迷 い 雀
- 2010年 8月 30日
- 交流の広場
- 加藤義郎
散歩から戻ると部屋の隅に雀が一羽いる。
私の姿を見ると慌てて窓のカーテンの後ろに飛び込んだ。隠れるつもりなら、じっと動かずに居ればよいのに、羽をばたつかせ、ガラス戸を振動させているから居場所を人に知らせているようなものだ。しかし幾ら逃げようと羽ばたいても、この狭さでは身体の自由が利かない。
いったい何をしに人の家に入ってきたのだろう。きちっと閉めていかなかったガラス戸の端が数センチほど開いていて、そこから入り込んだらしいが。外はべランダで、餌を撒いてやる訳でもないのに餌になる虫でもいるのか、たまに雀のさえずりが聞こえることがある。しかし部屋の中まで入ってきたのを見たことはなかった。
私がカーテンの上からちょっと手を触れようとすると、尚さら激しくあっちこっちと動き回る。鎌倉八幡宮や上野公園などで人間から餌を貰っている鳩などと違い、日本の雀は人間のことを自分たちに害をなす敵と思っているようだ。
これがオーストラリア大陸の雀となると違う、と見てきた知人から聞いたことがある。彼女がレストランで食事をしていると、食卓に雀が舞い降りてきた。驚いたが給仕を呼ぶ前に周りを見回してみると、所どころのテーブルに雀がいて、飼猫に餌をやるように雀に食べ物を分け与えているのは現地の人々らしかった。
それぞれの国や土地の習慣は、それぞれの生活によって作られる。
日本ではむかし、武士の給金を米の量で表すなど、米は主食であるとともに価値の尺度でもあった。それを生産する百姓と呼ばれる農民は総じて貧しかった。不作の時など年貢という税金を米で納めた後、自分たち自身の口に入る米は残らないという窮状に陥る家も少なくなく、農民にとって米の出来不出来は文字通り命に関わることだっただろう。
稲作には雨や日照りなど自然の恵みも時期によって必要であり、風水害や雑草や虫などにも心を配って大事に育てる。そしてようやく実りの頃になると、厚かましく集団で食べに来るのが雀たちだ。害鳥だ。追っ払っただけでは又やってくる。捕まえて丸焼きにし、頭から食べてしまうのが良い。
こう考えたのが、雀を初めて人間が食べようとした動機である…、などとこじつけて雀を悪者にすることもできない。大昔から人間は貪欲に食べ物探しをしてきた。雀などは大和朝廷時代からの食物であると食物史の本に書かれている。
そういえば私は子どもの頃、家の近くに雀捕りの網が張られているのを幾度か見たことがある。又、父が屋根の上にバネ式ねずみ取りを仕掛けて雀を捕らえ、丸焼きにしたのを家族みんなで旨いうまいと食べた思い出もある。成人してからは一、二度、何処かの呑み屋のお品書きに珍しい「すずめ」を見付け、それを肴にして呑んだ憶えがある。こんがり焼き上がった小さな頭蓋骨を咬み砕き、脳みそも一緒によく噛んで食べた。引き締まった小さな野鳥の肉は思った通り旨かった。値段は他のつまみに比べて少し高かったが、それだけの価値はある。以来何年か、雀の味など忘れていた。
カーテンの後ろで闇雲に羽ばたいている雀に、私は優しく声を掛けた。
「いま出してやるから、そんなに怖がらなくていいんだよ」
古い時代に日本人の食卓メニューに載せられた雀は、夕暮れどきの見えにくい網に騙され、又べたつく鳥モチ竿や竹篭で捕らえられたり、鉛の弾丸で命を狙われた。そういう仲間たちの被害を見ながら難を逃れた同胞たちは、「人を見たら敵と思え」という警告情報を何らかの方法で子孫に伝えてきたらしい。人間のような言葉は持たなくとも。それが血となって代々受け継がれ、いつしか本能に変わってしまったかと思えるほどだ。
人間から危害を加えられたことがなさそうな、都会に住んでいる雀でも、人間に対してはすぐ逃げられそうな距離を保ち、それ以上は近付かない。前にも書いたが、ここがオーストラリアの雀と違うところだ。かの地における人間と雀との付き合い方の歴史は、日本のそれとは全く異なるものだろう。日本の雀が知ったら羨ましく思うだろうか。
少なくともオーストラリアに生まれた雀は、人間に食べられる心配の無いことだけは神に感謝しなければならない。…などと想像するのも、無責任な態度かも。土地によっては人間とは別の天敵がいるかも知れないのだから。
最近、東京の高層ビルの谷間に猛禽ハヤブサが棲み付くようになったのは、餌になる鳩が近くで容易に捕獲でき、繁殖に適した環境だからだという。場所によっては「おれは鳩だから」と安閑としてはいられない時代だ。
片手でカーテンの上から軽く雀を抑え、裏側に回したもう一方の手でそっと掴む。
熱い。羽ばたきを止められた雀の血が、小さな身体の中を脈打って流れている。柔らかな羽毛を通して心臓の鼓動が伝わってくる。チビめ、おれを怖がって逃げようと必死にもがき、こんなに熱くなっている。太古の昔から今日まで、他の動物や人間に捕まって食べられてしまった先祖の警戒心が、この小雀にも血となって伝わっている。
「巣は憶えているのか?」
雀をベランダから空中に投げ上げ、迷わずに帰れよ…と祈った。(完)
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