世界のノンフィクション秀作を読む(75) ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』――新大陸の住民はなぜ旧大陸の住民に征服されたのか(上)
- 2024年 6月 20日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド世界のノンフィクション横田 喬
著者(1937~)は上掲の著書を1997年に刊行し、ピューリッツァ賞・国際コスモス賞などを受けた。アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか?(なぜ、その逆は起こらなかったのか?)を考察。人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を進化生物学の広範な最新知見を駆使し、解明を試みた。欧米の歴史に重きを置いていない内容は「逆転の人類史」とも評され、著者ダイアモンドは「甘受する」と受け止めている。
彼は序章で本書の内容をこう要約する。「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどった。が、それは人々の置かれた環境の差違によるものであり、人々の生物学的な差違によるものではない」。彼は「たまたま征服者になった人々」と題し、ヨーロッパ人とアメリカ先住民とが出会い、何がもたらされたかを考察している。
🔷ピサロ(スペイン人)とアタワルパ(インカ帝国皇帝)の激突
近代で人口構成を激変させたのは欧州人による新世界の植民地化だ。欧州人が新大陸を征服~アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の人口が激変~部族によっては滅亡してしまったものもある。
1532年、スペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地で出会う。当時の欧州最強の君主国スペインを代表するピサロは168人のならず者部隊を引率。が、土地についても、地域住民についても、全く不案内だった。一方、アタワルパは何百万という臣民を抱える帝国の中心にいて、八万の兵士に守られていた。
ピサロ側が有利だったのは、スペイン製の鉄剣や鉄製の甲冑、銃器、そして馬を持っていたこと。対するアタワルパ側は馬を持たず、武器は石の棍棒や青銅製か木製の棍棒。槌や鉾、刺し子の鎧で戦わなければならなかった。欧州側が圧倒的に有利な武器を持ち合わせていたことが、結果を左右する要因となった。カハマルカの戦いでは、168人のスペイン軍が一人の犠牲者も出さずに何千人という敵を殺し、五百倍もの相手を壊滅させている。
もう一つ、先住民を悩ませたのは天然痘だ。当時、インディオの間で大流行し、1526年にはインカ皇帝カパックや廷臣たちの大部分もそれがもとで死に、後継者クヨチもすぐ天然痘で死亡。王位をめぐる争いがアタワルパとその異母兄弟の間で起き、内戦に発展した。天然痘の大流行がなかったら、インカ帝国の分裂は起こらなかったかも知れない。
世界史では、疫病に免疫のある人々が免疫のない人たちに病気を移したことが、その後の歴史の流れを決定的に変えてしまっている。天然痘をはじめ、インフルエンザ、チフス、腺ペスト、その他の伝染病により、欧州人が侵略した大陸の先住民の多くが死亡。コロンブスの大陸発見以前の人口の九五パーセントを葬り去っている。
読み書きのできたスペイン側は、人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた。対照的に読み書きのできなかった側は、スペイン人に関する知識を持ち合わせず、海外からの侵略者についての経験もなかった。この経験の差が、その後の両者の運命を決定する。
🔷銃・病原菌・鉄
ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、欧州人が新世界を植民地化できた直接の要因だ。ピサロを成功に導いた要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などに基づく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、欧州の航海技術、欧州国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことだ。
🔷食料生産と征服戦争
植物栽培と家畜飼育の開始は、より多くの食料の入手を意味し、人口が稠密化することを意味した。栽培できる植物や飼育できる家畜を手に入れることが出来たことが、帝国という政治形態がユーラシア大陸で最初に出現したことの根本的な要因だ。また、読み書きの能力や鉄器の製造技術がユーラシア大陸で最初に発達したことの根本的な要因だ。他の大陸では、帝国も読み書きの能力も、そして鉄器の製造技術も、その後になるまで発達しなかった。
🔷持てる者と持たざる者の歴史
食料生産を独自に始めた地域は世界にほんの数カ所しかない。食料生産は開始した地域を中心に近隣の狩猟採集民の間に広まっていった。食料生産を他の地域に先んじて始めた人々は、他の地域より一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩み出す。この一歩の差が持てる者と持たざる者を生み、その後の歴史における両者間の絶えざる衝突につながっている。
🔷突然変異種の選択
食物を最初に作り始めた狩猟採集民たちは、果実ができるだけ大きく、味に苦みがなく、果肉部分や油分が多い、といった自ら検証できる特性に着目した。それを基準として野生種の中から選抜し、それらの特性に優れている個体を何世代か繰り返し収穫し続けることで、その植物の分布を助け、野生種を栽培種に変化させてきたのだ。
野生の小麦や大麦の種子は、弾けるタイプの鞘に包まれていない。小麦や大麦は、穂先に実り、自然にまき散らされ、地面に落ちて発芽する。が、突然変異種は穂先の実(種子)をまき散らさない。こうした実ほど、人間が採集するのに好都合だ。それを人間たちが持ち帰り、栽培が始まったものと考えられる。
こうして人間は自然淘汰のベクトルを完全に反転させてしまう。人類は一万年以上前に、種子をまき散らさない小麦や大麦の穂を意識することなく選んだ。それは人類が植物に施した最初の重要な「改良」であり、中東の肥沃三日月地帯の農業はこの改良の結果起きた変化に端を発している。
ビート(サトウダイコン)は、バビロニア時代には葉を食べる目的で栽培されていた。その後、根を食べるために栽培され、やがて十八世紀になると、糖分を抽出する目的で栽培されるようになる。選抜栽培でもっと大きく多様化していったのがキャベツだ。葉の大きな個体から選抜栽培された個体や系統から現在のキャベツとケールが誕生する。さらに芽キャベツとかブロッコリーやカリフラワーなどが派生している。
初出:「リベラル21」2024.6.20より許可を得て転載
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記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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