2019.ドイツ便り(3)<暑さが一転、6月28日は寒かった>
- 2019年 7月 1日
- カルチャー
- 合澤 清
ドイツの陽気の変化に戸惑う。23日から26日までの4日間は、猛烈な暑さだった。それが、27日はなんともすがすがしい陽気で、angenehmな(気持ちがよい)涼しい一日だった。28日の早朝散歩は、今度は震えが来るほどに寒い。長袖を重ね着してもまだ寒い。しかし、このところの暑さにバテバテだった身体には、この寒さがなんとも快く、喜ばしい、やっとドイツに来たという感慨がわいてきた。
これで本が読めるぞ、と思いながらベッドに寝転がって数分間眺めていた。気が付いた時には、1時間以上も熟睡(いや、昏睡と言った方がよいかもしれない)状態だった。
天気予報によれば、29,30日とまた暑くなり、7月1,2日と涼しくなるという。ドイツの天候の変化はいつも極端である。
すぐ隣の「Kurpark保養地公園」では、28日からの3日間、Garten Fest(庭園祭り)が催される。朝から大勢の人が集まって来ているようなざわざわとしたもの音が聞こえてくる。散歩の時に外から眺めた限りでしかないが、多くのテント(最近のテントは、白雪姫の小人が暮らすような、ファンタジックな素敵な塔をもった瀟洒な家造りになっている)が所狭しと立てられている。
テントの内や外に、いろんな植物が、鉢植えの花や植木(おそらく盆栽もあるはず)などが並べられている。また彫刻や細工物などの手工芸品もある。既に何度か見慣れた光景だ。
ドイツ人は庭を草花や置物でいっぱいに飾るのが好きだ。「ドイツ人は」といったが、振り返ればこの事は、日本の都会のわれわれの生活環境、それ故われわれの感性が、あまりにも自然とのふれあいを失って、日常生活の単純な延長の干からびた、味気ないものになり下がっているということへの内内の反省の声の様に思える。
午後の散歩がてらの買い物時に、公園の傍を通りながら観察すると、中には大勢の人がいて、入り口の料金所にも人だかりができている。この静かな場所にこんなに大勢の人たちが集まるのも珍しい。天候(陽気)に恵まれているせいであろう。
日本でも「農業祭」というのが各地で行われている。私の田舎(九州)でも秋に催されるのだが、何度か見物に行ってきたことがあるが、これほどの活気はなかったように思う。
ドイツ人は生活に様々なヴァリエーションを付ける工夫をしているのかもしれない。夏場にはあちこちでFestが行われ、しかもその盛り上がり方が並みでない。いわば町ぐるみ総出でのFestとなる。ゲッティンゲンでも、町中が人であふれ、あちこちの街角で様々な音楽演奏が行われる。もちろん、公園には舞台が設えられて、名のある演奏家などが参加している。すべて無料で公開される。
何度か足を運んだことのある「阿佐ヶ谷ジャズフェスト」とつい比べてみたくなるが、桁違いだというのが正直な印象だ。
日常生活の上でも、ほぼ毎週末に誰かの家でホームパーティをやっている。グリルされた肉塊を大胆に切り分けたものにサラダ、パン、オリーブなどの漬物、チーズやハム、果物、それにふんだんなアルコール飲料(ビール、ワイン、シュナップスなど)がふるまわれる。
パーティは、日本流の言い方では全くの「無礼講」であるが、さすがに酔っぱらってひと悶着を起こす人を見たことはない。彼らがアルコールに強いのか、それとも慣れているか、であろう。日本のように、二次会、三次会に繰り出す習慣もない。
<5人の来客/定年退職した友人>
29日は天気予報通りにカラッと晴れた好天気。朝の散歩の時間帯はまだ涼しくて、気持ちがよかったのだが、一気に暑さが増してくる。但し、日射しは暑いが、日本の様な鬱陶しさはなく、日陰に入れば実に快いドイツの陽気である。
この日は朝から女主人は大忙しだ。食堂を片付け、部屋の掃除、トイレの掃除、それからお客用の食器や飲み物の用意など。
主な客は、ここから車で小一時間離れたウスラーという町に住む叔母さんご夫婦、彼女(女主人)の会社の同僚の女性とその友人の男性二人、それに居候のわれわれ二人である。
叔母さんは手作りの大きなクーヘンを持参してくれることになっている。これはここ数年、恒例である。
我が家のお客たちは午前中に全員集まった。そして早速、公園の「ガーデン・フェストGarten Fest」に全員で繰り出した。それほど興味のない私だけが残り、部屋の中で寝転がり、読書と居眠りを満喫した。
後で連れ合いに聞いた話では、フェストは例年以上の賑わいだったとのこと。
子供の頃の夏祭りのようで、誰もかれもが、あちこちの店に入っては買い食いしていたそうだ。もちろん、こういう会場には立ち飲みの店もあり、ビール、ワイン、その他の飲み物が置いてある。わが女性陣も早速アルコール入りの清涼飲料水を味わっていたそうで、連れ合いにもどうだと勧めてきたそうだが、それはお断りしたとのこと。
彼女たちは、勿論彼らもであるが、この後我が家に戻って来て、再び洋菓子の大きなものを何個もぱくついていた。これでは痩せる暇はなかろう。
「毎日小食なのにどうしてこんなに太るのかしら」という女主人に、甘いものと油ものの摂りすぎでしょう、と言ったら、私は甘いものはほとんど食べていないよという。しかし、この現実をどう考えるべきだろうか?
そう言えば、先日友人二人と会ったとき、その内の一人が二か月前に定年退職したと聞いた。まだ50代だと思っていたのだが、もう65歳だったようだ。いつもは底抜けに明るい男なのに、少し元気をなくしていたのが気になった。ドイツでも日本と同じように、定年後の生活設計の問題があるのだろうが、あるとすれば、どういう問題なのか?
彼は物理屋、というよりも彼の話では数学屋であるらしい。どこかの大学の非常勤になるのか、それとも他の働き口を探すのか、あるいは悠々自適の生活を送るつもりなのか、いずれにせよ少々興味があるのだが、この日には聞き出せなかった。
<ドイツでの夏期間の生活について>
ドイツで過ごす夏も、既に20回目ぐらいにはなる。最初の頃は半ば観光旅行気分があった。しかし、まるっきり言葉が判らないため、ドイツ国内旅行も不安ばかりで、電車に乗るのも、目的地を選ぶのも、ホテルを探すのも、そして安い居酒屋を探すのも、ガイドブックを片手に「男は度胸」「後は野となれ」式にやってきた。それでも何とか通じさせてきたのは多分に幸運だったのかもしれない。
この頃では、観光旅行の気持ちは色あせて来て、専ら日常生活の延長という形でドイツでの夏期間を過ごすという気持ちの方が圧倒的である。
日常生活の延長と言っても、読みかけの本も、大方の資料なども東京に残して来ているため、こちらでの課題設定なども限定的たらざるを得ない。
そのため、何か一つ位まとまった本を読破したいと考えて、去年はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(これまで何度もチャレンジしては、読了できなかった本)をやっと通読した。今年は、マチエの『フランス大革命』(岩波文庫で、全3冊)を読もうと持参してきた。
この読む作業に予想外にてこずっている。というのは、歳のせいで年々目が悪くなっていて、細かい字を追いかけるのが極端に疲れるのである。しかも紙質が悪くて活字が薄い、古い製本(1971年刊)のため文字が小さい(脚注などは読みとれない個所もある)。
こんなものは一週間あれば確実に一冊は読めるとたかをくくっていたのが、10日ほどかけてまだやっと100ページに満たない。情けない。
毎朝の日課としては、「朝日」「東京」「googleニュース」「BBCニュース」のデジタル版をインターネットで拾い読みしながら、日本の国内事情、海外事情をリサーチしている。
先頃の「朝日」のニュースによれば、日本の若者には安倍政権支持層が多いとか。「僕が生きていけているので。それに日経平均株価もいいし」というのがその理由だという。
政治を私物化し、秘密保護法によって、自分たちの悪行を隠蔽し、憲法改悪によって戦争国家への脱皮を図り、国民の税金を米国からの大量の武器弾薬購入にあて、また株価操作による見せかけの「景気浮揚」を作りだすためにつぎ込み、あるいは銀行や東電などの企業をサポートするために資金援助する等々、こういう悪辣な安部政治の現実から目を避けているのであろうか。知らなかったでは済まされない法律の縛りと同じく、知らないでは済まない政治の現実がある。
同じ「朝日」に、ドイツの若者たちが、毎週金曜日に赤い布をもって国会を取り囲み、「われわれの未来を奪うな」と、思い思いのスローガンを書いたプラカードを掲げて、環境保護などを訴えている写真が載っていた。
故ドナルド・キーンは、日本国籍を取得した後、日本人として次の主張をしている、「憲法改悪反対、共謀罪反対、原発再稼働反対」。国会前集会にも参加している。
反省を内なる経験に、経験を行動に移す必要がある。
2019.7.1 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔culture0821:190701〕
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