最終決壊~何故、国民は自身を守る法制をかくも裏切り続けているのか?
- 2014年 9月 18日
- 交流の広場
- 武田明
最初に、時系列だけを明確にしておくと、前回の僕の一文は、13日の朝に書いたものです。ブログの投稿日付がそのまま書いた時間、送信した時間となります。ちきゅう座に掲載されたのは、14日でした。
13日の昼に投稿された
「サロン談義のなかでそれぞれ理想の憲法像を出し合う」のは止揚しませんか
http://chikyuza.net/archives/47309
こちらがはさまりましたが、この一文は、かなり正直な気持ちが書き出されておりいささか納得するものが多くあり、氏を誤解していた部分をお詫びしたいと思います。
「実際に地方では、社共共闘で「革新自治体」が続々と出来た時代でした。」
これは、昨今では、「民主党革命」への失望と重なるものがあるように思います。
臨終を迎えた民主党
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-2f8e.html
何故、同じことを繰り返しているのでしょう。
しかし、めげずに、池上彰氏の様に、「社会主義の失敗と教訓」を分析していかねばならなかったのでしょう。
『革新幻想の戦後史』があり、ソビエト崩壊を乗り越えて今、何ができるのか?
それは、ゆっくりと今後書き出していこうと考えています。
留まらず先を急ぐのは、更に、大きな問題があるからです。
国連が原発推進で可笑しいですか?
http://chikyuza.net/archives/47398
次のこちらの問題の方が大きな難問であると思います。
つまり、脱温暖化と脱原発どちらを選択すべきかと言う問題です。
311以前は、温暖化の危機を叫んでおりましたが、それも、この事故によって吹っ飛んでしまった。
その思考停止を問うものだからです。
それでも、結論から言うなら、僕の選択は、「即座の脱原発」であり、その運動の支援であり続ける事には変わりがありません。
放射性廃棄物の問題があります。
そして、原発利権の問題があります。
科学は、自然科学を基調とはしていますが、社会科学、人文科学にまで広げて考えなくてはならならないのは、人類史の宿命というよりは、宿題であり続けているからです。
放射性廃棄物の件を先送りすること、それは三倍に膨れ上がったマネーゲーム、独占資本の独り歩きと言う暴君を残したままに、エネルギーの無駄遣いをすることであり、本来戒めなくてはならないものを野放しにしたまま更に火を注ぐような行為でしかないからです。
穴の開いたバケツに水を灌ぐようなものどちらでも同じです。
本来は、ちきゅうは、人類だけのものではなく、調和が必要であるのは当然です。
マルサスの『人口論』があります。
内なるブルジョワ性は、実は、人類エゴとして、労働者の側にも備わっているのであり、
「問題の先送りとして未来を台無しにする」資本家の喰い荒らしを認めることでしかない自身を敵、資本家と同値とすることにほかなりません。
労働者に必要なのは、「誇り」なのではないかと思うのです。
同じ価値観で、未来を犠牲にして、現在の贅沢を守るエゴに加担すべきではないのです。
既に、「現在」のちきゅうにおいてさえ、贅沢=ブルジョワ性を享受している先進国は、餓死するアフリカ、そして、中東の人民を犠牲にしてきたつけに悩まされています。
①マネーゲーム、資本の独り歩き、高利貸しの利子負債社会問題
②エネルギー問題、未来を犠牲にする破滅の道としての原発、放射性廃棄物問題
③温暖化問題とは、先進国問題であり、先進国化せんとする中国まで含めた強欲資本主義社会の問題、帝国主義段階の問題意識だからです。
少子化は、むしろ日本人の良心の現れとも言えるのではないでしょうか?
既に、産まれてしまったものは、仕方がないとしても親のエゴによって、子供を玩具の様にペットの様に愛玩したり虐待しない事です。
自ら無神論者であり、唯物論者でありながらも、キリスト教者のように全ての子供を社会の子供として愛し、そして、教育する世界としていくしかありません。
マルサスの『人口論』の戒めの様に、少子化と計画的人数の子孫を社会の共通の子供として育てる「共産主義」社会をパラダイムチェンジとして理解浸透させていかねばならない結論を感じています。
勿論、独占資本の独り歩きを止揚し、その後の社会構築として、先進国から後進国へと教育伝授する世界革命を構想する以外に、原発利権容認社会よりましな選択肢はありません。
全てを、「労働者としての誇り」まで捨てて、現在の先進国の贅沢の中で「問題先送り」して、「未来を犠牲にする」のか?
この選択肢の問題としての問いではないかと考えています。
2014年9月13日世界資本主義フォーラムにて報告 モンドラゴン協同組合企業グループをどう見るか
http://chikyuza.net/archives/47336
資本家は、無用の長物である。
労働者立国としての協働とは、スキルを持つ、技術者立国に他なりません。
技術とは、総合的能力として問われているのは当然です。
「ファゴール家電」倒産は、池上彰経済教室で語られている「バブルのワンマン経営」や「社会主義の失敗と教訓」で語られているのと同じ蹉跌があるようですが、中国で何故、格差を広げるのではなく、労働者協同組合形式が取れなかったのか?
または、アメリカに抵抗するキューバ史にも更に、注目が必要なはずです。
少なくとも、「未来」を犠牲にしない、資本家と同じ、内なるブルジョワ性を戒める労働者としての矜持を堅持し続ける方法論は、このようにあります。
しかし、「未来」対策としてこれで良いとしても、「現在」のちきゅうを犠牲にしている「先送り政治」の悪がそのまま野放しになっているでしょう。
その様な、「現在」のちきゅうをも救済するのであるならば、原発反対を叫ぶ以上に、「先送り自民党長期独裁安倍内閣」を即座に、打倒する「革命」的救済しかありえないと言う事になるでしょう。
毎日、ちきゅうには、餓死者、その他、不幸な死を迎えている人々が後を絶たないでしょう。救済しなくてはならないのは、「時間との闘い」でもあろうからです。
紅林進さんの「民主制の下における社会主義的変革」の一文も逐一、同意させられるものが多いように思いました。
日本の労働者が、自身の矜持に忠実であるならまずは、「先送りして未来を台無しにしている負債、高利貸し独占資本独り歩き=ブルジョワジー打倒」と安倍政権打倒を先決問題とすべきであるのは、全く変わりません。
そして、「現在」と「未来」、真の意味で、子供たちの未来、人類の未来を守る道は、唯一、この方法論だけであることをしらねばならないだけです。
先走り過ぎましたが、それぞれの整合性については、ゆっくり、(時間との闘いなのでゆっくりもしていられないのが、「革命」でもあるのですが)順を追って書き出し、補足して行けたならと思っています。
哲人政治の道は、近い!
老人よ、若者を恐れるな!ソクラテスの毒杯を乗り越えて、民主政治を完追せよ!
ソクラテス(画像)
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http://chikyuza.net/archives/47380
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