《ハリウッドからホワイト・ハウスへ》-レトリック活動としての映画と政治の同型性・同質性-

著者: 内田 弘 うちだ ひろし : 専修大学名誉教授
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[映画俳優レーガンは大統領になれるか] 1980年のことであるから、いまから約40年前のことである。映画俳優ドナルド・レーガンが大統領に立候補した。すると、或る知人が「たかが映画俳優に、アメリカの大統領など成れるはずがない、勤まるはずがない」と断言調で主張した。本稿筆者(内田弘)は、「そうでしょうか。映画と政治には共通点がないでしょうか?」というと、《ばかばかしい》との表情をみせ、筆者の意見を聞こうとしなかった。
 むろん、表現されることが想像世界である映画(演劇)と、現実世界である政治とは異なる。しかし、両者には共通性がある。そこにハリウッドとホワイト・ハウスが結合する必然性があるのではないかと考えていた。
[演技としての演劇・政治] 大学では演劇部で活動した本稿筆者は、映画演技も政治演技も、《未だ存在しない世界を創造しようとする点》で共通しているのではないか、と考えるようになっていた。「話題」も基本的には、周到に準備されたシナリオにそって行われる。「話題」に適した「服装・化粧・表情・発声・ジェスチャー」などでも、政治と映画は共通している。
[フィクションのインパクト] 想像された世界でも、その世界に閉じてはいない。現実に一定のインパクトを与える。その極端な例をあげよう。映画でなくラジオ放送である。オーソン・ウエルズのH.G.ウエルズ原作『宇宙戦争』をドキュメンタリー形式で流したラジオ放送(1938年10月30日)の内容は、その放送を聴いている者たちに「現実の出来事」と勘違いさせ、パニックに陥れた。フィクションが生の現実を直接動かす好例である。
[政治と映画の共通性] 現実といわれるものは、人間たちは生活現実に制約されているが、その制約をときとして破ろうとする、主観的な願望などの要因によって行動し創り出された結果である。社会を生きる人間たちが何を望み、何を嫌うのかを知らないで、政治は実行できない。
 同じように、映画(演劇)を見る者が何を望み、何を嫌っているのかを知らないで映画の制作・上映はできない。必要ならばマーケット・リサーチも行う。自分の主観を一方的に押しつけても、受け入れられるわけではない。政治も映画も、行う者とその享受者との共同作品である。そこに政治と映画(演劇)の共通基盤がある。
 そのような考えをいだいていた筆者は、頭からレーガンの大統領資格を疑問視するその研究者に、そのような考えを伝えられなかった。
[同じ台本でも非常に異なった芝居になる]このような考えを抱くきっけけが、学生時代の演劇活動にある。演劇は、台本[当時は「戯曲(ぎきょく)」といった]という、極めて素っ気なく書かれたスケッチみたいなものを手がかりに、あれこれ想像して舞台に具体化する。しかもその想像されたイメージの群に一貫性が求められ、解釈した主題の的確な具体化が要求される。
 したがって、読み手もよって上演する芝居がまったく異なる。それを経験して驚愕したことがある。近くの大学の演劇部でも、偶然に同じ戯曲を取り上げていたのである。そこで同じ戯曲の二つの芝居を上演し、それを互いに観あったことがある。その台本(ブレヒト「カルラ-ルのおかみさんの銃」)の翻訳家はその大学の教員であった。
[『経済評論』でレトリック特集] その演劇の活動は、レトリックへの関心に転化した。大学入職まもなく(1979年)、いまは廃刊になった『経済評論』の編集者から、《なにか面白いテーマがあったら、そのテーマで特集を組みたいのですが》との提案があった。「レトリック」特集を提案し採用された。《なぜ、『経済評論』でレトリックなのか》。コマーシャルという、レトリックの現代の代表的な事例があるではないか。もう、そのころから、日本人も、「何を如何にして買わせるか」をねらうコマーシャルに街頭・テレビ・新聞・雑誌で囲まれて生活していた。レトリックは狭い学術論題ではなく、アクチュアリティは十分にあるテーマである。
[多元社会とレトリック] わたしはその特集で論文「多元社会と修辞学的問題性」で書いた。田中角栄の政治手法を巡る侃々諤々の論争を、社会思想史的な側面から論じたものである。「多元社会」は恩師・長洲一二さんが提案していた用語である。長洲さんは、政治とは、現存する蓋然性の束から最善の選択をおこなう未来形成活動である、と定義し、神奈川県知事5期20年を勤めた。長洲さんは、「知ることだけに終わる研究」の限界を超えたと思う。
[ホッブズ段階からスミス段階へ]戦時日本の「死の恐怖」から脱して、ようやく日本人は、「言論」で日本の将来を決定してゆく歴史段階に入った。その移行は、イギリス近代史に射影すれば、つぎのようになる。ホッブズ『リヴァイアサン』(1651年)のいう自然状態における、人間を殺すか、人間に殺されるかの「死の恐怖」から社会契約を結ぶという17世紀前半の段階(ピューリタン革命)は、その世紀末からの名誉革命体制(1689年~現代)に移行する。この、いまも続く体制では、18世紀のスミス『道徳感情論』(1759年)が説くように、個々人の自己の「利己心」に基づく行為は、相手の「同感を獲得する活動」であるほかないし、同感するかしないかは個々人が言葉による表現活動で決定する。
[スミスは研究をレトリックから始める] スミスのスコットランド・アカデミーへの登壇は『修辞学・文学講義』であった。文彩でゴテゴテする文体をそぎ落とし、表現対象を最も的確に簡潔に表現する文体を援用する。このレトリックを、スミスは「新しいレトリック」と言った。「新しいレトリック」を説くスミスは、「コギト」を説くデカルトの近くに存立する。両者にとって、世界の究極の根拠は神である。
[三つの世界から成るスミス体系] したがって、スミスは単なる経済学者ではない。スミスは、経済学者は《文章が下手で良い》とは考えていない。全く逆である。スミスは、文学者(『修辞学文学講義』)・倫理学者(『道徳感情論』)・政治学者(『法学講義』)・経済学者(『国富論』)である。この四つの世界は統一体系をなしている。
[『国富論』のレトリック] したがって、レトリックは経済学の基礎である。『国富論』の冒頭第2章は交換本能論である。人間は生まれつき余った物(剰余生産物)を交換したいという本能を神によって与えられていると前提する。その第2章では、商品市場における売り手と買い手の説得し説得される関係を論じる。市場におけるレトリック(修辞学的行為)である。このレトリックの今日的形態がコマーシャルである。初期の文学者・スミスは『国富論』の著者・経済学者スミスに継承されている。
[事物の正確な表現は《新レトリック》による]因みに、マルクスは『経済学批判要綱』(の編集者が誤って「資本に関する章」の冒頭に位置づけている個所=事実上「貨幣に関する章」の末尾)で、このスミスのレトリック論を詳しく論じている。『資本論』も、すぐれたレトリックの古典である。哲学・科学も、スミスのいう「新しいレトリック」として存在する。それを排除したところに、事物の正確な認識=表現は存在しない。『レトリックとしての哲学』という本も刊行されている。
 職場の同僚でありスミス研究家・内田義彦さんは、本稿筆者が40歳のときのその論文「多元社会と修辞学的問題性」について「あの論文、読みましたよ」とだけいい、あとは笑顔である。教員室で他の同僚の批評があれこれ論評するのを黙って聴いていた。内田義彦さんは、(経済学を含む)社会科学とレトリックとの内面的関係を最も深く考え尽くした思想家である。

[本稿筆者のアイデァに応える好著がついに出た] 本稿筆者の映画と政治の同型性・同質性への問題関心に正面から、筆者の貧弱な知識を圧倒する知識で、解明した本が、ごく最近刊行された。村田晃嗣『大統領とハリウッド』(中公新書、2019年2月25日)がそれである。著者のアメリカ大統領とハリウッドとの関係についての知識は極めて豊富であり、非常に面白い。
 かつてレーガンが大統領選挙に出て、2期勤めた経緯も詳細に説明し、本稿筆者のかねてからの素朴な問題意識に十分に肯定的に応えてくれる。《読者、冥利に尽きる》の思いで、一気に読ませていただいた。読書生活で、こういう出会いは、めったにない。40年間待っていたわけではけれども、この本に書店で遭遇したときの驚きと喜びは形容のしようがない。かつての本校筆者の問題意識は意味があったのである。
[本書の構成の概要] 本書は、アメリカ映画史の画期的作品、トーマス・グリフィスの『国民の誕生』(1915年)を紹介する「第1章 聳え立つリンカーン」から始まる。そこでは、アメリカ映画がアメリカ大統領史のなかで突出した存在である、アブラハム・リンカーンを如何に表現してきたかも紹介される。そのあと5つの章をはさんで、「終章 大統領とハリウッドは『離婚』するか」では、現在の大統領「ドナルド・トランプ」と彼を批判するハリウッドとの関係を標題のように、やや挑発的なタイトルで示している。
 ハリウッド女優の代表格メリル・ストリープがトランプを批判したのに応えて、トランプは、「メリルは過大評価されているよ(over-rated)」とやり返した。ストリープは少し前の映画でイギリスの女権運動の指導者の役で出演している。クリント・イーストウッドと「マジソン郡の橋」で共演してもいる。その映画は、イタリア系移民主婦のカメラマンとの至極短い期間のロマンスが悲しく終わる。
[映画・テレビが伝える政治家の姿・声] 映画のライバル「テレビ」が大統領選挙で重要な影響力をしめしたのが、1960年の大統領選挙である。ニクソンは過密スケジュールで疲労困憊のすがたでテレビ討論に出場した。これに対し、ケネディは十分に休息を取り、紺のスーツと白のシャツを着て、念入りに化粧をして出演した(本書58-59頁)。この違いが勝敗を決する。
 政治がレトリックの要因に影響を受けることを、ケネディはよく知っていたのである。政治家は映画やテレビの影響で、容貌・声・話術がますます重要な要因になってきたのである。リンカーンは心地よいバリトンの声で演説したという。レーガンは、やわらかな優しい声で話した。
 「電話の声で、一度会ってみたいとと思わせる声美人がいますね」とは、いまは亡き或る友人の意見である。正しいことを主張しても、ガラガラ声では、その声が妨げになって、聴者に正確に伝わらないのではなかろうか。人間の聴覚には、好き嫌いで識別するフィルターがある。自分の発声・話法がどのようなものか、自覚しないで話す人が結構多いのではなかろうか。
[高齢者69歳レーガンの経歴と言語感覚]1980年、レーガンは満を期して、アメリカ大統領に立候補する。この著書で初めて知ったことであるが、「レーガンは、ラジオのアナウンサーから映画俳優、テレビ司会者と20世紀のメディアの変遷を体現している。レーガンは全米で数々の講演をこなし、読書と思索を重ねる中で、類い希な語り手になっていた。しかもこの老人(当時69歳)の言語的反射神経は驚くべきものであった」(同書110-111頁)。
 レーガンの「言語的反射神経」とはなにか。大統領候補者たちの討論会で、司会者が或る都合で、レーガンにマイクを置くように求めると、当時のアメリカ人にはよく知られた映画『愛の立候補宣言』の主人公の台詞「私がこのマイクのお金を払っているんですよ!」を言い放ち、会場の聴衆はヤンヤの喝采をレーガンに贈った(同書111頁)。
 このような場面は、日本ではありえないだろう。レーガンのような発言をすると、「キザねぇ」と反撥するのではなかろうか。いや、そのように反撥する国民には、(映画の)予備知識が共有されていないだろう。政治は文化でもある。4年に一度の大統領選挙はアメリカ国民にとって、エンタテイメント、精神浄化の祝祭でもある。
[ライバルの弱点を利用しません] 1984年の二期目を目指すレーガンはすでに73歳である。高齢が弱点である。この点を対抗馬・モンデールが突いてくる。大統領候補者の討論会で司会者がこの点について尋ねると、レーガンは「私は政治目的のために、ライバルの若さや経験不足を利用するつもりはありません」と応えた。会場の聴衆は爆笑し、ライバルのモンデールさえも苦笑した。
[レトリックの重要性を熟知するレーガン]  「わたしはこの14語の(英単語の)台詞によって大統領当選を確実にした」とレーガンは回想録で振り返っている。「政治におけるレトリックの重要性」をレーガンは熟知していたのである。
 このレーガンの回顧録からの著者の引用を読んで、40年前のあの知人の鈍い反応を思い出した。
[東のハリウッドのセレブたち] レーガンのホワイト・ハウスは、ハリウッドのセレブたちで賑やかであった。ホワイト・ハウスは「東のハリウッド」になった。フランク・シナトラ、ボブ・ホープ、ディーン・マーティン、ジェイムス・スチュアート、チャールトン・ヘストンなど、おなじみの映画俳優が集った。
[重傷を負ってもユーモアをいうレーガン] 1980年3月30日、レーガンは暗殺事件で重傷を負った。そのときも、一番冷静だったのはレーガン本人であった。夫人のナンシーが病院に駆けつけたとき、レーガンは自ら酸素マスクを外して、「ハニー、頭を下げてかわすのを忘れたよ」といって、いたわった。
[レーガンとゴルバチョフ] 2期目のソ連の「ペレストロイカ」時期に、ゴルバチョフが1987年12月に初めて訪米し、レーガンと「中距離核戦力全廃条約」に調印した。1988年選挙で再々選をのぞむ声を抑えて、後任にブッシュ副大統領を指名して引退した。本書の著者は、この引退を「ハリウッド流のハッピー・エンドである」(138頁)と評価する。
[1986年秋の東ドイツのレーガン]以上、映画と政治とにおけるレトリックの重要性を主にレーガンを例に考えてきた。
 念のために付言するけれども、本稿筆者は政治的にはレーガン支持者ではない。しかし、レーガンから学ぶことは多々存在すると判断する。「坊主に憎けりゃ、袈裟まで」とは思わない。
 レーガン2期目の1986年9月、私は『資本論』形成史研究のために、東ドイツに滞在した。主に東ベルリンのマルクス・レーニン主義研究所やハレ大学に滞在した。ハレでは、ロン・ヤス(ドナルド・レーガン=中曽根康弘)の米日同盟が批判的な話題になった。しかし、東ドイツの研究者に賛同しつつも、つぎのような東ドイツの不合理なシステムには辟易していた。
[崩壊直前の東ドイツの不合理なシステムの数々] 注文していない高価な高級料理が自分の食卓に配膳される。私の手持ちの東ドイツマルクでなく、近くの「両替場」で新しくアメリカ・ドルで交換した東ドイツマルクでないと、西ベルリンへのビザを発行しない、と担当員にいわれる。イギリスに書籍を送ろうと郵便局に段ボール箱をもっていくと、近くのデパートで販売している厚紙で包装し直せ、といわれる。列の後ろの客が「論争しても無駄です。この国では、従うほかないのです」と忠告してくれたので、しぶしぶそのデパートに向かった。
 好意をもって訪れた人間を無神経に傷つける国に滞在する、つらい経験は忘れようがない。それに我慢するのも経験である、と思い直して予定通り行動した。
[問題回避の社会主義の教訓] 「日本列島不沈艦」を語り合う「ロン=ヤス同盟」は無論、批判の対象である。しかしその同盟を批判するけれども、肝心の国内制度をなんとも思っていないような態度、「問題はつねに外部にある」と言わんばかりの態度に、やりきれない思いをかみしめた。
 崩壊(1989年)寸前のその国は、西ドイツなどの支援とその下手な模倣で支えられていた。《問題回避のシステム》の同質な退廃は他にもあるだろう。その一つではないかと直観させられた或る論文を最近、読んで、自戒の思いを新たにする。
[自己再帰する事物の論理] 事物には、自己に再帰する一貫性がある。客観をくぐり抜けた論理は、主観も再審にかける。対象を外部・上部から観る科学主義は、この再帰を知らないか、無視するか、拒否するから、信頼できない。いわゆる「社会主義」もこの陥穽に陥っていないだろうか。
 舞台の芝居でも、出演者は観客の無言の反応に対応して演技している。音楽の演奏者もそうである。政治家もそうでなければ、務まらない。映画出演者も、未だ見ぬ観客に心で想像しつつ、撮影現場で演じている。このように書く本稿筆者も、この文章を読む者を念頭に書いている。そこに社会が存在する。(以上)

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