近頃の短歌メディア~どこへ行く?変わるのか、変わらないのか
- 2018年 3月 14日
- カルチャー
- 内野光子
いわゆる短歌総合雑誌や新聞はいくつあるのだろうか。私は、歌壇との縁も薄いし、寄稿などで登場することもめったにない。全部を購読する金銭的な負担や保存・整理する物理的な負担、何よりも全部を読み切れるかという不安もあって、恣意的な選択をしているのが実情である。しばらくあの雑誌を見ないな、と気付いたら半年も前に購読料が途切れていた、なんていうことがよくある。熱心な読者でないことは確かなのだが、そんな読者でも、最近の短歌総合雑誌の一部が、大きく様変わりしているようなのだ。表紙やレイアウトだけなのか。内容はどうなのだろう。私自身は、思想的にも日常生活においても変わることを好まない、というより変わることができない性格と思っているのだが、少しはまじめに雑誌を読んで、その行方を見極めたいと思う。
ネットの時代、今どきの大学生の本離れ、新聞も雑誌も読まない、テレビも見ないらしい。全国大学生協連による「第53回学生生活実態調査」によれば、1日の平均読書時間が23.6分、一日の読書時間ゼロが53%に及び、初めて50%を越えたという。そんな状況の中で、近年、徐々に増えたという若者の短歌人口を取り込もうとする変化なのだろうか。
『現代短歌』は1977年7月、短歌新聞社(石黒清介)から創刊、2013年8月終刊。短歌新聞社から引き継いだ現代短歌社は、2013年9月『現代短歌』(道具武志編集・発行)を創刊し、表紙は、上記のような地味なものが長いあいだ続いていた。右が『短歌現代』2011年1月号、左が『現代短歌』2016年1月号。
『現代短歌』2016年11月号とは一変した12月号(道具武志発行、真野少編集)。同年4月号からは編集・発行人が真野少となり、現在に至っている。この間の<沖縄を詠む>特集(2017年2月)や<震災二〇〇〇日>特集(2017年4月)、<「テロ等準備罪」を詠む>(2018年8月)など意欲的な特集が組まれている。2018年からは、さらに写真による表紙のレイアウトに変った。
私は、1960年、「ポトナム短歌会」に入会、阿部静枝の選歌を受けていた。1974年、静枝の没後は、編集部に送稿していた。その間、結社内の若手グループや東京歌会を通じてできた同人誌、『ポトナム』を離れたものが主宰する雑誌にも参加したが、『ポトナム』には60年近く、作品や文章を発表し続けていることになる。これでよかったのかな、と思うこともあるが、気ままに作歌やブログなどの執筆が続けられればいいと思っている。 短歌の愛好者には、短歌を作り、それを何らかの形で発表し、お互いに読み合い、楽しむ人々、また、自分では作歌をするわけではないが、新聞歌壇や雑誌を読んでは楽しむ人々、その中間に、ときどき新聞や雑誌、ネット上の歌壇などに投稿しては、その入選や選歌などに楽しみを見出している人々・・・などさまざまな形があるだろう。かつて、作歌の初心者は、老若を問わず、短歌結社誌に属して、特定の歌人に師事して添削を受け、歌会などを通じて研鑽していくというスタイルが大半であった。1970~80年代頃からは、カルチャー教室や短歌講座の講師や様々な投稿歌壇の選者を通じて結社誌で本格的に作歌を始めるというコースも増えた。現代の若年層は、「短歌」で有名になるのも悪くはないという動機やサークル活動のノリで、とくに結社やグループに属することもなく、ネット上を含めさまざまな「歌壇」に投稿を続け、いわゆる常連になって、短歌メディアがスポンサーの各種の新人賞の入選や候補になって、歌壇にデビューする例も多い。大学歌人会や同人誌などを根拠地として、文学フリマや書店での広報活動を楽しみながら、「有名歌人」になる日を夢見ている人たちも多いのではないか。私にはそんな風な光景にも見える。
私の知る限りながら、現に、さまざまな発表のメディアやチャンスをすでに持っている人たち、初心者ともいえない人たちが、新聞歌壇の常連になっている例もある。「もういいではないか」と思う人たちを、選者たちも選び続けている。常連の中には、自らのブログやツイッターで、今週は、幾つの歌壇を制覇したとか、短歌メディアへの掲載予告やメディアで取り上げられたことの報告に終始する場合もある。上昇志向というのか自己顕示というのか、その手段として「短歌」が利用されているようにも見受けられるのだ。若年層ばかりでなく、高齢者も多いはずである。かつて、私は、『朝日(新聞)歌壇』における小・中学生の大量入選、固定化について疑問を呈したことがある。新聞歌壇がいささかでも話題性を求めて、購読者をつなぎとめる役割を果たしているのかもしれないが、選歌はあくまでも「作品本位」であってほしい。死刑囚やホームレスの入選が続いて話題になったこともある。新聞歌壇に限らず、短歌メディアにおいても、同様に「話題性」に重きを置いて新人を押し上げたりする。「NHK歌壇」では、視聴率を意識してのことか、選者になる歌人と司会者やゲストにタレントや他分野の著名人を招いたりする。本当に短歌の普及や作歌の向上につながることになるのかしら、と戸惑うこともある。
『短歌研究』は 1932年10月創刊、発行は改造社、日本短歌社、短歌研究社、講談社傘下の』短歌研究社と変遷したが、昨年2017年8月、1000号を迎えた。今年2018年1月には「新春誌面一新特別号」と銘打って、表紙はレイアウトを変えた。中身をみると、1月号の<現代歌人百人一首>、3月号の<現代代表女性歌人作品集>など恒例の特集が続くようだ。登場する歌人たちの既視感は、他の短歌雑誌と同様ではないか。
『短歌』は、角川書店から1954年4月創刊されたが、ことしの1月号から、やはり、その表紙のレイアウトを大きく変えた。中身としては、昭和の歌人たちが相次いで他界し、その追悼号特集がたびたび組まれ、こうした傾向は続くだろう。初心者向けの短歌入門や作歌法などの特集も繰り返される。これは他の雑誌にも共通するが、子規、晶子、啄木、牧水、茂吉などポピュラーな歌人の生誕ないし没年記念特集なども定番の特集で、困ったときの企画と思われるほどである。
『短歌往来』は1989年6月、ながらみ書房より創刊以来、編集・発行人は及川隆彦。最近の表紙は、左上の1月号のスタイルが多いが、特定の歌人の特集となると10月号や11月号のようになる。取り上げる歌人は、ポピュラーなというよりやや”専門歌人”向けと言ってもよいかもしれない。一方、「歌人回想録」は、連載も長く、個性的な、マイナーな歌人の評伝を残し、俳人や詩人を動員した「題詠による詩歌句の試み」も恒例となった。
『歌壇』は、本阿弥書店から、1987年6月創刊、季節の写真をあしらったオーソドックスな表紙に大きな変化はみられない。内容にもバランス感覚が見られる。
初出:「内野光子のブログ」2018.03.12より許可を得て転載
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