アングリカン・チャーチとは何か。組織はカトリック、教義はカルヴァン派 ハイブリッド教会の歴史的役割
- 2011年 12月 11日
- 評論・紹介・意見
- アングリカン・チャーチ浅川 修史
ヘンリー8世からエリザベス1世時代の宗教改革で成立したイングランド国教会は、イングランド国王(女王)を首長とする教会である。イングランドが、世界に進出する過程で、各地にイングランド国教会を母体とする教会が生まれ、総体ではアングリカン・チャーチと呼ばれている。日本では聖公会とも呼ばれ、6大学の一つ立教大学は聖公会の系譜の大学である。
アングリカンはプロテスタントに分類されるが、カトリックとカルヴァン派プロテスタントのハイブリッド教会である。さらに当初はイングランド人を対象にした国教会であるので、日本人にとって非常に性格がわかりにくい教会である。イングランド国教会は、カトリック(ローマ)とカルヴァン派(ジュネーブ)の間を揺れ動きながら、17世紀に現在の形に落ち着いた。
簡単にいうと、アングリカンは組織論ではカトリックを採用し、信仰基準ではカルヴァン派を採用している。アングリカンには専門聖職者である司教がいる。司教は階層制の組織を形成する。平信徒が教会運営に関われない組織だ。イングランド国教会では監督制とも呼ばれる。
ここまではカトリックとほぼ同じ組織だが、首長はローマ法王ではなく、イングランド国王である。
ただし、独身と童貞を建前とするカトリックの神父と異なり、アングリカンの司教は結婚できる。
一方で信仰基準(理論とか綱領)は、カルヴァン派そのものである。
ウエストミンスター信仰基準
http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm
カルヴァン派は現在では長老派とか改革派と呼ばれる。米国ではエスタブリシュメントの宗教とされる。なぜ、長老派と呼ばれるか。教会を牧師と平信徒の代表である長老(理事会の理事の相当)が共同で運営するからである。イングランド国教会で司教制に反対して、カルヴァン派本来の組織論=長老制を求めた人々は非国教派のピューリタン(清教徒)と呼ばれ、迫害された。
米国建国の起源はイングランドで迫害されたピューリタンの移住(1620年、メイフラワー号)によるものと理解されている。
1641年から1649年まで続くピューリタン革命によって、清教徒は権力を握ったが、その権力は一時的なものに終わり、イングランド国教会を長老派の方向で組織的に純化することはできなかった。
1688年の名誉革命から審査律が廃止される1828年まで、ピューリタンはイングランド、その後の連合王国の政体から排除される。具体的にはイングランド国教会に入らない限り、公職につけなかった。公職につけないとは、官僚にも軍人にも裁判官にも議員になれないことを意味する。
成長し、繁栄するイングランドで、彼らはその恩恵を受けることが少なかった。
イングランド国教会体制から排除されたのは、非国教会派のプロテスタント、カトリック、それにユダヤ教徒である。
余談だが、イングランド国王はイングランド国教会の信徒以外と結婚できない。チャールズ皇太子が熱愛していたカミラ・パーカー・ボウルズ氏と結婚しなかった大きな理由は、カミラ氏がカトリックだったからと言われる。その後、波乱を経て両者は結婚する。
イングランドが世界を制覇し、英語が世界の共通語になった起源を求めるならば、ヘンリー8世がカトリック教会から離脱したこと、エリザベス1世が国教会を守り抜いたことにあるだろう。
宗教としてはイングランド王制に付属する存在になり、イングランド人(およびその子孫と意識する人々)とその影響を受けた人々に限定された形になってしまった。
現在、アングリカンの信者は連合王国、ブリティッシュ・コモンウェルス(カナダ、アンザックスなど)、アメリカ合衆国やアフリカ、インドの旧植民地に片寄っている。
イングランドとその制度・文化、英語が世界を制覇したことに比べれば、アングリカンの世界的影響力はより小さい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0720:111211〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。