“食の安全を監視し続けて22年―民間測定所「たんぽぽ舎」の鈴木千津子さんが語る”など―地震と原発事故
- 2012年 7月 5日
- 交流の広場
- たんぽぽ舎地震と原発事故
2012年7月4日(水)その2 地震と原発事故情報【TMM:No1506】-4つの情報をお知らせします
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★1.食の安全を監視し続けて22年―
民間測定所「たんぽぽ舎」の鈴木千津子さんが語る
「数百ベクレル程度の食品汚染が、これからも長く続いていくでしょう」
★2.原発立地の自治体が、住民抜きでやってきた「原子力防災訓練」
現代思想7月号「特集:被曝と暮らし」の一節を読んで -(東京・T)
★3.新聞・雑誌から1つ
大飯破砕帯検討見送り―関電「資料見つからない」
(7月4日 東京新聞 より)
★4.<テント日誌7/1(日)
―経産省前テントひろば 295日目 再稼働強行抗議!―
首相官邸前で開いた花は、大飯へ、そして、全国へ。
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┗■1.食の安全を監視し続けて22年―
│ 民間測定所「たんぽぽ舎」の鈴木千津子さんが語る
| 「数百ベクレル程度の食品汚染が、これからも長く続いていくでしょう」
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福島第一原発事故後、食品の測定依頼が殺到した民間測定所「たんぽぽ舎」。共同代表の鈴木さんに、事故直後から現在までの汚染傾向の話、そしてこれから起こることについて予測してもらった。
福島第一原発事故の発生以降、たんぽぽ舎ではさまざまな商品の放射能量を測り続けている。
たんぽぽ舎は、チェルノブイリ原発事故の際、食品にどんな影響があったのかにも詳しい。
たんぽぽ舎の共同代表で、食品の放射能測定を担当している鈴木千津子さんとともに、今後の対策を考えた。
今の規制では汚染食品の流通を止められない。
福島第一原発事故から1年が経ち、たとえば千葉県で肥育されている豚肉のセシウム汚染値は、1キロ当たり2ベクレルから3ベクレルくらいまでに下がってきています。でも、屠畜する前に畜舎の外を2時間ほど散歩させただけで、豚肉のセシウム値が上がることがあるんですね。ある豚肉のスライスを測ったところ、同7ベクレルまで上昇していました。
こうした情報を畜産農家にフィードバックしたところ、畜産農家が「豚は土を舐める」というのです。今では出荷直前の散歩が控えられるようになりました。
1986年に発生したチェルノブイリ原発事故の際、凄まじい汚染が確認されたのは、ヨーロッパ産のスパゲッティでした。原料として使われる「デュラム・セモリナ」という種類の小麦粉が汚染されていたからなんです。この小麦粉は日本にも輸入されていますので、日本製のスパゲッティからもセシウムが検出され、大騒ぎになったんです。
そのうち、食べ物からは検出されなくなっていったのですが、今度は脱脂粉乳や、鶏や牛用の餌から検出され始めたんです。人の食べ物用として使いづらくなった原料を、家畜の餌に回したことの証拠でしょう。
今回の福島原発事故で、昨年の秋以降に収穫された国産の小麦からもセシウムが検出されるようになりました。1キロ当たり20ベクレルから30ベクレルです。
玄米にしても、白米にすれば5ベクレルというものであっても、米糠を測るとセシウムが1キロ当たり80ベクレルから90ベクレルほど検出されました。
高い数値のセシウム汚染が各地で相次いで確認されているシイタケでは、県ごとに規制をかける基準値が異なっています。その値は国の規制値である1キロ当たり100ベクレルよりは低く設定されているのですが、ある県では同50ベクレルを上回ると「規制」がかけられるのだそうです。
すると、濃い値のシイタケと薄い値のシイタケを混ぜ合わせ、全体で「1キロ当たり50ベクレル」以下になるように“ブレンド”する農家が出てきたんです。こうした“対応”の仕方は、消費者の信頼を裏切るものでしかありません。
ただ、良心的な生産者であるほど、悩んでいるのも、また事実なんですね。千葉県のある畜産農家の方は、1キロ当たり2ベクレルから3ベクレルくらいにまで下がってきているにもかかわらず、出荷前に毎回測定しているんです。でも、こうした測定にかかる経費を、国や県は保証してくれないのです。(中略)
(別冊宝島・「食品の放射能汚染完全対策マニュアル2」より抜粋)
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┗■2.原発立地の自治体が、住民抜きでやってきた「原子力防災訓練」
| -現代思想7月号「特集:被曝と暮らし」の一節を読んで-
└──── (東京・T)
原発立地の自治体が、住民抜きでやってきた「原子力防災訓練」
-現代思想7月号「特集:被曝と暮らし」の一節を読んで-
(//–は本誌からの引用部、[*]は投稿者コメント)
//–1998年6月20日付け『能登原発とめよう原告団ニュース』に「30キロ圏全域で連絡・測定・避難訓練」という記事がある。能登(志賀)原発の差し止め裁判闘争は1988年に始まったが、これはこの運動の機関誌である。志賀原発は1992年に運転が開始された。–この記事には以下のようなレポートがある。
「同年[*つまり1998年]5月24日、北陸電力志賀原発が立地する石川県羽咋郡市とその周辺の七尾市・鹿島郡の住民600人が家族ごとに自家用車を使い県境を越え、富山県氷見市まで[*山道約20キロ*冬は豪雪地帯?]避難訓練を行った。–//
この時の事故想定は「格納容器損傷事故、チェルノブイリなみの放射能放出、そしてベント、30キロ圏内の住民避難」であった。重要な点は、これが、非公式の住民による自主的な避難訓練であるという点だ。
つい先日[*つまり2012年6月]、石川県羽咋(はくい)市で「原子力防災訓練」が行われた。住民からの参加はわずか70名。訓練は市内小中学校でも行われたが、あくまで、一般災害の「訓練計画」の枠を出ない。2008年福島の例では「訓練対象・原発から10キロ圏、北風・風速0.7メートル(小さすぎ!)、避難区域「2キロ圏」、屋内退避区域「5キロ圏」」である。もっとひどいのは、「広範囲の原発事故が生じた場合、住民は避難せずに、放射能がふりそそぐなか、炊き出しなどの活動をするよう促される」というのだ(福井県原子力防災計画の例)。なんと馬鹿げた計画か。
//–国や電力会社は避難訓練をできるだけ、ミニマムなものに押さえたい。できればやりたくないと言うのがホンネだろう。というのも、それは住民の原発事故への想像力を喚起してしまうからである。現実的なシミュレーションに基づく避難訓練は、ベントの設計にはじまり、ヨウ素剤の備蓄、測定や連絡体制、風速や風向きなど、あらゆる情報を必要とする。こうした情報に基づき事故のシミュレーションを行うということは、原発事故とはどういうものであるか、そして原発とはどういうものであるかをいやがおうにも理解しなければならないということである。–//
「3.11」以後、原発近くの市町村で避難訓練を行ったところはいくつもあるが、果たして、本当に「原発事故を想定した」訓練を実施したところはあるのだろうか。先日の羽咋市の小学校の避難の様子が写真入りで記事になった、なんと子どもたちは「口を手で押さえて」階段を下りている。学校が主体的に、かつ現実味をもって事にあたっていないことは明らかだ。
//–原発を前提としている国や電力会社原発は、防災の手抜きをすることによって原発のコストを抑える。発電コストが安いことが原発の存在理由だからだ。とすれば、その手抜きは原発が存在するためには必要な、死に物狂いの「不作為」なのであり、運動の賭け金はこの「不作為」をどこまで食い止め、見えないコストを可視化するかということとなる。–//
羽咋市では、1998年当時と比較すれば人数はかなり減ったものの、昨年(2011)も住民による自主的な避難訓練が実施されており、「せっかくヨウ素剤を保育所・学校に分散配置しているのだから服用訓練を」「バス避難は災害弱者用。大多数の自力避難組を想定せよ」などの改善を市に求めた。いま、日本中で、自治とは何かが問われている。
※自主的避難訓練について、羽咋市の「命のネットワーク」HPを紹介したい
http://inochi-no.net/index.html
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┗■3.新聞・雑誌から1つ
|大飯破砕帯 検討見送り ―関電「資料見つからない」
└─── (7月4日 東京新聞 より)
(省略します―「ちきゅう座」編集部)
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┗■4.<テント日誌7/1(日)>
│ ―経産省前テントひろば 295日目 再稼働強行抗議!―
| 首相官邸前で開いた花は、大飯へ、そして、全国へ。
| 咲き続ける紫陽花の花~
└─── (Toku-san)
金曜の夜に、計測不可能なほど多くの人が首相官邸前の抗議集会に集まり、国内外の多くのメディアが報道したにも関わらず、この日の午後9時に大飯原発の再起動のスイッチが入れられると報道されていた。テントの主要メンバーとたんぽぽ舎の有志約50名が前日からバスで大飯入りして、現地の抗議集会・デモに参加していたが、地元大飯での抗議活動は、夜通し続き、非暴力による阻止行動は、最後まで展開されるという事である。
夕方、大飯に行かれていた宿泊担当のKさんとFさんから、「今現地を全員が離れるといつ実力行使で強制排除されるかわからないので、10名くらいが現地へ残る事になった」と連絡が入った。緊迫した状況、くれぐれも無理をしないでもらいたい。
テントへ状況確認の連絡を入れ、とくに何もないという事だったので、新宿のデモに参加してから、19時にテントへ向かった。テントについて暫くすると、60代くらいのお母さんと30代くらいの息子さんが雨の中テントにいらっしゃった。今日、首相官邸で何かやっているのだったら、参加しようと思って来たという事だった。「こちらでは、状況を把握していないが、もしかすると、どなたかが抗議をしているかもしれません」と伝えると、「せっかくなので、ちょっと行ってきます」と言って、テントを後にされた。暫くしてもテントへ戻って来られないので、20時半頃になって、テントにいた男性4名で首相官邸へ向かうことにした。
首相官邸前に着くと、雨の中、10名程度の人が集まって首相官邸に向かって声を上げていた。20時を過ぎていたため、騒音の問題があり、メガフォンを使う事が出来なかったが、集まった人達は、声をからしながら、野田首相に国民に対して、きちんと説明をするように求め、21時過ぎまで抗議の声を上げ続けた。今まで何もしてこなかったような普通の人が、大飯原発の再稼働に対し、憤りを覚え、首相官邸前の抗議・大飯原発前での抗議に触発され、最後まで出来る事をやろうと行動を起こしている。明らかに今までと状況が変わって来ている。
テントへ戻り、ニュースを確認すると、予定通り21時に燃料棒を引き抜く作業が開始されたという報道があった。我々の抗議対象である野田首相は、金曜日の抗議集会について「大きな音」と評したと報道されていたが、「声」ではなく、「音」と評し、既定路線通りに再起動を行う人間性を疑ってしまう。国民の声を聞くのが、政治家の仕事。本当にこんな人にこの国の意思決定を任せてしまってよいのだろうか?と真剣に思う。
翌朝、テントの泊まり番を終え帰宅する途中、新橋駅前で道端を見ると、植え込みに紫陽花の花が咲いていた。原発再稼働への対応で今まで近視眼的になっていて、気付かなかったのだが、注意してみると、帰路の道端には至るところで紫陽花が花を開いていた。決して華やかとは言えないが、小さなたくさんの花をつける紫陽花。首相官邸前で開花した紫陽花も、大飯、船橋、新宿など、確実に全国各地で開花している。
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【編集部より】
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