国立大学と「君が代」
- 2015年 5月 8日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
『朝日新聞』(5月6日 第9面)に、国立大学における国旗掲揚・国歌斉唱が政府によって要請されると言う事件に関する読者による賛否の投稿が載せられている。
一読して、私は15年前のある経験をまざまざと想い出した。国旗国歌法が平成11年(1999年)8月13日に公布・施行された。平成12年の1月か2月の教授会で学部長が報告事項として、審議事項としてではなく、卒業式の新しい式次第を紹介した。従来なかった「国歌演奏」が入っていた。「国歌斉唱」ではなかった。
欧米流のリベラリストが圧倒的に多数のわが法経学部教授会においてこの点について誰も質問しないので、ソーシャリストを自任する私が質問した。「入学式や卒業式は教育プロセスのスタートであり、ゴールであります。精神的重みがある営みでしょう。そんな式の内容が改変されるに際しては、私達教育する者による事前討議が必要でしょう。それなしに総務部が作った新しい式次第を丸呑みするのはいかがなものか。評議会や部局長会議で議論されたか。」「議論はなかった。」誰も私に続く者なく、話はそこで終わった。
その頃、私は、「熟議民主主義」なる概念を知らなかった。「熟議民主主義」に関して学問的議論をする者は、大学における「君が代」問題を教授会で熟議せず、無知なる者が熟議しようとしたことになる。ところで、「熟議民主主義」の実質は不在であっても、「熟議官僚制」は機能していた。国旗国歌法の施行に直面して、総務部は、「斉唱」の実施を避けて、学生オーケストラによる「演奏」にとどめた。ここに官僚制内「熟議」があった。現在の状況はどうなっているか、私は知らない。
以上のような体験を基に、平成12年(2000年)9月の『アソシエ21ニューズレター』に発表し、岩田著『社会主義崩壊から多民族戦争へ』(御茶の水書房)に収録した「常民的自律と市民的他律」の一部(pp.269-270)をここで紹介したい。私の「君が代」論である。
・・・「君が代」が国歌に法制化されて、卒業式や入学式で「君が代」斉唱や演奏が強行された。それに現場で異議申し立ての声を上げた所は、ほんの一部の小学校(中学校)、高校においてであって、市民社会論の思想的立場から国歌「君が代」に同調できない教育研究者がかなり多くいる国立大学において、自分達の入学式を迎え、卒業生を送り出す儀式に今年から行われることになった「君が代」演奏がふさわしいかどうか、自治の場としての学部教授会や大学評議会で自覚的に論議されたという話をきかない。高校の卒業式で「君が代」を拒否した高校卒業生が国立大学の入学式で自動的に「君が代」演奏につき合うことになる。思想の場は大学を去り、高校へ移った。象徴天皇制「市民」社会と称すべき質であろう。それ故に、国歌は「君が代」だけでは、現代日本社会の質量と現行憲法(また将来の新憲法)の精神を十分に表現できず、第一連「君が代」と並んで「民が代」、例えば「民が代は咲き匂ひける桜花こぞもことしも来る歳々も」を第二連として補完することで完成する。古今集の古歌(第一連)も現代的生命を再獲得する。このような国歌論は、十数年来、周囲の知人達や友人達には――最近では、ニューズレターの編集委員会のU氏や『情況』のK氏にも――説いて来たが、4月8日のアソシエ21主催の「市民」的研究集会ではじめて公衆に向って提示した。このような考えは、場違いである故か、ニューズレター第13号(2000年5月)に4月8日の研究集会の模様が報告されて、別のテーマに関する私の発言も紹介されているにもかかわらず、「君が代」についての私見は全く消え去っている。
明治憲法の下で、「君が代」に加えて「民が代」を歌おうとしても、不敬とされ不可能であろう。強いて言えば、例えば、「民草の己がわざわざとりどりに花咲き匂ふ御代ぞめでたき」(よみ人不知)の如くとなって、今日的な象徴天皇制「市民」の社会意識から全く遠いものであろう。国歌という法制度がヨーロッパ起源であって、日本の伝統的政治文化になじまないと言う純民族派的主張をとらないで、国歌の法制化を考えるとすれば、象徴天皇制「市民」社会の楕円形的ふくらみを2焦点的に表象する「君が代・民が代」を法制化すべきであって、明治憲法の真円的政治文化にのみ100パーセント適合的な「君が代」だけを平成11年にわざわざ法制化したのは、逆機能的アナクロニズム意外の何物でもない。教育現場において思索する高校教師や高校生の具体的反撥をかっても不思議ではない。行政力だけで始末すべき問題ではない。
最後に一言。将来、沖縄が自立して、日本と連邦国家を形成する時には、大和の五七五七七調和歌形式と並んで、沖縄の八八八六調琉歌形式が第三連として採られるであろう。第三連のメロディーは、大和クメ歌(音(ね)取(と)り=岩田補足)の旋律に通じる現行の曲調だけではなく、沖縄シマ歌の旋律に近いものとなろう。今上天皇が和歌だけでなく、琉歌をも作られるのは、象徴天皇制的伝統の表出なのであろうか。
平成27年5月8日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5330:150508〕
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