令和版・近代の超克談義 前篇
- 2024年 9月 27日
- カルチャー
- 川端秀夫近代の超克談義
◆まえがき◆
TさんとKさんと私(=D)の三人。Xさんも一回参加による対話の記録です。私のつぶやきがきっかけの対話です。超長文ですので、前篇・後篇に分けて掲載します。
◇私(=D)の最初のつぶやき◇
①1970年の三島由紀夫の割腹自殺の際に滝田修は「我々は負けた。我々の側からも第二、第三の三島を出さなければ」とのコメントを出した。命を賭した行為を無条件で讃えるべきか。もし三島の死が究極のマゾヒズムのもたらしたものであるとしたならば、滝田修はなにか勘違いを犯していたことになる。
②フロイトの理論によれば、攻撃衝動が他者に向けられるのがサディズムであり、自己に向けられるのがマゾヒズム。テロは一般的には他人を殺傷するのだが、自分をテロの標的に選ぶのを何と呼ぶべきか。三島の割腹自殺は文学者の自死ではあるが、三島の自意識の中では皇帝暗殺のテロだったのかもしれない。
□以下、コメントです□
T:昭和天皇は目が泳いだんではないでしょうか(笑)
K:ドゥルーズのサド・マゾの定義はフロイトとは異なりますね。同じ論理の正反では区別できないもので、特にマゾは契約が関係しているという論点を出しております。
T:これですよね→「マゾヒストは法が与える罰(結果)を進んで享受するが、しかし罰を与える者は父権=法ではなく、『女性』である。マゾヒストは、罰を与える者である父権=法を追い払うために、みずからすすんで『女性』と契約を結び、自分を鞭打たせるのだ。」byドゥルーズ つまりSとMは表裏一体ではないのだ、と。
D:直観的に言えば、契約という観念は西欧に特有の強迫観念・固定観念・妄想であり、SとMにまでからめて論じるのは普遍性を持たないような気がします。欧米=父の宗教、日本=母の宗教と区別したのは、違いの分かる男(?)遠藤周作ではなかったでしたっけ。
T:Korean先生が言いだしっぺ?私が物心ついたら(笑)すでに言われていたので良く知らないですぅ。しかし三島は基督教というテンプレートに天皇を載せて「殉教」を構築した観があるから、それで言うなら、あながち「契約」もあるかも~、とか。なにせ縛られて体に矢が刺さりまくるサンセバスチャンのファンでしたし~。
T:それで、もともとのお話に戻ると三島の割腹自殺は、あれこれいろんな要素がミックスですけども、私は自爆テロだと思ってマス。
D:三島の割腹は楯の会の決起の一環として行われたエピソードであり必ずしも個人的な行為ではありません。その事は持丸博氏のこの講演を聞くまでは私は気づいてませんでした。【持丸博】「楯の会」初代学生長が語る在りし日の三島由紀夫⇒http://www.youtube.com/watch?v=uzh2CEhHmwo
D:持丸博氏はかっての同志三島由紀夫を水戸学の継承者としての立場から批判しています。その批判は極めて真摯なものであり、私は感銘を受けたことを告白します。
⇒『証言 三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決』
T:持丸氏の弁を聞くと(あ、ご教示ありがとうございました)、市ヶ谷の一件は楯の会というよりも、会が実質的に目的を失った後、三島個人が企画立案し、三島に共鳴する会の個人(4名)が追随した・・・というニュアンスのようですけれど。(実際には他の人も追随したかったようではありますが)
T:それから、持丸氏の言われる「三島の本当の思い」というのもすでに檄文に顕れていて、三島の行動は単なる改憲要求ではなく、西洋近代理性一辺倒の(当時の&現在も続く)現状に対する批判精神であり、アンチグローバリズムの意図も汲めるように思うんですけど。どんなもんでしょう。
D:日米戦争は、日本側からすれば、日本のヘゲモニーによるグロバーリズムの確立にあったということかもしれません。負けたからグローバリズムに反対するというのは、三島の矜持が許す論理かどうか。楯の会については大体の流れはその通りかと思いますが、対談の中では楯の会のより深い思想的背景についても触れられています。
T:三島は戦前の大陸進出という国策にはリアルタイムで積極的賛成でもなかったですよね、徴兵も忌避したフシがありますし。国家戦略としてのその時々の具体的選択(グローバリズム云々)よりも、三島は更にメタレベルの(今風に言うと)「国家の品格」を重視したのではないですかね。
D:「国家の品格」ですか。うーん、例の藤原正彦氏の造語ですよね。三島の場合、正気を踏まえつつも狂気の世界にも入り込んでいる。品格という言葉では覆いきれない闇の領域がそこにある。すべては悪霊のなせる業といっても必ずしも間違ってない危うい世界を彼は白昼に引き摺りだした。よく分らないです。彼の最期の境地は。
T:最期はいろんな成分が混合ですよね。天皇への忠誠(観念の天皇)と反逆(リアル天皇)であり、反逆部分は自爆テロ、忠誠部分は聖セバスチャンプレイで、品格の率先垂範であり、個人的な死場所探しであり、文学の行動化と演繹的オチであり、全共闘世代に対するタメ張りでありetc.単なるアナクロニズムでないのは確か。
X:三島の最期の境地は本当にわからないですね。図式的には、ハイデガーの「祖国のための死」、「真の供犠」なのでしょうが、境地自体は私にはわかりません。付き合いのあった野坂昭如あたりの俗な回想(『赫奕たる逆光』)のほうがよく想像できます。
T:ハイデガーに即して言うと、「死」の実存論的把握。これにより「頽落」における「非性」から解放され、「企投」による先駆性(全体的な存在の可能性)と決意性(本来的な存在の可能性)が生まれるという部分、この部分が三島に最も影響を与えたのではないかと思われます。『葉隠』との類似性が著しいので。
D:ハイデガーが三島に影響を与えたということではないのかもしれません。浅利誠は「実は僕、パリにいて、三島とハイデガーにはずいぶん共通項があるなあと思って驚いたことがあります」と芥たちとの討論で述べてます。三島は自分の思いを掘り下げることによって、ハイデガーとよく似た発想・理念に辿り着いたということかも。
T:浅利さん同様、私も三島とハイデガーにはずいぶん共通項があると驚いたクチです(それもつい最近)。三島がハイデガーを積極的に摂取した訳ではなく、「自然によく似た発想に辿りついた」には賛成ですが、それでも作品中にヘルダーリンと共に名前を挙げていたりするから、並以上の関心はあったのではないかと。
K:『絹と明察』にハイデッガーが大いに利用されております。三島の真意などは彼自身の著作を読めば問題にしてはいけないはず。強固な「自意識」が霧消する話ばかりです。彼自身の行動の果ても主人公たちと同じです。近代の「自意識」批判をしている。ポストモダンの空無に表象を乱舞させるというのが彼のスタンスのはず。
K:彼の蒔いた表象の乱舞に目を惑わされてはいけないと思います。本気は冗談、冗談は本気というぐあいに反転する仕組み(パラドックス)をめぐって言説を組み立てており、いわゆる日本浪漫派ロマン的イロニーの徹底だと思います。そのパラドックスの間に「文化としての天皇」がせり上がる仕組みです。昭和天皇ではなく。
D:Kさんの三島評価は低いですね。私はハイデガーのニーチェ講義やヘルダーリン講義は愛読したものです。面白い。面白すぎる。でも三文小説ではないかという疑いが時として起こった。しかし三島文学を想起させる側面があるので、ハイデガーも一流かもしれないと思ったりもする。三島がハイデガーの評価を押し上げた。
D:どっちもインチキか、どっちも本物か。どちらかしかないです。片方がインチキで、片方が本物ということはありえない。メダルの裏表のように一卵性双生児のごとく両者は存立している。私の評価は右に揺れ、左に揺れますが、最後にはどっちも本物との判断の方に最終的に傾きます。
K:三島評価は決して低くはありませんよ。しかし、ハイデッガーよりもニーチェよりも云々というのは戦略的におっしゃるならともかく、世間では通用しないと思います。私は時代において三島は的確な認識をだれよりももっていたし、批評的に対したと思います。
T:話逸れますが、三島の『絹と明察』は強烈に面白かったですね。あれってドストエフスキーぽくないです?私はすごくそう感じる。寝たきりの根性曲がりの婆さんとか、元新橋の芸者とか、善悪混沌とした複雑な人物造形。それに、なにせ”父殺しの文学”ですし。
K:この『絹と明察』は、私の父親と関係しておりまして、近江絹糸の労働闘争が背景にあります。夏川社長という小説ではいじってありますが、なかなかの資本家がいて、その人を中心に動かしていて、あとの労働運動などは背景にしてしまって、いくつかの特徴的な人物を配して作られていると思います。おもしろいですね。
K:三島ととても似た思想の持ち主で同時代の人物として岡本太郎がいると思います。両者の比較はあまりなされていないようですが、私はとても似ていると思います。いかがでしょうか。
T:夏川社長って駒沢社長のモデルですよね。こちらは大槻くんのモデルでしょうか→http://shigahikone.blogspot.com/2009/06/blog-post_23.html
あの小説は、駒沢の方が明察に至るというラストが流石の洞察力で面白かったです。
T:岡本太郎は太郎で昔から好きですが、三島との共通点は考えたこともなかったです。思想的に似ています?うーん強いていうと、どちらも西洋理性を深いレベルで本質的に理解している点、、、くらいですかねぇ、思いつくのは。似てます? (ダンボールさん、話し込んじゃってスミマセン、つい楽しくて♪)
K:一般論でいくと三島が極右、岡本はリベラルというよりも左翼寄りだという認識が当時(68年前後)はあったと思います。岡本は大阪万博で左翼(反博)からたたかれました。体制派ということでしょう。まず二人の共通点は「太陽」を掲げたことです。
K:三島の「太陽」は戦前の天皇でしょう。戦後は「月」になりますね。岡本は太陽の塔です。縄文的なものから(日本の根源的なところから)くみ上げたディオニソス的なものの象徴でしょう。フラットな丹下建三の近代建築をぶち抜いて見せたわけです。三島の「文化としての天皇」もこれと重なるように思えます。
K:3投すいません。「文化防衛論」の論理と太陽の塔の認識はとても似ているように思います。また、三島はわかりませんが、岡本は反核なのですが、太陽の塔の電力は原子力発電でした。太陽=原子力の平和利用は容認していた。三島が偉いのは、戦前の「太陽」がなくなり、戦後は「文化として」と実体化しなかったことです。
T:岡本太郎って若い頃から哲学と民俗学だったし、三島語でいうと三島同様にロゴスもパトスも両方高いレベルで均衡してた人って気はしますよね。で、パトスがディオニソス的なものだと思うんですけど、あ、そうか、彼らのディオニソス的なものって共に近代批判とノスタルジアに繋がるのか・・・な?
D:岡本太郎の講演を聞いたことがあります。花田清輝の追悼講演会で演者の一人として登壇。岡本太郎の後が埴谷雄高でした。岡本の講演は面白かった。文字通り太陽のような人でした。対するに埴谷ですが、大河を後ろに控えた場所で深夜数人の信者を前に静かに語りかけるような語調でした。一語一語が選り抜かれ魂魄が籠ってた。
D:『絹と明察』は私は未読でした。いつか読んでみたいと思います。Tさんのリンクを読みましたが、興味深いですね。せっかくの機会ですので、飽きるまでいつまででも対話を続けて下さい。話題の拡散も、ご随意にどうぞ。
T:しかしノスタルジアと言うならば、彼ら特有という訳でもなく、多くの芸術家による根源的なもの/原始的なものへの回帰傾向は見られる気も。大物すぎますがレヴィ・ストロースを筆頭に、あとゴーギャンとかシュールレアリストたちとか。Xさんが先日レビューのパヴェーゼもそんなカンジなのかな?と。
T:私は日本浪漫派ってよく知らないんですけど、彼らはそんな路線なんでしょうか?
K:脱線すいません。私も埴谷雄高のドストエフスキー講演聞いたことがあります。「近代の超克」の問題が戦前にありますが、三島も岡本も「近代の超克」の反復をしているところがないでしょうか。反近代も近代に包摂されるはずですから、ともに近代主義者ですが反近代的スタンスをとった二人ということができるかもしれません。
K:「近代の超克」の3者(近代主義・日本浪漫派・京都学派)でいえば、三島も岡本も日本浪漫派だと思います。現在を否認するために過去に価値有りとするスタンスです。「ノスタルジー」と書かれましたが、もっと怖い「もの」をそこから汲み上げようとしていたはずです。
D:日本浪曼派の初心はこの「広告」によく表れていると思います。橋川も指摘するようにこの中に「民族」や「国家」という言葉は一語も見当たらないのですね。http://www.geocities.jp/penginkk/ni2.html
D:「近代の超克」の座談会で、小林秀雄はドストエフスキーについて語っていますね。竹内好の『近代の超克』論では、ドストエフスキーという問題について何ら述べられていなかったのが少し残念です。反近代的スタンスも近代主義者の一人ということになると、近代主義者以外いないという結論になるのでは?
T:ダンボールさん これは勇ましい!はぁ、こういう結成趣意書(?)なんですねー。「今の文学界はたるんどる!カツを入れたる!」って所ですかね。三島の言うところの「大高慢」ですね! たしかに岡本太郎の「今日の芸術」に通じるものがあります。
T:Kさん もっと怖いものって、なになになになに~?気になるじゃないですかぁ、ちょっとだけ言ってくださいよ~(笑)死に至る病とか、そういうこと? 埴谷はYouTUBEにもありますよ、先日テレビ放送されたもの。但し長い。
K:●文学界(小林など)の近代主義者(モダニスム)は過去→現在への刷新・徹底、●日本浪漫派は現在の否認→過去への価値追求、●京都学派は過去→現在→未来(大東亜共栄圏)への超克、という直線的な均質的時間の滑走路の肯定が前提です。いずれも「近代」のありようです。
K:ある程度「近代」が進むと(十分でなくとも)必ず反動として日本浪漫派はいつの時代も出てきます。反原発から日本浪漫派が出てきても少しもおかしくはない。そしていつしか、現在的なものと過去のものが混在し価値が多様化する、これがポストモダン現象です。ポストモダンは1850年前後すでにフランスであった現象です。
K:ポストモダンは何度も繰り返される。80年代90年代もそうだった。価値基準が定まらない表象の乱舞の中で人はシニカルになる。しかしこのシニカルさは人を活かさない。そのアリ地獄から出ようとして京都学派のような未来志向が出てくると出口が見えたようになって元気になれるので人は乗るわけです。
K:連投すいません。民族や国家を本格的に問題にしたのは京都学派でしょう。日本浪漫派は、近代主義により崩壊しかけているかつてあった日本のその素地(根源や基盤)を想起的に肯定した(古典・古きよき寺院など)。
K:ちょっと戻ります。三島とフロイトの問題なら、サド・マゾではなく、「生の欲動」と「死の欲動」の関係を問題にしなくてはいけないような気がします。『快楽原則の彼岸』ですね。フロイトもこの辺りで転回していると思います。怖い「もの」とは、「死の欲動」と関係しているかもしれませんね。
T:Kさんの三分類は大変分かり易くて有りがたいです、ありがとうございます。で、これで言うと、三島って、浪漫派よりもむしろ京都学派の方に近い印象。。。大東亜共栄圏はさておき京都学派って(といっても西田しか知らないですが)西洋と東洋の論理的融合を考え抜いていたし。
T:それから、西田さんはアイデンティティーの問題を常に考えてたし。と、色々触発されて思うことはあるのですが、ネムネムの時間になりましたので私は本日はこれにて退場です。寝ながら考えてみます。また明日やって来ます。では、お休みなさい。
K:三島は、アメリカナイズされた戦後の日本のポストモダンの状態の中で「日本」および「日本人」を救い出そうとしてビジョンを過去から参照して創り直して提示したのであって、それを未来に投射して外化、実体化するところまで示していないと思います。「文化としての」と寸止めしています。京都学派は実体化しますよ。
K:京都学派は、具体的な外化する先、実空間的な問題や構想を提示して、理想国家を投射する具体的な場所を提示したと思います。三島のいう「文化としての天皇」は理念としてはパラドクシカルにいるといえるけれども、どこにもいないとも言えます。
K:豊饒の海(戦後の天皇を思わせる月の海の意味)の最後で行く空漠とした庭、これがポストモダンの表象の乱舞の底にあるものだと彼はわかっていたと思います。金閣寺の開かなかった頂の部屋も同じ空虚感も同じです。彼は自分のやっていることもわかっていましたよ。全部。
D:廣松渉が『近代の超克』において、上記三派の中ではいちばん京都学派を評価しています。その評価の基軸は、<京都学派は近代の超克という観点において資本主義の超克を考えていたから他の二派よりいいのだ>。要はそういうことかと思います。しかし彼ら(京都学派)は実に節操のない連中でしたね。
D:終戦になって米軍が進駐し時代が転換したとみるや、直ちにではないが一部の人はその後、米軍の占領計画に協力しお手伝いを始めた。他の二派は転向はしなかった。主体性を失うことに抗った。文学界グループは一番頑張った口でしょう。日本浪曼派も保田は帰農し自らの文学観を掘り下げた。
K:廣松渉が晩年大東亜共栄圏めいた言説を出すのは、京都学派を批判する十分な視点を持つことができなかった証左でしょう。丸山真男は超克できるほど日本の「近代」は十分ではないという論を書いていますね。封建遺制が存在したままだと。私が疑問なのは丸山と小林は手を結べなかったのですかね。近代主義者として。
K:小林も途中から古典回帰するところが見受けられます。中村光夫だけが小林と同じ「文学界」であってもちょっとスタンスが違うような気がします。第二次大戦の足音をフランスの田舎で聞いて帰国した人ですからね。近代は今も終わっていないし、これからも続く。ポストモダンも近代の一種ですから。
K:ということは「近代の超克」は何度でも人を変えてポテンシャルを落としながら反復されるに違いありません。保田のバトンを三島は都市型で継ぎ70年まで引っ張った。文学界の思潮は基本モダニスムですから、がんばるとはいっても近代の基本ベースです。
K:平野謙が提唱したフィクショナルな「人民戦線」は、小林と中野重治が手を組むというビジョンでした。これにアカデミズムの丸山真男が加わり・・・なんて出来る可能性はまずなかったでしょうね。
T:おはようございます、復活しました。Kさんの3コメントは概ね同感。三島が分かっていた点も、「未来に投射して外化、実体化するところまで示していない」という点も。その上で。三島は、外化/実体化を意図していたかというと、そうではない気がしません?初めから視野に入ってないような。
T:だから、グローバル主義の発露としての大陸進出とか、思想の何らかの具現化形態を模索していたのではなく、丸山的に言うとササラの芯の部分を確立したかったのではないかと。だから、タコツボも、ササラの先っぽの枝分かれした部分も、彼的にはさして問題にしてなかったのかな、という気がします。
T:もっと丸山的にいうと「つぎつぎになりゆくいきほい」がヤだったのではないですかね。絶対を希求してたというか。それも三島の全体像ではないですけれど。重要な思想部分はそうだったんじゃないですかね。関係ないですが『日本辺境論』を読むと三島なら拒絶反応を起こすと思う。「田舎モンで行こう!」宣言みたいで。
K:丸山真男の『日本の思想』について書かれていると思いますが、かなり彼にはめずらしく比喩を多用した文章で人口に膾炙しましたね。三島と付き合わせたとき、丸山のいう日本の、何でも受け入れるが何も受け入れない無限抱擁性(通奏低音)と三島のディオニソス的なマグマがどう関係するのか考えてみなければいけませんね。
K:三島が表象の乱舞の底にみていた何もない庭(虚無)と丸山の「無限抱擁性」がどこかでつながるような気がします。この虚無は同時に表象の乱舞を可能にしているものでもあります。三島はこれを切り裂きたかったのではないでしょうか。それがディオニソス的なものの導入(備給)でしょう。
K:また京都学派の主である西田幾多郎にある「無」は自己差異化を伴っていますが、三島や丸山が指摘する無限抱擁性(虚無性)とどう関係するのかも考えてみたいところです。
T:三島がみていた何もない庭(虚無)と丸山の「無限抱擁性」がどこかでつながるような気がします。<まったくです。とってもつながる気がします。 ところで素朴な質問デス。孤児さんの定義では、無限抱擁性=通奏低音=虚無性=ポストモダン、でいいですか?
K:いえ、単純にポストモダンは等値してはいけないと思います。無+表象の乱舞(価値基準不在、現在的なものと過去的なものの混在)がまあその現象ですかね。
T:ということは、ポストモダン、現象としては一般的に言われている「何でもアリの相対主義」みたいな事でいいんですよね、孤児さん的にも。(ポストモダンっていろんな思想家がいるし、まだ概念をよく把握していないのですみません)
K:東の論を読まれたらどうですか。江戸末期あたりのスノビッシュくらいからコジェーブを使って論じていますね。相対主義的ですが、商品的にはいいとこを組み合わせてヒットキャラを作るような引用と組み合わせが終始し、消費中心主義になりますね。生産や生産のありようが資本獲得へ向けて一元化しているともいえる。
K:この辺で終わりにしましょう。ダンボールさんの場所をお借りしてしゃべりすぎました。すいません。
T:はい。ありがとうございました。ダンボールさんも、ありがとうございました。
D:え? もう終わりですか。もっと続けましょうよ。三島の死という話題から「近代の超克」というテーマが掘り起こせたので、ここまでを全部コピーして私の日記に「平成版・近代の超克談義」と題して掲載したいのですが、いかがでしょう。他の論客も参加して大賑わいのサロンが開設できそうな気がするのですが。
令和版・近代の超克談義<前篇>終わりです。
じつはここから議論が本格的に盛り上がります。
令和版・近代の超克談義<後篇>、乞御期待!
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔culture1349:240927〕
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