カフカの読まれ方
- 2012年 1月 10日
- 評論・紹介・意見
- カフカミラン・クンデラ宇井 宙
カフカの小説はいかに読まれるべきか? ミラン・クンデラの回答は明快である。すなわち、「カフカの小説を理解する方法はただ一つしかない。それはひとが小説を読むように、彼の小説を読むことだ」(『裏切られた遺言』。以下引用はすべて同書)。もちろんこれは、――クンデラにとっては――あらゆる作家の小説について言えることだ。クンデラの文学観を一言で言えば、「文学の価値は作品の中にしかない」ということだと思う。ところが、カフカほど、こうした小説本来の読まれ方とはかけ離れた読まれ方をしてきた作家はめったにいないのではないだろうか。では、どのような読まれ方をしてきたのだろうか? ある者にとって、カフカは宗教思想家であり、ある者にとっては実存主義の哲学者であり、ある者にとっては人生の教師であり、ある者にとってはその作品を読むことは、精神分析的、マルクス主義的、政治的、宗教的等々のお告げを解読することに等しい、といった具合である。このようなカフカと彼の作品に対するアプローチをクンデラはカフカ学と呼んでいる。カフカ学の創始者は言うまでもなくカフカの友人であったマックス・ブロートだが、その後の無数のカフカ学者たちも、「その創始者と距離を置きたがるとはいえ、創始者が彼らのために確定した土壌のそとに出ることはけっしてない」。クンデラによれば、カフカ学の特徴は、第1に、カフカの作品をほとんどもっぱら伝記的なミクロコンテクストにおいて検討することであり、第2に、カフカの伝記を聖者伝にしてしまうことであり、第3に、一貫してカフカを審美的な領域から立ち退かせることであり、第4に、現代芸術の存在を無視することであり、第5に、カフカの小説のなかにアレゴリーしか見ることができない注釈学であることである。
エリアス・カネッティの『もう一つの審判』(原書は1969年刊)は、カフカが1912年から17年にかけてフェリーツェに送った手紙と同時期の日記を分析することにより、彼の小説『審判』が、フェリーツェとの(最初の)婚約解消の場面を基に、カフカが自分自身に対して行った「もう一つの審判」なのだ、という解釈を提示している。しかし、クンデラの『裏切られた遺言』の中には、アレクサンドル・ヴィアラットがすでに1947年の「『審判』の隠された歴史」の中で同様の解釈を提示していたことが示されている。このように、作者の私的な手紙や日記という「合鍵」を武器に、探偵か思想警察のように作者の身辺を嗅ぎまわり、小説の中に実存の未知の側面を探るのではなく、作者の実生活の未知の側面を暴露することは、小説芸術のあらゆる意味を無に帰してしまう営みである、とクンデラは考える。そして、このような伝記的狂乱と、そこから小説芸術を護ろうとする者の間の闘争として、クンデラはサント=ブーヴとマルセル・プルーストの論争を取り上げる。「作者と切り離せない文学」、「人生と作品の一体性」というスローガンを掲げていた伝記的狂乱の元祖サント=ブーヴに対して、プルーストは、「作家の自我はその著作のなかにしか現れない」以上、サント=ブーヴの方法では、作家の生活を研究することによって作品を取り逃がしてしまう、と批判する。言うまでもなく、クンデラはプルーストの判断を絶対的に支持しており、サント=ブーヴの方法は、作者の審美的意志を見失い、「芸術とは相容れず、芸術に逆行する」と述べている。
ところが、自分の私的文書の廃棄をあれほど強く願っていたカフカは、自分の死後、友人の裏切りなどによって、存在する限りの日記や手紙を公開されてしまったことにより、「ごみ箱あさり」たちに巨大な合鍵の束を与えてしまい、ありとあらゆる私生活を暴露されることになってしまった。その結果、カフカには「フェリーツェ、父親、ミレーナ、ドーラといった唯一のコンテクストしか許され」ず、彼の小説は小説の歴史からも芸術からも「はるか遠くの、彼の伝記というミニ・ミニ・ミニ・コンテクストのなかに送り返されるのである」とクンデラは書いている(傍点は原文)。
アイスランドの知人とともに、その知人の友人が埋葬されている墓を訪れたクンデラは、「私は友人の秘密を知りたがるなと自分に言い聞かせていた」と語るアイスランド人の言葉を紹介し、友情とは、秘密を共有することではなく、「友人が私生活を隠す扉の番人になること、けっしてその扉を開かず、だれにもその扉を開くことを許さない者になることなのだ」と述べている。ところが、カフカの親友であったマックス・ブロートは、遺言を破って未公刊の小説を公刊しただけでなく、手紙や日記に至るまで見境なく公刊した。こうした行為を、池内紀が「誠実な裏切り」と表現していることは前の記事で紹介したが、光文社古典新訳シリーズでカフカの『変身/掟の前で(他2篇)』と『訴訟』を翻訳している丘沢静也も「(ブロートには)いくら感謝しても感謝しすぎることはない」と述べている。しかし、クンデラはこうした評価とは逆に、極めて厳しく批判している。それは単に、友人を裏切ったということばかりでなく、カフカ神話の創始者となることを通じて、こうした死んだ友人への裏切りを従うべき規範に変え、「作者の最後の意志を無視するか、もっとも内奥の秘密を漏洩したがる者たちにとっての規範を創りだした」からでもある。
だがしかし、カフカの生前、カフカの一語一語に対する「熱狂的な崇拝」を公言していたブロートは、なぜカフカの遺言に従わなかったのか? それは彼がカフカ作品の審美的価値を理解していなかったことと無縁ではない。なぜなら、絶対的な崇拝は、宿命的に作者の審美的な意志の絶対的な否認になるからだ、とクンデラは言う。「審美的な意志は作者が書いたものと同様、作者が削除したものによっても表されるのだから(……)作者が削除したものを公刊することは、作者が保存しようと決意したものを検閲するのと同じ侵犯行為」なのである。
小説の価値は「私たち各人のなかに隠されているものを発見する」ことにある、とクンデラは言うが、カフカの小説は、カフカの私生活を発見するために読まれるようになってしまった。それは芸術の存在理由の否定である、とクンデラは言う。「もし人生が芸術作品であるなら、芸術作品はいったいなんの役に立つのか」と。しかし、もしもカフカの小説を芸術作品として、すなわち「ひとが小説を読むように」読むならば、それがいかに面白いものであるかということを、クンデラは『審判』を例に解説している。それは確かに、目の覚めるような鮮やかな読解である。それがいかなるものであるかを、私の下手な要約で汚したくないので、興味のある方は是非『裏切られた遺言』を直接お読み頂きたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0748 :120110〕
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