3月下旬、今年の桜は開花が早かった上、満開の桜を眺めている期間も例年より長かった。路上生活の人々もお花見に行っているのでしょうか。「こんにちは、ど~ですか」と挨拶を交わした人はいつもより少ないようでした。日中が暖かいせいか夜の冷え込みを一層厳しく感じつつ、夜8時頃、新宿連絡会のおにぎりパトロールを終えて駅に向かつていると、階段の下で座り込んでいた男性と目が合って、「どうしてここに、会えて良かった」と声掛けができました。いつも同じ場所で出会っては腰痛を訴えて痛み止めをできるだけ多く欲しいと怒鳴る様な言い方をする男性でした。治療ではないのでギリギリこれくらいなんですよと返答しても、かなりの難聴のため会話が困難になってしまいます。こちらは大声で答えるので何か言い争いをしているかのように周りから見られていました。医療班の医師からも紹介状を使って治療に行ってくださいと何回か勧められてもいたのですが、受け入れてもらえずに2年ほど経過しており、ここ2回ほど会えなかったのでどこでどうしているのか気になっていたところでした。男性はいきなり「病院について行って欲しい・・・」と、首を垂れてガックリした感じで言いました。いつもの睨みつけるような表情はなく、治療を受けようと決めたというのです。私達はやっと呼びかけに応じてくれたのでホッとするより、我慢が出来ないほどに体調が悪くなって決心したとすると、これからどうなるのかと強い不安に襲われました。
見ると足元はスリッパ。足がむくみサンダルが履けなくなってきたとのこと。寒さも影響しているのだろうか呼吸はゼイゼイして息苦しそう。そして強い腰痛も続いていると言う。「もうやんなっちゃったよ」
いつもどこで寝ているかは不明。友人や仲間などと一緒にいたところを見た事もありません。これまで荷物は持たずに立っていましたが、今回は両脇に小さな手提げ袋を1ケずつ抱えていました。1週間位前にダンボールを置いていた所がすっかり片付けられて、荷物はこれだけだと。そして寝ていた場所が自転車置き場になってしまったため、それからは深夜まで営業しているカフェで過ごし、そこで携帯電話の充電をする。夜中の2時には閉店するので、お店が開店する朝6時まで路上にいる連続だったと疲れ切った表情でした。そんな状態でこの1週間眠れない日々が続き、移動するのも辛くなり、その辛さやだるさに耐えられなくなってきたんだと。
東京都や新宿区は、ダンボールを置いていた通路に大きなコンクリート製の植木鉢を沢山置いて、そこでは佇む事も、横になることもできないようにしており、ゆっくり目立たないように路上生活者の排除を進めている事を実感しました。
植木鉢の置かれたスペース 駐輪場にされたスペース
一緒にいたボランティアのAさんは、元路上生活者で「自分の経験からも無料・低額治療は福祉事務所で手続きすれば大丈夫、早速明日の朝に」と話を進めてくれました。ありがとう、頼もしいAさん。「寝る場所が無いんだからこの機会に生活保護を利用して住まいを見つけたらどうかな」「住まいを、生活の環境を整える事、これもまた最初の治療法ですよ」とさらに話しかけました。ところが男性は「生活保護の人はふんぞり返ってパチンコ、競馬、酒とやりたい放題じゃないか。あんな風にはなりたくないよ。役人にはバッタの様にペコペコしているのを見たよ。そうしなければならないのか。そうすると何か裏からやってもらえるんだって。やだよ。やだからほっといてくれ」と驚くほどハッキリと大声で返されました。こちらも男性の耳元で大声になって「確かにわずかだけど不正利用者はいるよ、残念だけど仕方ないよ」「誰でも生きていくのがとても大変で、困ったなという時はあるよ。俺だってそうだったんだ。だから今、おじさんも利用して治療を受けやすくしようよ。こんな時に使う制度だよ。使っていいんだからね」。しかし返事は不機嫌な表情のみでした。
生活保護制度への誤った理解で、利用者に対して蔑視したり侮辱する人々は本当に沢山います。同様の話はこれまでもいっぱい聞いてきました。彼がこのままにしておいてという希望ならそれはそれでいいでしょう、まずは基本的な信頼関係を作り上げていくのが大事なことなのです。翌日治療に付き添いましょうと約束したところで、男性から氏名、年齢を教えて貰いました。そうして初めてこのYさんと宜しくと挨拶を交わせました。
それから医療班の医師にも相談をしつつ、腎臓内科、消化器内科(肝臓)、呼吸器内科、耳鼻科、整形外科と順番に2週間かけてひと回りしたところ、足のむくみは解消してサンダルも履けるようになりました。腰痛軽減のためのコルセット装着、杖も使いこれで痛みが少し改善へ。
しかし、肝臓に大きな癌がある事も告げられました。治療法についてはこれから相談しましょうと医師が言っている途中から、Yさんは「今日から入院したい。させてくれ。帰るところがないんだから、入院させてくれないと困るんだ」と厳しい口調で求めました。医師も困惑顔で、「今治療はできないので入院にはならないんだよ」。大声でそんなやり取りを2~3回しているとカーテン越しに隣の診察室から複数のスタッフがチラッと覗き、何をやってるんだというような眼差しが投げかけられ、医師から「じゃあ次回に治療方法の相談だな、いつがいいかな・・・」と打ち切られてしまいました。
病院の帰りに福祉事務所へ行って何とか今夜の寝るところを考えようということになりました。癌の告知は相当なショックだったろうとは容易に想像出来ます。
「生活保護でもアパートで暮らしたいよ」と繰り返すYさん。「ひとり部屋でないと絶対だめだから。これは譲れないんだ。とりあえずカプセルホテルでいいんだ。知り合いのカプセルホテルがあるんだから」。しかし、福祉事務所では、カプセルホテルは福祉のシェルターとしては利用できないと説明され、それから随分待ってやっと三畳ほどの個室(トイレ、台所、シャワーと有料洗濯機は共用)のところが見つかったと紹介されました。無料・低額宿泊施設と言われている、薄い壁で仕切られた、防火設備もなく中には窓なしの部屋もあるようなところです。
Yさんの部屋 シャワー室 洗濯機
(了解を得ています)
「こんなにも惨めな状態になって、こんな俺を見られたくないよ。これからは友人や知人とは会わない」。福祉事務所の世話で寝る場所を探してもらうことになったのを受け入れがたいYさんの気持ちは痛いほど分かります。
「ひとりでアパートで暮らしたい」。これまでどんな暮らしをしていたのか知る由もないのですが、住まいは人間の暮らしの根幹です。治療しつつアパート生活へ移行していく準備期間にしていきましょう。
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