意志で記憶する自然農業と提携、生活――『土に生きる』を手にして(1)
- 2012年 4月 7日
- スタディルーム
- 有機農業自然農業野沢敏治
待っていた本が出る
こういう本を私は求めていた。『村と都市を結ぶ有機野菜』である。それは「安全な食べ物をつくって食べる会」が編集して2005年に発行したもの。出版はブロンテ。同会は今から40年ほど前に千葉県南房総市にある村落(旧三芳村)と千葉・東京・神奈川にまたがる消費者とで作られたもの。
私はその本を入手すると早速、『千葉大学経済研究』(第23巻第1号、2008年6月)に紹介した。学生に向けた「私の薦める本」のコーナーにおいて。その一部を引用しておく。
「7月のサミットを控えているためか、政府もジャーナリズムも地球環境問題の宣伝と報道に忙しい。温暖化問題は待ったなしの参加を国民に求めている。それでも、自分に根拠をもって納得した上で対応したいと思うならば、(この)本が参考になる。……市場経済はすべてを売り買いする商品にし、貨幣がそれらを結びつけるが、生活と環境の立場からすれば、実は、生産者と消費者に(お互いに)そっぽを向かわせ、人間と自然を分断するものである。お金の前に馬鹿になりたくなければ、そもそもの「商品物神」から解放されねばならない。そうなって初めて食べ物は使用価値・効用の疎外から脱出する。本書はそれがどういうことかを教えてくれる。もう一つ、有機農業は俗に言う「環境に優しい」とか「共生」というような甘い言葉でごまかすことのできない人間・自然関係の厳しい事実を直接示してくれる。」
私は経済学の歴史を学生に講義していたので、商品物神というマルクス用語を出してみたのである。
私の不満――急ぎ過ぎの概念化
この私の紹介から窺えると思うが、住民運動はその経験的記述のなかで学問用語がもつ内容を提示している。一般の研究者よりもずっとずっと的確に。私は研究者としてそのことに発奮された。
私は同書が出版されるまで15年ちょっと、有機農業運動をしている人たちに触れてきた。最初は1988年夏に千葉大学の同僚であった杉岡碩夫(故)さんに誘われであるが、山形県高畠町の有機農業研究会の青年たちを訪ねた。その時から、ほぼ隔年に学生をつれて高畠を訪ね、農家に入って農作業の手伝いをさせてもらいながら、今日の農業と農村、消費のありようを考えてきた。そのつど学生には報告書や記録集を作らせてきた。また高畠町以外の有機農業活動をしている集団にも接触してきた。日本自然農業研究会(会誌『プリ』)や関東の有機農業関係の団体(『研究所報』)からも情報を得てきた。こうして接触を重ねるにつれて、私は次第に自分に不満をもつようになった。
有機農業を文明批判や東洋思想の見直し、あるいは地球環境問題とむすびつけて意味づける人は多い。それは間違ってはいない。また有機農業の実情を統計を使って便覧にしたり、日本の運動を国際的な視野で比較することがあるが、それらも有益である。でもそれらは大学教授や「哲学者」、評論家によって、その人の有機農業観や既にできている認識枠組に押し込められてしまい、素材がもつ豊かさが消えてしまいがちである。概念化が簡単になされる。統計数値は人に客観的な視野を与えるが、数値にされる以前の実体がどこかにいってしまうことがある。それに「共生」という言葉がすりきれている。要するに、学問用語が事実を言葉によって発見する時の新鮮さを失っている。逆に言えば、専門の述語が開かれないままに閉じてしまっている。概念化が今までの思考を転換させる面白さを読者に伝えていない。最近とくにその観が強い。
そこに同書が現われた。昔の思想家は「人間主義と自然主義との統一」を説いたが、それは本書のなかにこそある。
同書の冒頭は朝9時からの生産者による出荷のあわただしさから始まる。それも整然と作業が進むさまが描かれる。その筆力にまず感嘆する。筆者は会の事情をよく知っていて、しかも距離を置いて見ている。研究者もこうでなくては!その後で、同会の発足の経緯から、会の膨張発展と多少の質的な変化をへて、今日に至るまでが描かれる。読み進めると、この本は現場の当事者が自分で自分たちを知ろうと努めていることが分かる。それも問題点を隠すことなく、よくぞここまでと思うほどに情報公開をし、解決に向けた地道な努力を跡づけている。ごたごたした対立や誤解、身勝手さもあらわにして自己解剖に付されている。それが良い印象を与える。こういう本はなかなかない。
住民運動の会誌が教えてくれる
その同書の元の一つになっているのが同会の会報である。会誌であるから市販されていない。私は3年前にその第1号(1975年11月20日)から第20号(1995年4月15日)までの全号を借りてコピーさせていただいた。ただし17号は欠号であって、まだ未見である。判型はA5版で、全部で(欠号を除いて)1150頁ほどにもなる(!)。まずその半分の第11号までをここに紹介する。それも全部の内容にわたるのでなく、トピックや論点を中心にする。
今から40年~20年弱前のものだから、少し古い。歴史的でもある。だが古いといってもたかが40年前のこと!である。わが国では時間の観念が実にせっかちである。新刊本など、あっという間に品切れ・再版未定となる。その感覚で現代など論じると、「現代」に埋もれて見えなくなってしまう。
私は同会の生産者側の和田博之さんに2008年11月22日、三芳の出荷場で、消費者側の戸谷委代さんに2009年3月24日、西東京市の同会の事務所で、わずかな時間であったが、お話しを聞くことができた。その内容はこの連載のなかに組み入れるが、和田さんは「田の除草は合鴨がやるが、それは自然破壊である」と述べることがあった。有機農業と言うとすぐにあげられるのが合鴨による除草。意外にも、それが自然破壊だと言うのである。また戸谷さんは会の「消費者はおんぶにだっこでよいのか」と自分たちに問題を突きつける。自然農業運動は技術的にも思想的にもまだ完成途上にあり、同会のような先進的な消費者のいる団体であってもまだ欠けるものがあると言う。団体でおよそ問題のないものなどないだろう。でも私が見た限りでは、有機農業運動を取りあげた本でここまで自分を突いたものはない。
経験と記憶
昨年の3・11の東日本大震災と東京電力福島原発の事故は忘れられないものになった。私どもの世代は青年期に高度成長の果実を味わい、同時に公害と管理社会化に遭遇している。私は以前から環境問題を自分の専門の経済学史研究や日本思想史研究の中に組み入れようとしてきた。でも今回の自然災害と人災に会って、これまでの私のやりかたでよかったか、考え直している。災害や事故はそれが起きる前から準備されてきている。それを鋭く感知して警告し続けてきた少数の人たちがいた。私は今改めてそのことを思い出す。また、災害に会って痛い目に会うことで今度こそはそうなってはならないと思っても、その経験を忘れずにいつまでも記憶することは難しい。記憶は次第にわれわれの身体から離れていく。その自然の力に対抗して記憶するとは、記憶を意志することではないか。今回の連載はその記憶作業の一環である。もう有機農業運動でもあるまいと思うことは時の流れに埋め立てられることである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study471:120407〕
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