〈平和に対する罪〉こそ最大限公平に――ゼマン・チェコ大統領から学ぶ――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2023年1月30日)の第一面と第四面にチェコ大統領ミロシュ・ゼマンが29日、ベオグラードの二コラ・テスラ空港に到着した事を報じていた。出迎えるヴゥチチ大統領。親密な二人の様子が第一面と第二面の写真で強調されている。何故か。

 1999年3月14日、NATO19ヶ国(当時の加盟国数)は、国際法の基本原則を、2022年2月24日の露国と全く同じく、公然と侵犯して、独立主権国家ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ)に対する大空爆を開始した。その時、チェコ大統領は、人権活動家として国際市民社会で尊敬されていたヴァツラフ・ハヴェルであり、チェコ首相は、ミロシュ・ゼマン当人であった。高名な劇作家ハヴェルは、大空爆全面熱烈支持であった。それでは、普通の政治家ミロシュ・ゼマンはどうであったか。以上は、私=岩田の問である。その答えがこの記事「ミロシュ・ゼマン ヴゥチチと共に ウクライナ戦争への我が国の関係について」にある。要約紹介する。

 2021年にヴゥチチ・セルビア大統領がプラハを訪問した時、両大統領の合同記者会見で、ミロシュ・ゼマンは次のように語った。「爆撃は誤りだった。その事でずっと私は苦しんで来た。」「それは犯罪より悪い。私を許してくれるようにセルビアの人々にお願いしたい。」「私達はたった一国でも反対するように合意を求めて、絶望的だが努力した。しかし、私達だけだった。ともかく、勇気に欠けていた。」
 ヴゥチチ・セルビア大統領は即応して語った。「この瞬間から、セルビア人は、チェコ人を友人以上、兄弟だと実感する。」「セルビア人は、誰に対しても阿諛追従しない勇気ある人のこの言葉を決して忘れない。」

 ゼマン大統領は、2014年にベオグラードをすでに訪問していた。その時の発言は、2021年ほど踏み込んでいないが、当時の北米西欧の外交政策を批判していた。「私はチェコがコソヴォを国家承認した事を批判する。・・・。コソヴォ独立は良くて、クリミア独立は悪いと主張するのは、偽善だろう。」

ところで、この記事の筆者、ダニイェラ・ヴゥコサヴリェヴィチ記者が本当に伝えたい所は、以上の内容ではない、と私=岩田は思う。以上の事は、セルビアではすでに知られていた事実だ。私=岩田も2021年当時「ちきゅう座」で伝えた記憶がある。記者が真に伝えたい事、私見によれば、親北米西欧のセルビア市民社会にではなく、親露的気風のセルビア常民社会に伝えたい事は、以下の如くであろう。

 ゼマン大統領は、ベオグラード訪問直前に、ロシアのウクライナ攻撃に言及して、「私達は、ロシアのウクライナ侵略に関して、またこの衝突に関して、中立国としてのセルビアの果たし得る役割を話し合うだろう。」と語っていた。
 ゼマン大統領は、親露の人であった。2018年に第2期5年に再選された時、ロシアの新聞は、「プラハに我々の人物が」と歓迎した。プーチン大統領を友人だと呼んでいた。それも2022年2月までのことだ。その日ただちに、ロシア民衆にとってこれ以上の凶事なしと非難した。露大統領の行為を狂気の沙汰だと断じた。そして、今日、プーチンは平和に対する罪の裁きを受けるべきだと考えている。

 BS-TBSの「報道1930」(2023年2月17日)によれば、ルカシェンコ・ベラルーシ大統領がモスクワ訪問直前に記者会見して、「我々はロシアと共にたたかう。但し、ウクライナ兵が銃を構えて攻めて来た時だ。」と語ったと言う。「報道1930」の解説者は、この発言をベラルーシが露国の側にたって露烏戦争に参戦しない証しとした。その通りだが、それ以上の含意があろう。親露チェコ大統領のプーチン批判よりはるかに低強度であるにせよ、プーチン批判である。ロシア兵が銃を構えて攻めて来た時に、ウクライナ人がたたかうのは、当然自然だと言う含意である。この発言の含意は、プーチンに伝わったに違いない。

 私=岩田は、「プーチンは平和に対する罪の裁きを受けるべし」とするゼマン大統領の意見をノーマルと見る。但し、物事には論理的かつ時間的順序がある。1999年のNATOセルビア侵略・大空爆の国際法侵犯の科で、クリントン大統領、オルブライト国務長官等のNATO大空爆最高責任者達が平和に対する罪の裁きを先ず受け、その法理と判例に従って、プーチン大統領、ラヴロフ外相等のウクライナ侵略最高責任者達が裁かれる。これが二重基準のない世界ではノーマルであろう。ゼマン大統領の既発言から察するに、私=岩田のかかる主張に同意するであろう。そして北米西欧日本市民社会が慣れてしまった所謂二重基準に不慣れな常民庶民労働大衆の自然法であろう。

 NATO空爆とコソヴォ問題に関する国際市民社会の二重基準性は、スポーツライター/臨場思想家である木村元彦著『コソボ苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(2023年1月、集英社インターナショナル)に詳細に事実検証されている。是非読んで欲しい一書である。

                          令和5年如月20日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12839:230222〕