青山森人の東チモールだより 第204号(2012年3月29日)
- 2012年 3月 30日
- 評論・紹介・意見
- シャーロック=ホームズ東チモール青山森人
心の傷を癒す人たち
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
訂正:大統領選挙の決選投票日は4月16日
前号の『東チモールだより』で「大統領選挙の決選投票日は「4月14日(土)」と書きましたが、正しくは「4月16日(月)」でした。お詫びして訂正させていただきます。
名探偵シャーロック=ホームズ、テトン語にて登場
驚きました。街角の本屋さんで、シャーロック=ホームズのテトン語訳本が5ドルで売られているのです。わたしのテトン語理解に間違いなければ、「赤髪連盟」です。「これはパイプ三服分の問題だな」とはテトン語でどう訳されているのか、登場人物たちはテトン語でどのように描写されているのか、大統領選挙よりこっちの方が重要だといいたいくらいです。世界の名作が東チモールの言葉で登場したことは、一つの時代の幕開けといえましょう。これをきっかけにして、世界の名作がどんどんテトン語に訳されるようになれば、学校の教材にもなるし、東チモール人の世界観がぐっと広がる可能性がでてきました。
シャーロック=ホームズが登場したのですから、ポアロも近々登場願いたいものです。『オリエント急行の殺人』よりも、『五匹の子豚』の方がこの国には刺激的で教育的かな?いつかシェークスピアや『資本論』もテトン語に訳されるかもしれません。そしていつの日か、東チモール人の文豪も登場してほしいと期待で胸が膨らみます。
大きな選択が待っている
首都のタイベシという町にある解放軍退役軍人財団の事務所が、タウル=マタン=ルアク候補の選挙事務所となっています。パソコンで事務作業をしている若い女性たちに話を聞くと、「わたしは学生です。授業が終わって時間があるときここへ来て仕事をしています。わたしはタウルを手伝いたいのです。お金はもらっていません。ボランティア活動です。みんなそうですよ」と一人がいうと他の人もうなずきました。
この事務所には、支援を申し込んでくる者たちや、情報・情勢などを知らせに来る者たちなど、訪問者が途絶えることはなく、支援者やボランティアなど、いつも多くの若者たちがたむろし、誰でも自由に出入りできる解放的な雰囲気があります。
タウル=マタン=ルアク陣営を仕切っているのはジョゼ=ベロ君だ。地下戦線の指導者サバラエも、解放軍のデビッド=アレックス司令官もニノ=コニス=サンタナ司令官も亡くなり、ジョゼ君が仕えてきた解放組織の上官で生き残っているのはタウル=マタン=ルアクだけ、タウル=マタン=ルアクの誠実さは昔のままだとジョゼ君は元ゲリラ司令官にいまでも信頼を寄せています。
去年10月、タウル=マタン=ルアクさんが正式に大統領選立候補を表明するころから、タウルさんを手伝い始めました。一方、『テンポ=セマナル』紙の主宰とは両立できないので、新聞社を離職しました。それと同時に大黒柱を失った新聞社では経営陣と記者たちの亀裂が生じ、深刻な状態に陥ってしまったのです。記者たちは不透明な経営状態に不満を募らせ、去年末ごろ、社を辞めようとしたがなんとか踏みとどまりました。今年1月に大口の顧客からの支払いが滞ったことから『テンポ=セマナル』は休刊に追い込まれましたが、ジョゼ君が資金を工面し、2月に復刊できたものの、社内事情に改善は見られません。記者たちはジョゼ君が社に戻ってこなければ辞めると決意しています。みんなジョゼ=ベロ君を慕って集まってきた者たちなのです。最終的な結論は、大統領選挙の決戦投票が終了してから下されます。もしタウルさんが新大統領となったとき、そのままジョゼ=ベロ君が大統領府に入って仕事をするのか、『テンポ=セマナル』に復帰するのか、ジョゼ君だけでなく関係者にとっても大きな分かれ道が待ち受けているのです。
東チモール人ジャーナリストが自分と家族を危険にさらしてまでニュースを追う姿を追ったドキュメンタリーフィルムの上映会のポスター。いまやジョゼ=ベロ君はポスターになるほどの有名なジャーナリストである。大統領選挙終了後は『テンポ=セマナル』にぜひ復帰してほしい。ホテル=チモールのロビーにて、2012年3月29日、ⒸAoyama Morito
山で闘った人たちの明るい笑顔
第一回戦の投票日から週が明けた3月19日、決選投票への進出を決めたタウル=マタン=ルアク候補の事務所には選挙運動の幹部たちが集まっていました。その中にハマールさんとソモツォさんもいました。わたしがゲリラ取材をしていたころ、いつも故コニス=サンタナ司令官の隣にいた二人の男です。最近もわたしはそれぞれ別々にこの二人とは何度も会っていますが、二人同時に会ったのは、それこそゲリラ取材以来です。
ハマールさんは、ラサマ国会議長を党首とする民主党の創設者の一人ですが、今回はタウル=マタン=ルアク陣営に参加し、解放軍への忠誠を優先させました。
もう一人、ソモツォさんは2006年「東チモール危機」後の組閣で内務副大臣を務めたフレテリンの幹部で、ル=オロ陣営側の人間です。ソモツォさんは解放軍よりも原点であるフレテリンへの忠誠を優先させました。
タウル=マタン=ルアク陣営の人たちはソモツォさんを見て、みんな「おー、ソモツォ同志じゃないか」とソモツォさんと笑いながら挨拶し、冗談を言いあっていました。敵・味方のピリピリした感じはなく、わたしは安心しました。もっともソモツォさんの楽しい性格のなせる技だからこういくので、別の人物だったらどうなるかわかりませんが。
わたしはソモツォさんに、「ここに何しに来たの。こっちの様子を見にきたの」ときくと、ソモツォさんは「何を言ってるの、仕事だよ」と返した。ソモツォさんは退役軍人財団の責任者、この事務所は本来かれの仕事場でした。「あー、そうか、これは、これは、失礼しました」とわたしはいうと、「偵察にきたんじゃないよ」とソモツォさんがつぶやき、わたしたちは笑い出しました。
するとタウル=マタン=ルアク候補が車でやって来て、事務所前にたむろするわたしたち一人ひとりに挨拶を交わしました。タウルさんにわたしは「いまの感想を一言」と声をかけると、「とてもうれしい」といいました。タウル=マタン=ルアク候補は各メディアに「選挙が平穏に実施され、わたしはとてもうれしい」と繰り返し述べていたので、ここでもそういう意味であろう。
そしてやや遅れて故・デビッド=アレックス司令官の補佐役だったアリン=ラエクさんもやって来ました。かつての山の戦士・森の妖精たちのそうそうたる顔ぶれです。この人たちと会うために1990年代、わたしはどれだけ苦労したことか。ジョゼ=ベロ君はアリンさんに、ほら、あっちにみんないるよ、という仕草でわたしたちの方を指差し、やわらかく微笑んでいました。こんなジョゼ君の笑顔をわたしは初めて見ました。そのときわたしはタウルさんの立候補の意味がわかったような気がしました。この人たちは自分たちの心の傷を癒しているのだ、と。
3月27日、同じくタウル候補の事務所でわたしは、1998年わたしとタウルさんをかくまった“女将さん”に会いました。“女将さん”は侵略軍撤退後当時、期待と現実のあまりの落差に失望し、指導者たちに裏切られたと大粒の涙をポロポロと落として泣いていたものです。「東チモール危機」では相当に気落ちし、その後も家のテラスに独りでぼーっと座っているときもあり、インドネシア軍の尋問による頭の傷の後遺症にいまも悩まされている様子です。解放軍と共に闘った人びとは、この12年間、自分の政府から顧みられることなく、インドネシア占領時代にうけた身体と心に傷が癒されることはありませんでした。それはまるで傷口に塩をすりこまれる想いであったことでしょう。
それがどうでしょう、その“女将さん”も人が違ったように明るい女性になっていました。わたしを呼んで、「こっちへ座りなさい、ちょっと待っててね、5分間だけ」というと、どこかへ行ってしまい、戻ったと思ったら、腕や脇の下につける匂い消しはないかときいてきたので、日焼け止めクリームを見せると、あーいいな、これちょうだいな……とまあ、はしゃぐ、はしゃぐ、こんな明るい“女将さん”を見るのも初めてです。女将さんのこの日のファッションがすばらしかった。既製品を身につけるだけの一般の女性は見習って欲しい。頭には大きな花の飾りをつけ、ジーパンのうえから明るい色の布で腰を巻くなど、現代と伝統のうまい組み合わせの自己主張です。
いままで見放されてきた人たちが、タウルさんが大統領選挙に立候補したことで、仲間が集まり、やることが出てきて、明るい笑顔を見せることができるようになったのです。この精神的な意義は大きい。
わたしは近くにいる男性にたずねました。「ル=オロ候補の方が政党や(一回戦で負けた)他候補の支持を多く受けていますよね。タウル=マタン=ルアク候補は勝てますか」。この人は、「わたしたちは、昔、解放軍を助け、山で一緒に闘った人たちの集まりなのです。わたしたちの方が多数派ですよ」と穏やかに応えました。
願わくは、大統領選という政治的な一大行事への参加でなくとも、自分たちがその意思さえあれば、いつでも集まって何かをやれるのだ!ということに気がついてほしい。かつてのゲリラ司令官たちとその支援者たちが、土を耕したり市民講座を開催したりするなどして、互いに知識や技術を学び合い未来を切り拓く術を自ら見出すという、いわゆる市民参加型運動を通して社会基盤をつくることに挑戦してほしい。そのなかで、政党同士で殺し合いをしてしまった1970年代の流れを汲まない新世代の政治指導者が誕生してほしいと思う。タウルさんは下手に大統領にならない方がいいのではないか……とわたしは不遜にも思ってしまうのです。
誤解されている徴兵制度
タウル=マタン=ルアク候補は徴兵制度を口にして物議をかもしています。わたしは直接その発言を聴いたり読んだりしたことはありませんが、巷では話題になっています。若者たちの雇用対策のため、あるいは外国軍に頼らない国づくりのため、というのが徴兵制度の目的らしい。
タウル=マタン=ルアク陣営の広報担当者は、タウル=マタン=ルアク候補のいう徴兵制度は誤解されている、兵役が嫌ならば地域社会に奉仕する別の選択肢も用意する制度だと語っています(『インデペンデンテ』2012年3月27日)。
いい若者たちが手持ち無沙汰で毎日毎日ブラブラ・ゴロゴロするこの国の問題は深刻です。これは雇用の問題でもありますが、教育問題でもあり、文化の問題でもあります。若者たちが悩まなくても済むように歩むべき道を大人が与えれば解決できる問題ではありません。若者たちのためだと安易にレールを敷いて、若者たちから考える機会を奪ってしまうと、あとで高いツケを払うことになることは目に見えています。
またタウル=マタン=ルアク候補は、大統領が憲法だけにとらわれない政治的な仕組みをつくりたいという見解を示し、憲法解釈は人によってまちまちになるとも発言しています(同紙、3月28日)。大統領の役割を明確にすべきだという意味にもとれますが、憲法改正の意味にもとれる発言です。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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