アラブ世界の構造について ① 世俗派とイスラーム復興
- 2011年 2月 11日
- 評論・紹介・意見
- アラブ世界イスラーム復興世俗派浅川 修史
1 1967年にはナセルを支持した民衆、現在となにが違うのか
1967年の第3次中東戦争でエジプトはイスラエルに惨敗する。ナセル・エジプト大統領は責任をとって辞任を表明した。「ナセル辞めるな」。大規模な民衆デモがナセルの辞任を押しとどめた。
そのエジプトで、今、民衆がムバラク大統領の辞任を求めるデモを展開する。ナセル、サダト、ムバラクと続く世俗派の軍人出身大統領の政策は、ナセル主義の枠内にある。何が民衆を変えたのか。ナセルに代表されるアラブ民族復興主義は、世俗化(西洋化)、アラブの連帯と統一、王制を採用するアラブ国家での軍事クーデターの容認、社会主義的経済政策、反植民地主義など多様な要素を含んでいる。しかし、アラブ復興と統一という概念はあってもイスラーム復興という概念はない。
アラブ民族復興主義(世俗派=西洋化派)は、イスラーム復興主義とは対立する思想である。ところが、アラブ世界で先駆して西洋化を進めた国エジプトでさえ、貧富の差など問題を解決できなかったことから、ムスリム同胞団に代表されるイスラーム復興主義の台頭を招いている。中東の民主化がイスラーム復興になるというパラドックスがある。
世俗派には自分たちの文明の原点であるイスラーム主義を完全に否定できないという弱点がある。湾岸戦争の際、世俗派を代表する勢力であるバアス党のサダム・フセインが、最後は米国と対抗するためにジハード(聖戦)を掲げたことからも世俗派の弱点がうかがえる。以下,脇道(エピソード)にそれながら、イスラーム世界とアラブ世界の構造を考えたい.筆者はアラブ世界という表現よりアラビア世界と表現した方が歴史的にふさわしいと考えている人間だが、ここでは話をわかりやすくするため、日本で通常に使用されているアラブ世界という表現に統一する。
2 イスラーム化とアラブ化は違う アフリカ、インドネシアの例
現在、イスラーム教は目覚ましい勢いで北アフリカから中南部アフリカへ浸透している。すでに布教の前線はセネガル(かつてのフランスの植民地)まで到達している。新たな信者の多数がブラックアフリカン系の人々である。新たにイスラーム教信者になった人々が、アラビア語を話し、アラブ人という意識を持つ段階にまで進み、何百年かを経て、「アラブ人」になるかもしれない。すでにスーダンの政権を握る勢力はアラブ化したブラックアフリカンで、イスラーム化はしたがアラブ化していないブラックアフリカン系部族と内戦を繰り返した(西部のダルフール紛争)。
だが、イスラーム教が入って1000年以上経過したイラン人やトルコ人、アフガニスタン人、インドのイスラーム教徒は、イスラーム化したが、ついにアラブ化することはなかった。現在世界最大のイスラーム教徒人口を誇る国がアジアにある。インドネシアだ(人口2億3000万人)。ただ、インドネシアのイスラーム教には以前からのアニミズム(精霊信仰)やヒンズー教、仏教などの影響が残っている。本場のイスラーム教徒から見れば、混淆しており、純粋ではないイスラーム教と思うだろう。われわれ日本人の99%が大乗仏教徒だ、というようなものかもしれない。
インドネシア建国の父であるスカルノ大統領はイスラーム教徒だったが、若い頃から共産主義の影響を非常に受けている。伝記を読むと共産主義のほうに非常な好感を寄せていることがわかる。1960年代、北京―ジャカルタ枢軸により東南アジアで、マレーシア打倒などの革命を推進した。スカルノの路線が成功していたら、今や世界経済の成長セクターになっているASEAN諸国は存在しなかっただろう。
ところが、イスラーム教徒のスカルノだが、「好色、好戦、浪費、容共」と呼ばれる世俗的な生活に終始した。イスラーム教を利用したのは、「妻を4人まで持てる」というシャリーアの部分だけだった。周知のように第3夫人がデヴィ・スカルノ氏(日本人)である。
スカルノはナサコム体制を作り上げて、権力を維持する。ナサコムとは民族主義、宗教(イスラーム教)、共産主義の合体したハイブリッド体制である。スカルノを支援した国は中国と日本(戦時賠償の名目で)である。この矛盾を抱えたナサコム体制は1965年の9月30日事件で崩壊する。世界史を変えた事件である。
話がわき道にそれたが、インドネシア、マレーシア、フィリピンのイスラーム教徒は永久にアラブ化することはないだろう。われわれ日本人がインドで生まれた仏教が、アフガニスタンでヘレニズム、ゾロアスター教となどと混淆して大乗仏教に変わり、さらに中国で集大成された大乗仏教を信じ、漢語で教典を読んで、中国文明の影響を強く受けても中国人にはならなかったように。余談だが、日本人は漢字(表意文字)を使用している。
同時に日本版のアルファベット(ひらがな、カタカナ)も漢字とともに使用する。漢字仮名交じり文である。
ところが、現在、中華人民共和国の版図に編入されてしまった、モンゴル人、満州人、チベット人、ウィグル自治区のイスラーム教徒は漢字ではなく、アルファベット(表音文字)を使用する民族である。中国でアルファベットを使用する民族より、漢族と日本人のほうが文字的には近いかもしれない。
3 アラブ人=イスラーム教徒でもない
話を元に戻すと、アラブ世界で初めて軍事クーデターで政権を奪取するというボルシェヴィキ型革命理論を打ち立てたのが、バアス党である。バアス党はアラブ社会主義復興党とも訳され、社会主義、民族主義、汎アラブ主義からなる。シリア、イラクでは軍事クーデターにより政権を掌握した。この2国のバアス党政権ともイスラーム勢力などをボルシェヴィキ的残酷さで弾圧したことで知られる。このアラブ世界の統一を目指したバアス主義の創設者の中心にいた人物、ミシュル・アフラクはレバノンで生まれ、シリアで活躍したアラブ人だが、キリスト教徒であった。ギリシャ正教の生まれである。フランスに留学した知識人である。
現在、話題になっているエジプトにはコプト教徒と呼ばれる古くからのキリスト教徒が人口の5%から10%存在する。教理は三位一体論ではなく、単性論である。エジプトのほか、スーダン北部、エチオピアにも多数の信者がいる。
アラブ世界に属するレバノン、シリアだが、キリスト教徒の人口が多く、シーア派イスラーム教教徒、アラウィー派、ドルーズ派などの少数派もいて、さながら宗教のデパートになっている。
イラクではアラブ人のシーア派イスラーム教徒が多数派でスンニ派(アラブ人では少数派、クルド人では多数派)イスラーム教徒が少数派である。さらにネストリウス派キリスト教徒までが残存している。ネストリウス派の著名人がサダム政権時代の外務大臣をつとめ、最近死刑判決を受けたターリク・アジーズ氏である。
エジプトのコプト教徒の著名人を挙げると、ガリ元国連事務総長である。ガリ氏の夫人はアレクサンドリアの富裕なユダヤ人家族の出である。
最近、ルクマン・フェリー駐日イラク大使の講演を聞いたことがあるが、なんとルクマン大使は、「クルド人でシーア派イスラーム教でダウワ党」という属性であり、サダム政権が弾圧した3つの対象をひとりの人物に宿している存在である。かつては外国の大使になることなど考えられない人物である。
ルクマン・フェリー大使は、「クルド人=スンニ派という日本人の認識は間違っている。シーア派もいれば、キリスト教徒、ユダヤ教徒もいる」と話していた。ダウワ党はバアス党員の復活を絶対に許さない立場だけに、「バアス党はナチズムと同じ、サダムはヒトラーと同じ」と強く批判していたことが印象的である。
4 ミス・アラブか、ミス・イスラエルか、ドルーズ派美女の選択
ドルーズ派と呼ばれる宗派がある。シーア派が源流で、一応イスラーム教とされている、スンニ派からもシーア派からも異端視され、両派からイスラーム教と認められていない。現在ではイスラエル北部、レバノン、シリアの山岳地に残存している。イスラエルではドルーズ派出身者が軍隊や警察で目覚ましく活躍している。イスラエル建国前、周囲から少数異端派として迫害された反動である。
歴史的シリアという概念がある。現在のシリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、南トルコ、北アラビアまでを包括した地域である。この地域には美人が多いことで知られる。とくにシリア人である。シリアはウクライナやコーカサス地方の白人が奴隷として多く運ばれたせいか、色白の白人系の容貌の人が多い。筆者はバーレンの空港でのトランジットの際、ガルフ航空のCAの女性を見たことがある。世界中から美人CAを集めているが、その中にシリア人CAがいた。その美しさにはほんとうに目が覚める思いがした。人を驚愕させる美しさだった。
余談だが、筆者はシリアの地域研究をする日本人男性と雑談したことがある。動機はいろいろあるがその一つにシリア人女性の美人度に惹かれたということがある。
さて、以下は海外のBSドキュメンタリーからの情報である。イスラエルに住むドルーズ派の若い女性がいる。美人でミスコンに優勝できる自信もある。ミス・アラブに出るか。ミス・イスラエルに出るか悩む。ドルーズ派だが、水着審査はOKという。本人はミス・イスラエルを希望する。ミス・イスラエルに優勝すれば、世界で活躍する道が拓けるからである。ところが、彼女の家庭はミス・イスラエルに出場することに断固として反対する。最後はドルーズ派の聖職者まで呼んで、「どちらを選ぶか。家族と共同体を捨ててもいいのか」と説得する。結局、彼女はどちらのミスコンにも出場しないことになった。
(以下②に続く)
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