現実と未来―長めの論評(その4)
- 2012年 10月 22日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
復興予算の流用が報道されているが、これには驚きを通りこして呆れてしまう。東日本大震災からの復興こそが今後の日本の道を決定して行くとは多くの人が語ってきたことだが、この復興予算の実態を見ているとそれとかけ離れた場所に日本の政治があるかが分かるというものだ。復興という名による予算の分捕りと執行は詐欺行為である。国家詐欺である。原発震災の復旧や復興のあまりのひどさに隠れがちに見える大震災の復興だが、被災地からの声を聞けばその遅れは明瞭だし、それを証明しているのがこの予算の実態である。被災地の復興に関係のない予算であれば、それは別に立てればいいのであって、こうした詐欺まがいの行為はやめるべきである。
大震災からの復興と言う名目は官僚組織が省益や利権による予算確保の格好の材料となったのであろう。それを漁ったのである。これは一つのサンプルであって如何に行政が無駄な支出をやっているか、国民の目の届かないところでやっている行政が明るみにでたに過ぎない。原発震災からの復旧や復興でも同じことが、もっとひどいことが行われていることは想像にかたくない。消費増税が何に使われるか今でも疑惑のあるところだが、官僚主導の政治の実態を見せつけている。ここで僕らがみているのは日本の政治《政党や官僚》が大震災や原発震災からの復旧や復興についてのビジョンや構想を持っていないことである。
原発震災からの復興や復旧では原発の存続の是非の中で、まだそのビジョンや構想は議論されている。しかし、震災についてはその議論さえないのだ。大震災は原発震災も含めて日本社会の転換を僕らに迫った。つまり、復旧や復興にはこの転換の構想やビジョンが不可欠であり、それなしにはことは進まないはずだ。確かに、大震災から時間が経てその衝動が薄れて行く度合いに応じて、日本社会の転換という意識も薄れて行くところもある。だが、日本の政党や官僚たち、つまり日本の政治や国家の中枢を占める面々にとってこうした問題意識は当初から希薄だったのではないのか。彼らは口を開けば東北や福島の復興なくして日本の再生はないというが、今、日本の再生とは何かのビジョンも構想もないのだ。再性の根本をなすのは日本社会の転換であり、経済の高度成長を根幹にしてきた戦後の日本の社会経済の転換である。
大震災からの復興についてその遅れを指摘する被災地からの声をしばしば聞く。こうした復興予算の実態を見ればなるほどと思う。僕らの周辺でも復旧や復興についての議論は薄れてきており、ここには時間による風化が介在しているが、大震災からの復興を東北地域と言う空間的な領域でのこととだけとしてではなく、歴史的の日本社会の段階の問題として考えて行くことが必要なのだ。復興は被災地という場所や空間を根拠にするがその空間での再性は、日本の社会の歴史的段階の転換でもある。この出鱈目な予算について大臣たちの弁明は、日本社会が活性化すれば復興につながるというものだがこれはおかしい。具体的、つまりは場所的・空間的な復興は被災地が中心にあること、それが優先されることは当然のことだ。この復興が日本全体の復興としてあるというのは歴史段階としての日本社会の復興《再性》、つまりは転換につながることにおいてなのだ。大震災の被災地に関係の地域のことにカネをつぎ込み使うことは馬鹿な話だ。被災地域の具体的な復興が日本社会の転換を体現すること、日本の歴史的な段階の転換になって行くことにおいて日本の復興になる。日本の復興という名目で関係のない所に予算を使うことはお門違いであし、復興の意味が分かってはいないのである。
原発震災からの復旧や復興ということはこのことをもっと明瞭にするかもしれない。福島第一原発事故の復旧や復興として福島県の復興会議は第二原発も含め福島からの原発の撤廃(廃炉)を決議した。これは地域的、場所的に原発の存在を否定し、また原発の依存してきた地域経済の復興を構想するものである。原発の依存しない地域や社会の復興として大きなデザインとしては明確である。これは原発を根幹的エネルギーとしてきた日本の社会経済の歴史的段階の転換でもある。原発をエネルギーの根幹にした高度成長社会からの転換である。福島から発せられた原発依存社会からの転換は日本の社会経済の戦後的、あるいは歴史的段階からの転換を意味する。原発の再稼働→原発保持に執着する原子力ムラや産業界は福島第二原発の再稼働を含め原発保持に躍起であるが、彼らは日本社会の転換に抵抗しているのだ。実際は原子力産業の既得権益の墨守が現実的な理由である。原発を保持したい最大の理由は電力会社や原子力ムラの既得権益であり、高度成長経済の神話がその背後で幻想として支える。政党や官僚は既得権益の墨守者たちと世論の間で右往左往しているのが、ここでも日本社会の転換を構想も出来ないのである。原発依存から脱してエネルギーの転換をすれば、この転換を基礎とした産業経済の転換も必然化する。地産地消型へのエネルギー転換はエネルギー独占を解体する。脱原発は具体的に地域の社会経済の転換を促すが、それは日本社会の歴史的段階の転換でもあるのだ。
ここのところに復旧や復興をめぐる現在の問題がある。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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