川田洋―の沖縄闘争論について 1969-71
沖縄での米兵による犯罪が後を絶たない。昨年末に米軍嘉手納基地に所属する空軍の兵士が面識のない16歳未満の少女をわいせつ目的で自宅に連れ込み性的暴行をしたことが、今年6月下旬に発覚した。沖縄県は在沖米軍に強く抗議したが、その後も海兵隊員が女性に対する不同意性交致傷罪で起訴されていたことなどが発覚。沖縄に押し付けられた米軍基地がもたらす犯罪被害である。県警や那覇地検はいずれも「被害者のプライバシー保護」を理由に事件を公表していなかった。外務省は情報を把握して駐日米大使に抗議したものの県には伝えていなかったことも分かった。これは日本国家が沖縄に対して行使する構造的差別でもある。沖縄県議選(6月16日)、沖縄慰霊の日(6月23日)が過ぎてからの発覚には、政府の隠ぺいの意図があると指摘する声もある。当然だろう。
さらには辺野古新基地建設で使用する土砂を搬出している名護市安和の桟橋近くでダンプカーが警備員の男性と抗議活動を行っていた女性と接触し、そのうち男性が死亡するという痛ましい事件も起きた(6月28日)。これはそもそも日本国家が米軍新基地建設を沖縄に強制しなければ起こらなかったはずの悲劇だ。今後、本土に住む私たちは沖縄とどう向かい合うべきなのか。今回は20代の活動家に沖縄闘争論について報告していただく。
日 時:7月9日(火)19:00開始(2時間ほど)
報告者:木本将太郎(北部反戦)
「本発表は沖縄「返還」直前期の本土新左翼のいわゆる「沖縄闘争」の中で最良の評論を残した川田洋(桝本純)を扱う。まず一般に知られていないこの人物の個人史および著作一覧を紹介し、その「復帰=第三次琉球処分」批判の論旨を概略する。次に当時の本土新左翼の沖縄闘争(論)の内部で川田が持つ意義を、川田自身が属した党派である共産同再建準備委員会との関連で考察する。第三に、同時代においてもっとも先鋭的に「反復帰」と沖縄/沖縄人の「自立」を主張し、本土新左翼への従属を拒絶した運動体である中部地区反戦青年委員会(中部反戦)および沖縄青年同盟(沖青同)の言説と対照させることで、川田・沖縄闘争論がいかなる意味でこれらの闘いと「呼応」する関係にあったかを明らかにしたい。
沖縄返還期の本土新左翼諸党派の「沖縄闘争」が総体としては沖縄不在のたんなるスローガンであり運動の手段・道具でしかなかった、という今日一般的な歴史的評価を、発表者は自明の前提かつ議論の出発点とみなす。本発表は〈沖縄と本土の「連帯」とは何か、そもそもそれは可能か不可能か〉という現在的課題への応答の試みの一つである。事柄の性質上、本土新左翼運動史に大きく踏み込まざるをえないけれども、いわゆる「趣味」的詮索とは無縁であることは断っておきたい」
形 式:対面とオンラインの併用(後述の方法で参加予約を頂いた方に招待メールを送ります)
会 場:専修大学神田校舎7号館7階774教室
資料代:500円
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