シベリア抑留と砂糖
- 2017年 3月 15日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
富田武著『シベリア抑留』(中公新書)を通読した。現代日本人の円満な歴史的自我を形成する上での必読書であろう。が、ここで本書を論評しない。関心事に触れるだけにする。
本書の113ページに「日本軍捕虜の給食基準(1人1日グラム)」が示されている。主な品目だけを選んでここに記す。黒パン――下士兵卒300グラム、特別病院入院患者200グラム、将校300グラム、将軍300グラム。米――同順で300、400、300、300。肉――50、50、75、120。魚――100、100、80、50。砂糖――15、20、30、40。
115ページに「カラガンダ収容所の給食」
黒パン――地上労働者350グラム、炭坑労働者600グラム。
砂糖――同順で18、30。
上記は基準であって、実態ではない。故内村剛介先生は名著『スターリン獄の日本人 生き急ぐ』(中公文庫)の32ページから35ページにかけて、スターリン独房の朝食を臨場感たっぷりに描写している。「朝食ぐらい待ち遠しいいものはない。・・・。まず砂糖が9グラム。平型マッチ小箱一杯分だ。次に魚。これは塩漬けのにしん。22グラム。やがてパンが来る。550グラムの黒パンが誇りやかに満面に笑みをたたえてやって来る。・・・。パン550グラム、これは1日分なのだから何とか夕食まで持たせなくてはならない。・・・正確に三等分することだ。・・・まず砂糖の試食といこうではないか。・・・試食だけだぞ。なめてみるだけだぞ! ああ、だけどもう砂糖はひとかけらもない。・・・。舌がかってになめてしまったんだ。」
この文章によれば、黒パン550グラムは1日分と明記されている。しかし、砂糖9グラムと塩漬けにしん22グラムは、朝食分であるようだ。もしかしたら、昼食や夕食にも給食されるのかも知れない。
シベリア抑留者の大部分は、昭和24年・昭和25年までに帰国している。私=岩田の小学校(国民学校)時代にほぼ重なる。そして、私はその頃の東京における配給だけに頼る食生活を良く覚えているし、裏庭の小さな野菜畑の様子もまだ記憶にある。『生き急ぐ』のスターリン獄における朝食の情景を読んで、心底びっくりした所は、砂糖をなめる場面だ。私には小学校時代砂糖をなめた覚えがない。キャラメルをはじめ甘いものは、完全にぜいたく品であって、スターリン獄の内村先生のように毎朝手にするものではなかった。内村先生に言ったことがある。「先生、僕が小学生だった頃、砂糖をなめた記憶がありません。帰国して、奥さんや娘さん達に先生がシベリア獄にいた頃、御家族がどんな食事をとっていたか、きかれたことがありますか。」そこで、『食糧需要に関する基礎統計』(農林大臣官房調査課、昭和51年)を調べてみた。「一人・一日当たり供給純食糧」を見ると、砂糖について以下の如し。
昭和21年――1.51グラム。昭和22年――1.15グラム。昭和23年――13.78グラム。昭和24年――12.93グラム。昭和25年――8.761グラム。昭和23・24年を除いて9グラムよりずっと少ない。この数値は、総供給量を総人口で割った値であって、スターリン収容所のように給食基準でもなければ、スターリン獄の内村ケースのように現実給食量でもない。換言すれば、日本人一人一日当たり供給できる最大限の砂糖量だ。そうすると、スターリン獄の食生活は、同時代日本国内の平均的食生活と比較してそんなに悪くなかったのではなかろうか、と疑問を出すことも出来よう。
スターリン収容所のドイツ人捕虜の死亡率は15パーセント、日本人捕虜のそれは10パーセントであると言う。食糧事情だけから言えば、同じ頃日本国民の10パーセントが死亡していても不思議はないのに、そんな悲劇は生起していない。やはり捕虜という被拘束生活と通常の自由生活の差が効いていたのであろう。
ここで想起されるのは、日本軍の捕虜となった連合軍兵士のケースと強制連行されて日本諸企業の現場で働かされた中国人労働者のケースである。前者の場合、約13万2000人のうち3万5000人が死亡。死亡率27%。後者の場合、約5万人で5千人が死亡。死亡率10%だ。強制連行中国人の死亡率とシベリア抑留者の死亡率がほぼ等しいようだ。
富田武『シベリア抑留』をテーマにしたある研究会(3月11日)で東京女子大学名誉教授芝健介は、ソ連におけるナチ・ドイツ捕虜の死亡率34.7パーセント、旧ユーゴスラヴィアでは32.2パーセント、ナチ・ドイツにおけるソ連軍兵士捕虜の死亡率57.9パーセントを明示した。これらの数値より若干低いとは言え、日本における連合軍兵士の死亡率27パーセントは、日本の不名誉と言えよう。念のため一言。同じ研究会で、富田は、ドイツ人捕虜の死亡率を15パーセントとしており、芝の34.7パーセントよりはるかに低い。
平成29年3月12日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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