2016ドイツ便り(8)-今回は観光案内です
- 2016年 8月 18日
- カルチャー
- 合澤清(ちきゅう座会員)
1.ユネスコの世界文化遺産(Weltkulturerbe)のCorveyに初めて訪れる
曇り空の日曜日、午前中はPetraさんが予約してくれていた特別な朝食(Frühstück)を食べに、わざわざUslar近郊の村まで出掛けた。市街地からは結構離れた所にある田舎屋で、広い広間をもっている。日ごろは結婚式などで使われているようだ。そしてここの朝食は結構有名らしく、近隣の町から大勢の車(車でなければこれそうにない)が駆け付けている。
GöttingenやKasselナンバーの車もある。
日頃肉料理かジャガイモ料理しか食べないドイツ人にとっては、いろんなヴァリエーションの魚料理(鮭、鱒、小エビを使ったもの)が並んでいるのが珍しく、ご馳走に思えるのかもしれない。もちろん、それだけではなく、肉料理やキノコ料理、パスタ、スープ、ヨーグルトなど豊富に並んでいて、とても全品を味わえるものではない。
Petraの話では、毎月一回だけの催しで、予約が必要、今回は満席だったのが、昨日の夜になって予約が取れたとの連絡が入ったということであった。
実は一昨日、Hardegsenの家のすぐ近く、Burg Schenkeというレストランでパスタ料理の食べ放題(こちらではBüffetという)があり、いやしんぼうの私はビールを2リットルと大皿で山盛り2皿分のパスタを平らげ、その夜、胃液がこみ上げて来るのと闘いながら、もがき苦しんだのであったが、「喉元過ぎれば、何とやら」で、再び大皿2皿分を平らげてしまった。
腹ごなしにPetraの車でしばらく近郊をドライブした後、1時頃に帰宅。それから1時間後には、今度は別の友人の運転する車に揺られてニーダーザクセン州とはヴェーザー河で仕切られた対岸のノルトライン‐ヴェストファーレン州に属する世界文化遺産のCorveyへと向かっていた。Corveyはドイツ語では「コーヴァイ」と発音していたが、日本語では「コルヴァイ」と呼ばれているようだ。
ポツダムの有名な「サンスーシ」宮殿や、ベルリンの王宮などは別にして、これまでドイツでこれほどの規模の宮殿(Schloss)は見たことがなかった。建物の大きさも桁違いであるが、付随する庭園まで含むとかなり広大なものである。しかもこの宮殿は中世(9世紀)に修道院(Kloster)として建てられたという。
Covey(1) Corvey(2) 入口のガイド
この辺の歴史に明るいわけではないが、カロリング朝の最盛期に当たるカール大帝が亡くなって、その子供によって創建されたもので、当時の修道院は学問の場、また図書館なども兼ねていたと言われる。
この日は年に1回だけ開かれるDas Gartenfest(「庭園祭り」とでもいうのであろうか)の日で、広大な庭園に116のパラソルやテント(Zelt)が張られ、それぞれに売店が入り、若い男女の店員の呼び込みが盛んに行われていた。そして大勢の客が詰め掛けていた。こんなに大勢の客でにぎわうのは、ドイツではFestの時かWeihnachten(クリスマス)の時、それにサッカーの試合の時ぐらいではないだろうか、とにかくすごい人出だった。
出店で一番目立ったのは、やはりお国柄なのか、花や植木などを売る店で、およそ全体の3分の1以上(半分まではいかないと思うが)を占めていた。中でもすごいのはRosenschätze
(薔薇コレクション)と銘打った一角である。色々な種類の薔薇が、所狭しと並べられている。少々年配のご婦人が、客を相手にこの種類の薔薇はよく薫るだの、新しい種類だのと説明していた。ヨーロッパの宮殿の庭園には確かに薔薇がよく映える。
珍しい出しものでは、何と「盆栽」を商っている店があった(上の写真の右手)。こちらも若い人というよりは少し年配の男性が、盛んに盆栽の説明をしていた。こちらでは「ボンザイ」とドイツ語読みに発音する。私の方にも話しかけてきたので、「Ich bin Japaner(日本人だよ)」と答えたら笑いながら、向こうに止めた車にもいるよ、という。多分彼の仲間のことだろう。
それから又しばらくは、人混みをかき分けながら歩き、とにかくすべての店を素見した。買いたいものもないではなかったが、日本まで持って帰るのは厄介極まりないと思いやめた。
ここの閉店時間が6時までとなっていたため、肝心の城館見物はできずじまい、またの機会を待つことにした。出入口に近い場所で、何の商品だったかは忘れたのだが、宣伝文句に「日本でつくられたもの…」というような文字が書かれているのが目に入り、つい「日本ではドイツ製が優れているというし、ドイツでは日本製が上というんだね」と呟いたら、隣にいたドイツ人の年配者がこちらを見て面白そうに笑っていた。
2.再訪Corvey
Corveyの城館内見物は、多分来年の楽しみであろうと思っていた。ところが、われわれの生真面目なドイツ人の友人は、翌々日に再びCorveyへ行こうと誘ってくれたのだ。これは大変有り難かった。これだけの規模の城館を外からだけ見て終わるのはあまりにもったいないし、第一われわれでは行くための足がない。車がなければ多分難しいからだ。
しかし、この季節(夏季)のドイツはやたらに道路工事が多いため、回り道の指定表示が多くて、行きも帰りもかなり時間を食ってしまった。
ともあれ、再びやってきた。しかも天候は快晴、絶好の観光日和である。正門付近には今回はそれほどの車もなく、人混みもない。ドイツ人の年配の観光客らしい人たちがグループで出てきたのに出会った程度だった。
外から正門を見る 内庭から見た建 建物内から正門を見る
入館料6ユーロ/一人。軍人の様な立派な髭の管理係のおじさんは、人の良さそうな人だった。カメラのフラッシュは禁止されている、フラッシュはドイツ語ではBlitzというんだよ、と笑いながら説明してくれた。最初に通されたのがすごく立派な礼拝堂で、極彩色に彩られ、ふんだんに金が使われている祭壇。もちろん、数百年の年月で、かなりくすんだ色になってはいるが、それでも色調は見てとれる。絵画や彫刻の類も何れも一級品と思えるし、あらゆる所に天使や聖人やらの彫像が施され、配置されている。カメラのシャッターを押したら、何とBlitzになってしまったので、慌てて撮るのを止めた。
礼拝堂内 パイプオルガン 鉄格子の窓がある部屋
とにかく広い。とても裏庭など見に行けない。城館内をひとめぐり、それも駆け足でやっても2時間程度は見ておかなければならない。但し、どこのSchlossに行っても同じだが、城館の主が使った机や椅子などの家具(いずれも豪華であるが)および歴代の領主(ここでは修道院長)の肖像画などがおびただしい数展示されている。この城館で珍しかったのは、相当な数の蔵書(Corvey図書館と言われていたようだ)が、厳重に保管されていた。
ここがかつて学問所であり図書館であったことがうかがわれる。有名な詩人のホフマン(ドイツ国歌の作詞家、アウグスト・ハインリヒ・ホフマン)もかつてここの修道院長をやっている、お墓もここにある。
しかし、もう一つ忘れてならないのは、ここがベネディクト会修道院だったことで、かつての修道院には大勢の女性(男性の修道士もいたが、主に女性)が、半ば強制的に収用されていて、そこで一生を終えたという悲劇の歴史が刻まれているということだろう。彼らが使ったと思われる、粗末な錫でできた食器(アルミの食器と同じように粗末で薄っぺらだった)が陳列されているのを見て、改めてその思いを強くした。彼らの奴隷的な労働なくして、この広大で豪華な館は維持できなかったはずである。
余談であるが、ホフマンより20歳以上年長だったヘーゲルは、修道院の存在に否定的であった。おそらく、奴隷的、非人間的に扱われる者が存在する限り、「人間とは何か」を問うことはできないという彼の根本思想に関連しているのではないだろうか。
最後に、私の印象では、ドイツへのパック旅行では大人気の南ドイツの有名な「ノイシュヴァンシュタイン」城-外見は美しいが中身は安っぽい-よりは、はるかにこちらの方が格上で見ごたえがあるということだ。大きすぎて疲れるのが難点だが。
この城館のあるHöxterという古い街にもかなり興味をひかれた。この街はヴェーザー河沿いの美しい小さな町で、かつては「ハンザ同盟」にも参加していたというが、今回は残念ながら通り過ぎるだけに終わった。
2016.8.18記
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0315:160818]
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