9.21現代史研直前案内とレジュメ(補足修正版)
- 2013年 9月 17日
- スタディルーム
- 奥山忠信
- Introduction
- Currency Crisis in Asia and Foreign Exchange Rate System
- Rethinking of Nixon Shock,1971
- Methodology of the Theory of Commodity
- Value of Money from the Standpoint of Value-Form Theory
- Measurement of Value
- Conclusion―Gold as Money for East Asia
現代史研究会 2013年9月21日(土)レジュメ
『貨幣数量説』はなぜ今、問題か
奥山忠信
リーマン・ショック後の3ヶ月でドルの残高は2倍になった。常識では考えられない衝撃であった。今、日本でもアベノミクスが登場し、アメリカほどではないが2年間で通貨を2倍にする量的緩和政策(QE:Quantitative easing)が行われている。貨幣量を増やせば物価が上がると信じての政策であり、貨幣数量説に基づく政策である。
貨幣数量説は、アメリカ大陸「発見」による新大陸から旧大陸への金銀の流入と軌を一にした16世紀の「価格革命」によって広まった学説である。ヨーロッパの物価の高騰を貨幣量の増加によって説明する学説である。これを20世紀になって数式化したのがフィッシャーの交換方程式であり、MV=PTと表現される。貨幣量Mとその使用回数(流通速度V)の積は一定期間の購買総額を表し、商品価格Pと商品の取引量Tの積は一定期間の販売総額を表す。購買額と販売額とがズレることはないから、この式は自明の式となる。ここで、VとTを慣行上一定と考えると、MとPは比例することになる。M(貨幣量)が増えればP(価格)は上昇する。政策的には貨幣量を増やせば価格が上昇することになる。
価格の上昇が不況からの脱却と考える立場にとっては、貨幣数量説は魅力的な学説になる。MV=PTは経済学で最も有名な公式であり、自明の理論として扱われることが多い。
しかし、貨幣数量説は、基本的な問題を抱えている。第一に、貨幣価値論において、金銀貨幣であっても固有の価値・内在的価値は持たないという立場である。通説では、貨幣数量説は、古典派の基礎理論として紹介されることが多いが、スミスもリカードウも貴金属貨幣については貨幣数量説を採ってはいない。スミスについても多くの誤解があるが、彼は明確な貨幣数量説批判の論者である。スミスは、中南米からの金銀の流入による物価騰貴は、金や銀の鉱山が豊かなことから生産費や支配労働時間が低下し、これによって貨幣価値の低下=物価上昇が生じたと考えている。金や銀の量の増加ではなく、その生産費・労働時間の低下が物価上昇の原因であると考えているのである。
貨幣数量説の代表者といわれているリカードウも、貨幣数量説を採っていたのは初期の地金論争期であり、労働価値論が確立した後の彼の主著『経済学および課税の原理』では、金や銀の貴金属貨幣については貨幣数量説を採ってはいない。貨幣数量説は、紙幣に関してのみ主張されている。
これが第2の問題とつながる。貨幣と価格との因果関係の問題である。スミスもリカードウも貴金属貨幣に関しては、労働や生産費によって貨幣価値が決まり、流通に必要な貨幣以上の貨幣は、地金に戻ったり海外に流出したりすると考えている。これはマルクスによって定式化された必要流通手段量説である。商品の総価格が必要貨幣量を決める、と考えるのである。貨幣数量説とは逆の考えである。
貨幣数量説は、必要流通手段量説とは逆である。フリードマンによれば、貨幣量の増加が原因であって価格の上昇は結果でなければならない。彼のアメリカ経済史の実証研究は、時間的な前後関係を明らかにしているという。しかし、交換方程式から貨幣と物価の因果関係を導くことに理論的な根拠はない。カルドアは内生説の立場からフリードマンの検証が成り立たないことを主張している。
第3に、リカードウは、紙幣に関しては、貨幣数量説は完全に機能すると考え、貨幣の価値=物価の管理は可能と考えていたが、この点については、スミスよりも早く、ジェームズ・ステュアートによって、根本的に批判されている。貨幣量の増加と需要の増加とは別であるというのである。貨幣量が増えても、需要が増えなければ物価は上昇しないのである。この批判は今でも有効である。ステュアートの指摘は、貨幣数量説が貨幣錯覚を前提にして、初めて成立する学説であることを明確にしている。貨幣錯覚が消えれば、貨幣数量説は成り立たない。黒田日銀総裁の政策では、2年間で通貨を2倍にして、2%の物価の上昇を図るというものである。しかし、貨幣数量説の本来の趣旨からすれば、初期の貨幣数量説の形成者の一人ロックが言うように、貨幣量が10倍になれば物価も10倍にならなければならないのである。日銀の判断でも、今では貨幣幻想は大きく後退したのである。
第4に、ロックやヒュームのような創成期の論者にとって、貨幣数量説に登場する商品や貨幣の定義は困難な問題であった。彼らの理論を転倒すれば、実際には使用された貨幣と購買された商品だけが、因果関係を形成するものになる。貨幣数量説の自明性は、暗黙の前提として、使用されなかった貨幣と売れなかった商品を除くことで成立していたといえる。そうであるとすると、自明のこととして正しいことに、そもそもの意味はないことになる。
現在の通貨は完全な不換紙幣であり、貨幣の価値は社会的な幻想に支えられている。価値形態論の立場(この点はマルクスよりも宇野弘蔵による)からすれば、日々の商品の価格づけが無価値の紙幣に購買力(価値形態論では直接的交換可能性と呼ぶ)を付与し、すべての売り手の主観的な評価が紙幣の価値を支えている。したがって、紙幣の場合にはそれ自身には根拠はなく、商品所有者の社会的幻想が破壊された段階で、通貨危機が生じる。
ニクソン・ショック後の国際通貨システムは、完全に金から離れ、不換紙幣ドルを実質的な国際通貨とするシステムとなっている。通貨の発行主体は、莫大なシニョレッジを得ることができ、この魅力がある限り発行のモラルを維持することは難しい。したがって、繰り返される通貨危機の原因が、金融機関や金融市場の問題にとどまらず、国際通貨システムのものの問題であることを等閑視することはできない。
また、現在は、変動相場制が当然のシステムとして受け止められているが、もともとはフリードマンによって、外貨準備の不要なシステムとして、変動相場制が主張されていた。理論と現実は大きく異なっている。しかも変動相場制は、為替の変動によってビジネスを混乱させるだけでなく、競争力を高めた国に通貨高のペナルティを課すシステムであり、日本経済が停滞した大きな要因であった。
ユーロは、変動相場制への防御の意味を持つが、ユーロの生みの親と言われるマンデルが最適通貨圏を唱えた時は、例えば、アメリカとカナダを東部の自動車地帯と西部の森林地帯に編成し、それぞれ東部ドルと西部ドルを作り、2地域を変動相場制でつなぐという理論であった。ユーロのような広域通貨圏の優位を説いたものではない。しかし、この理論がユーロの基礎に変質した。
ユーロは世界中央銀行による世界共通通貨の実験として魅力的である。しかし、これはケインズがバンコール通貨が機能する条件として絶対的な平和を唱えたように、政治的経済的に安定した国際関係を条件とする。言うまでもなく、国際社会の現実は、絶対平和からはほど遠い。また絶対平和の前提が確保されたとしても、人間が通貨を管理できるかどうかという本源的な問題も残る。
マルクスは、世界貨幣としての金は、不可欠のものとして考えていた。紙幣が国家間で受容されることは、戦時には不可能であり、国際通貨問題は基本的に経済を越えた問題でもある。また、マルクスに先立つリカードウは、死の直前、イングランド銀行に代わる国立銀行を作り、利払いなどの財政問題を解決すると共に貨幣数量説による完全な紙幣管理を構想していた。
しかし、その場合にも、5名の「賢人」を選んでの貨幣発行制度であった。また、実質的には紙幣だけが使用されるとしても、金と紙幣との兌換の余地を残しての通貨システムであった。「賢人」を想定することは、理論的には苦しい選択である。しかも賢人さえ疑わしい。リカードウは、紙幣を管理できるとする一方で、金を捨てることができなかった。金は人間の通貨発行のモラルの欠如に対する最後の歯止めであった。
奥山忠信『貨幣理論の現代的課題-国際通貨の現状と展望』(社会評論社、2013年7月)
目 次
序 章
第1章 貨幣の価値
第1節 貨幣表現と貨幣
第2節 金貨幣
第3節 金貨幣の価値尺度
第4節 不換紙幣の価値尺度
第2章 貨幣の変容
第1節 貨幣と社会
第2節 貨幣としての金
第3節 富としての貨幣
第4節 信用貨幣
第5節 政府紙幣
第6節 電子マネー
第3章 貨幣数量説
第1節 貨幣数量説の形成
第2節 貨幣数量説の基本的な考え方
第3節 流通速度の定義に関わる問題
第4章 交換方程式における貨幣と商品
第5節 フィッシャーの交換方程式とケンブリッジ方程式
第6節 貨幣数量説の因果関係
第7節 貨幣数量説の批判
第4章 貨幣の管理
第1節 貴金属貨幣管理
第2節 政策としての貨幣数量説
第3節 必要流通手段量説
第5章 外生説と内生説
第1節 貨幣数量説の復権
第2節 カルドアの批判
第6章 世界貨幣と基軸通貨
第1節 世界貨幣としての金
第2節 ブレトンウッズ
第3節 IMF体制
第4節 シニョレッジ
第5節 ニクソン・ショック後の基軸通貨
第7章 変動為替相場制
第1節 わが国にとっての変動相場制
第2節 フリードマンの変動相場制論
第3節 変動相場制への移行
第4節 変動相場制の諸問題
第8章 最適通貨圏とユーロ
第1節 ecuからEUROへ
第2節 単一通貨の誕生
第3節 危機の中のユーロ
第4節 マンデルの最適通貨圏論
第9章 アジア通貨危機
第1節 ユーロと東アジア
第2節 アジアの奇跡の成長と通貨危機
第3節 アジア通貨危機後のアジア
第4節 アジア通貨危機の教訓再考
第10章国際通貨の展望
第1節 国際通貨システムの改革
第2節 金本位制崩壊後の教訓
第3節 バンコール
第4節 SDR
第5節 金本位制論の現状
第6節 アメリカ議会金委員会
第7節 マンデルの金本位制論
第8節 金本位制復活論の意味
結 語
Appendix:The Prospect of an Asian Common Currency
参考文献
あとがき
第278回現代史研究会
日時:9月21日(土)1:00~5:00
場所:明治大学駿河台校舎・リバティタワー1145号(14階)
テーマ:「『貨幣数量説』はなぜ今、問題か」
講師:奥山忠信(埼玉学園大学教授)
コメンテーター:矢沢国光(「世界資本主義フォーラム」)
田中裕之(立正大学講師)
参加費:500円
連絡先:書肆・社会評論社 03-3814-3861(担当・松田)
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、塩川喜信、田中正司、(廣松渉、栗木安延、岩田弘)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study589:130917〕
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