青山森人の東チモールだより…日本政府は東チモール人の声を聴け

83年前の「2月20日」

日本軍の戦闘機がオーストラリオのダーウィンを空爆した翌日、つまり83年前の1942年2月20日、日本軍は東チモールの侵略を開始しました。そして日本軍はおよそ3年半もの間、東チモールを占領したのです(東チモールだより 第482号)。

「2月20日」は東チモールの歴史に刻まれています。それは例えば「3月10日」が東京大空襲の日として日本の歴史に刻まれているように。

「2月20日」を迎えるにあたり、東チモールの市民団体は灯台(灯台はポルトガル語で「ファロル」(farol)、首都のファロル地区はこの灯台が立っている住宅地区。東チモールに上陸した日本兵はそこで連合軍の待ち伏せをあって多くの日本兵が死んだという証言がある)からレシデレ地区まで行進をして街宣活動をしました。市民団体は日本政府にたいして、戦争の犠牲者とくに従軍慰安婦となった女性たちへの謝罪と補償を求め、自国政府には第二次世界大戦の歴史を学校の課目に組み入れることを求めています。

日本政府は東チモール人のこうした声を無視する恥ずかしい姿勢を改めて素直に応じるべきです。

第二次世界大戦による東チモール人の死者数

上記の市民団体は「約1万2000人の東チモール人が道路建設などの労働や、日本兵への食料提供を強制された」と指摘しました(『タトリ』、2025年2月19日)。日本軍による東チモール占領は、1941年12月17日、連合軍(オーストラリア軍とオランダ軍)が東チモールに進駐したことへの対応措置でした。したがって東チモールは第二次世界大戦の戦場となったわけです。

それにしても、日本軍が東チモールを占領したことによる東チモール人の犠牲者つまり死者は何人だったのか?2万人、4万人、このような数字がオーストラリアから発せられますが、6万人という数字が東チモール側からオーストラリアを非難する政治的文脈で発せられたこともありました。

第二次世界大戦中の東チモール人の犠牲者つまり死者の数はいくらか。両陣営の戦闘に巻き込まれての死者の数はいくらか。日本軍による占領が原因となった関連死の数はいくらか。戦後80年になっても漠然としています。

『地図とグラフで見る第2次世界大戦』(INFOGRAPHIE DE LA SECONDE GUERRE MONDIALE、ジャン・ロペス[監修]、ヴァンサン・ベルナール+ニコラ・オーバン[著]、ニコラ・ギルラ[データーデザイン]、太田佐絵子[訳]、原書房、2020年5月30日 第1刷発行)という本を紹介したいと思います。これに「民間人と戦闘員の損失」という項目があり、第二次世界大戦が各国・各地域にもたらした犠牲者つまり死者の数を示しています。これによると第二次世界大戦中における東チモール人の死者数について、1939年の人口に占める割合で10.42%の5万人、人口比で世界の第5番目、死者数としては世界の26番目であると示しています。

この本の特徴として、戦争による直接的な死(戦闘・強制労働・戦争犯罪などによる)とは別に、窮乏・飢餓・病気など戦争がもたらした間接的な原因による犠牲者を、とくにアジア・アフリカに範囲を広げて考慮しています。従来の「古典的」見積もりである「4000万人から5000万人」とされていた第二次世界大戦による犠牲者の数は、なんと、「実は7500万人を超え、おそらく8000万人に達していたことがわかっている」と計算し、7500~8000万人という「この犠牲者数は、1940年の世界人口の約3.5%に相当する。今の人口に当てはめると、これだけの規模の戦争が起これば、犠牲者は2億人以上になるということだ」とこの本は警告しています。

1939年の人口に占める死者数の割合の順位を上のほうから第5番目まで見てみます(国名・地域名は同書のママとする)。

1.南洋諸島=44.88%(死者の100%が民間人)

2.ポーランド=18.77%(死者の3.67%が戦闘員、96.33%が民間人)

3.ソヴィエト連邦=14.8%(死者の44.22%が戦闘員、55.78%が民間人)

4.ドイツ国(ドイツ+オーストリア)=11.05%(死者の61.90%が戦闘員、38.1%が民間人)

5.ポルトガル領ティモール=10.42%(死者の100%が民間人)

いうまでもなく南洋諸島も東チモール(ポルトガル領ティモール)も日本が大きく関与した地域です。その日本はというと11番目で、人口(1939年)に対する死者数は4.72%(死者の76.23%が戦闘員、23.77%が民間人)となっています。

そして世界人口(1939年)に占める死者数合計の割合は、3.76%(死者の34.29%が戦闘員、65.71%が民間人)となっています。上記のように世界人口の3.5%以上が第二次世界大戦によって死がもたらされたのです。次に同書から第二次世界大戦による死者数を順位が上のほうから見てみましょう。

1.ソヴィエト連邦=27 917 000名

2.中国=15 000 000名

3.ドイツ国(ドイツ+オーストリア)=8 666 500名

4.ポーランド=6 540 000名

5.日本=3 365 900名

……

25. 南洋諸島=57 000名

26.ポルトガル領ティモール=50 000名

……

35. タイ=7 600名

36. ルクセンブルク=5 000名

37.その他諸国=5 800名

そして死者の総計は、

±75 421 800名(戦闘員が26 047 400名、民間人が49 374 400名)

と同書は計算しています。気の遠くなる数字です。

歴史から目を背けるな

東チモールは第二次世界大戦後に被ったインドネシア軍による侵略という災禍によって、人口の3分の1である20万人が犠牲になったと見積もられ、これは人口比において第二次世界大戦後の世界最悪の大惨事です。その東チモールは第二次世界大戦中も犠牲者数は人口比において世界で5番目の大惨事を被っていたのです。戦中(日本軍の占領)と戦後(侵略したスハルト政権への日本の経済支援)における東チモール人犠牲者にたいして日本は大きな責任があるのです。このことからしても、先述した東チモールの市民団体の求めに応じようとしない日本政府の姿勢は恥ずかしいといわざるをえないのです。

ウクライナのゼレンスキー大統領との口論のなかでアメリカのトランプ大統領の口から「第三次世界大戦」という言葉が堂々と出るとう危うい現在の国際情勢を鑑みれば、「2億人以上になる」大惨事をわたしたちは真剣に憂慮せざるをえません。だからこそいま過去から学ぶことが一層強く求められています。その意味でも日本政府は過去に東チモールに与えた被害について真摯に向き合うべきであり、日本とオーストラリアは軍事的枠組みで協力するよりも、過去に東チモールへ与えた戦争被害にかんする詳細な調査に協働することに挑戦的になるべきです。

青山森人の東チモールだより  easttimordayori.seesaa.net

第530号(2025年3月12日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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