ベルリンのクリマスマーケット・テロから一年: 犠牲者の遺族がメルケル首相を非難する公開書簡を提出
- 2017年 12月 17日
- 時代をみる
- グローガー理恵
2016年12月19日の夜、イスラム・テロリストが、ベルリンのブライトシャイド広場で催されていたクリスマス・マーケットにトラックで突っ込み、12人の死亡者と70人以上の負傷者を出した事件はドイツ社会ばかりでなくヨーロッパ社会にも大きな衝撃を与えた。
あれから一年、ベルリンのテロ事件で死亡した12人の犠牲者 (ドイツ人、ポーランド人、イタリア人、イスラエル人、ウクライナ人、チェコ人)の遺族が、アンゲリカ・メルケル首相にあてて公開書簡を提出した。ドイツの主流メディアのひとつである ‘デア・シュピーゲル ( Der Spiegel ) ‘ が、この事を重大な出来事として捉え公開書簡全文をオンラインサイトに掲載している。
書簡の中で遺族は、テロから一年経とうとしているが、いまだにメルケル首相が遺族に哀悼の意を個人的に伝えることはなかったことに言及し、「メルケル首相、あなたは首相としての責務を果たしていません」とメルケル首相を非難している。 CC BY 2.0
クリスマス 市に突っ込んだトラックを囲む緊急車両 ( 撮影Andreas Trojak)
公開書簡が出された背景ーベルリンのテロは防ぐことができた
ベルリンテロ発生後、テロ事件の 調査を行ってきた委員会がいくつかあるが、これまでに公表された調査報告は、ドイツの治安当局によるテロ防止のための取り組みに過誤があったことを明るみにしている:
1) ある機密文書には、2016年の3月、ノルトライン=ヴェストファーレン州検事局が、ベルリンテロの犯人・チェニジア出身のアニス・アムリはイスラミストであると認知し、彼がテロアタックすることを予測しているという事が抄録されてある。ここで、この予測をもとに州検事局は、連邦内務省の外国人法専門家にアニス・アムリを国外追放することを検討するようにと審議を依頼したのだが、連邦内務省による審議の結果は:「アニス・アムリ を国外追放するための十分な証拠を蒐集するのは困難であろう」と、アムリの国外追放について極めて消極的な見解を示したのである。すなわち、彼らの見解は、アニス・アムリがドイツに居てもよいということを示唆していたのだった。
2) ベルリン政府調査委員会は、アニス・アムリの動きを監視していたベルリン警察が、アムリについての重大な情報を故意に隠蔽していたことを明らかにした。それは、クリスマス市テロアタックが起こる6週間前にすでに、ベルリン警察はアムリがドラッグネットワークに結びついたプロの売人であることに気づいており、彼を売人として逮捕できる十分な証拠を握っていたにもかかわらず、彼を逮捕しようとしなかったことである。もし警察が、テロアタックの6週間前にアニス・アムリをすでに逮捕していたとしたら、ベルリンの惨事は防ぐことができたはずである。
書簡に込められた遺族の訴え
書簡には、テロ事件の後、遺族がそれぞれ結び付き合ってグループを作り、お互いに連絡を取り合い、悲しみを分かち合い、助け合い支援し合ってきたこと、政治やメディアの動向を注視し情報を得るようにしてきたことが書かれてある。 また遺族は、ドイツの治安当局の反テロ態勢が国家レベルにおいても州レベルにおいても混乱状態にあり、それを修繕し整える責務はメルケル首相にあるにもかかわらず何も為されていないこと、当局によるテロ犠牲者と遺族の取り扱い方が不適切であるということについて述べている。
「テロ調査委員会の調査結果は、ドイツの治安当局に欠陥があったためベルリンテロを防止することことができなかったという事実を明らかにしており、メルケル首相は国家首脳として、その共同責任を負わなければならない。ベルリンのテロ事件は、ドイツ政府が反テロ対策のための政治的措置を講じなかったがために起こった惨事であり、メルケル首相は、イスラムテロ発生の危険が高まっているときに、時を得て早期に、混乱した治安当局の構造の改善に取り組むことを怠った」と、メルケル首相を非難している。
さらに、遺族は:「メルケル首相、テロから一年が経とうとしていますが、これまで、貴女が個人的に私たち遺族に哀悼の意を伝えることも、同情の意を文書で表することもありませんでした。故に私たちは、貴女が首相としての責務を満たしていないと考えます。ベルリンで起こったテロアタックは、直接被害を受けた犠牲者を対象にして向けられたものではなく、ドイツ連邦共和国に向けられたアタックです。貴女がドイツ連邦政府の首相の名において、テロのために家族の一員の失った私たち遺族を認知するのは、敬意と礼儀の問題であり当然のことです」と、メルケル首相への批判を緩めない。
喪失、悲しみ、怒り
「喪失、悲しみ、怒り」と題された記事の中でデア・シュピーゲルの副編集長/デルク・クルブユーヴァイト氏が書簡について語る言葉が印象的だ:
「メルケル首相は沈黙する。そう、これが彼女のやり方なのだ。沈黙の政権。沈黙は、政治論上良くない。そして、沈黙が時にはテロの被害者となり苦悩する人々にとって侮辱となることもあるのだ。一年間、遺族はメルケルが個人的に彼らに同情の意を表するのを待っていた。遺族は、メルケルがそうするのは当然のことであると考える。ベルリンのクリスマス市のテロで亡くなった12人の遺族は、そう書簡に書いている……..」
メルケル首相の難民対策
2015年、欧州難民危機の中、メルケル首相は「(難民を受け入れることは)私たちにはできます!
ーWir schaffen das!)」と主張した。この彼女の一言で、ドイツの国境は開かれ、難民が洪水のようにドイツ国内に押し寄せてきた。その中に、アニス・アメルが居たのである。あまりにも数多い難民の流れに圧倒されたのだろうか?ー治安当局は混乱状態にあり、アメルを事前に捕らえることも国外追放することもしなかった。そのため、ベルリンのテロ惨事は起こったのだった。アメルは12人の命を奪い70人の人々に負傷を負わせた。重傷者の中には、いまだに病院に入院している人もいる。そして、生涯、介護に頼って生きていかねばならない人もいるという。
2015年にドイツに入国した難民の数は百万人以上にのぼる。当局が難民の流れをコントロールできなかったがために、ドイツに入ってから行方不明になった難民の数は、はかりしれないという。カーオスの中、親とはぐれてしまい行方が分からなくなった子どもたちの数も、はかりしれないと聞く。
「わたしたちにはできます!」との難民歓迎のスローガン を掲げる前にメルケルは、ドイツの当局が、無数の難民の流れを受け入れる準備/態勢ができているのかを確認したのだろうか?ドイツばかりでなくヨーロッパにカーオスと分断をもたらしたメルケル首相の難民受け入れ政策について、様々な疑問を懐くドイツ市民は少なくないはずだ。
以上
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