大分県立竹田高等学校剣道部熱中症致死事故について――福岡高裁での控訴審
- 2017年 6月 23日
- 評論・紹介・意見
- 安岡正義
本年の1月25日、「大分県立竹田高等学校剣道部熱中症致死事故について」と題する筆者の記事を、当サイトに掲載していただいた。そこでは、大分県知事と大分県教育委員会委員長宛の公開質問状を「参考(2)」としてご紹介した。当該裁判を見守る全国支援者の会は、元顧問だった教員個人の重大な過失を認めた大分地方裁判所の画期的な判決(平成28年12月22日)を尊重すべきこと、及び高裁への控訴を取り下げることを大分県に申し入れるとともに、公開質問状の中で、従来、部活動の際の教員の暴力行為に、県教委が口先だけの対応しか行ってこなかったことを指摘した。また上記の判決に対する県のコメントに「部活動が委縮する」とあったのだが、これは、そもそも責任の所在と必要な対策とを全く理解していない的外れのコメントであり、類似の痛ましい事件の再発防止に何ら寄与するものではない。この質問状に対して大分県から、回答期限の1月31日にようやく、全国支援者の会の代表宛に回答が寄せられたが、それぞれの質問に対する実質的な回答は控訴審の場で表明するとの趣旨で、全く無内容な文書の典型であった。
去る5月16日、福岡高裁にて控訴審の第1回口頭弁論が行われた。ここに、筆者のへたな解説を加える代わりに、亡くなった剣太さんの母親である工藤奈美さんの意見陳述書をご紹介する。元顧問や大分県に工藤さん夫妻が損害賠償を求めたことに対しての大分地裁判決(平成25年3月21日)や、同じく大分地裁の、昨年末の上記の画期的判決は、インターネットで確認可能なので、関心がおありの向きは是非ご参照いただきたい。事故当日、元顧問が剣太さんに加えた凄惨な暴力行為のかずかずが、それら判決文の中で生々しく言及されている。我が子の葬儀を出したという地獄の苦しみを、口頭弁論の度に繰り返し思い出さねばならない遺族の胸中を想うとき、早期の結審(もしくは途中での県側の控訴取り下げ)と、当の大分県を含め(!)全国各地で相変わらず防止できていない学校事故の根絶を、心から願わずにはいられない。
なお、同じ事故をめぐり工藤さん夫妻は刑事裁判も求めていた。平成24年12月、大分地検は『不起訴』(嫌疑不十分)処分を発表、翌年7月に検察審査会が『不起訴不当』と議決したが、平成26年1月、大分地検は刑事事件としての立件が困難であるとの理由で二度目の『不起訴』処分を発表した。このたび、福岡高裁での控訴審の第1回口頭弁論と同じ日に、大分地検による不起訴処分に対して工藤さん夫妻は福岡高検に「不服申し立て」を行った。
平成29年5月16日
意 見 陳 述 書
工藤 奈美
この度は、この場にて私の思いを述べさせていただけますことを、心より感謝致します。
平成21年8月22日、「ただいま」と当たり前のように帰宅すると思い込んでいた息子は、二度と私たちの元へ帰ってきませんでした。
私たちは、当時、人間の感情さえなくしてしまいました。
あの日から、もう8年が過ぎようとしています。
息子が亡くなった翌年、平成22年の3月から「裁判」という名の全く未知の世界での闘いが始まりました。
大分県の中でも山深い田舎の「おとん」と「おかん」は、息子の人権と名誉のために、たくさんの人の力を借りながら、どんな些細なことでも調べ上げ、頭を下げ、支援者の方々が立ち上げてくださった「剣太の会」で全国どこへでも足を運び、たくさんの方々の前でお話しを聴いていただきました。
更には、議員会館や文科省にて国会議員の皆様方の前でお話しする機会までいただきました。
この8年という年月を経て、たどり着いた思いをここで述べさせていただきます。
一番の疑問は、「どうして、学校で、教員が生徒に対して、卑劣な行為を行ったとしても、何の罪にも問われないのか」ということです。
例えば私どもの場合、元顧問の指導は、息子を瀕死の状態まで追い込み、その上追い打ちをかけるような暴力行為がありました。
この行為を、学校の校門の外で行った場合はどうでしょう。
そこで警察が来れば現行犯逮捕ではないですか。
これが、一歩学校内に入れば、この教員はたちまち国から守られる対象となります。
どこが違うのでしょうか。
そして、控訴理由の中に、こんな言葉があります。
「指導に熱が入る余り意図せず不幸な事故が発生した事案」
指導に熱が入ってしまった指導者(教員)は、部員である生徒に対し、死を招くような瀕死の状態に至らしめた挙句、誰が見ても異常な状態で、意識もなく、白目を剥き、痙攣していても助けることすらせず、その体を膝で押さえつけ、襟首を掴み、手を振り上げて「演技するな!」と、暴行を加え続けても「熱が入った指導だから仕方ないこと。不幸な事故だ」と許されるのですか?
そして、理由書の中で、次のような言葉が何度も繰り返されます。
1.「落とした竹刀を拾うこともせず構えていた」という行動。
2.大技で、練習相手の女子部員が、思わず頭を押さえるほどの、力強い打ち込みであったという行動。
3.自分が面を付けていることを、正しく認識して、それを外しているという行動。
これらの控訴人の表現は、剣太が熱射病で死亡する状態だったことを覆い隠し、さも熱射病ではなかったとでも言いたいかのような表現で許されない思いでいっぱいです。
段位を有する指導者であればこんな書き方をされる前に、既にわかっているはずです。
剣太は剣道三段の有段者です。
1. の「落とした竹刀を拾うこともせず構えていた行動」という言い方についてですが、相手が払った竹刀を、落としたとしても、きちんとした作法で拾うのが剣士です。
まして、他の部員が、拾って渡すなどもってのほか!
自ら拾うこともできなくなっていたということです。
このような状態の中、剣太が意識的に「構えていた」かのように書く控訴人が、信じられません。
剣太は「竹刀を落としたことすら気付かず、竹刀を持ち続ける仕草のまま立っていた」
あたかも、意識を失い絶命する中で、なお立っていたといわれる「弁慶の仁王立ち」のような状態にさせておいて、何をどのように考えて「構えていた」と書くのか・・・この言葉を書くだけでも母としては、胸が掻きむしられる思いです。
愛する我が子が、学校でこのような姿で立っているところを想像してみてください!!
気が狂いそうになります!
2. の「大技で練習相手の女子部員が思わず頭を押さえるほどの力強い打ち込みであったという行動。」という言い方についてですが、「相手が頭を押さえるほどの打ち込み」など、剣道三段の人間ではあり得ません。面を打ち込むとき手の内(手のひらの内側)に力を込め絞るので、相手が痛がるほど打ち下ろすなど小学生でもしません。
ここでの「打ち込み」は、もはや正しい「打ち込み」ではなく、ただ「打ち付けた」だけです。この点でもう力の加減ができない状態であったと言えます。
3. の「自分が面を付けていることを正しく認識してそれを外しているという行動。」という言い方についてですが、さも自分が被っている面を、きちんと外したような印象に書かれていますが、倒れて意識がなかった剣太に水をかけ、それでも意識は回復せず、2回目に水をかけた時に、剣太が無意識に面を剥ぎ取っています。
無意識の中でも苦しさのあまり、面に手をかけるという、息子に起きた壮絶な状況が想像できますか!
剣士は、面を外す時は、脇に下がり正座をし、作法に沿って面を外します。
これより少し前の時点で、剣太は元顧問に「突き垂」を持ち上げ、喉を剥き出しの状態にされそこを叩かれています。
剣太はゲーッ!という声を発しながら、後ろに下がるほどであったと部員に聞きました。
その際、ズレてしまった面を、脇に下がり正座をし、付け直しています。
そんな剣太に元顧問は「そうやって休もうとしてるんやろうが!」と剣太を、後ろの壁にぶち当たるほどの暴行を加えています。
この状態からも、剣太が武道場の真ん中で面を剥ぎ取るという行動が異常なことで、どれだけ苦しかったのかということがわかります。
小学一年生から剣道をはじめ、その作法が体に染みついている剣太は、控訴理由書に書かれているような3つの行動をすることは決してあり得ないことです。
剣道経験者であれば、すぐにわかることです。
大分県が出した理由書には、「医師でもない●●(=元顧問)が、熱中症の程度を判断しこれが致命的な熱中症の程度であることを容易に認識し得たとは言えない。」と書かれています。
ここまでの状態を目にして経験値でわからないのであれば、直ちに救急車の要請をするべきでしょう!
しかも、元顧問は体育の教員であり、教科書にも熱中症について書かれていますし、文科省から配布される熱中症のマニュアルを毎年読んでいるはずです。
そのマニュアルに、「直ちに救急車を呼べ」と書いているではありませんか!!
研修にも参加しています。
熱中症について無知な指導者である前に、生徒の命を最優先するのが教員ではないですか。
何より、私たちは医者の診断基準を要求しているわけではない!のです。
そして、そこにいたもう一人の教員である副顧問も同じことです。
よくこの状態を黙って見て見ぬふりができたものです!
理由書では「酷い状態ではなかった」とでも言いたいような文言を並べていますが、この数時間後、剣太は苦しみ抜いて死んでいきました。
どう考えても私には「未必の故意」があったとしか思えません!
練習を怠けているのか、本当に死ぬほど苦しんでいるのかわからない、という言い訳が通用するような学校環境であるならば見直すべきです。
大分県は剣太の死後「二度とこのようなことが起きないように」という言葉を、何度も何度も繰り返しましたね。さも、そこが逃げ道かのように。
しかし、現実はどうだったでしょう。
大分市内の中学で剣道部・外部指導での暴力的指導がありました。
柔道でも剣太が亡くなった直後、竹田高校での合同練習で死亡者を出しました。
つい最近では中津東高校で柔道部員に対し、手が当たったという理由から指導者が暴行を加え「脳脊髄液漏出症」を発症したという痛ましい事件も全国ネットで明らかになりました。
全く「再発防止」は実現されていません!
私たちの事件で、何の解決もせずこのようなことを繰り返す大分県ですから、今後も再び子どもたちの命が脅かされることは明らかです。
それを予言するように、今回の理由書にもこのように書かれています。
「今後発生する多くの部活動事故の事案でも、部活動顧問に対する求償権行使が認められることとなると思料される。」とても恐ろしい言葉です。
私からすると、「元顧問のようなことをする教員が、多く発生することを、大分県は今からもう認めるのですか!」と言いたいところです。
こんな大分県教育委員会だからこそ、今回の住民訴訟一審の判決を真摯に受け止め、今後の再発防止に努め改善することを考えてほしかったです。
全国から多くの方々が、「大分県が控訴しないこと」「控訴を取り下げること」を求めて署名してくださいました。大分県や教育委員会にも多くの署名が送られて来ていると思います。
なのに!大分県は控訴しました。そして、控訴を取り下げようとしません。
私は非常に残念でなりません!
生徒を暴力で指導しようなどと考える教員は、全国的にもごくわずかです。
生徒と向き合い、愛情を持って教育や部活動の指導をされる先生方には、求償権など無縁な話だと思います。
しかし、剣太を死に至らしめた元副顧問・●●のような教員には求償権の行使は必要です。
学校内で何をしても国賠法で守られるなどと思っている間は、このような悲惨な事件は何度でも繰り返されます。
最後に、この暴力は「体罰」ではありません。
剣太は体に罰を与えられるような悪いことは何一つしていません!
これは教員によるただの「暴力」です。
息子剣太は、もう二度と私たちの元へは帰ってきません。
この悲しみ、苦しみを私たちは今後一切、どの家族に対しても繰り返したくないだけなんです。
県の教育委員会も、何を最優先にするのかよく考えてください。
生徒を傷つけるような教員を全力で守るのか、それとも多くの子どもたちの豊かな教育と安心して通える学校環境を整えるのか。
我が子を亡くした私たちが今一心に思い、この場に立っている理由はこれからの命を守らなければならないという使命だけです。
今回出された一審判決は全国に大きな影響を与えたことを痛感しました。
全国の学校事故被害者・遺族たちはこうして我が子を学校で、教員により傷つけられたり、命を失ったりしても、学校で起きたことだから、教員だからと謝罪すらなく、悲惨な事故も無かったことにされる事例もたくさんあります。
そんな被害者家族には、この一審判決は画期的なものでした。
従って、この高裁で出される判決は、被害者家族、支援者の方々、そして子どもを持つ保護者の方々など、全国の多くの方々が関心を持ち注目しています。
もう、これ以上子どもたちを傷つけ、学校生活の中で将来が奪われることなど、決して起きないようにしてください。
学校は、部活動の存続が危ういとか、教員が委縮するなどという以前に、将来にたくさんの希望を持てるような子どもたちを育てる場所だと思います。
子どもの命を最優先にお考えください。
全国の子どもたちの将来の芽を摘むような権利はないはずです。
どうか、どうかお願い致します。
以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion6755:170623〕
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