ウクライナのことを理解するのはそう簡単ではない。2014年2月22日に釈放されたユリヤ・ティモシェンコ元首相がユーロマイダン(元「独立広場」)に現れたときの出来事を覚えているだろうか。彼女は車いすで登壇し、「独裁は終わった」と宣言した。だが、その足元には10センチを超すようなハイヒールを履いていたことに気づいた人は少ないだろう。この女性は外面と、見えにくい内側とでは、まったく違うのである。そして、それは、ウクライナ危機をめぐる一連の西側のメディア報道にもあてはまる。ウクライナの本質、内部をみていないのだ。
ウクライナ危機の本質はナショナリズムを利用して、政権転覆を企てた米国という国家の相変わらずの帝国主義にある。「ウクライナ・ゲート」という事件がバラク・オバマ大統領によって引き起こされたのである。この事実から出発しなければ、今回の悲劇を理解することはできないだろう。
第一の論点は、2月6日にYouTubeにアップロードされた、ヴィクトリア・ヌーランド米国務省次官補(ユーラシア担当)とジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使の会話にかかわっている(国務省報道官が認めている)。そこで、ヌーランドは、「クリチコ(「改革をめざすウクライナ民主主義連合」党首)は政府に入らないだろう。それはいい考えではないと思うし、必要ない」と語ったり、「EUは口出しするな(Fuck EU)」と話したりしている。どうみても、米国政府主導でウクライナの政府転覆がねられていたことがわかる。しかも、この会話通り、クリチコは暫定政権には入らなかった。
第二の論点は、2013年8月にウクライナに着任したパイアットが、反政府系のインターネットTVの設立のために約5万ドルを援助したとみられている点についてである。ソロス基金からも約3万ドルが分与されたという話もある。さらに、9万5000ドルはオランダ大使館から供与されたらしい。このインターネットTVは、2013年11月、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチがEU統合への道を断念した時期に合わせて、反政府情報を大量に流すようになる。それがナショナリズムの高揚に大きな役割を果たしたのではないか。米国が反政府活動を支援していたのである。
第三の論点は、2014年2月の段階で、反政府勢力が明らかに多くの武器を保有していた点である。この武器をどこから手に入れたのかが問題になる。ウクライナ西部の警察署などを襲って不法に強奪したのではないか。今現在、親ロシア派なる人々が東部でやっているのは、この模倣である。あるいは、西部では米国が手を貸したという説もある。ついでに、2月20日前後に姿を現した無人機は米国から提供されたという見方もある。
第四の論点は、2月21日に締結された協定についてである。ヤヌコヴィッチ、上記のクリチコ(「改革をめざすウクライナ民主主義連合」)、アルセニー・ヤツェニューク(「祖国」)、オレグ・チャグニボク(「自由」)は、ドイツのフランク・シュタインマイエル外相、ポーランドのダドスラフ・シコルスキー外相、エリック・フルニエ・フランス外務省ヨーロッパ大陸部長のもとで協定に署名したとされる。第1項で、協定署名後、48時間以内に、これまでの修正付の2004年憲法に復帰する特別法を採択・署名・公布することが規定されていた。第3項では、大統領選が新憲法採択後、2014年12月に遅れることなく速やかに実施されるとされた。加えて、「不法な武器は特別法発効から24時間以内にウクライナ内務省の機関に引き渡されなければならない」という記述もある。
にもかかわらず、同じ日ないし翌未明、ヤヌコヴィッチはキエフから逃げ出した。一体、何が起きたのか。ヤヌコヴィッチ自身は「すでにこの夜、ギャングは公然と私を攻撃し始めた」と説明している。その後の出来事をみると、2004年憲法への復帰が決まり、大統領選が5月25日に実施されることになった。その意味では、協定はたしかに存在したかにみえる。ヤヌコヴィッチがロシアに逃れてから行った2月28日に行った記者会見では、「私ではなく、ウクライナの人民すべてが騙された」と語った。これに対して、ポーランドのシコルスキー外相は「ヤヌコヴィッチ自身が協定の条件を遂行しなかった」とやり返している。だが、むしろ、協定は最終的にヤヌコヴィッチによって拒否されたと考える方が自然かもしれない。ただ、その場合には、なぜ彼が逃げたのか、その理由がよくわからない。暴力には暴力で抵抗できたはずではないか。最終局面では、暴力で戦う力も彼には残されていなかったということだろうか。調印の場にいた者は事情を説明する義務がある。
第五の論点は、暫定政権に明らかに過激なナショナリストが複数含まれている点である。過激なナショナリストの政党「自由」のメンバーが入閣した。当初、アレクサンドル・スィチ副首相、イーゴリ・シュヴァイカ農業政策・食糧相、アンドレイ・モフニク環境・天然資源相、イーゴリ・チェニューク国防相の四人がいた。スィチはウクライナのナショナリズムの情熱的な守護者・歴史家とみなされており、「我々はウクライナがウクライナ人のみであるようにしなければならない」というのが彼の主張である。だからこそ、彼は副首相就任後も、新しい言語政策についてウクライナ語優位を堅持しようとしている。モフニクは、ウクライナ独立運動の主導者、バンデーラ支持者として知られており、シュヴァイカはかつて「自由」のハリキウ(ハリコフ)支部の指導者であった。チュニューク国防相は3月25日に辞任に追い込まれた。彼は、2010年にヤヌコヴィッチに解任させられるまで海軍司令官を務めていたまったくの軍人だが、2014年2月、国防相就任後、3月に「ウクライナ軍はクリミアで戦争活動を始める法的権限を有していない」と議会で発言、これを機に、クリミア併合に対する軍の対応の遅さを追求され、辞任した。後任には、党とは無関係なミハイル・コヴァル大将が国防相手代行に就いた。米国やNATOとの関係を強化するために、「自由」のメンバーをあえてはずしたとの観測もある。
2012年12月13日付決議として、欧州議会は、つぎのように要望した。
「ウクライナ議会に入る新しい二党のうちの一つである、「自由」党の支援を得て表現されているウクライナにおけるナショナリスティックな感情の高まりに関連して、人種差別的、反ユダヤ的で外国人嫌いの見方が欧州連合(EU)の基本的価値や原則に反するものであることを想起させる。ゆえに、議会の民主主義を支持する政党はこの党と提携したり、同党を推薦したり、同党と連立を形成したりしないように要望する」
EUはなぜ名指しした、過激なナショナリストを含む政権を黙認したのだろうか。米国の強い圧力があったからではないのか、と筆者には忖度される。
第六の論点は、言語政策についてである。プーチンは、2014年3月18日の重要演説のなかで、「第一に、新しい、いわゆる「権力」がもたらしたのは、少数者の国民の権利を直接、侵害することになる、言語政策見直し法案であった」と指摘している。さらに続けて、プーチンは、この法案は撤回されたが、ストックされているだけだとして警戒感を顕わにしている。
わかりやすく説明しよう。新政権が発足したのは2月26日だが、すでに21日の協定がどういうわけか破棄されて以降、あるいは締結されなかったために、22日ころには「マイダン自衛」(ユーロマイダンを自衛するための、超過激派「ライト・セクター」を含む組織で、このトップは暫定政権下で国家安全保障・国防会議書記になったアンドレイ・パルビー)を中心とする勢力が権力を奪取していたと思われる。そうした勢力が最初に行ったことが国家言語政策基本法という法律を撤廃することであったのだ。23日の日曜日に、最高議会はこれを断行した。ところが、きわめて興味深いのは、この撤廃を決めた法案がすでに大統領代行になっていたトゥルチノフによって拒否されたことだ。憲法上、大統領代行は最高議会議長とされていたから、2月22日に急遽、議長に選任された彼は翌日、ヤヌコヴィッチの弾劾決議の後、大統領代行に就任した。彼は、穏健なナショナルズムの政党「祖国」の幹部であり、その意味では、この法案に署名してもまったくおかしくないのだが、なぜか拒否権を発動した。しかも、それを明らかにしたのは3月3日になってからだ。
政府の公式サイトによると、ヤツェニューク首相が欧州銀行協会との会合で明らかにしたという。どうやら言語による弾圧という、きわめてナショナリスティックなやり方を心配した外国勢力が圧力をかけたことが示唆される。現に、ロシア語を比較的自由に使用できた地域の人々は、新政権が最初にとった政策がロシア語使用の禁止につながるのではないかという恐怖をいだいたのは間違いない。だからこそ、プーチンが大いに危惧したわけである。
つぎに、ロシアへの制裁について考えよう。ロシアがクリミア半島を併合したのは事実だから、これを罰するのは正当かもしれない。それならば、民主的に選ばれたヤヌコヴィッチ政権を暴力によって打倒したこと、そしてその背後に米国の支援があったことについては何もしなくていいのだろうか。こうした動きは1994年12月5日、ブダペストで締結された「ウクライナの核兵器不拡散条約受け入れに絡む安全保障確約に関する覚書」に違反している。締約国は米ロと英国だ。その第2項で、「米ロ英は、ウクライナの領土的一体性ないし政治的独立に反する脅威ないし力の使用を慎む義務を再確認する」とあるからだ。米国政府が行ってきた行為は、資金援助などを通じてウクライナのナショナリストを焚きつけてヤヌコヴィッチ政権という民主的選挙を通じて選ばれた政権を崩壊させ、その結果としてウクライナの領土的一体性(territorial integrity)を失わせたということではないか。
後世の歴史家はこのウクラナ危機を、オバマによる「ウクライナ・ゲート」事件と呼ぶかもしれない。実は、オバマが当初から「領土的一体性」という言葉を使っていたのは、この覚書に自らが違反していることをよく知っていたからではないか。知っていながら、「悪」に手を染めたのが米国である可能性が高いのである。
にもかかわらず、日本共産党の志位和夫委員長は、安倍晋三首相がロシアのクリミア併合を「力を背景とする現状変更の試み」とした国会答弁を非難したそうだ。「そんなに生易しいものではない。最悪の侵略行為である併合に踏み出しても批判できないのは、だらしない」というのだ。社民党の吉田忠智党首は記者会見で、政府の対ロ制裁措置について、「かなりロシアに配慮している内容だ。もう一段、踏み込む必要がある」と語ったという。
この人たちは、事実にもう一段踏み込んで発言する必要があるのではないか。彼らに問いたい。あなた方はそもそも、筆者がここで考察したような詳細を知ったうえで、米国の関与をあえて否定しているのか。もう米国は帝国主義ではなくなったのか。教えていただきたい。さらに、EUもまた帝国主義的であると思うが、違うというのなら根拠を示してほしい(EUが帝国主義的というのは柄谷行人がかねてから主張しているところであり、その通りであることが実証されたのではないか)。
筆者は、制裁が「ナンセンス」であると明言したヘルムート・シュミット元ドイツ首相のような政治家が日本にいないことを残念に思う。気骨ある政治家がいるのであれば、ウクライナ支援の必要性についても問いただしてほしい。ロン・ポール元米上院議員が言うように、支援のほとんどはウクライナ国債の償還に使われるだけだ。しかも、その借金の主因である国営ナフトガスの社長エフゲニー・バクリンは3月21日に拘束されている。赤字の元凶であったナフトガスにおいて、巨額の横領事件が起きていたというのである。国家に40億ドルもの損失をもたらした嫌疑がかけられているというのだから、開いた口が塞がらない。そんないい加減な経済運営状況のもとで、日本国民の税金を本当に投下していいのか。こうしたことを厳しく追及すべきではないのか。
日本政府がとるべき行動は、「ヤルタ会談Ⅱ」を至急、開催することを求めることだろう。ロシアを入れて、ウクライナの復興を協議しなければならない。ロシア抜きのウクライナ復興は100%実現不可能だからである。プーチンは3月18日の重要演説で、2013年にロシアにおいて、ほぼ300万人のウクライナ人が働いていたと語った。「いくつかの評価によると、ロシアでのその稼ぎ高は2013年に200億ドル強となった。これはウクライナのGDPのほぼ12%にあたる」という。つまり、ロシアとウクライナの関係が収拾できないほどこじれてしまうと、こうした密接な関係にひびが入り、ウクライナ経済のうける打撃はきわめて大きくなってしまうことになる。こうした現実から目を離してはならない。
もう一つ大切なのは、過激なナショナリズムに対する対策を議論することである。過激なナショナリズムは本格的な過激派テロ集団とも連携しようとしているからだ。「自由」のチャグニボク党首はチェチェンのテロリストとの密接な関係を疑われている。2014年3月、ロシアの捜査機関である予審委員会は、第一次チェチェン戦争においてロシアと闘った武装集団の組織化にかかわった罪でチャグニボクらを指名手配した。1994~1995年のチェチェン戦争で、「ウクライナ・ナショナリスト・アセンブリ-ウクライナ・人民自衛(UNA-UNSO)」のメンバーが武装勢力とともにロシア軍と戦ったとみているのである。ユーロマイダンを自衛するための反政府組織「マイダン自衛」のなかに、チェチェンで戦った者がいると言われていたのは事実であり、過激なナショナリストが武装集団と一部結びついていたと言ってもいい。
ここからは、筆者の憶測に基づく推論である。ヌーランドがEUに対して、「くそったれ」とか「口出しするな」と言っているのはなぜかを考えると、ことの真相がわかりやすい。勘ぐれば、米国政府はウクライナに親米政権を誕生させて、その責任をロシアに負わせ、すべての欧州諸国を米国の利害に沿う形に糾合させて得をしようとしたのではないか。関係の悪化していた盗聴問題を吹き飛ばし、米国のシェールガスの供給先として欧州を縛り、ついでに環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)を一挙に合意にまでこぎつけ、防衛関連予算の大幅拡大につなげるという作戦だ。だからこそ、EUの利害などおかまいなしに、米国だけの国益から思慮があるとは言えない暴挙に出たのではないか。
シェールガスについては、筆者はもう3年以上も前に、『世界』(2010年10月号)に「ロシアを揺るがすガス問題」という記事を書き、シェールガスがガスプロムに重大な悪影響を及ぼすことになることを指摘した。当時から、米国ではシェールガスの採掘が実用化されるようになっており、これによって天然ガスの輸出への道が切り拓かれたことになる。
シェールガスが今後、急増し、ガスの需給関係が緩み供給者が不利になる可能性がある。だからこそ、米国のガス会社は欧州市場をねらっているのだ。ロシアを悪者に仕立て上げ、ロシアへの過度なガス依存の危険性を欧州諸国に周知させて、米国の余剰ガスを液化天然ガス(LNG)化して購入させるという計画である。ただ、現在、米国では天然ガスをLNG化する工場(まだアラスカに一つあるだけ)やそれを輸出するためのターミナルを建設中であり、2017年以降にならないと輸出はできないとみられている。現行法上は、自由貿易協定締結国にだけLNGの輸出許可が自動的に分与されるため、自由貿易協定の一種であるTTIPの締結を強力にプッシュできる。
TTIPは環大西洋自由貿易地域(TAFTA)に代わるもので、オバマは2014年2月の一般教書でTTIPに取り組むことを表明した。だが、合意に向けた課題は山積だ。自動車の認証制度上の相違をどう埋めるかといった基本的な課題がクリアできなければ、貿易自由化は進まない。米国が要求する衛生植物検疫措置(SPS)に関連して、遺伝子組み換え食品の規制をどうするかも課題になる。だからこそ、ロシアという共通の敵をつくり出し、一致協力して難局を乗り切ろうというムードを背景に、一挙にTTIP締結にまで持ち込もうとしているわけだ。
もう一つの軍産複合体については、ドワイト・アイゼンハワーが1961年の最後の退任演説において、350万人もの人々が直接、軍事エスタブリッシュメントにかかわり、全米企業の純所得よりも多い軍事安全保障費を毎年費やしている現状に警鐘を鳴らした。つまり、「軍事エスタブリシュメントと大規模な武器産業の結合」としての軍産複合体(military-industrial complex)の存在を警告したのである。アイゼンハワーは政府、軍、産業が不要な軍事力の拡大、過剰な国防支出、さらに政策作成過程におけるチェック・エンド・バランスの崩壊につながりかねないことを恐れていた。彼はつぎのように予言した。「軍産複合体による是認されていない影響力の獲得を、それが求められていようともいないとも、我々は見張らなければならない。破滅につながりかねない見当違いの権力の隆盛という潜在力が存在しているのであり、尾を引くことになるだろう」と。
その予言は当たっている。もっと言えば、直接、軍事産業にかかわらなくとも、国家から巨額に資金が投入されるカネをねらって、研究者などの学界も、その成果を宣伝するマスメディアも、知らず知らずのうちかもしれないが、政府、軍、産業のトライアングルに加担してしまっている。ゆえに、「新冷戦」になったという報道が増えれば、何も知らない人々は簡単に騙されてしまうのだ。
筆者の推測の真偽はわからない。ただ、唯一確実なのは、米国の浅薄な為政者がイラクと同じように、気に入らない既存政権を暴力で倒し、その後、イラクが大混乱に陥ったという歴史を繰り返そうとしていることである。このままいけば、ウクライナは確実に「イラク化」する。内戦状態になり、そこに過激派テロリストが加わり、EUのすぐ隣でテロが頻発するようになるだろう。「自由」はドイツ国民(国家)民主党(NPD)と提携関係にある。NPDはナチスに近い、超過激なナショナリスト集団だ。つまり、EU内部の過激派ナショナリストも勢いづき、悪夢のような社会不安がEU内部でも頻発する可能性さえある。
こうした事態になりかねない問題を引き起こした米国政府に対して、なぜ地球上の多くの人々は怒らないのか。読者には、事実に一歩でも近づく努力をしてほしい。そして、関心のある方は4月中に上梓する拙著『ウクライナ・ゲート:危機の本質』(Kindle版)をぜひ、読んでいただきたい。ここで書いた内容をもっと詳しく紹介しているからである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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