分配」となる。どの部分が一番重要かと言えば、資本の生産について扱った第一巻であり、その内容を以下に要約紹介してみよう。
マルクスは商品を産みだす源泉に言及。それは人間の労働にあるとし、ある商品が価値を持つのは、人間の労働がそこに具現されているからだと規定。商品の価値量は、「価値を創造する」実体の分量、つまり労働の分量によって測定される。これが彼の「労働価値論」の要点だ。単純で分かり易いが、詮索や分析により、複雑な様相を呈してくる。
「労働価値論」を一行で表せば「商品の価値は、そこに投入された労働時間によって決まる」。この理論に対し、「機械や道具を使ったため、労働時間が少なくなった場合は?」という指摘が予想される。これについてマルクスは、機械や道具を作るために投入された労働時間の何分の一かを加えればよい、と教えてくれる。
また、いわゆる精神労働や知的労働について。『資本論』第一巻第五章の最後の部分にこう記す。「いかなる価値形成過程においても、高級な労働は、常に社会的平均労働に換算されねばならない。例えば、一日の高級労働は、X日の単純労働に」。「高級な労働」には現代のサラリーマンが従事する精神労働や知的労働も含まれている、と考えていい。熟練労働と同様に高度の精神労働も標準的な単純労働に換算できる、とマルクスは考えていた。
『資本論』第一巻を通読して気づくのは、<労働者の搾取を通して如何にして資本が生み出されるか>という構図の下に全体を構成。長い文脈の中で、そのことが語られている。
「労働力価値論」はそのことを論証するための不可欠の前提であり、出発点であった。
マルクスのユニークな処は、労働力を一つの商品と見做し、分析している点。即ち<労働力の価値は労働者とその家族の生活費によって決定され、この労働力の価値が労働者の受け取る報酬となる>。
彼が照準を合わせているのは商品一般ではなく、労働力という商品だ。労働力も他の商品と全く同様に市場で売買され、商品としての価値も同じようにして測定されることを十分に論じた上で、『資本論』の中心テーマである「剰余価値論」へと進む。
🔷疎外された労働
マルクスは当時の労働者の姿を、利潤の追求一筋の冷酷非情な資本家によって生殺与奪の権を握られた根なし草のように描いた。「賃金の上昇は労働者たちの間に過重労働を引き起こす。彼らはより多く稼ごうと己の時間を犠牲にし、一切の自由を完全に放棄して奴隷労働をやり遂げねばならない。その結果、彼らは己の生涯を短縮するのだ」。
現代日本のサリーマンにほぼ当てはまりそうだ。ぎりぎり限度一杯の残業、休日返上の出勤、そして過労死。資本主義経済の下では、労働者はより多く働き、より多く稼ぐように促されている。労働者の「生涯を短縮する」要因が資本主義経済に内在していることを、マルクスは指摘しているのだ。
🔷ユートピアの奨め
マルクスは概略こう説く。資本主義が発展するに従い、資本の集中が進み、本来は社会全体のものである富が少数の資本家に独占されるようになる。それが却って障害となり、資本主義経済は持ち堪えられなくなる、と大恐慌が勃発。革命が起こる、と言うのだ。
が、二十世紀の資本主義国では資本の集中は進んだが、何度かの大恐慌にもめげず、資本主義は益々発展するばかり。むしろ、資本の集中は経済を活性化する力ともなっていた。マルクスの理論に従う限り、資本主義は滅びそうになく、共産主義は実現しそうにない。
唯一つ納得できるのは、社会が十分に豊かになった時、社会は変貌するという指摘。エンゲルスは『空想より科学へ』で<生産力が十分に発展すれば、階級の分裂と階級闘争は一掃される>と述べている。確かに戦後の高度成長期の日本を見れば判る。世界にも例を見ない日本の無階層社会を作り出したのは、何よりも経済的豊かさだった。
マルクスは、フランスの社会主義者で同時にユートピア思想家であるサン・シモンやフーリエを「空想的」と批判した。彼らが現状の分析もせずに、一足飛びに理想の社会を描こうとしたからだ。マルクスのユートピアの最も肝心な処は、「各人は能力に応じて、各人には必要に応じて」という原則。全く在り得ない夢物語だとばかりは言えない。
弱者や老齢者や困窮者に対する社会保障や社会福祉の制度などは、「各人の必要に応じて」という理想のささやかな実践。また、高額所得者への累進的課税なども、「各人は能力に応じて」社会に与えるという理想の、資本主義的な方法の一例。いずれも、マルクスの思想の成果と言っていい。
新しい社会の新しい人間の生き方としてマルクスが強調するのは、分業の廃止であり、多様な能力と技術の取得である。同じ一人の人間が農業と工業との両方に携わることは、共産主義社会の必然的条件。様々な仕事の体験は、人々の素質をあらゆる方向に伸ばす機会を与える、と彼は言う。分業の原理は、疎外された労働を生み出し、労働者を一つの商品に過ぎないものに変える原理とされる。
共産主義社会になると人間の自由が奪われるのでは、という不安がある。旧ソ連や中国の例から類推されたものだが、マルクスとしては傍迷惑なこと。彼が何より目指したのは、あらゆる束縛から人間を解放し、人間の自由を取り戻すことだったからだ。彼は二十代半ばに、こう宣言している。「人間の世界を人間そのものへ復帰させること」と。
🔻筆者の一言 『資本論』序文には、「汝の道を行け、そして人々の語るに任せよ!」という、かのイタリアの詩人ダンテの言葉が引かれている。『経済学批判』の序文にもダンテの言葉を引用。「一切の優柔不断を捨てねば。臆病根性は一切入れ替えねばならぬ」と記す。マルクスは闘うことに無上の喜びを感じ、最も嫌いな悪徳として「卑屈」を挙げた。妥協とか寛容というものを殆ど知らず、全てに挑戦の構えを以て立ち向かった。マルクスについて、「あれほど挑戦的で、不寛容な男は見たことがない」と言う同時代人もいる。マルクスもダンテも相似た「我が道を往く」タイプで、妥協や服従を知らぬ人間だった。二人とも、生涯の大半は故国を追われ、亡命者として異国で暮らすことを余儀なくされている。
初出:「リベラル21」2024.6.12より許可を得て転載
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