モノはつくってきたけど
- 2017年 2月 19日
- 交流の広場
- 藤澤豊
百年前から脱亜入欧、富国強兵の掛け声のもとに近代工業化、半世紀ちょっと前から追米で高度大衆消費時代の大量生産と大量消費。七十年代のオイルショックで省エネが始まって、八十年代半ばから、身の程知らずのバブルで沸いたかと思ったら、その後は無策無能のデフレとグローバル化の波に翻弄されて、安定した社会を揺るがす拡大し続ける経済格差。
振り返ってみれば、明治維新から一世紀かけて最新の生産技術を導入し、改良も追加開発もして工業製品の大量生産能力を築き上げてきた。生産性を上げて、生活水準や消費水準も向上した。何をもってして中流というかの定義は曖昧にしても、一時は八割の人たちが中流だと思う一億総中流にまでになった。
世界第三位の経済規模の誇る国だが、製造業が国際競争力を失っていくのをみて、あらためて日本はなんだったのかと思えば、モノつくりで成り上がった、ただの工業国だったということなのかもしれない。国をあげて、あたかもノウハウ本をバイブルのように産業社会が即使える技術をさっさと取り込んで運用して、ただただ工業化してきた上滑りのように見える。
一般大衆消費財の大量生産を実現した画一化と自動化による生産性の向上を求めて、即戦力のある均一化した、使い易い人材を養成しつづけてきた。先代の上滑りによる成功を目の当たりにして成長した次の世代も、自らも上滑りすべく、与えられた課題を与えられたやり方で限られた時間内に上手に処理することを機械的に学んできた。
社会は今までの延長線で進んでいけばいいという成功した社会が犯す典型的な過ちを、次の世代の教育においても犯した。前の世代が欲した今(現状)と似たようなことを繰り返していく能力の育成にこだわるあまり、これからの時代が必要とする、社会を大きく変えていく能力への関心がなかった。
ここに高度成長が残した明と暗がある。標準化と画一化による大量生産がもたらした高度成長は過去形だが、世代を超えた、将来を切り開く能力の萌芽を摘み取ってきた教育による負の遺産は現在進行形の社会の奇形だ。
もっとも、千年単位のスパンでみれば、日本人は、いつもどこかで日本人ではない人たちによって、つくりあげられた思想や社会体系から技術から、なにからなにまでを成果物として採り入れて、使いやすいように使って結果を出し続けてきた調子のいいタマで、上滑りはこの百年や戦後に始まったことじゃない。この上滑りの調子良さが人種的、文化的に日本人が誇りとすべきものだとは思いたくない。モノつくりの上滑りでこれるところまでは来てしまった。もう、そろそろ、世界に歴史上に誇れる、自分たちで自分たちのやり方や社会体制や文化を創りあげる時だろう。モノづくりで終わるわけにはゆかない。
そこで力を発揮するのは、上滑りの下手くそな、教育体系の鋳型にはまり込きれなかった劣等生や異端になるだろう。
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