労働搾取論私論
- 2011年 2月 23日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
2月15日(火)、伊藤誠教授の「わが著書『現代のマルクス経済学』(2010年、社会評論社)を語る」アソシエ・セミナーに参加して、久しぶりに健在なマルクス経済学者の話を聞くことができた。伊藤教授はSteedmanのMarx after Sraffa(1977年)に言及された。すなわち、スラッファによるスティードマンのマルクス労働搾取論批判である。そこで私は、専門理論家でないにもかかわらず、スティードマンのマルクス批判にそもそもの始めからあまり意味を見ることができなかったと述べた。説明不足であったのでここに再論しておきたい。
かつて置塩信雄によって、労働搾取の存在(労働次元の話)が資本家利潤の存在(価格次元の話)の必要十分条件であることが数理的に証明された。これは「マルクスの基本定理」と呼ばれるようになり、剰余価値が利潤の源泉であるとするマルクス経済学の主張が完全に証明されたように思われた。少なくとも、レオンチェフ型技術体系を前提すれば、疑いようのない科学的命題のように見えた。ところがである。労働価値計算の方程式体系において労働の代わりにバナナでも、小麦でも、電力でも、石油でも、どのような財をおいても同質の命題が成立する。すなわち、小麦1単位の生産に直接間接に必要な小麦の量が1より小さい、すなわち剰余小麦=小麦純生産が存在するという命題(小麦世界の話)と資本家利潤が存在するという命題(価格世界の話)とは同値なのである。これを称して「一般化された商品搾取定理」と呼ぶ。このテーマの最新の解説は、吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』(岩波書店、2008年)の定理3.7(p.104)にある。吉原によれば、現代的マルクス擁護論者は、生産の技術体系の外部に出て、人間中心主義哲学をアプリオリに前提して、バナナや電力ではなく、労働に特権的意味付与をしているにすぎないということになろう。「正の利潤の存在と同値条件の関係になるのは、この『技術的に効率的利用』(何の財であれ、技術体系内で純生産=剰余が存在する:岩田)という意味での任意の財の搾取なのである、というのはきわめて自然な解釈であるに違いない」(p.107)。
私、岩田は、レオンチェフ経済体系における技術係数aij(第j財1単位を産出するに直接必要な第i財の投入量)とbj(労働力1単位を再生産するに直接必要な第j財の消費量)とでは、体系内における量的な動きが全く異なるところに注目する。例えば、第j財をバナナとし、第i財を電力としよう。バナナ1単位生産に必要な電力量aijは、資本家一般にとって少なければ少ないほどよい。労働者にとってもそれに反対する理由はない。しかしながら、労働力の再生産であれば、電力iを用いて冷暖房の効いている住宅で生活する方が電力iを用いない冷暖房なしの住宅で生活するよりも、労働者にとってはるかに良い。資本家は労働コストの増大要因としてまずは反対するであろう。bjの動きに関しては、労働者と資本家の姿勢は正反対である。bjの増大は労働者の生活水準向上に、資本家の利潤減少に向かって作用する。このように考えれば、剰余バナナや剰余小麦の確保よりも剰余労働の確保の方が資本家にとってはるかに困難である。したがって、利潤の存在条件として、マルクスのように労働に焦点を当てることが正当化される。ことの本質は体系内のaijの減少傾向と、bjの増加傾向である。生産資源としてのバナナ、小麦、電力、石油等は資本家に所有されているのに対して、労働力商品は労働者の所有物であることを考慮すれば、aijの動きは、売り手の第i資本家と買い手の第j資本家が利害を異にするに対して、bjの動きは、総資本と総労働の階級的利害が対立するのである。
傾向的にbjが増加すれば、資本家の利潤が消失する危険性がありうるが、階級的力関係のほかに技術進歩がその危険性を小さくしている。技術進歩の問題を考えてゆくと、ここでも労働中心的にアプローチすることの有意味性が見えてくる。このテーマを論ずるときに以下のような「統計的に確認される主要事実」(丸山徹著『経済原論』第二版、岩波書店、2006年、p.308)を説明できるタイプの技術進歩に着目すべきである。1.国民所得Yは、ほぼ一定率で増加している。2.労働生産性(Y/L)は、ほぼ一定で上昇している。3.投資率 (I/Y)は、ほぼ一定である。4.資本係数(K/Y)は、ほぼ一定である。5. 労働の資本装備度 (K/L)は、ほぼ一定率で上昇している。6.実質賃金ωは、ほぼ一定率で上昇している。7.利潤率は、ほぼ一定である。8.資本と労働の分配比率 (rK/ωL)は、ほぼ一定である。かかる近代経済学的に確認された諸事実を矛盾なく説明できる技術進歩のタイプは、資本と労働という生産要素が等しくその力能を向上させるヒックス中立的技術進歩でもなく、資本のみの力能が向上するようなソロー中立的技術進歩でもなく、労働のみの力能が向上するハロッド中立的技術進歩なのである。マルクス経済学でいう「強められた労働」論に近接する技術進歩なのである。このような労働力能の向上が技術進歩の経験的な本質であるとすれば、労働を主軸に経済を考察することは、単なる先験的「人間中心主義」ではなく、経験科学的「人間中心主義」といえるであろう。
マルクス擁護派に資本による労働搾取を強調したい社会哲学があるように、マルクス批判派に労働以外の生産要素搾取を強調したい実践的社会哲学があるかもしれない。資本家に私的所有される石油、電力、バナナ、小麦が資本家によって搾取されるというストーリーは、資本の自己搾取論となって資本主義弁護論に転用しやすい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0352 :110223〕
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