「ウクライナ・ゲート」と題する投稿の第三弾である。前回の考察で不十分であったドイツの苦悩と、ウクライナ危機を煽動した米国のネオコンの野望について、これまでの研究成果を公開したい。現実を詳細かつ丁寧に分析すればするほど、米国の身勝手な振る舞いに切歯扼腕せざるをえない。
すでに指摘したように、ウクライナ危機が緊迫化した2014年2月21日、事態を収束させるためにヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領と野党代表者との間で結ばれた協定締結の場に、ドイツのフランク・シュタインマイエル外相も同席していた。その意味で、ドイツは早くから米国政府がウクライナで仕掛けてきた策謀を知る立場にあったことは間違いない。
米国政府が明らかな外交圧力をかけてきたのは、ロシアのソチで開催予定であった五輪の開会式への出席ボイコットをめぐってであった。米国政府は2013年12月17日、ソチ五輪の開会式への正副大統領の出席を拒否することを正式に発表した。ロシアが2013年6月末に施行した反ゲイにかかわる法律に抗議したものだという報道がある。しかし、よく考えれば、この理由がこじつけにすぎないことはすぐに了解される。ロシアの法律は子供を守るため、非伝統的なセックスについて宣伝活動を禁じ、罰則を科すことにしたものであり、この法律のどこがわるいのか判然としないのだ(子供向けに厳しいメディア規制を課しているのはむしろ米国ではないのか)。すでにこの12月の段階で、米国政府は欧州諸国に対して、ロシア離れを強く要求していたことが推測される。
12月15日、フランスのローラン・ファビウス外相は、オランド大統領が開会式に出席しないことを明らかにした。米国に先んじて欠席を決めたわけだが、ドイツの場合、大統領の欠席は米国正副大統領の欠席発表と同じころに決められた。だが、アンゲラ・メルケル首相の欠席は、2014年1月17日の安倍晋三首相の出席発表後の31日になって、ようやくドイツ政府によって確認された。この時点で、メルケルは悩みに悩んで、米国の側の欠席圧力に屈したことになる。それは、欧州をロシアから引き離そうとする米国のネオコンに追随せざるをえなかった最初の事態であった。
ドイツ左翼党のカトヤ・キッピング議長は、メルケル首相を、「USAのプードル」と呼んで罵倒するまでに至っている。それでも、なぜメルケルは米国追随をせざるをえないのか。
ドイツの側からみると、米国への支援と追随の代わりに、米国から、EU内で筆頭的な地位を築いているドイツの地位を脅かさないという約束をもらうほうが得であるとの判断が働いたと思われる。EU内には、ポーランドやバルト三国など、米国に近い国々が多く存在するから、米国の機嫌を損ねると、ドイツの台頭を快く思っていない国と連合して、ドイツの優位を揺るがしかねないという危惧があるのだ。しかも、ドイツとポーランドとの関係は近年、順調であり、ドイツにとってフランスに次いでポーランドとの良好な関係を維持することが高い優先順位にある。ゆえに、ロシアに肩入れしてポーランドと対立するのも望ましくない。こうした懸念は、2003年イラク戦争前後の米国と仏独の対立、さらにNATO内部に生じた米国と仏独を含む欧州諸国との亀裂という過去の禍根への反省として強く意識されたに違いない。米国がアジア重視に傾いた背後には、NATO内における欧州諸国、とくに独仏の確執があった。この確執を改善する努力がなされ、関係改善が進むなかでウクライナ危機が起きたのである。ゆえに、ドイツとしてはこれ以上、米国との関係を再び悪化させ、欧州独自軍創設への道に踏み出しかねない状況に自らを置くことに躊躇せざるをえなかったのではないか。
2001年9月11日以降、国際テロ防止を名目として米国とドイツとの間の諜報機関の関係強化が進んできたことも、米国への批判の矛先を向けにくい背景となっている。「シュピーゲル」誌が2014年6月に明らかにしたところでは、ドイツの連邦情報局(BND)は米国の国家安全保障局(NSA)とこれまで思われてきたよりも密接な関係にあり、ドイツの憲法に反する活動を行ってきたという(Der Spiegel, No. 25, 2014)。ドイツ議会でのNSA捜査委員会での宣誓証言で、憲法の専門家三人は、BNDがNSAから受け取ったデータによる活動を通じて、ドイツ憲法に潜在的に違反していると証言した。三人は、電信などのプライバシーは外国に住むドイツ人にもドイツに住む外国人にも適用させる憲法上、認められた権利であると主張し、BNDやNSAによってなされてきたスパイ行為は憲法上、受け入れられないとしている。すでに、エドワード・スノーデンが暴露したデータをもとに米諜報機関がメルケル首相の携帯電話を盗聴してきたことは2013年10月、ガーディアン紙やシュピーゲル誌で暴露されており、こうした時期に米独関係をさらに悪化させ、せっかく構築してきた諜報機関の協力関係が崩壊するのは得策ではないとの判断が働いた可能性が高いのである。
2014年7月には、BNDの職員が米国の中央情報局(CIA)への情報提供で身柄拘束された。ドイツの議会委員会の機密情報などをCIAに渡し、報酬を得ていたとみられている。さらに、米国のために諜報活動をしているとみられる米大使館に勤務する人物を国外退去するようドイツ政府が求めたことが同月、明らかになった。ドイツ国防省内で国際安全保障部門の勤務者が米国側に機密情報を流しているとの容疑から国防省の捜査が行われた直後の対応であるため、国外退去要求との関係があるとみられている。メルケル首相は米国の諜報機関の活動に妥協的な態度を示してきたのだが、この二つのスキャンダルを契機に米諜報機関との協力関係に大きな亀裂が入り、それがドイツの対米追随外交に変化をもたらす可能性が残されている。
もう一つ、興味深いのは、2013年末にドイツの専門家によってなされた、ウクライナに関するロシアの政策とウクライナの政治的エスタブリッシュメントの分析がメルケルにつぎのような印象を生み出したという一部の興味深い指摘である。すなわち、もし決断とタフさを示せれば、ウクライナをロシアの影響下から引き離すのは容易であるというものだ。ウクライナを獲得し、ロシアを弱体化させるというのはきわめて魅力的に映ったためか、ドイツはそのリスクがあまり高くないとみなしていたのだ。だからこそ、米国の「作戦」に乗っても、リスクは少ないと誤った判断をくだしてしまったのではないか。まさに、米国の帝国主義に相乗りしようとしたのである。この点は、メルケルが2003年のイラク戦争に賛成していたことを思い出せば納得がいくかもしれない。イラク戦争当時、彼女は野党の党首として戦争に反対するシュレーダー政権を批判し、欧州の保守党政権(シラク政権を除く)や英国のブレア労働党政権とともにブッシュ政権を支持したのであった。もっとも当時、オバマはイラク戦争に反対していたのだが。
他方、米国の側に視点を移してみると、米国政府はEUとロシアの関係の分断に動いていたという事実がある。シリアでの武力行使ができなくなって、ネオコンはロシアに対する恨みをいだき、それがロシアとEUを分断して安全保障上の優位を決定的にするという誘惑を引き起こしたのではないか。それは、軍事とエネルギーの両面から実現されようとした。この両面からの断固としたロシア離れを要求する米国に対して、EU盟主としての地位を確固たるものにしていたドイツは表立って米国に反対しにくい状況に置かれていた。反対すれば、反ロシアのポーランドやバルト三国、米国寄りの英国の反発に合うのは確実であり、フランスの出方を見守りながら、当面、米国の圧力に屈せざるをえなかったものと思われる。
興味深いのは、2014年5月以降、審議が開始された「ロシア侵略防止法案」の第105条で、グローバル・欧州安全保障問題に関して米国・ドイツの協力強化が規定され、両国間にワーキンググループの設置などが盛り込まれている点である。米国は安全保障問題でドイツを取り込むことで懐柔しようとしている。
ネオコンがウクライナの民主化と称して、そのナショナリストを煽っていたのは事実だが、そのねらいは単にヤヌコヴィッチ政権を倒すことだけだったのだろうか。筆者の推測では、イラク戦争に絡むネオコンの短慮から判断して、彼らはプーチンの傀儡と誤解していたヤヌコヴィッチ政権の打倒を第一義的な目標としていたものと思われる。その意味では、前記の2014年2月21日の協定締結でその目標はある程度達成されたことになる。なぜなら年内の大統領選実施をヤヌコヴィッチが認めたのだから。だが、事態は超過激なナショナリスト集団、ライトセクターの暴走によってヤヌコヴィッチの逃亡劇にまで発展してしまう。おそらくネオコンはここまでの事態を想定していたわけではないのではないか。
ネオコンにとっての最大の誤算は、ロシア側が思いもかけない迅速さでクリミア併合にまで至ったことであったと思われる。遅くとも2013年11月ころから、ロシア政府は不測の事態に備えていたのは確実であり、ウクライナのナショナリストによるロシア系住民への暴力を懸念しつつ、ロシア軍基地のあるクリミア半島を奪還する計画があったと推測できる。にもかかわらず、ネオコンからみると、思わぬ事態の進展、すなわちヤヌコヴィッチの政権投げ出しの後、電撃的にクリミア併合が行われてしまったため、彼らは大いに激怒したのではないか。
本当は、前記の協定がライトセクターの暴走で破棄された時点で、協定を見守っていたドイツ、フランス、ポーランドがヤヌコヴィッチ後の暫定政権樹立に「待った」をかけて、あくまで協定の遵守を主張すべきであったと思われる。だが、超過激なナショナリストを巻き込んだからこそ実現できた政権転覆であったから、そうした超過激集団に対して厳しく対峙するだけの毅然たる「勇士」はどこにもいなかった。まったく偶然の出来事にのみこまれ、その流れに委ねるしかなかったのだ。それは、米国のネオコンも同じであった。そして、ロシアによるクリミア併合までの事態があっという間に進んでしまったのである。
こう考えると、ネオコンによるナショナリスト煽動も悪いが、その煽動に目をつぶり、ナショナリストの暴走を結果的に容認してしまったドイツ、フランス、ポーランドも悪い。米国の拡張主義、帝国主義をドイツ、フランス、ポーランドが容認したといっても間違いではあるまい。
ネオコンが実は、ロシアのクリミア併合を含めた事態の進展を事前に予想していたとみなすことは可能だろうか。それは不可能である。なぜなら政府転覆を実現した勢力はナショナリスト集団であり、キエフでの混乱に乗じてロシアがクリミア併合をねらっていることを事前に予測できていれば、彼らナショナリストは必ずそうした動きを阻止しようとしたはずだからである。クリミアを奪われないようにするために、ウクライナ軍を動員し、ロシア軍基地の動きを封じ込めるといった強硬措置を用意したはずだ。だが、ナショナリストたちは目先のヤヌコヴィッチ打倒だけに関心を集中させていたにすぎない。
2014年2月7日から23日までのソチ五輪のころに、ウクライナの反政府勢力の抵抗がクライマックスを迎えるであろうことはネオコン側の計画としてあったと思われる。反政府勢力は武装蜂起をして警察や軍から機関銃や弾薬などを奪取したり、米国側から供与されたりしていたとみられるから、いつ最終的な攻撃を行うかの主導権はネオコンが操っていた反政府勢力にあったからである。しかし、それはヤヌコヴィッチ後に対する明瞭なヴィジョンを伴ったものではなかった。だからこそ、暫定政権の樹立過程にも混乱がみられたし(一時、ライトセクター党首が政府要職に就く話が進展したが、実現しなかった)、暫定政権の成立後も政策にぶれが生じた(最高会議による「国家言語政策基本法」失効決議と大統領代行による拒否)。
ロシアによるクリミア併合という予想外の事態に対して、ネオコンは新たな対応を迫られた。それは、EUの「ロシア離れ」を急速に迫るというものであった。これは、漸進的な「ロシア離れ」を迫るやり方から急速な「ロシア離れ」を強制する恫喝への転換を意味する。
ウクライナでの政権打倒をねらっていたネオコン勢力も本当は、当初、2月21日の協定に賛成した時点では、彼らとしては、「ヤヌコヴィッチに代わるより民主的な大統領を選挙で選び、その新大統領が親欧米寄りの路線をとれば、結果としてプーチンに打撃を与えられる」と判断していたはずである。それは、少なくともウクライナのEU加盟につながるものであり、さらにNATO加盟をも視野に入れていたものであったかもしれない。いずれにしても、ネオコンは彼らが誤解して勝手に親プーチンと位置づけていたヤヌコヴィッチ政権を、できるだけ早く崩壊させることを第一義的な目的としてした。その過程で、ウクライナをEU寄りに軌道修正させ、NATO加盟にも近づけることができれば、それはEUの「ロシア離れ」を決定的にすることを意味していたのである。
ただし、こうした「ロシア離れ」を迫るにしても、ネオコンがEUに対して、「ロシア離れ」を性急に短期間に強制しようとはじめから計画していたとは思えない。なぜなら、「ロシア離れ」の代表的事例である、ロシア産ガスの輸入代替となりうる米国産シェールガス由来の液化天然ガス(LNG)の欧州向け輸出は数年先にしか実現できないからである。あるいは、ウクライナのNATO加盟という事態が核兵器バランスの崩壊という決定的な意義をもつことを、いくら思慮の足りないネオコンといえどもよく理解していたはずだからである。こうした事態を招けば、ロシアが猛反発し、欧州諸国を巻き込んだ大混乱になりかねないことくらいはわかっていただろう。
いわゆる「冷戦」は米国とソ連との核兵器のバランスのうえに成り立っていた相互対峙の期間であったことを考えると、ウクライナがNATOに加盟してしまえば、それはもはや米国とロシアとの核兵器バランスの崩壊、すなわち、NATO勢力の圧倒的優位を意味し、「新冷戦」といったものにはなりえないのである。なぜなら、ウクライナの地に、核弾頭を搭載したミサイルが配備されれば、それはロシアの安全保障上、決定的な打撃になってしまうからである。核弾頭を迎撃する判断さえままならぬほど短時間に、モスクワが焦土と化してしまいかねない。ゆえに、「新冷戦」などという事態を喧伝する人々は大きな嘘をついていることになる。ウクライナがNATOに加盟し、そこに核弾頭ミサイルが配備されれば、それはキューバ危機に際して、ソ連によるキューバへの核ミサイル配備にいだいた懸念と同じような危機感をロシアにいだかせることになる。
したがって、ネオコンもEUの急速な「ロシア離れ」およびウクライナのNATO加盟までを望んでいたとは思えない。だが、ネオコンにとって予想外だった、ロシアによるクリミア併合があっという間に実現してしまったことで、ネオコンはEUに対して急速な「ロシア離れ」を迫るようになる。振り上げた拳をどこに振り下ろしたらいいのか、ネオコンもよくわからないまま強硬な姿勢が一時、強まっていくのである。
ネオコンは軍事とエネルギーに大きな野望をいだいている。ここでは、エネルギー面から、なぜ南東部に現ウクライナ政府が執着しているのかを説明しておきたい。ウクライナ南東部が独立や高い自主性を求めている背後には、①クリミア併合後のウクライナにあって、比較的ロシア系住民が多く住む地域である、②同地域がウクライナのなかで比較的多くの石炭がとれ、冶金工業などが発展した工業地帯であるために、中央からの収奪に反発がある――といった理由が考えられる。だが、この二つの要因以外にも、無視できない重大な問題が存在する。第一は、シェールガス埋蔵地があるという問題であり、第二は、ロシアから欧州に向かう幹線ガスパイプラインのハブとしての分岐点になっているノヴォプスコフがルガンスク人民共和国にあるという問題である。ここでは、前者について検討してみたい。
2013年1月17日、ドネツィク(ドネツク)州とハリキウ(ハリコフ)州にあるユズィフスク(ユゾフスク)ガス田の開発をめぐって、まずハリキウ州議会はウクライナ政府、ロイヤル・ダッチ・シェル(Shell)、ウクライナの「ナドラ・ユゾフスカヤ」社との間の生産物分与協定を採択し、ウクライナ政府も同月24日、50年間のShellとの生産物分与用協定に署名した。Shellはウクライナ政府にシェールガス開発に100億ドルを投資し、1000人の雇用を創出することを約束した。同じく、2013年11月、シェヴロン(Chevron)はリヴィウ(リヴォフ)州とイワノ・フランコフスク州にまたがるオレスコガス田のシェールガス採掘に関する50年間の生産物分与協定を政府とウクライナ企業「ナドラ・オレスカヤ」社との間で締結した。投資額は100億ドルを見込んでいる。
ユズィフスク鉱区はウクライナ南東部に位置している。だが、ウクライナの混乱で2014年6月、Shellはここでの作業を停止した。空爆などによる戦闘悪化を理由にあげているが、開発自体の将来性に暗雲が漂っている可能性が高い(The Christian Science Monitorの2014年6月20日付サイト)。Shellの最初の掘削は2013年9月に開始されたのだが、2014年3月になって、そのガス田が採算に乗らないことが明らかになったとされているからだ。ロシアのエネルギー専門家で、筆者の友人、コンスタンチン・シモノフも同じ意見である。いずれにしても、2015年に予定されていた、ユズィフスク鉱区開発が可能かどうかの試掘開始が大幅に遅れるのは確実だ。
シェールガスの採掘地は、ほかにもドネツク州だけで7カ所もある。①ヤシノヴァツキー、②アルテモフスキー、③コンスタンチノフスキー、④ドブロポリスキー、⑤アレクサンドロフスキー、⑥スラヴャンスキー、⑦クラスノリマンスキー――がそれである。⑤と⑦については、Shellがすでに地質調査を実施した(「Gazeta.ru」2014年4月29日)。興味深いのは、親ロシア派が激しい抵抗を示しているスラヴャンスクとクラマトルスクの近くには、②、③、⑥、⑦が両市を囲むように点在していることである。だからこそ、7月上旬に政府軍がスラヴャンスクを奪還したというニュースは政府にとってはきわめて有意義な成果だった。ただ、シェールガスの採掘には費用がかかり、原価が高くなる傾向がある。このため、たとえシェールガスの存在が確認されても、その採掘が採算に乗るかどうかは判然としない。
他方で、ウクライナ危機を煽動したネオコンの目論見のなかに、「ロシア離れ」の強制によってロシアの供給してきた原子力発電所向け核燃料の横取りがあったことも確実である。なぜなら、2013年8月、ウクライナに着任したばかりのパイアット米大使は地元のラジオ局のインタビューのなかで、「いま我々は民間の原発における協力を拡大したいと思っている。これを支援しているのはウェスチンハウスという会社の活動である」とのべ、大使が核燃料輸出の拡大に関心をもっていることを自ら明らかにしていたからだ(http://censor.net.ua/)。
さらに、北極海の利権をめぐる米ロの対立もネオコンの利害に関係している。米国のホワイトハウスは2014年1月30日、「北極地域向け国家戦略履行計画」を公表したのに対して、ロシアでは、2014年4月21日付政府決定「「2020年までの期間におけるロシア連邦の北極圏の社会経済発展」というロシア連邦国家プログラムの承認について」が出され、4月24日に同プログラムが公表された。北極海をめぐる米ロ間の鍔迫り合いが本格化しているのである。
本当は、こうした論点について、詳細に考察した拙稿(400字換算で500枚以上)がすでに存在する。だが、その成果の公表の場が見つからない。筆者がかつて本を上梓したことのある岩波書店や講談社は「ウクライナもの」は売れないとの判断で、出版には消極的だ。読者のなかで、刊行に前向きな方がいれば、連絡をいただきたい(ghe00215@nifty.com)。
日本での報道があまりにひどいので、拙著『ウクライナ・ゲート:危機の本質』(Kindle版)の発行を急いだのだが、一部の心ある方々から、一般書として発行しておいたほうがいいとの助言をいただいている。ご支援を賜れれば、幸甚である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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