先人は「大事件」をどう考えたか ―失った言葉を取り戻すために―
- 2011年 4月 30日
- 評論・紹介・意見
- 先人はどう考えたか?半澤健市
《蜷川幸雄の言葉に共感する》
地震以来、私は言葉を失っている。
親しい友人、知人たちも同じであるようである。地震の話に触れようとしない。触れる場合でもどこから手をつけてよいか分からない様子である。いきおい話は、断片的、感覺的、エピソード的となる。それは私の実感であり彼らの実感でもあるようだ。一方で、メディアには様々な情報と言説が飛び交っている。よくもあれだけ書いたりしゃべったりすることが出来るものだと思う。
そういう中で私は蜷川幸雄の発言に共感した。
10回にわたるインタビューの最後に記者から「東日本大震災では?」と問われた世界的な演出家は次のように答えている。(『朝日新聞』夕刊、11年4月1日、▼から▲まで)
▼今の状況は、僕にはまだ、整理できていません。日々刻々変化する状況のなか、情報の渦のなかで、冷静でいたいと思います。こうした状況の時こそ、それぞれの人がいろいろな意見を語り、さまざまな行動を選択することを認めあえたらいいなあと思っています。僕はもう少し静かに自分自身の心の動きをみつめていたいと思っています。
「3・11」の災害以後、よく、最晩年に「ムサシ」で一緒に仕事をした井上ひさしさんのことを考えます。東北ご出身の井上さん。
あなたが生きていたら、どう行動し、どんな言葉を発しますか?▲
蜷川は自分で考え自分の言葉で語ることの大切さを訴えたのだと思う。世の中の言説が挙国一致的に収れんするのを警戒しているのだと思う。
《私の言葉は自分のものではない》
一体、我々─というより私自身─の言語はどこから生まれているのか。
オリジナルなものなど殆どないのである。その殆どはメディアと友人との会話の口移しなのである。その友人もまた同じ行動をしている筈だから、主体なき言説が言論空間を回り回っているのである。60年前の学生時代や二十歳代の方が自分の意見を言っていたと思う。当時の方が「口真似」すべきメディアは少なかったし、洗練されてもいなかった。友人、同僚との議論もずっと活発であった。若い社会人の時期は「意見の対立」が日本的経営の「和」を崩すなどと考えなかったのである。これは私の勝手な自虐的発言ではない。
88年前の「関東大震災」の年に、作家の正宗白鳥は次のように書いている。
▼有島事件「註1」があったとすると、識者らしい人がそれに関して云ひさうなことは大抵は分つてゐる。私自身が意見を立てるにしても、雑誌的観察を離れては物が云へないやうになつている。代々の雑誌的思潮が私を感化しつくしてゐるので、自分が密室で考へるに於てさへその支配を脱することが出来ないのだから、まして意見を公表するに当つては当代の雑誌的口調を用ひなければならなくなる。
甘粕事件「註2」についてもさうである。ある雑誌が私にそれを対する批判を求めに来たが、私はいかにも気が差して擽(くすぐ)つたい気がしたので返事をしなかつた。かういふ事件については、識者、すなはち、某博士某文士などの理解のある、所謂進んだ意見なるものは、読まない前から分つてゐるので、私にだつてそのくらゐな分つた意見は立てられないことはなかつたが、さうして分つた顔をするのがいやな気がして筆は執らなかつた。
雑誌が出てから見ると、果してどの雑誌にも、版で刷つたような識者の意見が鹿爪らしく載せられてあつた。十年前だつたら識者の意見が大分ちがつてゐたであろう。十年後には同じやうな事件についても識者の意見がまた違ふだらう。真理はいづくにある? 時代々々の、稍々進んだらしいとされている思潮に随いて行くのが、すなはち真理に触れて行く譯なので、その外には真理はどこにも存在しないであらうが、しかし、さうして見ると、真理も流行品と同じことなのである。▲(「私と雑誌」、雑誌『随筆』1924年1月号)
《先人の言葉に立ち返る》
自分の言葉が存在しないのに私は尤もらしい発言をしてきた。
それが出来たのはテーマが「東日本大震災」ほど困難で画期的ではなかったからである。今度の地震は今までの手法では処理できないと感ずる。
明治維新以来の価値転換が起こるかも知れない。テクノロジーに対する態度を逆転しなければならないかも知れない。これは新興国の台頭―つまり彼らの「近代化」―が世界経済を救うとされている時代に反時代的な考えである。しかし今こそ自分で考えないと言葉にならないと感ずる。そういう時にはどうすればよいのか。簡単に答えはでない。
私は過去の同時代人の言葉を読み直すことにした。
この場合の「過去」とは何か。古くは関東大震災であり、大東亜戦争の敗北であり、新しくは1968年の五月革命であり、1999年の茨城県東海村の臨界事故である。とりあえずそう考える。同時代人とはまさにその時期に生きて現場にいた当事者であり観察者だ。
先人が危機にどう対処したかは検証に値すると思う。今後何回か先人の発言を見てゆくことにしたい。条件、環境、時代が異なるのは当然である。しかし、人間が感じ考えることは昔からそうは変わらないという気もするのである。
「註1」作家有島武郎(ありしまたけお、1878~1923年)が、23年6月に雑誌記者で人妻だった波多野秋子と軽井沢で縊死心中した事件。
「註2」関東大震災直後の9月16日、憲兵大尉甘粕正彦がアナキスト作家の大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥・橘宗一を殺害したとされる事件。甘粕は3年で出所しフランス留学ののち「満州国」で活動することになる。
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