客に押し付ける-はみ出し駐在記(81)
- 2016年 2月 17日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
デパートやスーパーマーケットなどの大型店舗で、支払いをするところを日本ではレジかキャッシャーと呼んでいるが、ニューヨーク辺りではCheckerだった。ここではCheckerを使う。ちなみにレストランなどで食事を終えて、「お勘定」とお願いするのも「Check please」あたりだから、支払にはCheckが一般的なのだろう。
赴任して当初、SearsやJCPennyなどの大衆向けデパートに行くたびに、探している物がどの辺りにあるのか見当がつかずに困った。探している物は置いてないかもしれない。店員に訊きたいのだが、ちょっと探したぐらいで店員は見つからない。うろちょろしていると、他の客から何か訊かれる。
話しかけられることなど予想だにしていないし、話しかけれられても、何を言われているのか分からない。今になって思えば、何を慌ててという気がするが、赴任して間もないころは、話かけられるだけでどぎまぎした。口調から話しかけられているのではなく、何か訊かれているとうことは直ぐ分かったが、何を訊かれているのか見当がつかない。分かってみれば、なんということもない。ただ店員と間違えられただけだった。よしてくれ、なんで俺に訊くの?訊きたいのはこっちだと言いたかった。
どう見てもアメリカ人には見えない東洋系に、なぜ訊いてくるのか。ちょっと考えれば、訊く相手でないことくらい分かりそうなものだと思っていた。ニューヨークでの生活に慣れてきて、それがちっともおかしなことでないことが分かった。一見してヨーロッパ系ではない東洋系にもアメリカ市民がいくらでもいるし、永住権をもって仕事をしている人たちもいる。西海岸ではもっと東洋系が多いのだろうが、人種のサラダボールと言われるニューヨークのショッピングモールでは、外見で訊いて分かる相手かどうかを判断できない。
何度も訊かれて、訊かれるわけが服装にあることに気がついた。スーツのネクタイが当たり前の文化を持ったままニューヨークに赴任して、アメリカのフツーの服装に順化されていったが、それでもジーンズにTシャツで出社は考えられなかった。スラックスにジャケット、今でいうビジネスカジュアルだった。働いている人たちはスーツどころか、日本人の感覚ではとても仕事に着て行けないカジュアルな服装をしている。そこに混じれば、きちんとしたビジネスカジュアルが、働いている人たちより働いている人のように見える。
広い売り場にCheckerはいくつもあるのだが、ほとんどは閉まっている。三四箇所あるCheckerのうち開いているは一箇所だけというのがよくある。そのCheckerにも店員が何人もいないから客が列を成す。いくら一所懸命仕事をしても一向に短くならない列に薄給の店員、誰も頑張ろうという気になれない。次の作業、その次の作業を念頭に手際よく作業を進める、仕事に対する姿勢というのか、大げさに言えば文化が既に摩滅してなくなってしまっていた。働けど働けど減らない客、日本人の感覚ではトイレに行く時間も取れない。
客は、やる気の失せた店員が処理する客の一人として順番待ちの立場におかれる。店員が客のくるのを待っている、仕事になるのを待っている時間が、ぎりぎりまでコストを下げなければならない経営者からすれば、無駄な人件費に見える。その結果、「お客様は神様」という言葉とは裏腹に、客は忍耐強く待つことを強制される。
電話をかけても、人と話をできるまでに、かなりのステップを踏まなければならない。かかってくる電話の数に対して回線が足りない。そのため何度かけても話中でつながらない。やっとつながったかと思ったら、音声案内を注意深く聞かなければならない。しばし最初からもう一度聞きなおして、これしかないと思う選択肢を選んで、また音声案内に従って、数段階進んでやっと担当部署にたどり着く。たどり着いても電話を受ける人が少ないから、また待たされる。待っている間中、込み合っているからこのまま待つか、時間が経ってからかけ直ししもらいたいというメッセージを繰り返し聞くことになる。なかには待っている客に、これ幸いと調子のいい宣伝文句を繰り返すのまでいる。トラブルで電話して、そんな宣伝文句を聞かせられると馬鹿にするなといいたくなる。そんなところにかぎって、ちょっと時間が経つと、回線が込み合っているので、時間が経ってからかけ直してくれというメッセージを流して、電話を切ってしまう。
今や日本でも同じことが起きているが、英語の不自由な者がある日突然英語でこのシステムに放り込まれたことを想像して頂きたい。何度聞き直しても音声案内が言っていることが分からない。理解できないガイダンスと取っ組み合いをして、やっと人と話ができるようになっても、言われていることが分からない。対面しての話ならなんとかなっても電話での意思疎通は難しい。電話をかけてどうのこうのという状況に陥るのが恐かった。
店員のいない、ほとんどのCheckerが閉まっているデパート、電話をかけて四苦八苦して当初は随分とまどった。分からなくなって腹もたったし、二度とこんな店くるかとも思った。ところが二度三度とやって(やらされて)いるうちに、人がいなくても、なんとかやれるようになる。しまいには拙い英語で人とやりとりするより、機械を相手にやった方が慌てることもないし、イヤな思いをすることもない。人員削減で値段が安くなるのなら、いいじゃないという気持ちの方が強くなる。いいように馴致されたのかと思うと癪にさわるが、しょうがない。
機械をぶつけて壊した客に無償修理で走り回るのを仕事としていた者にはなんとも割り切れない。客に対してそこまでのサービスをしながら、客としてはそこまでのサービスしか得られない。日本だったら、こんな割り切れない気持ちを味わうこともないと思って帰国したら、日本でも似たような合理化が進んでいた。割り切れないのに慣れていたからショックは少なかったが、それはアメリカで馴致されたからかと思うともっと割り切れない。
p.s.
客に作業を任せてというのか押し付けて、それを受けるのはコンピュータシステム。人と人とのやり取りであれば、なにかあったときに、言った言わないから始まって、どっちの責任かという話になるが、相手は定型業務においては、まず間違えることのないコンピュータシステム。そこから何かあったときの責任まで客に押し付けられる。受益者負担などと馬鹿なことを言われては困ると言いたくなるが、そんな客の声などお構いなしに、利益の最大化を求めて合理化―人員削減が進められる。
「お客さまは神様」というのは、客はどんなに困ったことがあっても、慈悲深い神様のように静かに耐え忍ぶということじゃないかと揶揄したくなる。
アメリカ最大のホームセンターHome Depotでは、ついにCheckerの無人化をはじめた。客が買いたい「もの」をバーコードリーダーにかざして商品コードを入力して、「入力済みのテーブル」の上に「もの」を置く。置かれた「もの」の重量と商品コードの「もの」をコンピュータシステムで照合して、両者が合っていることを確認する。支払いは客が自分でクレジットカードをスキャンする。ここまで客に依存した(作業を押し付けた)小売システムを導入できるということは、アメリカの民意の高さの証明とも言える。Checkerで働いている人たちの給料がそんなに高いとも思えなのだが、万引きやミスによって蒙る損失より節約できる人件費の方が大きいということなのだろう。
もっともアマゾンは小売業にもかかわらず、初めからCheckerもセールスもいない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5908:160217〕
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