本当に沖縄を愚弄しているのは誰か
- 2011年 12月 11日
- 評論・紹介・意見
- 佐藤優宇井 宙沖縄防衛局長発言
佐藤優氏が「本当に県民を愚弄しているのは誰か。谷津憲郎朝日新聞那覇総局長の「防衛局長発言」コラムが明かす朝日沖縄報道の「構造的差別」」というコラム(「現代ビジネス」12月7日号http://gendai.ismedia.jp/articles/-/29031)の中で、朝日新聞を厳しく批判している。批判のポイントはいくつかあるが、重要なのは以下の諸点である。
(1) 朝日新聞那覇総局長の谷津憲郎氏は12月3日朝日新聞朝刊のコラム「記者有論」の中で「私は例の発言を聞いていない。では、もし聞いていたら記事にしたか。参加したのが自分ではなく同僚で、そう報告を受けたら「書け」と指示したか。いまこう書くのは大変気が重いが、たぶん記事にしなかったのではないかと告白せざるを得ない。酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがあるからだ」と述べている。これに対して佐藤氏は、「田中氏の「これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言を「男女関係」のたとえととらえ、「性犯罪」であることに対する認識が谷津氏に欠如していることが筆者には理解できない」と批判している。
(2) 上記引用の谷津氏の記述について佐藤氏は、「朝日新聞の沖縄における最高責任者は、官僚とのオフレコによる拘束と国民、なかんずく沖縄県民の知る権利を比較した場合、前者が重いと判断していることが明らかになった。まさにこれこそが構造的差別者の視座と筆者は考える。そして、これが朝日新聞の現実なのである。沖縄を愚弄するのは、「基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケース」を知りながら、記事にしなかった記者ではないのだろうか」と批判している。
(3) 佐藤氏によれば、谷津氏は問題のコラムの中で次のようにも述べている。「発言が不適切だという指摘は、その通りだ。だが、根っこにある問題も見過ごしてはいけないと思う。国は辺野古で、まさに発言通りの行為をやろうとしてきた。県内移設を拒む沖縄県民の意思に反し、「理解を得て」と言いながら是非を許さず、金を出すからとなだめ、最後は力ずくで計画を進める。下劣な例えだが、もっと下劣なのは現実の方だ。私にとって不快なのは、発言した田中局長よりも、発言の後でも評価書の年内提出を言いのける野田政権の方だ。「事実だったら言語道断」「心よりおわび申し上げる」とトップが言いながら、1日の審議官級協議で米国に約束履行を表明する外務・防衛省の方だ。私に言わせれば、彼らは酔ってもいないのに「それでも犯し続ける」と言っているのに等しい。騒ぎの末に政府が謝ったのは、自分たちの行為ではなく、言葉の使い方だけだ。本質は変わっていない。本当に沖縄を愚弄(ぐろう)しているのは誰か。本土に目を向けてほしいのは、むしろそちらの方だ」。
これに対して佐藤氏は、「野田政権の評価書の年内提出よりも、田中氏の発言の不快さの方が軽いという谷津氏の認識が筆者には理解できない。筆者も評価書の年内提出という方針は正しくないと考える。しかし、それは政策判断の問題だ」と批判している。
以上の批判のうち、第1点と第2点については、私も佐藤氏の批判に全面的に賛成である。しかし、第3点目についてはむしろ谷津氏の指摘が正しいと思う。谷津氏、というより朝日新聞社の問題点は、沖縄への基地の押し付け政策が、「最後は力づくで蹂躙していいのだ」という歴代政府・官僚の度し難い構造的差別意識の現れである、ということを、一応認識はしていながら、実際にはそれを批判するどころか、政府と共謀して沖縄差別に加担し続けてきておきながら、今回のようなトカゲの尻尾切り事件が起きた時だけ、いかにも政府を批判しているかのようなポーズだけを取る、というところにある。従って、「評価書の年内提出」が政府の構造的沖縄差別政策の推進とは無関係な、単なる個別政策の判断問題にすぎないかのような佐藤氏の指摘には賛同できない。
しかし、全体として見た場合、佐藤氏のこの記事は朝日新聞の欺瞞性をよく暴いたと評価できると思う。
ところが驚いたことに、この記事が出た2日後の12月9日、佐藤氏は東京新聞の「本音のコラム」で、田中聡前沖縄防衛局長は誤報によって人権侵害を受けた報道被害者であると述べている。その理由は、防衛省が先月29日に発表した文書に、「「『やる』前に『やる』とか、いつ頃『やる』とかいうことは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」といった趣旨の発言をした記憶がある。自分としては、ここで言った「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりであり、少なくとも「犯す」というような言葉を使った記憶はない」」と書いてあり、「田中氏は、〈「犯す」というような言葉を使った記憶はない〉と、明確に述べているからだ」と述べている。そして最後に「事実関係をきちんと確定しないで行う責任追及は不毛である」という言葉で締めくくっている。2日前のコラムでは田中前沖縄防衛局長の暴言は事実として前提とされていたのが、9日の東京新聞コラムでは一転して暴言は事実無根で田中前局長は冤罪被害者とされているのである。では佐藤氏は7日の現代ビジネス・コラムを書いた後になって初めて防衛省発表の文書を読んで、田中前局長の発言に対する評価を改めたのだろうか? それはありえない、と私は思う。なぜなら、佐藤氏がこの事件の発覚当初からこの事件に興味を抱いていたことは疑いないし、しかも佐藤氏は東京新聞のコラムに執筆しているのであるから、事件発覚翌日の11月30日に東京新聞に掲載された「防衛省が田中局長聴取」という2面掲載の記事を読んでいないはずがないからである。現に、上に引用した防衛省発表文書の言葉は一言一句、この東京新聞の記事と同じである。つまり、佐藤氏が東京新聞の記事から上の文章を引用したことは明らかだろう。しかも、佐藤氏の引用は「少なくとも「犯す」というような言葉を使った記憶はない」で終わっているのだが、東京新聞の記事ではその後に、次の文章が続いている。「しかしながら、今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う。私としては、女性を冒涜する考えは全く持ち合わせていないが、今回の件で女性や沖縄の方を傷つけ、不愉快な思いをさせたことを誠に申し訳なく思い、おわび申しあげたい」と。つまり、田中前局長は、自分の発言が「女性を冒涜する」ものであるというような認識は全く持っていなかったが、「やる」という発言が「犯す」という意味で受け取られることを十分承知したうえでその言葉を使った、ということを完全に認めているのである。したがって、佐藤氏が言うように、田中氏は報道被害者であるどころか、沖縄県民の意思を蹂躙することも女性をレイプすることも当然とみなすような思想持っていることを認めたうえで、それが沖縄や「女性を冒涜する」ものであるとは夢にも思っていなかった、ということを自白したにすぎない。東京新聞の記事を素直に読めば、そのようにしか解釈しえないであろう。ところが、佐藤氏は自分の「解釈」に都合の悪い部分を意図的に省略し、田中氏の自分勝手な「解釈」のみを都合よく引用したうえで、田中氏を免罪しようとしたのである。
外務省が米国向けと国内向けの二枚舌を使い分けているのは周知の事実であるが、「外務省のラスプーチン」と鈴木宗男氏から「呼ばれた男」と自称している作家の佐藤優氏にもこの習性が古巣で身についたのだろうか? 「本当に沖縄を愚弄しているのは誰か」という佐藤氏の問い掛けを改めて問い直してみたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0721:111211〕
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