見えたものまで
- 2015年 2月 18日
- 交流の広場
- 藤澤豊
デトロイト近郊の自動車部品加工会社にマシニングセンタ(工作機械)の修理に行った。ちょっと長くなるがどのような設備で何をしていたのかをざっと説明する。これが分からないと話を進められない。
マシニングセンタは横型で、テーブル二台(500mm角)のパレットチェンジャーが付いていた。作業者から一番遠くにマシニングセンタがあって、二台のテーブルが縦に-一台はマシニングセンタの近く、もう一台は作業者の近くに一直線に並んでいる。作業者の近くのテーブルの右側にこれから加工する加工物を搬入するコンベア、左側に加工済の加工物を搬出するコンベアが付いていた。以下、マシニングセンタに近い方を機械側、作業者に近い方を作業者側とよぶ。
機械側のテーブル上に固定された加工物(たとえばシリンダブロック)がマシニングセンタで加工される。作業者側のテーブルは作業者が加工済みの加工物を取外したり、これから加工する加工物を取り付ける。右側のコンベアがこれから加工される加工物を右から左に送り出してくる。加工物同士がちょうど電車の車両のような感じで並んでいる。先頭の加工物は作業者側のテーブルの手前(ちょっと右側)のストッパで停止される。
マシニングセンタと作業者が次の手順の単純作業が繰り返す。作業者が右側のコンベアの先頭の加工物を取り上げて、テーブル上に固定する。固定したら、テーブルの手前にある操作盤の“READY”ボタンを押す。押すとボタン内の緑色のランプが点灯するとともに制御装置に次の加工の準備ができていることを伝える。機械側のテーブル上の加工物の加工が完了すると、マシニングセンタ上の赤いランプが点灯し、機械側のテーブルと作業者側のテーブルの両者が入れ替わるかたちで百八十度旋回する。この旋回によって次に加工する加工物を載せたテーブルが機械側に、機械側にあった加工済みの加工物を載せたテーブルが作業者側にくる。機械側にきたテーブル上の加工物をマシンニングセンタが加工し始める。
作業者は、作業者側にきたテーブルから加工済みの加工物を取り外し、左側の搬出コンベアに乗せる。次に右側のコンベアからこれから加工する加工物を取り上げてテーブルに固定する。固定したら“READY”ボタンを押す。
フルサイズのマシニングセンタなので加工物もそこそこ大きい。二十分やそこらで完了するような加工には使わない。加工物の取付けと取り外しにはいくらのんびりやっても五分はかけようがない。そのため、機械の速度に作業が追いつけないなどということはない。作業は簡単、健常者なら誰でもできる。というより飽きる。
二台のテーブルを百八十度旋回する機能に障害がおきて旋回しない。パレットチェンジャーはテーブルを旋回していないにもかかわらず旋回完了信号を制御装置に出していた。その報告を受けたマシニングセンタは機械側にあるテーブル上の加工物(加工済み)の加工作業を始める。
百八十度旋回しないので機械側のテーブルには加工完了した加工物が、作業者側のテーブルには次に加工する加工物が載っている。加工作業完了の赤いランプが点灯する度に作業者は作業者側のテーブルの上にある次に加工するはずの、加工していない加工物を搬出コンベアに載せて、搬入コンベア上のこれから加工する加工物をテーブルの上に載せる。加工していない加工物が加工済みとして次の生産工程に送られていた。
作業者と現場班長が言い合っていた。日ごろ言われたことをしてただけでオレに責任はないと言う作業者、言い合っている二人をなじる?マネージャ。作業者から聞いた話では、命令された作業は大まか次の通りだった。「赤いランプがついたら目の前のテーブルから加工物を外して左のコンベヤに載せろ。次に右のコンベアから加工物を取ってテーブルの上に固定しろ。固定し終わったら“READY”ボタンを押せ。」
多くの日本人がこのような状況に遭遇して言い残した言い草を思い出した。曰く、アメリカ人は働かない。アメリカ人は馬鹿だ。起きていることをそのまま見えるように見れば、言い残された通りに見える。
症状から見てセンサー系の障害、修理に大した手間はかからない。あわてる必要もない。電気図面と組立図を見ながら、障害の可能性のあるところに目星を付けて。。。、作業者が帰らないのに気がついた。出来高払いの賃金なので現場にいても一銭にもならない。にもかかわらず帰ろうとしない。日本の工作機械を操作したのも初めて、日本の技術屋を見るのも初めて、どんな制御、どんな機械構造になっているのか気になってしょうがないという素振り。興味津々で電気図面と組立図を覗きこんで、あれこれ聞いてきた。母国の訛りが強くて聞きにくい。ユーゴスラビアのどこかの街からきたとのことで、ユーゴスラビア訛りの英語と日本語訛りの英語のやりとりになった。どちらも語彙が限られている。それでもお互いに相手の言わんとしているとことは十分理解できた(と少なくともこっちは思った)。勉強になるので修理を手伝いたいというより、やらせろという感じだった。話してすぐに分かったが、経験豊富な機械屋で新米サービスマンなどおよびもつかない人だった。
ユーゴスラビアではそこそこの会社で技術屋だったのが、多分経済難民?として米国に渡ってきた。渡ってきたはいいが、言語の障害やらなんやらで、単純作業の機械操作の職しかみつからない。食うためにしょうがなしにやっている。給料も最低賃金しかもらえないだろうし、自分より知識も経験もはるかに劣るマネージャや上司から礼を逸した強圧的な口調で単純な繰り返し作業だけが命じられ、ばかばかしくてやってられないというのが本音だったろう。
加工していない物が次の工程に流れていってしまう。自分が流していることに気がつかないようなバカじゃない。金にもならないのに日本人のサービスマンの手伝いを喜んですることからも、決して怠け者でもない。
彼ほどの知識や経験があれば、多分マネージャに改善などを具申したこともあっただろう。残念ながら、少なくともこっちに対する態度からみて、それを聞き入れるようなタイプのマネージャではなかった。あまりにも人としての尊厳というほど大げさでなくても、プライドを傷つける扱いを受け続けてきたので、バカに徹して言われた通りにして、それが問題になったら、言った側の責任ででしかないと意地になっていた。
多様な文化や習慣を持った人たちが階層化され、ばらばらになった社会でお国なまりの英語で言い合いながら日本ではちょっと考えられないトラブルを生み出す。言語の障壁と文化の違いのせいで意思疎通がうまく行かない。それが、本来は働き者で十分以上の知識も能力も持っている人たちが、本来の能力をだせない環境を心ならずも作ってしまう。お互い人として認め合う文化や意識がないところでは本来問題になりそうもないことまでが問題となって、問題が問題を生んで人と人とのフツーのありようまでがおかしくなる。
これは個人の問題-働かない-である以上に社会の問題でしかない。社会構造の根幹のところの一部分がマイナスのものとして具現化したものを見て、アメリカ人は働かない、バカだというのは、そう言う人たちの不見識が露呈した-恥じなければならない不見識に気づかない発言といっていいだろう。
見えたものから見なければならないものの存在に考えが及ばない。見えたものだけから結論を出す。それは誰にでも見えることから引き出されたもの。結論を聞かされた人たちには単純な分かりやすい天動説のような説得力がある。その説得力に納得させられて見えたものまでの“常識”。“常識”とはなんだかんだ言ったところで何時の時代も見えたところまでで創られた共通理解とでもいうことになるのか。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。