アンジェイ・ワイダ監督の「ワレンサ 連帯の男」と遺作「残像」を貫通する負性とは――岡崎乾二郎氏の洞察に刺戟されて――
- 2017年 8月 15日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」をかなり前に観た。岩波ホール作のパンフレットにアンジェイ・ワイダのメッセージがあり、それは「『残像』は、自分の決断を信じ、芸術にすべてをささげた、ひとりの不屈の男の肖像です。映画は、ポーランド社会主義が最も過激な形を取り、社会主義リアリズムが芸術表現に必須の様式となった、1949年から1952年までの重要な4年間を描いています。」と記されている。
パンフレットには、何人かの知識人がワイダについて論じている。元朝日新聞編集委員・大妻女子大学教授、映画評論家、京都市立芸術大学教授、東京外国語大学非常勤講師、ジャーナリスト・映画監督、岩波ホール前企画室長、そして造形作家である。私=岩田が最も印象付けられた論評は、造形作家・岡崎乾二郎氏の筆による。長くなるが引用する。「政治は芸術の機能を制限し、芸術を固定した役割に押し込めようとする。誰もが明確に理解できる視覚メッセージ、社会主義リアリズムと呼ばれた芸術に与えられた役割は資本主義社会のなかで芸術が獲得できるエンタテイメントという役割と大差ない。映画に求められていたものも同じだろう。誰もが表面的に合意できる伝達形式こそが求められた。第二次世界大戦後の資本主義世界における《前衛》も、見かけは似ていても商品であることを前提としていたことにおいて大差ない。ストゥシェミンスキやコブロが芸術に夢見ていた別の世界を創出させる可能性の核心はもう見失われていた。ワイダはこの映画でその核心を映画として直接表現することを避けているのかもしれない。・・・・・・。・・・・・・。その意味でこの映画の与える最大のミステリーは、ストゥシェミンスキにとって一番大切であるはずの、かつての伴侶カタジナ・コブロとともに抱いていたはずの別の世界のヴィジョン=ユートピアが、コブロその人とともに完全に隠されていることにこそあろう。」(pp.20-21) まさしく、我が意を得たりのワイダ論である。ちなみに、ストゥシェミンスキは、映画「残像」の主人公、「ひとりの不屈の男」である。
1989年にポーランド統一労働者党体制=党社会主義体制が崩壊して、民主化・自由化の核心たる資本主義化の時代におけるワイダ作品の大きな特徴は、岡崎乾二郎氏が指摘している「核心を避ける」、「別のヴィジョンが完全に隠されている」ところに在る。
私=岩田は、「ちきゅう座」ネットの「評論・紹介・意見」欄に平成28年・2016年9月2日「労働者大統領ワレンサの名義貸しの下で断行されたウルトラ反労働者政策――ポーランド1990-94年」、9月18日「ポーランド国有企業私有化ビジネスに『山一』も参入」、11月29「塩川喜信先達のインタビューを読みて――ポーランド『連帯』を要に――」において、ワイダ監督の上記メッセージの表現をもじれば、「ポーランドの資本主義化が最も過激な形を取り、資本主義リアリズムが生活現実に必須の様式となった、1990年から1994年までの重要な5年間」を素描しておいた。
特に9月2日の「労働者大統領の名義貸しの下で・・・」において、「インテリゲンチャの自由のジレンマ」なる小節で「ワイダ監督がワレンサ三部作の第3作品を『ワレンサ 連帯の男』ではなく、『ワレンサ大統領の男』を製作し、ポーランドの脱連帯的資本主義化の渦中のワレンサを映像化していたら、こんな所感をいだかなかったにちがいない。映画監督に裏切られたショックに比例して映画芸術の偉大さを知る。」と実感を述べておいた。
ここに David Ost、The Defeat of Solidarity Anger and Politics in Postcommunist Europe、Cornell University Press、Ithaca and London、2005(ダヴィド・オスト著『連帯の敗北』)がある。党社会主義体制の解体以後のポーランドの労働者・民衆の悲劇かつ喜劇を如実に描いている。1980年・1981年に自主管理共和国のヴィジョンをどこかに夢見ながら、憎き共産党体制を打倒したその瞬間からただちに、自分達が支持する『連帯』指導部と指導部を取り巻く厚い知識人・専門家集団の新興資本家成りの為に次々と切り捨てられて行く『連帯』労組の現場活動家層と一般勤労者階級 rank and file の実像がまことに豊富な現地調査 field work と社会学的統計資料に基づいて活写されている。
私=岩田は、1990年代の初めに党社会主義崩壊以降の資本主義化プロセスを単に資本主義的諸経済形態の導入過程としてのみ平板に観るのではなく、誰が旧国有財産の私的所有者=資本家となり、誰が私的資本に転化された旧国有財産の下で働かせてもらう賃金労働者になり、誰がそれらのいずれにもなれない産業予備軍に転落するか、を決定する階級形成斗争の相で観察すべきである、と説いた事がある(岩田昌征著『ユーゴスラヴィア-衝突する歴史と抗争する文明』NTT出版、1994年、pp.25-27)。
政治学・社会学のオスト教授は、本書において、階級形成 class formation なる用語を使い、それに固有な感情・情熱の表現として怒り、立腹 anger を全面に出してポーランドの1990年代と2000年紀の最初の数年間を分析する。但し、オスト教授は、資本主義の負け組大衆運動の感情 anger 怒りに力点を置きすぎる余り、勝ち組、すなわちワレンサ、アダム・ミフニク、タデウシ・マゾヴィエツキ、ブロニスラフ・ゲメレク等の労働者出身指導者や知識人・専門家達の感情である喜び、満足 rejoice については指摘していない。勝ち組については、冷静な戦略眼、読み、計算、操作能力が強調されている。
例えば、『連帯』運動勝利後、ポーランド最大の新聞の編集長となったミフニクは、すでに1985年に「労働者の能動性は民主主義に対する主要な危険諸要因の一つである、と警告していた。」(p.41)「ミフニクは『連帯』労組の強力な防衛者であるが、知識人達に指導される限りにおいてそうなのだ。知識人達のコントロールから離れた『連帯』は危険だ、と示唆している。」(p.41)
ワレンサ『連帯』議長自身、1989年、勝利の年の9月に「私達が強い組合を建設するならば、私達はヨーロッパに追い付けないだろう。」と語っており、10月には「私達が強い組合を創り上げるとすれば、組合はどこでもっと強くなってしまうであろうか。カトヴィツェの製鋼工場や他の巨大な諸工場においてだ。しかしながら、これらの諸工場について何事かをなさねばならない。そんな時に強力な組合が同意するであろうか?・・・。私達が強力な経済を持つ前に、私達は強力な労働組合を持つことはできない。」(p.53)と発言している。
「指導部が労働者の能動性を好まない鍵的諸理由の一つは、指導部が労働者の直接的諸利益に反するラディカルな市場化プロセスを採択していた事である。」(p.46)とオスト教授は説く。
要するに、大統領ワレンサ(1990年12月22日より5年間)、首相マゾヴィエツキ、労働大臣ヤツェク・クーロン等々の『連帯』勝利内閣は、完全にネオリベラリズムの信奉者であった。そして、労働者大衆も亦その方向に期待をいだきつづけた。そして、我が身に火の粉が降りかかっても期待しつづけて、着衣が燃え上がり始めて、怒りを爆発させた。労働者大衆の全国指導部や県・地方指導部はネオリベラリズムであって、中央・地方の官職への出世の期待もあり、脱国有化過程で資本家・ビジネスマンへの転身も可能であったので、rank and file一般労働者階級の怒りは散発的ではなく、大量的であっても、個々別々に操作しえたという訳だ。
ここで、ポーランド人の経営管理学者の老碩学 ヴィトルド・キェジュン著『転形の病理学』(Witold Kieżun、Patologia Transformacji、Poltext、Warszawa、2013)から面白い話を紹介しよう。Gazeta Wyborcza『選挙新聞』は、『連帯』の機関誌として1989年5月8日に創刊されたが、会社化されて、10年後に株式が公開された。その結果、出資者・創設者のズビグニェブ・ブヤク(『連帯』政治顧問)とアンジェイ・ワイダ(映画監督)は、百万ドル以上の価値を持つ株式の所有者となった(pp.159-160)。これら二人は、日本で言えば、『朝日新聞』の村山家と上野家に当たるであろう。
編集長のアダム・ミフニクは、多くの社員達を裕福にした自社株式の分配において、自己の取り分の受け取りを拒否して、集団的富裕化プロセスに参加しなかった。かくして、「持つ」ことよりも「である」ことの哲学を高く評価する人々の尊敬を集めた(p.160)。言うは易く行うは難し。流石左翼出身のリベラリストである。しかしこの大新聞社に労組はない。
このような『連帯』政権主導の資本主義化における職場解体の実像は、「ちきゅう座」ネットの2016年9月2日「労働者大統領ワレンサの名義貸しの下で・・・」に詳しい。その文章のタイトルに「名義貸し」としておいたが、ダヴィド・オスト教授の実証研究を知った今は、「ワレンサの名義貸し」どころではなく、「ワレンサ主導の下で・・・」に訂正せねばなるまい。
一般労働者階級の苦境は、失業率の激増に表出される。1989年-0.3%、1990年-6.1%、1991年-11.5%、1992年-13.6%、1993年-15.7%、1994年-16.0%、1995年-14.9%、1996年-13.6%、1997年-10.5%、1998年-9.6%、1999年-13.0%、2000年-15.0%、2001年-17.4%、2002年-18.1%、2003年-20.2%、2004年-19.0%、2005年-17.6%、2006年-14.9%、2007年-11.2%、2008年-9.5%、2009年-12.1%、2010年-12.3%、2011年-13.2%、(ヴィトルド・キェジュン、pp.229-230)。
2004年にEU加盟を達成したポーランドはEUの先進資本主義6ヶ国に過剰労働力を排出できるようになった。英国に一時滞在するポーランド移民の数は、2004年末に15万人、2005年末に34万人、206年末に58万人、2007年末に99万人、2008年末に65万人、2009年末に55万5千人であった。英国、ドイツ、アイルランド、オランダ、イタリア、スペインの6ヶ国合計では、2004年末に66万人、2005年末に90万6千人、2006年末133万4千人、2007年末に198万5千人、2008年末に159万9千人、2009年末に137万3千人であった(ヴィトルド・キェジュン、p.231)。
かかる大量の過剰労働力の対外排出は、先進資本主義諸国の資本家層に歓迎され、労働者階級の立場を弱めた。ポーランド国内では階級形成斗争の勝ち組の負担を軽くし、負け組の怒りの感をやわらげた。
上述のように『連帯』労組の基層組合員大衆が十分すぎるほど味わった辛酸を理解できない映画作家だけが、2013年に製作した映画「ワレンサ 連帯の男」のフィナーレを「ワシントンDC、1989年11月15日」に米国連邦議会で演説し、議員達が起立して万雷の拍手をおくり、ワレンサが両手でVサインをつくり答えるシーンで締めくくる事が出来たのだ。
「残像」を評して、造形作家・岡崎乾二郎氏は、この作品において「核心を避ける」、「別のヴィジョンが完全に隠されている」と批判している。私=岩田は、造形芸術について語る資格を持たないが、『連帯』運動を主題にした第三作においてワイダ監督がいかなる核心を避け、いかなる別のビジョンを完全に隠しているかは、見抜くことができる。「残像」も同じようなマイナスをはらんでいるのであろう。岡崎乾二郎氏に脱帽。
平成29年8月11日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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