必見『日本と原発』
- 2015年 2月 8日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
今年の1月21日、明大自由塔裏手の研究棟会議室で映画『日本と原発』の監督による講演「原子力ムラの復活にどう立ち向かうのか」を聴講した。
数日後、シネマート六本木で『日本と原発』を観て、はからずも監督のトークを拝聴出来た。監督は、弁護士の河合弘之であった。玄人の映画芸術家が覆面で協力していた。このテーマで映画を作ると、糧道を断たれる恐れがあるが故の覆面だと言う。
まことに実のある講演であり、映画であった。救国の熱血が老弁護士をして大作映画の製作に駆り立てたのだ。以下に若干の感想を記す。
河合自作の「原子力ムラ相関図」は、原発にかかわる巨大利権構造の総覧図である。電力会社、経産省・エネ庁、商社、ゼネコン、メーカー、メディア、労組等の間の持ちつ持たれつ的利益相関の中に、御用学者群と御用評論家群がしっかりと描き込まれている。私が見て不思議に感じられたことには、法曹界が相関外になっていることである。相関図に全く登場していない。私は、「御用・・・」と言う表現を好まないが、河合に従って借用すれば、御用裁判官も御用検察官も御用弁護士も存在しないかの如くである。そんなことはあるまい。『日本と原発』のチラシに、「河合の人生後半戦の一大事業と位置付けた原発訴訟は、負け続けだった。」とある。「原子力ムラ相関図」に御用法曹群が欠落している事の含意は、河合弁護士は原子力ムラ非御用の正義の法曹に「負け続けだった」ことになってしまう。
「原子力ムラ」と言う表現に違和感を覚える。相関図に登場する諸主体を率直に見れば、彼等は、資本主義日本の上流エリート市民群ではなかろうか。彼等が相対的に閉鎖的な巨大利権構造をつくり上げたからと言って、それを「ムラ」と呼んでしまっては、それが市民社会の政治・経営・行政・司法の内部から生成される論理を解明出来にくくしてしまう。
それに、「村」に失礼であろう。講演資料として飯館村の村民歌「夢大らかに」が配られた。「村を興さん」と「村を富まさん」の夢を台無しにした張本人は「原子力ムラ」と呼ぶより、「原子力エリート市民社会」と呼んだ方が妥当であろう。
監督は、あと15分延長出来たならば、『日本と原発』に「テロリズムと原発」章を追加したかったと言う。隣国からの通常兵器による原発攻撃で日本が消え去る危険性を説いた。その通りである。
私見によれば、世上語られる地震津波による原発破壊の可能性・確率よりも戦争・テロリズムによる原発爆破のそれの方がはるかに大きい。原発とは、自国の金と技術で敵国が引き金を握る巨大核地雷を自国内に設置してあげているようなものだ。それも、日本列島一周54基も。真に日本国防に責任を感じる日本国軍が健在であれば、かかる防衛不能状態の出現を経産省に抗議したに違いない。河合の「原子力ムラ相関図」に防衛省の名が見えないのは救いである。
核兵器を国是として保有しない日本国は、原子力発電所群の維持稼働によって核技術を確保し、一旦緩急の際核兵器を製造できる能力を黙示する事で潜在的核戦争抑止力を有するべき、と言う声がある。河合は、かかる声に危惧しているようである。私=岩田は、一理ある声だと思う。日米安保体制から自由になった場合のことだが。そうであっても、54基の原発を全基再稼働する理由にならない。かかる潜在的能力の開発維持のためには、原発三基で十分でなかろうか。51基は廃炉技術の開発輸出に使用されるべきである。54基の廃炉か51基の廃炉かの相違である。それに三基の核地雷であれば、敵国から、テロリズムからの攻撃を防げるであろう。
『日本と原発』の最終章は、日本列島沿岸の全原発をぐるりと一基一基実写している。津波であれ、テロリズムであれ、敵国であれ、我国の原発は如何に攻撃されやすいことか、一見してすぐわかる。河合の危機意識が私の心を強く打つ。
キャノングローバル戦略研究所のサイトを開いてみた。研究所は、日本市民社会エリート有識者35名を集めて、「201X年電力危機」の図演を実行した。2014年11月末のことであった。
それによると、中東のある王国でアルカイダ系武装勢力のテロが発生し、対日LNG輸出が長期停止し、また三重県のLNG基地もテロ攻撃で爆破された。その結果中部日本の経済が長期に麻痺するだけでなく、入院患者や保育園児の死亡事故も多発した。電力供給の決定的不足の故であった。かくして、停止中の原発再稼働だけが頼みの綱である事は、万人の目に明らかとなり、反原発勢力は失調した。そんな状況下で原発がなしくずし的に再稼働される。ある図演参加者の意見によれば、この「なしくずし」が一番良くない。日本社会が原発再稼働の是非を徹底的に考究討論し、明確に意思決定し、再稼働するなら、歩武堂々と実行すべきである、と主張する。
私=岩田は、原発賛成の人々がかかる図演を実施した事を評価する。しかしながら、アルカイダ系武装テロが三重県のLNG基地を攻撃すると言うような、原発再稼働へ人心を誘導するような想定だけにとどまるのではなく、イスラム国による再稼働した福島第二原発へのテロ攻撃等、多角的想定に立つ図演が必要であろう。そうでなければ、「201X年電力危機」のシナリオも河合の所謂「原子力ムラ」、私の「原子力エリート市民社会」の内部的結束を固めるだけに終わろう。
平成27年2月7日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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