《異沌憤説》3 憲法を「まもる」のは誰か? 護憲は“憲法保守”でいいのか? 憲法の3大原則とは何か?――試行錯誤!の憲法私考

 「憲法改悪阻止」のテーマで原稿を、と求められて、はたと困った。改悪を許すな!と叫び行動することは大事だし、条文改憲のうごめきを止めるための活動も大事だ。だが、気になって仕方ないのは、この七十数年間、目に見えないところでいつの間にか進んできた「憲法改変」とでもいうような、憲法の社会での実施の実態の変化だ。
 憲法が定める役職で、いわば「憲法の最高執行責任者(CEO)」のはずの内閣総理大臣が(憲法で「大臣」という語を使っているのも、憲法原則にそぐわない!),先頭に立って改憲=壊憲を叫んで当然のごときなのも、常識的な理解を超える。憲法がきちんと「執行」されず、むしろいろいろと「失効」状態ではないか。優生保護法と強制不妊手術、ハンセン病患者の強制隔離もそうだし、子どもが保護者に「服する」という親権もそうだ。
 憲法の状況をどう理解したらいいか、ということにもかかわると思う。そんなことを考えながら書いた原稿を再掲させていただきたい。(さがみ九条の会ニュース42号、2018・7・20)

【主権者には《憲法を護る》権利と責務がある――国民が憲法を《まもる》ことと憲法の基本原理について――】
 最近、国民が憲法を《まもる》ことについて、例えば、一九四七年発行の『あたらしい憲法のはなし』(文部省著作の中学校一年生用の社会科教科書)の表記について、批判が出されています。憲法を守らなければいけないのは誰ですか? それは政府などの権力であって、国民ではありません――という批判です。
 確かに同書の冒頭は、「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち国民は、この憲法を守っていくことになりました」です。そして中学生に向けて「こんどの憲法は、みなさんをふくめた国民ぜんたいのつくったものであり、国でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」と呼びかけ、最後も「あたらしい憲法は、日本国民がつくった、日本国民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本国がさかえるようにしてゆこうではありませんか」と結んでいます。ひらがなを多用の文中では「守る」が使われています。
◇国民は憲法をしっかりと「護る」責任を果たしてきた!
 この批判は、立憲主義に立った正当で正統な見解です。しかし私はすぐに、「戦後七〇年、国民(ピープルと読んでください)は憲法をしっかりと《護って》きたじゃないか!」と思ったのでした。立憲主義の原理に立っても、憲法の基本原理を守護・維持して、権力に憲法を「尊重擁護」させていくのは、国民の権利であり責務だと思います。それが「護憲」です。
 「まもる」には、守・護・防・衛・擁・遵・庇などの漢字があります。そして、▽護持・守護・防衛・防護・守備・護衛など「ふせぎ・まもる」▽保護・擁護・庇護など「まもり・かばう」▽遵守など「したがう・ふくす」の意味があり、「守る」はどの意味にも使われます。この意味を押さえないと、権力の改憲策動に対しての憲法を「護持・守護・防護」する主権者の権利と責務が、視点から抜け落ちてしまいます。
 憲法12条は「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない」と定め、97条で念押しをしています。人権は、自ら主張し行使し互いに尊重し合うことでこそ「まもる」ことができ、憲法を「護る」ことにつながるのです。99条は天皇や公務員の「尊重擁護」の義務を定めています。この条文は「憲法の意味・原理をしっかりと胸に抱きしめて遵守せよ」と解すべきでしょう。
 戦争も、9条があるから防げるというよりも、戦争を許さない国民の意思(民意)が強固にあってこそ9条が生きるのであり、それでこそ「護れる」のです。戦前の戦争を煽らされた民意があったことを忘れるわけにはいきません。
◇憲法の基本原理って何だろう…時代・観点によって異なるけれど
 憲法の基本原理・原則を「まもる」というとき、その原理・原則とは何でしょうか? これも、必ずしも明確ではありません。例えば、憲法の三大原則とは何ですか。
 現在の教科書では「国民主権・基本的人権・平和主義」です。一九五〇年代後半には、「主権在民・基本的人権・戦争放棄」と習ったと記憶します。『あたらしい憲法のはなし』では、「主権在民主義・民主主義・国際平和主義」です。憲法前文では、「民主主義・国際平和主義・主権在民主義」でしょうか。『あたらしい…』には「基本的人権」、教科書には「民主主義」が入っておらず、「個人の尊厳」や「立憲主義」はどちらにも入っていません。時代や観点によって違っているのです。
 こうしてみると、日本国憲法について、国民的な(立憲主義的な)議論はほとんど行われていなかった、と振り返らざるを得ないようです。この憲法の制定過程では、立憲主義的な国民参加があったとは言えません。むしろ「護憲」運動の展開の中で、立憲主義の実質を積み重ねてきたと言ったほうがいいと考えます。
 つまり、「護憲」運動という形の「憲法制定過程」だった、と言えるという気がします。憲法を「護る」活動は、単に憲法の条文を固守する動きではなく、憲法の原理・原則を改めて議論し確認し合い、制定し直していく運動なのだと考えてみたいということです。内実を築き上げていく活動も、原理・原則を再確認していく運動も、《攻めの護り》としての護憲と言えないでしょうか。
 ちなみに、憲法の原理・原則について、私は次のような構造的な捉え方をしてみたいと考えています。
  ◎【包括原理】 ・立憲主義
  ◎【実践原理】 ・権力分立(三権分立+地方自治=四権分立)
          ・最高法規(法治主義)
          ・戦争放棄(国際平和主義)
  ◎【基本原理】 ・民主主義
          ・基本的人権
          ・主権在民
  ◎【根本原理】 ・個人の尊厳(個の尊重)     ……(以上。再掲原稿)

❖文科省の役人が“勝手に”憲法解釈を書き換えて教えさせていいのか
 こうした「憲法改変」の典型の一つが、学習指導要領による憲法の扱いだ。再掲の原稿でも触れたが、憲法の基本原則とは何かでも、例えば「主権在民」の表記(中学社会科)は1950年代末には「国民主権」に変わっている。現行の小学校学習指導要領の社会科(6年)では、「日本国憲法は、国家の理想、天皇の地位、国民としての権利と義務など国家や国民生活の基本を定めていること」を教え、特に「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」を強く求めている。「義務」が打ち出されているのにも、注意を向けたい。
いくつか調べてみると、1955年改訂版(中学)では、「日本国憲法における主権在民、基本的人権の保障、立法・司法・行政の三権分立の民主政治の原則や、平和主義や天皇の地位などの憲法の特色」と記述。3年後には「日本国憲法は、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権、三権分立、代議制、議院内閣制等の基本的な原則に基づいている」ことと合わせて「天皇の憲法上の地位について理解させる」になる。天皇は、特別扱いと言っていい。
「三原則」がいつから教えられているのか、分からない。1950年代半ばに中学生だった世代として記憶に残るのは、主権在民、基本的人権の尊重。戦争放棄なのだが、例えば1972年実施の中学校指導要領では「基本的人権の尊重、国民主権および平和主義の基本的原則を理解させる」となっている。学習指導要領は近年特に、教育内容と方法への介入・統制を強めているが、文部行政の役人が、憲法を勝手にいじり回すな!と言いたい。
一応のまとめとして、2点を挙げておこう。一つは、憲法を社会・生活に根づかせていく(つまり実施していく)というピープルの活動がなければ、憲法を「護る」運動は“憲法保守主義でしかない”ことになる点。もう一つは、権力に憲法を守らせる(遵守させる)というピープルの活動は、憲法が実施されていく社会でなければ力を持ちえない、という点。「憲法を守るのは国民ではないよ」と言ってはいられないのでは、と思う。
2019・5・28

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion8681:190530〕